小田急線
『土曜日ラビは空腹だった』(ハヤカワ・ミステリ文庫)読了
解説者は北米ユダヤ人
家庭にホームステイ
経験もあり、下記
あとがきで書いてます。
頁300 あとがき
小説に描かれる共同体がユダヤ教保守派のそれであるという点は、ケメルマンのラビ・シリーズものを読むにあたって、当然、留意しておいてよいことがらだろう。アメリカのユダヤ教徒は、一般的にいって、三つの派にわかれている。それは、正統派、保守派、改革派の三つであり、それの順番に、古来からの宗教伝統や慣行を遵守している度合が大きい。たとえば、正統派ではトーラやタルムードの戒律を、厳密に検討しつくした解釈をもとにしないかぎり、絶対に変更できないものとして昔ながらのまま遵奉していくけれども、改革派では、現代生活の条件に合わない掟は、つぎつぎ変改して近代化をおしすすめる。保守派はその二者の中間というわけだ。
正統派の信徒は神への深い敬虔をあらわすため、四六時ちゅう、帽子や小さな頭巾ヤーマルクで頭をおおうが、保守派では礼拝のときだけかぶり、改革派では礼拝の場でもかぶりものをしない。礼拝の集会所も、正統派や保守派はシナゴーグと呼んでいるが、改革派ではテンプルという呼びかたをしている。
本書には頻繁に「教会」が登場し、シナゴーグはシナゴーグで出てくるので、
「教会」はチャーチの訳語でよいのかしらん、と思いながら読みました。
で、これ、アル中の話です。ユダヤ人の。
まず、隣家への小包(酒)を預かった彼の、機会飲酒の独白。
頁43
(前略)ちょっと考えてもごらんよ。もう六ヵ月も飲んでいないんだよ。何だって? 八ヵ月になる? 多分そうだろう。どっちにしても長いこと飲んでいないということさ。記録をフイにするのは面目ないが、しかし善良なるチャーリー君の健康を祝して乾杯しないって法はあるまい? 何か言ったかい? お前は、私が飲み始めたら止まらなくなると言うんだろ? たしかにそうかもしれないけど、やってみないでどうしてわかる? それにわれわれが望んでこうなったわけじゃない。仕事のことを気にして、研究所へ行こうとしたら、出し抜けにそう、出し抜けに、こいつが出てきたんだ。だからお告げみたいなもんさ。それに今日は特別だ。
妻からの捜索願を受けたコップ二人らの会話。
頁54
「オーケー、部長。アイザック・ハーシュといえば、何ヵ月か前にばか飲みして、ボストンのサウスエンドの居酒屋で見つかった男じゃありませんか?」
「そう言えばそうだな。ボストン警察に注意してもらうよう連絡をとろう。今夜も多分そんなことだろうよ。喉が渇いたのさ。向うへ行ったら、奥さんに何かなくなっていないか調べるよう言ってくれ。料理用のシェリー酒とか髭そり用の香油とかな。ああいう奴は酔えるとなりゃ、何でも飲んじまうから」
「わかりました、部長」彼は相棒に向かって、「さあ、行こう、トミー」
「何だい? 酔っ払いがいなくなったのか? それじゃあ、まずダウンタウンの酒場を二、三ヵ所ばかり回ってみようよ。フォッスルとか海と砂の店とかさ」
「そんなたぐいの酔っぱらいじゃないんだ。ある偉い科学者でね。ときどきしか飲まないが、飲みだしたら何日間も飲み続けちまうのさ。この前のときは、といってもわれわれが知っている限りの話だが、三日間行方不明だった。八ヵ月前のことだよ。いや、もっと前かもしれない。ボストン警察がサウスエンドの汚いホテルまがいのバーにいるのを見つけたんだが、服を着たままベッドに寝っころがって、床には空の酒壜が山となっていたよ。その間何も食わなかったんじゃないかな。いいかい、今度見つけるところも、そんな所だぜ。ああ、ここだ。玄関のあたりがついている。そうだ、思い出したぞ。この前、その男を救急車でここまで連れてきたんだ。お前はここで待っていてくれ。部長の呼び出しがあるかもしれないからな」
その顛末(というかミステリーの始まり)上司とラビの会話。
頁90
「心臓マヒですか?」
「一酸化炭素中毒です」
「そうですか――」と椅子にもたれていたラビは、身体を起した。何か考えているらしく、指で机をコツコツ叩いている。
「自殺ではないかと思っておられるのですね、ラビ? そうだとすると、まずいのですか?」
「かもしれません」
「私は自殺も考えられると思っています」とサイケスはゆっくり言った。「遺書はありませんでしたけれどもね。自殺をするなら、奥さんに何か言い残すと考えるのが普通でしょう。彼は奥さんを非常に愛していましたからね。警察は事故死と断定しました。その……彼は相当飲んでいたのです」
「酔っていたのですか?」
「そうにちがいありません。かなり短時間に、ウォッカの壜を半分――約一パイントも飲んだんですから、たぶん意識を失って、エンジンを切らなかったんでしょう」
「相当飲む方だったのですか?」
「アルコール中毒でした。でもここに来てからは大丈夫でした。ひどく飲むわけではなくて、飲み出すと止まらなくなるのです」
歳の差夫婦だった、うら若いびじんの未亡人とラビの会話。
頁99
ラビはちゅうちょしたが、思い切って言った。「ご主人の死因は間接的にその――飲酒によるものだったそうですね。奥さんは気にならなかったのですか? お酒のことです」
「ユダヤ人は大酒飲みに厳しいのでしょう? アイクもそのことでは悩んでいました。そりゃ、もちろん何回か面倒を起しましたわ。それが原因で仕事をなくしたこともありますし、何回も引越さなくてなりませんでした。新しい家を探したり、新しい生活を始めるのは楽なことじゃありません。でも他の人たちのように、飲んだからといって怖いことはありませんでしたわ。主人は酔っても暴れたりしません。問題はそれでしょう? 彼は弱々しくなって、馬鹿のようになります。子供のように泣くこともありました。でも暴れたり、わたしにひどいことをするようなことはありませんでしたわ。ですから、わたしは全然かまわなかったのです。父の酒飲みでしたし、母も禁酒主義者ではありませんでしたから、酒飲みには慣れていたんです。最近彼の酒癖がだんだん悪くなって、意識を失うようになり、怖くなりました。でも主人のためを思って怖くなったのです。彼の身に何が起こるかわからないでしょう?」
「しょっちゅう起ったのですか?」
彼女は首を振った。「ここ二、三年はほとんど起らず、一、二回でした。でも飲みだすと止まらなくなるのです。つまり、いつも飲んでいたわけではありません。主人は禁酒していました。でもそれを破ると、いつもトコトンでした。最後は何ヵ月も前です」
「金曜の夜を除いて――」
*2
*3
頁110ほかによると、彼はマンハッタン計画に参画しており、
広島に原爆を落とした罪悪感からも酒浸りになったとしています。
ラビと署長(アイリッシュ)との会話。
頁107
「それで考えているんですよ。彼女の夫はアルコール中毒でしたが、どうもあまり経験のないことでして……。われわれユダヤ人はアル中にはならないのです」
「そうですね。ユダヤ人はならない。どうしてなんですかね?」
ラビは肩をすくめた。「私にもわかりません。中国人とイタリア人も中毒にかかる率が低いですが、といって禁酒主義というわけでもない。ユダヤ人の場合、祭日やお祝いには酒はつきものです。過ぎ越しの祝いでは、誰でもブドウ酒を少なくとも四杯は飲むことになっています。小さい子供でさえ飲むんですよ。甘いですけど、アルコールが含まれていることに変りはありません。ブドウ酒だって酔うわけですが、過ぎ越しの祝いで酔っぱらった話は聞きませんよ。たぶん禁止されていないので、ほどほどに楽しむことになるのでしょうね。私たちには禁断の木の実を食べる喜びは味わえない――」
「フランスではブドウ酒を水のように飲むそうですが、中毒は非常に多いですよ」
「そうですね。たぶんひとつの解釈では説明がつかないでしょうね。さっき言った三民族にはおもしろい共通点があります。どれも家族の結びつきが強く、他の民族がアルコールに求めている安定感を家族が与えていますよ。とくに中国人はユダヤ人に似て、年長者に敬意を払う。ユダヤ人はこういうんですよ、他の民族は女性の美しさを自慢するが、われわれは老人を自慢するとね」
「なるほど。それはイタリア人にもいえますね。年長者を敬いますよ。もっともイタリア人は父親より母親に依存しているようだが。ところでそれが説明になるのですか?」
「年長者が尊敬されている社会では、酔っぱらいに見られると困るということが、ひとつの防波堤になっている、ただそれだけのことです」「ありえますね」
「それから別の解釈もあります。ユダヤ人と中国人の共通点ですが、彼らの宗教もわれわれのように、倫理とか道徳、善行を重んじる。つまりユダヤ人も中国人もクリスチャンほど信仰に重きを置いていないのです。このため罪を負っているという意識も持っていません」
「信仰とアル中がどういう関係があるんですか?」
「キリスト教では信仰が救済のキーポイントです。だが信仰を持ち続けるのはやさしいことではない。信じるということは問うことです。確信するということ自体が疑いを暗示しているのですよ」
「わかりませんな」
「ユダヤ人はそれほど心を制御しないのですよ。何を考えようと自由です。よくないことでも、怖ろしいことでも考える。クリスチャンは疑うと地獄に落ちると信じているので、いつも罪の意識を持っていなければなりません。そして慰めが得られるのは、アルコールだけということになる」
ラニガンは気楽に笑って、「そうですね。しかし教養のある大人は心の働きの何たるかを知っているから、そのままには受けとりませんよ」
「教養ある大人はいいですけど、そうでない人は?」
「なるほど、するとユダヤ人がアル中にならない理由は、ひとつには罪の意識がないからだといわれるのですね?」
この後、ユダヤ教が自殺を否定する哲学的根拠はキリスト教とは違う、
という話になり、さらに、アル中は自殺しない、ある精神科医の話として、
アル中自体長期スパンで自殺を図る行為なので、改めてやりはしない、
という話になります。
別の、保険屋同席での会話。
頁172
「(前略)それに、あなたはアルコール中毒患者は一般的に自殺はしないと言われた」
ビームは笑った。「ラビ、それは自説を擁護するのによくやる一般化というやつですよ。アルコール中毒については、それを研究する学者の数だけ学説があるくらいで、理論化しやすいんです。(中略)自分の理論に反する患者が出てくれば、その男は本当のアル中ではないと言えばいい。堂々めぐりですよ」
原書は1966年刊行ですし。ユダヤ人のアル中の回復手記を、読んだことある、
という人も多いのではないかと。
この話は複数の動機有る容疑者が並行して進んでいくので、正直、
誰が犯人かは作者の胸先三寸な気がします。しかも、現在ではアレな、
誘導自白でケリだし。そういう現在と過去の違いで、優れたミステリが、
時代遅れになるのも寂しい気がします。近代法に捉われず、悪人をバッサリ切って、
成敗出来てしまう時代小説は大人気なのに。なんというかなあ。以上
*4
オークションサイト
にあったポケミスの
表紙画像。
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https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Kemelman#The_Rabbi_Small_Novels
前作読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170104/1483476141
*1:https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E6%97%A5%E3%83%A9%E3%83%93%E3%81%AF%E7%A9%BA%E8%85%B9%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-19-3-%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4150711038
*2:
*3:
1600日継続
(1)
やっと1600日継続です。
これからあと、
一年365日ぶっとおしで
日記書いても、
まだ2000日にならない
かと思うと、
気が遠くなりそうです。
(2)
・我想买些礼物寄回家去。
おみやげを少し
買って家に送りたい。
上の文章がひさびさに分からなくて、なぜ"我家"ではダメで、"回家"でなければいけないのか、聞いてもピンとこなかったです。"寄"は郵送のみで、"送"は人手の手渡し含むとのことで、それは分かるのですが、"回家"が実家の意味で、家に帰る意味ではないと、言われても、ちょっとアタマに入らない。語学は習うより慣れろで、理屈じゃないので、とにかくそうなんだ、で、覚えるしかないのですが、実家の意味の"回家"なんて、辞書にもなかった。
(3)
また、"多得很"="很多"を習った流れで、
・上海的东西比这儿多得多。
=>○上海的东西比这儿更多。
=>○上海的东西比这儿还多。
≠>×上海的东西比这儿很多。
ここまでは分かるのですが、下の文章でガンガン喋ってるので、
それが間違ったガイジンの中国語と言われても、なかなか直らない。
×上海的东西比这儿多得很。
(4)
・你说吧,我听你的。
・你说吧,听你的。
"我"を入れると、自分を強調したことになって、
「オレは聞くよ」みたく自己主張したことになるので、
"我"は入れない方がいい、と言われましたが、
ホリエモンじゃないですが、"我"を入れてしか喋ってないので、
入れない喋り方に口が廻らないです。
ホント語学は、赤ちゃんのほうが大人より有利です。
ただ単に真似して覚えてゆく。
(5)
日本料理は砂糖を使っているから白髪が増える、
中国人も日本で暮らしていると、砂糖を使った料理を摂取するので、
本土に比べ白髪率があがる、という話を、同時に二人から聞きました。
そんな俗説がにわかに爆発的ブームなんでしょうか。
あと、中韓国交"准"断交の話もあったようですが、
全く興味がないので、流しました。朝がきた。
(6)
今週のお題「カラオケの十八番」
ウソです。こんな歌うたえません。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。
そして、出来ることなら、
自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。