- 作者: 浅倉久志
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2006/07/01
- メディア: 単行本
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稀代のSF翻訳家唯一の著書、とのことで借りました。
が、大半がディックとカート・ヴォネガットの訳者あとがきということで、
(まあそれが狙いの本だそうですが)以下後報
【後報】
装丁:和田誠
頁30「翻訳とSF」>「むだと知りつつ」
カタカナ表記で思い出したが、むしろぼくたちにとって困るのは、ある日気がついてみるとコンピューターがコンピュータになっていたり、小惑星ケレスがセレスになっていたりする外からの変化である。カート・ヴォネガットの "The Sirens of Titan"
を訳した当時は題名を『チタンの妖女』にするか『タイタンの妖女』にするかでずいぶん迷ったものだが、いまはタイタン派が絶対優勢になってしまった。英語の発音に準じたというなら是非もないが、おなじ土星の衛星 Mimas や Janus が、あいかわらずミマスやヤヌスなのは、どういうわけだろう。アルファ・ケンタウリなのかアルファ・セントーリなのか、タウ・ケチなのかタウ・セチなのか。いったいどっちなんだ、はっきりしてくれ。
燕三条でチタン製の箸やスプーンが売られていたことを思い出します。
あと、富野はガンダムで、「ティターンズ」というまぜっかえしをしたな、と。
頁34「翻訳とSF」>「メートルとフィート」
てなわけで換算をはじめたんだけど、ハンパな数字が出てくるもんだから、これ、意外と疲れるんですよね。たとえば「二百ポンドを越える巨体」を正直に計算すると、「九十キロを越える巨体」になるが、これじゃ迫力がないってんで、十キロ下駄をはかせようか、と迷ってしまう。そのうちに平方フィートなんてのが出てくると、もう頭が混乱して、電卓をほうり投げたくなる。英米の小説の翻訳は、これだからむずかしい。
(中略)
でも、そうしてよかったと思う。たとえば、中に出てくる公休分譲住宅地の一区画が六エーカー。いつもなら、へーっという感じで視線が素通りするところを、換算してみて、二万四千平方メートルという数字が出たときは、計算ちがいかとあわてましたよ。日本の住宅地の広さの約百倍。うーん、そうであったか、なるほど。
中国の小説だと、ムー(畝)とかよく出てきますが、
正直まtったくアタマに入っていません。日本の丹せえも分からんのにw
頁42に替え歌が載っていて、面白かったです。
♪再版刷れ刷れもっと刷れ 私の印税もってこい
頁52によると、ハリイ・ハリスンは、大変な飲んべえだとか。
頁77にR・A・ラファティの自己紹介を引いて、
わたしは順不同にいうと、五十一歳*、独身、電気技師、でぶである。
アイオワ州生まれ、四歳のときにオクラホマ州に引越し、軍隊にいた四年間と、役所づとめでワシントンDCに住んだ一年間を除いて、ずっとここで暮らしてきた。学歴は、タルサ大学夜間部で二年間、おもに数学とドイツ語をまなんだのと、インターナショナル通信教育スクールで電気技師の資格をとっただけ。もう三十年近く、あちこちの電気関係の会社で、おもに仕入れや入札を担当してきている。第二次世界大戦中は、テキサス、ノース・カロライナ、フロリダ、カリフォルニア、オーストラリア、ニューギニア、モロタイ島、フィリピンで勤務した。よい三等曹長で、一時はパサール・マライ語とタガログ語をかなりうまくしゃべれた。
自分自身について、なにを語ればよいのか? 重要なことは誰も語らない。わたしは何年間か大酒を食らっていたが、六年前に禁酒した。これでポッカリ穴があいた。愉快な飲み友だちとのつきあいをあきらめることは、人生の華やかで空想的ななにかを失うことになる。そこで、その代りに、わたしはSFを書き出した。
(中略)
趣味は外国語。外国語ならなんでもいい。(中略)それから、歩くことが大好きだ。知らない町へほうり出してみたまえ、一週間たたないうちに、その町を隅から隅まで歩きまわるだおる。われながら、あまり面白味のある人間とはいえない。
次に作者は、伊藤典夫のアメリカ旅行記の、SFコンの場面で、
ラファティが出てくる箇所を引用します。もう、禁酒はやめてたようです。
頁80
……そのうち、おかしなことに気づいた。彼はほとんど誰とも口をきかないのだ。ときどき顔見知りのファンが、「やあ、ラファティさん」と声をかけても、にやっと笑って手をあげるだけ。ぼくの顔を見ても、にやっと笑って手をあげる。誰が相手の立ち話でも、ものの二、三分と続かない。そしてホテルの中を、何をするでもなく行ったり来たりしているのだ。
パーティが始まると、この状態はますますひどくなった。罐ビールを手にしたまま、会場の広間をうろうろ、うろうろ。雑誌に夢中のグループにひょいと首をつっこみ、何を話すわけでもなく耳を傾け、またひょいと行ってしまう。パーティがたけなわにはいると、ビールの酔いがまわってきたのだろう、足どりが怪しくなった。歩きまわる癖はまだ止まない。そして、ぼくでも誰でもいい、とにかく知った顔を見つけると、顎を引き、禿げ頭のてっぺんを前につきだし、"Bang" といいながら相手の肩さきにぶつかってゆくのだ。東海林さだおのマンガに「ぶつかりおじさん」というのがあったけれど、あれのアメリカ版だと思えばよい。……(中略)……ぼくがカメラを向けると、ラファティは恥かしそうににやっと笑い、両手をひろげて "Bang" といった。
一ヵ月後、トロントをふたたび訪れ、ジュディス・メリルに会ったとき、ナスフィックでは誰がいちばん興味深かったかときかれた。ぼくは即座に、ラファティと答えた。
「それにしても、ラファティというのは、いつもあんなふうに誰とも口をきかないの?」
「そうね」とジュディはいった。「『年刊SF傑作選』をつくってたころ、ラファティの小説に感心して、会うのを楽しみにしていたの。ようやくあるコンベンションで会うことができて、どんな閃きのある言葉がとびだすかと期待していたら、全然あてはずれ。知性のかけらも感じられない」
お腹はぽってりしてたとか。頁92によると、顔は痩せていて、
お腹は突き出しているという状況だったそうです。
訳者は補足して、オクラホマ州は、全米ほら話の中心地だったとしてます。
それを読んで、ちょっとタルサに行ってみたくなりました。
頁131と頁313を讀んで、ユービック未読なので読もうと思いました。
山田風太郎の忍法帖シリーズを思わせるということなら、読もう。
宮部みゆき編の短編集のディック読んで、認識が変わったのも一因。
下記はディック自身のインタビュー。
ドラッグ経験なしでバッドトリップを描くという行為について。
頁133
当時、LSDにフラッシュ・バックを生み出す作用があることは、だれも知らなかったんだよ。わたしは彼らにとって究極の恐怖はなにかと考え、おそらくこういうことだろうと想像した。つまり、常用者がやっと幻覚剤を自分の体から追い出し、「さあ、これで現実の世界にもどれたぞ」と思った瞬間に、とつぜん幻覚世界からきた怪物が目の前を横切り、自分がまだもとの世界に帰っていないのに気づく、その恐怖だ。これは、アシッドをやめた多くの人間に、事実起こっていることなんだよ。偶然にわたしの予想が当ったわけだ……。
この後、作者はこう付記しています。
いずれにせよ、ディックが登場人物の幻覚を描くのに、異様な光や色彩の渦、といった抽象的な描写に逃げたり(といっては語弊があるかもしれませんが)せず、あくまでも彼らが経験する具体的な事件としてストレートに書きつづっているところが、かえってすさまじい迫力を生んでいるのではないかと思います。
頁248に、作者のSF短歌集「ドブサラダ記念日」から数首収められています。
そのうちのいくつかを打ち込んでみます。
平積みのだれも買わないわが訳書つまらなそうに並ぶ店先
プレコグよ運命線はどこへ行く闇の左手わたしの右手
頁290、作者にとってのSFベストイヤーは1972年とし、
マンガのほうの新幻魔大戦、むすびのやまひろく、田中光二幻覚の地平線、
などが連載中で、ジュディス・メリルが来日し、半年東京に住み、
東小金井のアパートで自炊生活し、作者とも「恐怖の一夜」を過ごしたことが、
懐かしく記されています。西武線かよと思いましたが、
それはまた記憶違いで、東小金井は中央線で、花小金井が西武線でした。
小金井じたいは栃木県なのに、なんでなんだろう。不思議です。
以上
(2017/5/15)
【後報】
これだけたくさん訳してる人なので、下訳とかの人もいるだろうと、
思うのですが、そういう記述はないです。時代かな。
(2017/5/22)
【後報】
作者はご多分に漏れず、映像化されたブレランに感動したものの一人ですが、
その時の文章で、原作改悪の典型としてソイレントグリーンをあげており、
私はその映画知らないのですが、高田渡のエッセーで、高田渡は、
ソイレントグリーンに衝撃を受けた旨書いていて、SFファンと、
そうでない酔っぱらいとでは、やはり違うなと思いました。
(吾妻ひでおの知名度でしょっちゅう痛感してること)
2013-06-09高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130609/1370776683
(2017/5/23)