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なにもない。

2017-07-07 5

ついに上司から遠回しに「この仕事向いてない」と言われた。
結果的にそうなっただけで、ほぼ自分の方から「この仕事向いてない気がするんですがいかかでしょうか」的な振りをしたので、実質ぼくから言ったようなものなのだが。

業界の中いろんな職務があるのだが、今僕が務めているポジションを雑に言うと「コミュ力!交渉力!営業力!」で構成されている。
自己分析するに、間違いなくぼくには全部がない。このまる三年の経験が自分にそう感じさせる。

上に行けば行くほど求められるのは、そういったぼくにないモノだとも強く実感している。
分かっていたが確実にぼくはこの会社で生き残れない側の人間である。


ぼくの中には一つ自身の精神状態を示すものがあり、それは
『様々な困難な状況に対して「殺す」と思うか「死にたい」と思うか。』である
物騒な話ではなく、心意気の話だ。

今までは業務上の身に降りかかる理不尽や困難には「殺す」という殺意でもって臨んできた。
つまり目の前の理不尽は殺害対象であり、必ず倒し勝利する事象という捉え方だ。
この業界大体の仕事はどんな形でも終わりを迎える。つまり終わってしまえば勝ちである。
そういう心意気でいると、案外目の前の地獄も楽しめる。

だが「死にたい」は同じなようで全く違う。
心が負けているのだ。怒りもなければ、殺意もない。そこにあるのは諦めだ。
そうなると同じ目の前にある理不尽でも、心的ダメージがかなり大きい。
常に心が敗北しているわけだから、目の前の地獄を楽しむ余裕もない。
地獄が地獄として、そのままやってくる。

だから僕の中では「殺す」と思っている間は精神的にまだいける、と判断してきた。
実際結構あらゆる理不尽にも怒りと殺意でもって対応してきた。

が、最近どうにも「死にたい」という敗北の気持ちが強くなってきている。
これはいけない。前述したように地獄がただの地獄だ。

そういうトンチキな精神的指標ですら、僕は今の仕事に対して敗北しつつあるのである。
不思議なことに以前より業務は確実に楽になったというのに、全くもって心は楽じゃない。


幸い業界にはもう一つの道がある。
徐々に自分は業界に居続けたいなら、そっちへ進むべきなんじゃないか、そっちのほうが向いているんじゃないか、と感じている。
しかし当然ながらそちも今とは違う理不尽と困難が山ほど待っている。違う地獄がそこにある。

どちらにしても時間と会社は待ってはくれない。
業界を去るという選択肢もある。

そうそう簡単に決められるものでもないが、本格的に時間が迫ってきている。
決めなくてはならない。困ったものである。

2017-05-03 4

少し前に働きすぎ云々という話をしたが、どうやら勤め先の状況が変わってきている。
最近は「長時間働くな」という強い意思を上から感じることが多い。

とりたててワーカーホリックでもないので、その命令は非常にありがたい。
今までは「いくらでも働けるよな?」という、「はい」か「YES」しかない質問を常にくらいながら無限に働いたわけだから、会社というものは変わっていくものなのだなと思う。

実際のところ個人の感想としては「長時間働かなくて良いならとっくの前に働いとらんわばーか」といった感じである。

環境の変化は業務内容の改善が図られてこそのものである。
一朝一夕で変えられないものではあるのは業界自体が語ってるものであるし、すぐに変えろというわけではないが、結局のところ現状は対外的体裁を整えるために「働くな」と言われている気がしてならない。

長時間働くこと=頑張った にならないと口酸っぱく言われているが、何徹もした時に聞かされる辛さは結構なものである。
別に評価を得たくて無理して働いてるわけでもないが、そこまで言われると一体何のために頑張ってきたのか本当に分からなくなる。

しかし今が転換期なのだろうな、とも強く思う。
あらゆる労働力を犠牲にして成り立ってきた部分にやっと自らメスを入れようとしている。
環境が変わろうとしている、と思えば今の僕のもやっとした気持ちも晴れるのだろうか。

良くならないよりかは、良くなるほうが何百倍も嬉しいはず。
僕もたった二年で働きすぎる環境に順応して、変に変わることに対して拒否反応を感じてるだけなのかもしれない。

色々会社や労働との付き合い方について、もっと考えなくてはならないのだろう。

2017-03-19 3


仕事柄まともに寝れない日が続いたり、家に帰れない(帰る気力がわかない)日が続くことが珍しくない頻度で定期的にある。
こういう生活をそろそろ2,3年程続けてると体も心も慣れるもののようだ。

ただ一週間ろく寝れなかった時は最後には人と喋ってる時も急に寝落ちしたりして、最終的には体が守ってくれるものなのだな、と思ったりもした。
あのまま起きていたらうっかり死んでいた気がしないでもない。
とは言え、僕のこのような状態も会社(もしくは業界)全体から見ると大して珍しくもなく、むしろもっと大変な目にあってる人も少なくはないというのが、分かりやすく闇を感じるのである。

自分も流石にキツイと思うこともあるが、どちらかと言うと「まぁいつものことか」という受け入れ方を出来てしまっているのが毒されているな証拠なのかもしれない。

会社(もしくは業界)を変えられるような立場に立っているわけでもないので、誰かが変えてくれることを期待するしかないのだが、いかんせん皆の無理を引き出すことで回っているので「なんかいけそうな気がするな」で限界まで我々は使われる気がしてならない。

そういうこともあって、流石にこれ以上は生命を脅かす気がするので最近はタイミングのいいところで辞めようと思っているのだが、断れない性格となまじ会社(業界)のことを好きな手前、絶妙に仕事が切れることがなく機を逃している。

どうなることやら、と他人事のように思っているが、家から出社するときに「よし、帰るか」と言ってしまうのだけは涙が出るので改善していきたい。

少なくとも僕の家は会社ではない。

2017-02-10 2

伊藤計劃作品の3作品アニメ映画化プロジェクトの中でも、一番楽しみにしていた虐殺器官が思いもよらぬ制作会社マングローブ倒産にによる制作延期。
ジェノスタジオという虐殺器官を完成させるために設立された制作会社が引き継ぐことになり、なんだかんだでハーモニーから一年以上経った2017年2月に公開された。

作品としての素晴らしさは小説をもって語るべき点ではあるが、やはり映像の情報を通して見ると改めてこの作品の完成度というかメッセージ性の強さに気付かされる。

小説は飽くまでも文章であり、その文章の連なりから近未来の世界を思い描くわけだが、村瀬修功監督によって描かれた虐殺器官の世界が自分の思い描いた世界と重なっており、ひたすらに感動した。
別に自分の想像力が高いとは思っていないが、自分の思い描いた虐殺器官の先には村瀬監督の虐殺器官があるのかもしれない、と思うと何か嬉しい気持ちになる。

最後のクラヴィスとジョン・ポール、ルツィアの普遍的な人類への皮肉を込めた会話は非常に心に刺さるものだった。
目に見えるだけの世界が、この世の全てである。
確かにそうかもしれない。情報過多の世界でも、容易に世界の裏側で何が起きてるから知ることが出来る世界でも、結局のところ個人の世界の範囲は実は前時代から何一つ変わってないように思える。
世界の何処かで起きた凄惨な出来事を知ることは、世界の何処かである以上「自分の及ばない範囲の出来事である安堵」にしか繋がらないのだろう。

虐殺器官の先に待っているのが、ハーモニーで描かれる究極の管理社会の無機質な世界であり、2つの作品が公開されたことで、ようやく長く続いたプロジェクトに一旦の終わりが見えたように思えた。

時間はかかったものの、作品として世に出て本当に良かったと見終わった後心底感じた。

2017-01-24 1

働きだしてもうそろそろ3年経つ。
今のところ何も自分のやりたいことが見つからないでいる。
正しくは、「やりたいこと」と「やるべきこと」のバランスが未だに取れないでいる。

諸般の事情(割と愚かな)理由で現状金銭的余裕がまるでないので、働きながら色々あーでもないこーでもないと考えている。
働きながら考えるには少々大変な職業に就いてしまっているところに自分の運と知恵の無さを感じるわけだが。

自分は同世代の人たちに比べて、生きるのが下手なことに最近ようやく気付いてきた。
ちょっと前までは自分は多少は器用な方だと思っていたのだが、どうやら大きな勘違いだったらしい。

世代の人たちに目をやる時、数年前は同じ同世代に見えていたのに、何故か今は自分よりも大人に見える。
中学や高校一年の時に三年生の先輩がものすごく大人に見えた、そんな感覚に近い。

何をするべきか。きっと周りの皆は無意識に選び取っている。
何をしたいのか。多分周りは生きていく中で取捨選択している。
どうやったらそんな器用に生きられるか教えて欲しいものである。


年始に実家の親に「お前はひれくれものだからな・・・」とボソッと言われたのだが、なるほど親は子供のことをしっかり見ているものなのだな…と何とも言えない気持ちになった。

どうしたものかな…と考える。そろそろ若さを言い訳に出来ない時が来てしまい、人生の岐路がすぐそこにきている。