セッションについて(8)

今回のテーマは「コンディションについて」です。


ぶっちゃけると、疲れてる時、眠い時にやると、変になります。一概に悪くなるとは思いませんが、普段とは違うアクションをするようになります。*1
重要なのは、「じゃあそれは許容すべきことなのかどうか」ということです。サークル活動のような身内グループでのセッションの場合、日常的なコミュニケーションがあります。シナリオを作る段階で、そうした「普段のその人の行動」を誘導や展開に組み込むというのは自然なことだと思います。
(余談ですが私はそのために日常会話においても無茶なふっかけとかします。「どこまで受けられて、どこから受けられないのか」を判断するためです。人によっては最初の一撃でノックダウンしたりすることもあるようですが、「自助努力のないところに成長はない」と思ってるので、その程度でノックダウンされる人はその程度の器、と考えます。それが私の個人的信条というやつです。サークルの人には間接的に迷惑かけてると思いますが、開き直りと謝意を込めて、それが私というやつです)
もちろん疲労や睡眠不足以外でも、単純にその日のテンションでも行動は変わります。人というのは多分に恣意的なものです。昨日やりたかったことを今日もやりたいかどうかはわかりません。それでも「それはそういうもの(人格や欲求は一貫性があり、持続するもの)」という前提を元にシナリオを構築すると思います。少なくとも私はそうです。
そしてシナリオを構築した時の自分と、実際のセッションでの自分は、同じことを実現したいと欲求するわけではありません。シナリオを考えている時の自分の考えは、ある程度は敷衍したとしても、セッションでの自分の恣意を優先します。*2
話は逸れますが、そうすると消化できないネタとかが出てきますが、そういう場合はありがたくそのまま次回のネタに流用します。ある意味再帰的なリサイクル環境が勝手にできてるわけです。そして、「毎回必ず全部のネタを消化しなくていい」というのは、リラックスに繋がります。必要以上に気負う必要がないので、比較的楽にマスタリングができるというメリットに繋がってます。
たとえばコンピュータゲームの場合、ユーザには恣意があっても、ゲーム側からの反応は常に一定です。そこには協調はありませんが破綻もありません。TRPGの場合、ユーザの恣意がダイレクトに他の人の恣意に影響を与えます。カオス理論じゃありませんが、ちょっとしたことが結果的に大きな影響を与えるようなことも少なくありません。PLの何気ない一言がシナリオの流れを大きく変える、とかそういう意味です。
そうなると、好みの話になってくるわけです。ユーザの恣意を許容する場合、結果の不透明性をも同時に許容する必要がある。逆にユーザの恣意を許容しない場合、セッティングされた結果になりやすい。*3
私は、ユーザの恣意を認めず、許容しないのであれば、「PS2とかあるからそっちで遊んだらどう?」と思います。ユーザの恣意に右往左往するのがTRPGの醍醐味だと思っています。

*1:今回の話は、そうした「普段の状態」を知っている、という前提での話になります。一期一会環境については考慮しません

*2:私だけかもしれませんが

*3:これも程度の問題ですが。シナリオの展開に関わらない範囲でのユーザの恣意は認める、という中道派もいるでしょうし