dear days without you


客観視したら「そのぐらいのこと」みたいな、たった一瞬の些細な事が、自分にとっては全てだったりする。

大きく見える月が、ファインダーのぞくと小さくなっちゃうみたいに。

それでも、自分にとっては大きかったんだよ。
とても。


一度そう気付いてしまったら、いままで見過ごしてきた、見ない振りしてきた棘が全部爆発するの。

「気遣い」と「気配り」は違う

つまり、何が言いたいかというと
「まわりの人が
 自分をどう思ってるか気にしています」
というのと
「つい、気になってる」
というのは、ぜんぜん違うってことです。

「しがらみ」を「科学」してみた



糸井さんのインタビュー記事を読んでから、「気遣い」と「気配り」は違う という言葉を見てハッとした。


私の定義だけど、「気遣い」は優しい人だ。
気を遣ってくれるゆえに、行いを与えてくれる。

そして「気配り」は信頼できる人。その人の前では背筋が伸びてしまうような、見透かされてるような恥ずかしいような、そんな気持ちになる人。
彼らは私に気を配った結果、自らの行いを律することを知っている。

ひとつの真実も正しくなかった


女の子の「もういい」はたいてい良くないし、「なんでもない」はたいてい何かある。

言葉は真実とは限らないし、真実は事実とは限らない。

肝心な時ほど気持ちは言葉に隠れる。



だからこそ、提示されたインタラクションを鵜呑みにせずに、「相手を悲しませないように」って行動できる人って素敵だなと。

共通のインタラクションでも、そこからのお互いのアクティビティって違うので、その違いを把握しなきゃいけない。

それを知るためにもきちんと相手に向き合わなければね。

ふと


わりとよく自分を俯瞰してしまう瞬間があって、様々な物事に対してあまり主観的になれなかったりもします。
感情的にもなりやすいんですが、すぐスイッチが切り替わりやすいというか。

何かに入り込める熱量がうらやましかったりもしますよ、うん。

ドーナツの輪の真ん中から考える

3/14は円周率の日ということですが、バレンタインの2/14は14÷2が7で、2+1+4も7でという、商とそれぞれの数値の和が同じになる日でして、さらにそういう日は366日中この日しかなくて、「君」という漢字は7画なので君のための一日ということで(何