元祖歌姫


安室奈美恵さん、宇多田ヒカルさん、浜崎あゆみさんといった「トップランナー」に限らず、二番手、三番手の女性歌手(最近は“アーティスト”と言ったほうが妥当か)にも、「歌姫」という呼称がよく使われている。
この「歌姫」というフレーズ、昭和の時代にはなかったように思う。「歌謡界の女王・美空ひばり」「演歌の女王美空ひばり」「無冠の女王・山口百恵」という言い方をしていたはずだ。
私が記憶するに、中森明菜さんが1994年にカヴァーアルバム「歌姫」をリリースしたのが最初だったと思う。このアルバムのリリースをきっかけに、「歌姫」というフレーズは中森明菜さんの代名詞になったはずだった。
しかし、「元祖」というものは、案外簡単に忘れられてしまうようである。
女性歌手を簡潔に象徴していて、語感もいいからであろうか、明菜さん以後、「歌姫」はあらゆるところで使われるようになり、いまや「姫」だらけになってしまった。
ひばりさんや百恵さんも「昭和の歌姫」。これだけ「歌姫」が氾濫すると、ありがたみがなくなってくる。
その元祖の中森明菜さんであるが、彼女こそ「歌姫」の称号に相応しいと私は思っている。
彼女が出すアルバムのタイトルには、「元祖」の意地であろうか、「歌姫」のフレーズがいまだに入っているが、彼女からは確かに、歌うことを宿命づけられた「姫」の匂いがする。
1989年の自殺未遂事件の後は、かつてのような大ヒット曲が出ず、うわべだけを見れば、長い間不遇の時代を送っているようにも見える。
しかし、カヴァーアルバムやベスト盤が多いとはいうものの、明菜さんは毎年1枚は新譜をリリースしているし、そのうちの何作かは、オリコンランキングでトップ10入りも果たしている。
パワーがなくなったという声をよく聞くが、その代わりに中低音は深みを増し、ファルセットで曲に色彩感を持たせることも覚えた。
今の彼女からは、売れるとか売れないとかを超えた、確固とした自分の道を歩んでいる自信が感じられる。
あれだけの事件を起こしてしまえば、普通は歌手として再起不能ということもあったと思う。
それが、あれから20年を経て、いまだに(目には見えにくいが)進化しているという事実は、やはり宿命めいたものを感じずにはいられない。
価値観が多様になった現代にあって、明菜さんも含めて、かつての山口百恵さんや松田聖子さんのように、時代を象徴する国民的スーパースターは、もう出てこないと思う。安室さんらの作品がミリオンセラーになっているが、あくまでも「J-POP」という小さなコップの中だけの話であって、国民的ではない。
名実ともに国民的であった最後の歌手として、明菜さんには、さらに表現を深化させて、自らの歌を完成させてほしいと思う。
それが、「元祖歌姫」が歩む前人未到の道である。