1年の計は誕生日にあり。

というわけで、43歳になりました*1。早いもんやなぁ。気がついたら、押しも押されもせぬ*2おっさんですよ。若い頃は「あぁいうおっさんにはなりたくないなぁ」と思っていた、まさにそのおっさんになっているような気がする。もうちょっとオシャレに気を遣うなりなんなり、しないといけないのかもしれんなぁ*3


昨年は、世の中のほとんどの人も同様だったと思うけれども、なかなかに大変な年やった。コロナ禍で仕事はてんてこ舞い。講義科目はもちろんのこと、ゼミもPBLもオンライン。世で言われているほどにはオンデマンド授業の準備は大変ではなかったけれども*4、それよりもなによりも学生と食事や飲みに出かけられないのがつらくてつらくて仕方がなかった。指導スタイルとの親和性ということもあるし、ここぞというときに指導できないのはもどかしいし、なにより学生と出かけることがストレス発散になっていたことをイヤというほど痛感させられた。僕は学生と飲みに行くために仕事をしていると言っても過言ではないのかもしれない。秋学期になってようやくゼミが対面に戻り*5、また非常勤先は対面授業だったので*6、少しは生きている心地がした。学生とわちゃわちゃしているのが性に合ってるんやろうなぁ。研究もほとんどストップ。インタビューや調べもののための出張がまるでできなくなった。これも僕にとってはストレス発散なので、そういう意味でもしんどかった。それだけでなく、教育や学務の対応でどうしても研究が後回しになる。共同研究も、打ち合わせはするものの、あまり進んだ気がしない。レビュー論文を少し書けたのが唯一の救い。


大変だったのは仕事面だけではなく、プライベート面でも後厄をしっかり堪能することになった。特に某持病の再発はしんどかった。病気とはいえ、肉体的には(自覚症状ベースでは)それほどつらくはなかったんやけれども、精神的にまいった。なにがどうまいらせたのかはここで書くのは憚れるので書かないが、最初の発症時よりも症状がきつく、また長引いたのもしんどかった。12月になって急に寛解したのが救い。別に食生活を変えたわけでも薬を変えたわけでもないのに急に。そんなものなのかねぇ。あと、子どもが生まれたことに付随して、ソファーで寝ることがほとんどになり、首・肩・腰が今までとは比べものにならない重さになった。しかもマッサージにはなかなか行けない。これもきつかった。睡眠姿勢を少しずつ改善していったことと、ブリーズライト導入のおかげで、これもここにきて少しましになってきた気がする。


子どもが6月に生まれたわけやけれども、夜中に4~5時間寝てくれるようになった今から振り返ってみても、世間で言われるような睡眠不足でどうしようもないという状態には、ついぞならなかった気がする。これは、妻にいろいろな負担をしてもらっているからこそだと思われる。感謝。また、夜泣きの本格化はこれかららしいので、そういう意味では今から睡眠不足に悩まされることになるのかもしれない。年末年始あたりから自我が相当に出てきたこともあり、抱っこしないと泣き叫ぶような手がかかる甘えん坊ではあるものの、反応を楽しむことができるようになってきた。言葉でのやりとりができるようになるともっと楽しいのかもしれないし*7、イヤイヤ期になると気が狂いそうになるのかもなぁとも思う。ただ、この間、気を遣うこと甚だしかった。赤子に対するコロナウイルスの影響、それほどないと言われてはいるものの、そもそも症例が少なくなかなかアテにならない。なにより妻が神経質になってしまっていて、世間よりも相当に厳しい基準で対策をとらされるのが、理解できるので従うんやけれどもしんどくもある*8


そして、気軽に飲みに出られないので、愚痴を聞いてもらうというか「しょうもない話をする」ことができなくなって、これが学生と飲みに出られないことと相まってボディーブローとして効いてきた。性格的になのか、「滅入る」というところまでいくことはめったにないんやけれども、たまの機会*9で話が止まらなくなるあたり、相当に溜まっているんやろうなぁと自分でも思う。


さて、それで、2021年。この1年はどんな年にしたものか。


まず、コロナ禍が終息したらという前提付きではあるものの、これまで通りとはいかないまでも、少しは飲みに行く機会を増やしたい。食べるものも飲むものも、量よりは質を求めるようになりつつあるので、メリハリのついた機会を持つことができるようになるといいなと思う。

 

食べるものといえば、一昨年の釜山で「チャレンジ精神を失ってはいけない」と思い返したのを、国内でも少しずつ実践していかねばと思っていて、気になっているもののまだ食べられてないものはちゃんと試さないとな、と。とりあえずリストに挙がっているのは次のメニュー。たぶん忘れているだけで挙げなきゃいけないものは他にもあるはず。

  • 天下一品の「味がさね」*10
  • あかつきの「あかつき丼」
  • たかばしラーメンの「丼ガバチョ」
  • グリル宝の「チキン・コルドンブル」

 

そして、子育てを楽しむこと。仕事を楽しむためのやり方はだいぶと身についている気がするので、子育てにもちゃんと時間を割き、そして楽しまないとな、と思う。


仕事の面では、教育や学務は、まぁ、今の感じを継続して。研究は、なにより、書かないといけない。昨年試してみた「音声入力」が存外うまくいったので、これをもう少し活用してもいいのかもしれない。バックヤードに眠っているデータを処理して、科研費etcの研究を着実に進めて、そして懸案の某D論に目鼻をつけたい。学会の常任理事(の片方)が「1回休み」になるのと、全国大会の開催を終えたところなので、もう少し自分の研究に時間を割くようにしたい。


そしてなにより、ちゃんと休むこと。休むのも仕事のうちだということをアタマだけでなく身体で理解すること。そして子どもと遊ぶことをアクティブレストとすること。厄年も終えたので、身体ともうまく付き合っていかないと。


というわけで、みなさま、本年もよろしくお願いいたします*11

*1:43回目の誕生日と書こうとしたけれども、数え年ではないので、誕生日としては44回目になることに気がついた。

*2:「押しも押されぬ」は誤りなんやね。ちょっと気になったので調べてみて初めて知った。

*3:その前に痩せねばならないという意見には耳を貸さないことにしている。

*4:むしろ収録を楽しんでいた節もある。

*5:2回生と3回生では戻る時期に差があったけれども。

*6:こちらは21年度がオンライン対応になる。

*7:歴史とか地理とか読書とかスポーツとか鉄道とか演劇とか、好きになってくれるといいなぁ。

*8:この件に限らずやけれども、育児のストレッサーは、子どもではないことの方が多い気がする。また、子どもが生まれることで嫁ー姑関係が前面に出てくることがよくわかった。

*9:いつもお世話になっているマッサージ屋さんや主治医の存在が有り難い。

*10:「屋台の味」は昨年デビューした。「こってり」がだんだんきつくなってきたお年頃。

*11:誰がここを読んでいるのか知らないけど(苦笑)。

人生の転機、なのかも。

 

3人での生活が始まる。

どんなものになるのか、想像ができない。とりあえず寝られないらしいが、仕事にあまりにも差し障りが出ても困るし、それよりも研究室往復の車の運転に差し障りが出ると困る。こないだのD先生(T先生?)の話だと、仕事をどう減らすかが一番難しいらしい。多分そうだよなぁ。仕事、嫌いじゃないもんなぁ。

後厄絶賛堪能中。

5月アタマの持病の再発*1に続き、先月末には右耳の後ろが帯状疱疹にかかる。まぁ、帯状疱疹はこのタイミングでかかっておいてよかったとも言える。現在はほぼほぼおさまってるから、子供にうつす心配がない。ストレスが原因なれど、二度はかからないらしいし。一般には激痛らしいが、患部そのものはそこまでは痛くならず。新薬のおかげか。ただ、背中が尋常ではなく痛かった。無理な姿勢で寝たことに起因する寝違いのようなもの。

 

(本当はもう少し書きたいけれども、迎えに行かねば。後で加筆するかも。 13:30)

 

*1:2011年11月の発病で、わりとすぐにおさまったから、8年半ぶり……。

日曜日の朝にぼんやりと。

在外研究で最もお世話になった研究者の異動の報に触れる。個人としては心からお祝いをしたい。一方で、残された「地域」と「学部」のブランド価値が大きく下がるのではないかと思わず感じてしまう。いわゆる若手ではなく重鎮だし、存在感が大きい人だからこそ、なおさら(個人的には学問的系譜という意味でも/直近で「教授」に立て続けに2人がなって体制としては盤石ということもあるのかもしれない)。日本人的発想なのか、向こうでもそう思うものなのか。個人(への評価)が先に立つ社会というのは、なるほど、そういう社会なのかと思ったりもする。骨をうずめるという選択肢の優先順位が一般的にそれほど高くない社会といえばいいだろうか。研究者という職業の特性もあるだろうけれども。ドライと言えばドライだし、なにがしかの野望を持っているのかもしれない。もちろん、僕が知らないだけで、現在の職場に不満があるのかもしれない。祝意だけでは片づけられない、なんとも言えない感覚を抱いている。今度ゆっくり話す機会があればそのあたりも聞いてみようかしら。そして、僕自身はこの先どうしていくのだろうか。別に現在の勤務校に不満はないけれども、なにかあればすっと動くのだろうか、それとも「動けない」のだろうか(そもそも評価されるべき何かを持つことの方が先ではあるけれども)。個人なのか、しがらみなのか。今年の春は多くの知り合いが異動をした。近くにいた、ある分野における「お兄さん」もほんの少しだけ遠くに動いた。「前の大学での兄貴分」は、この春から「今の大学での兄貴分」になった。研究者として、教育者として、学内業務の一端を担う者として、僕はどこに行きたいのだろうか。たまたま、昨日の研究会終わりの飲み会でも、そういう話になった。先週出た別の研究会で、そもそも研究者として目指したい大きな大きな方向性を思い出すきっかけがあった。こういうことをなんとなくぼんやりと考えるタイミングなのかもしれない。そして、こういうことを考えると、組織よりも個人が先に立つ専門職についての研究をしているとは自分ではまるで思えないことにも気づいてしまう。そこもどうにか折り合いをつけないといけない。……無駄に長いな、この文章。とりあえず吐き出しているだけとはいえ。読みにくいし(段落を変えていないのはわざとやけど)。後日ゆっくり整理するかな。

2018年2杯目。


今日は昼イチでCOCON烏丸で打ち合わせだったので*1、打ち合わせ後に地下1階でごはんを食べることに。となると、選択肢は、豚カツかラーメン*2


というわけで、今日は「天天有・四条烏丸店」で今年2杯目のラーメン。「天天有」といえば一乗寺が本店で…と思っていたけれども、ウェブサイトを見ても本店が出てこない。少し調べてみたところ、どうやら暖簾分け先がチェーン展開しているよう。なるほど、そういうこともあるのね。本店との関係はうまくいってるのかしらと、勝手に心配になる。



↑ 「こってり」煮卵トッピング*3。 ↑


「天天有」は鶏白湯、いわゆる鶏ガラと野菜ベースのポタージュ系なわけやけれども、「天下一品」とはまた違う方向。本店に最後に行ったのはもうだいぶ前のことだから、本店とこの店とで味がどれだけ違うかについてはちょっと記憶があやふややけれども、本店の方がより野菜の甘みたっぷりのヘルシーなスープ、という印象がある。飲んだ後にちょうどいいというか、濃厚なんやけれども後口は案外さっぱりという感じ。「天一こってり」ほどの中毒性はないけれども、たまに食べたくなる味。


ただ、本店とは違うチェーン店で、かつセントラルキッチンということであれば*4、久々に本店に行ってみないとなぁ、という気分になる。昔は昼もやっていたけれども、今は昼は違う店になっていて*5、夜しかやっていないので*6、いつ行けるかしらん……。修学院界隈で飲んだ後に立ち寄ることを考えねばかしらん。

*1:短時間ながらもいい打ち合わせができた♪ Uさん、おおきにでした、来月はよろしくお願いします。

*2:老香港は未体験。行ってみたいけれども、いかんせん庶民には手が出ないくらいに値が張る。

*3:天天有は、チャーシューを減らす代わりに煮卵をつけて同額、というサービスをやっている。

*4:実は、この店、頼んでから出てくるまでが異様に早い。

*5:しかも僕の少し苦手な魚介系スープ、のはず。

*6:日・祝は昼もやっているみたいやけれども、そんな混んでるところには行きたくない。

30代最後の日。


……だからといって特別なことは何もないんやけれども(苦笑)。


30代、振り返ってみて、どうやったかなぁ、と。教員生活がそれなりに軌道に乗ってきて、京都に戻って、共編著もいくらか出して、歌って、結婚して、アメリカで1年住んで、という感じかしら。分担執筆を超えた共著・共編著は4冊、それも全部違う分野で出すことができて*1、それはそれでがんばったという感じがする。ゼミ活動も、関係者に迷惑をかけまくりながら*2、学生にも迷惑をかけまくりながら(あかんやん)、とはいえなんとか「伊吹ゼミとはこういう活動をするところ」というものが形となってきた気がする。なにより若い人達がわぁきゃぁ言いながらがんばっている姿を見るのは楽しい*3。直近では学会の常任理事を2つ引き受け、行政や業界団体の委員もお引き受けし、学内でも統括やらリーダーやらという地位にもいくつか就かせていただいた。2009年4月に京都に戻ってきたんやけれども、有り難いことにその後も長岡のみなさんとは仲良くさせていただいている。京都に戻ってからは、京都の経済団体でも活動し、それがきっかけとなって妻と知り合い結婚に至った。結婚式直前に松葉杖姿となったのも今となってはいい思い出。長年の夢というほどの大袈裟なものではないけれども、ステージ上で歌うという経験が何度もできたのも嬉しかった。アロママッサージに出会ったのもここ数年のこと。そして直近はなんといってもアメリカ暮らし。何か特別なことがあったというわけでもなく、向こうで日常生活を送っていただけやけれども、人生の中でそうある経験ではないのは確か。


ただ、「これを成し遂げた!」という感覚は、あまりない。研究面で大きな実績を残したとは言い難いからではないかな、と思う。論文はそれなりに書いているし、研究していないわけではないんやけれども、査読付き論文の本数は相変わらず低空飛行やし、もっと言うと学会賞をもらうような業績とかは出せていない。それが端的に結果となって表れているのは、まだ昇進できていないということと*4、なによりまだ学位が取れていないということ。学位は、本当に、早々に、とってしまわないといけない。そのためにも、学位に値する研究をしっかりと積み重ねないといけない。


アメリカで1年間暮らした中で、研究テーマがそうであったということもあり、向こうの教員がどれだけ「追われている」か、生産性が高いか、研究も教育もがんばろうと思っているか、そしてその中で自分の生活というものを(趣味をはじめとする私生活も含めて)成り立たせようとしているか、散々見せつけられたということもあるのかもしれない。あれに負けているようでは、この国はどうにも立ち行かんと感じる。根性論ではなく、どうすれば全体最適を達成しつつ個々でも幸せを感じることができるようになるか、そしてそれをどう僕個人に落とし込むか(幸せの受益者として、そして幸せを与える人として)、考えて行動に移す年齢となってきているような気がする。


でも、全体的に見たら、幸せな30代だったんじゃないかな、と感じる。もちろんここに書けないような話もあるし、体調だっていつも万全だったというわけではないけれども。年齢を感じることももちろんある*5。ただ、なんというのかな、大学教員という職業が、僕にとってとても向いているという感じがする。それが、全体的な幸福感をもたらす源泉になっているんじゃないかな、と。学部生時代、某社の最終面接でアタマがまっ白になったことが僕の運命を大きく変えたわけやけれども、それこそが「神のお導き」だったんじゃないかな、と思う*6


40代はどんな感じになるのかしらん。醒めているというか、冷静というか*7、「こういう40代にするぞ!」みたいなのは特になくて、向こうからやってくるものをその時その時で楽しむという生き方しかできなくなってしまっているので、たぶん40代もそんな感じで進んでいくんじゃないかな。でも、幸運の女神と出逢ったときに、その前髪をちゃんと捉まえることができるよう、いろんな意味での準備はしておかないとな、とは常に思う。強いて言えば、それが40代の抱負かな。相変わらずのこんな感じですが、みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。





↓ こうやって並べて見ると、それなりにがんばった、かな。 ↓

スポーツの経済と政策

スポーツの経済と政策


広報・PR論--パブリック・リレーションズの理論と実際 (有斐閣ブックス)

広報・PR論--パブリック・リレーションズの理論と実際 (有斐閣ブックス)


広告コミュニケーション研究ハンドブック (有斐閣ブックス)

広告コミュニケーション研究ハンドブック (有斐閣ブックス)


課題解決型授業への挑戦

課題解決型授業への挑戦

*1:スポーツ,広報,広告,キャリア教育。まぁ見事にバラバラ。

*2:特に課題提供をお願いしているみなさま、本当にありがとうございます。

*3:学生と一緒になって楽しむ、とはさすがに最近は言えなくなってきた気がする。年齢が離れたということもあるし、職業的責任をようやく自覚したということもあるのかもしれない。めっちゃ寂しくもあるんやけどね。

*4:「昇進したい」という出世欲というよりは、「成果の1つとしての昇進がまだ手元にない」という感じ、

*5:特に、飲酒量の減り具合だとか、脂っこいものと胃もたれの関係だとかは、覿面。

*6:特定の宗教に深く帰依しているわけではない、典型的な日本人やけれども、こういう表現が一番しっくりくる。

*7:まぁ、いつものことです。こないだも久々に思い出したんやけれども、結婚式当日にコーディネーターさんに半ば呆れられながら怒られるって、そんな人そうはいないと思う(苦笑)。

思い立ったが吉日。


ふと、思い立って、この1年は食べたラーメンをここでupしていくことにしようかと思う。


ラーメン、たまに食べたくなるものの、そんなにしょっちゅうしょっちゅう食べるものでもない。寄る年波には勝てず、脂っこいものよりは他のものを……となるということもあるんやけれども*1、最大の理由は、スープがはねて服につくと困ることが多いから。仕事は基本スーツ姿なんやけれども、Yシャツの汚れって案外と目立つし、着ているこっちも気になったりするので、食後に特に人に会う予定がないとき(含:授業がないとき)とかYシャツではなく違う私服を着ているときとかでないと、なかなか行こうという気分にならない。妻がラーメン屋さんとかにまったく興味がないというのもあるかもしれないし、炭水化物は控えめにしないとなというぼんやりした心持ちもないわけではない。


ただ、普段からSNSに上げているスープもそうだけれども、高価というわけでもないし、バリエーションは豊富。そしてなにより、たまに無性に食べたくなる。であれば、数を狙うわけでなく気軽にupするにはなかなかいい題材なのではないかと考えた次第。


何もルールがないというのもなんなので、次のようなことを考えてみた*2

  • 同じ店には行かない(除:担々麺*3)。
  • ラーメンの写真を載せる。
  • 味の感想もさることながら、お店の感想も書く。
  • 天一こってり」はラーメンではない*4


で、早速第一弾。免許試験場に免許の更新に行く道中で*5新年初ラーメン。帰国後初めてだから超久々の「ラーメン横綱・醍醐店」。京都ラーメンといえば「ますたに」のような背脂チャッチャ系が思い浮かぶけれども、なかなかどうして「横綱」の豚骨醤油もいい感じ。「天一」ほどこてっとしているわけでなく、ちょうどいいまろやかさというか*6



↑ 味玉トッピング*7。 ↑


ここはネギのトッピングが無料で、机の上にどんとおいてあるのだけれども、僕が個人的に気になったのはこちら。



↑ にんにく。 ↑


これ、販売者が株式会社横綱となっている。もちろんどこか他の会社が作っているのだろうけれども*8、衛生的な感じがするし、分量のコントロールもしやすそうだし、いいんじゃないかな、と。昔からあったのかしら、あんまり記憶にないんやけど。



↑ ニントン。 ↑


こちらは入れすぎ注意。美味しいんやけど、入れすぎるとスープの味がこの味だけになってしまう。今回は小さじ半分くらい入れたけれども、それでも多い感じがした。ただ、ないとないで寂しい。


12時前の入店やけど満席。ロードサイド店だということもあるんやろうけれども、基本、美味しいからかなぁ、と。近所にオフィスがたくさんあるわけでもないから、チェーン展開でこれだけお客さんが入れば、すごいよなぁ。


ま、こんな感じでゆるゆるとupしていきます。

*1:学食では毎度のように甘酢タルタルたっぷりのチキン南蛮を食べているわけで、この理由に説得力はまったくない。

*2:要するに、今後のための自分向け備忘録。

*3:選択肢が少ないので、どうしてもかぶってしまう。

*4:あくまで「天一こってり」という別の食べもの。そしてなにより「禁断の秘薬」。体調が悪いときにはこれ。

*5:なぜ京都駅前ではないのかとか、訊いてはいけない。

*6:ちなみに、「天下一品」の創業は昭和46年、「横綱」の創業は昭和47年。どちらも屋台が発祥。この時代、なにかあったのかねぇ。

*7:ゆで卵って、そんなに好みではないのだけれども、ラーメン屋さんではついつい味玉を頼んでしまう。

*8:Aくんのところだったりして。ありえるよなぁ。

関係を継続するということ。


昨秋ある会を開催するにあたって久々にLINEを動かしたときに、既にその会に参加しにくくなっている数人が、LINEが久々に動き出したことを契機に「退出」するということがあった。これ、よくあることだとは思うのだけれども、個人的にはまったくと言っていいほど理解ができない。もちろん、自分にあまり関係がないところの通知がぴこんぴこん来るのはウザいだろうなぁ、とは思うんだけれども*1、「関係を断ち切ることを明示的に示す」ということをしなくてもいいのに、なんて考えてしまう*2


このツイート、以前も紹介したけれども、本当にそうだと思う。特に、こちらは仲がいいと思っていたのに、先方は実はそうでもなかったりとか、いろいろと理由があって連絡を取りにくくなる関係が出てきたりとか(こちらからの場合も、先方からの場合も)、「それならそうと最初から言ってよ」とも思うし、「騙すんなら最後まで騙してよ」とも思う。FacebookInstagramで何度リクエストを申請しても受け付けてくれなかったりとか、メールを出しても返事が来なかったりとか、ここ数日の間にもいくつもあった。あれ、それくらいの関係やったっけ、みたいな。


「愛を勘違いしないでください」「誰かを愛するためには、もっと努力が必要」と歌ったのはマッキーやけれども、そうなんやろうなぁ、と思う。年明け早々に挨拶旁々寄った某所でKちゃんと話したのは、家族とか、身内とか、仲間とか、もっと大事にせなあかんなぁ、ということ。「挨拶みたいに思ってた」のは自分だけかもしれず、もしかすると自分にとって都合のいいように利用していると思われてしまっているのかもしれないわけで。


そして、僕ももちろん、生来のものぐさが災いし、自分としてはそのような意図はないものの結果として関係性が途絶えてしまっているものもあるわけで。年賀状なんて最たる例で、ここ数年はまったく出せていない*3。これではいかんよな、言ってることとやってることとが釣り合っていないよな、とも思いつつ。


割り切りと、執念と、それに自分視点と他人視点と、全部のバランスを取れるような大人になりたいなぁ、と思う、そんな40歳直前。明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年早々届いた『組織科学』を見て。


落ち込む、というのとはなんか違うんやけれども、情けない気持ちになるなど。後輩にどんどんと抜かれている自分、これでいいのか、みたいな*4。がんばらねばなりません。

*1:実際に自分自身にとってのそういうグループもあるので、気持ちはわからなくはない。

*2:理由は簡単。重度のうさぎ病患者だから(苦笑)。

*3:結婚してからは、親類関係だけは妻がついでに書いてくれて、本当に助かっている。

*4:逆の観点からいくと、知っている後輩の晴れ姿を見ることができているわけで、その意味ではとても嬉しい、という気持ちも同時に持っている。