突然ですが復帰します!そして相談に乗ってください(冬の欧州)

長らくご無沙汰しました。この間も変わらぬペースで鑑賞生活も鑑賞旅行も続けておりました。PC内に鑑賞記も溜まったのですが、おいおい放出しようと思います。が、自分の文章を読み返すのが気恥ずかしいので、封印しちゃうかも。超初心者の頃から感じたことを書くのを続けて来たので、これは、もはやその頃の記憶が曖昧になっている自分にとって、本当にやっておいて良かったと思ってるので、出来れば、文章は完成させて残しておきたいんですが。


それはともあれ、この冬の鑑賞旅行で迷っています。DNOのリングの空き日程にROHのホルテン演出のドンジョを観に行って、ついでに2日空いているので、次の日のマノンも観て帰ろうと思ってチケットやらホテルやら確保したのですが、いざ航空券をとろうという段になって、迷いが生じてしまいました。というのは、冬の航空機の遅延や欠航が気になりまして。

  • 到着日 日本からアムスへ、ジークフリート@アムス
  • 2日目 →ロンドンへ往路、ドンジョ@ロンドン
  • 3日目 マノン@ロンドン
  • 4日目 →アムスに帰着、黄昏@アムス
  • 以下続く

こんな旅程なのですが、ロンドン行の往路はともかく、アムスへの帰着便に何かあったら大本命の黄昏を見逃してしまうわけで、それはいくらなんでも避けたいと思ってます。大事をとって一日早く帰ってもよいのですが、そうするとロンドンで見るのは一演目だけになるわけで、それがカスパー・ホルテンの新演出だからそれが目当てといえば目当てなのですが、一方でこのドンジョは次のROH来日公演(2015年?)予定らしいので、そのときに見れると思えば無理に見なくてもいいような気がするし、一晩で移動すると体も疲れるし、前の日が日本からの長距離便の到着日だし、エトセトラ、エトセトラ・・・。

飛行機の遅延を言い出したら、日本からアムスへの便も危ないと言えば危ないのですが、リング1.5サイクルで最低2週間滞在必須なところに、既にその時期指定の仕事が入ってて、そこを無理矢理休んで行くから、さらに延長するのは辛いので、これ以上は諦めざるを得ません。せめてもの救いは、日本深夜発の欧州午前着便で、到着予定時刻から開演までに7時間あること。

それで、質問なのですが、欧州の冬のエア事情経験者・詳しい方、上記の日程ってどうでしょう?止めといた方が無難?皆様ならどうします?

そもそも、その時期に仕事入ってるなら連絡待機しなきゃだから、一都市に腰を落ち着けて滞在した方がいいような。でも折角近くにいるので行かないと勿体ないような。うーむ。


ついでに、2月の欧州は初なのですが(知ってるのは、12月中旬と3月上旬)、足元って結構寒いですよねえ。かちんこちんに凍ってますかねえ。ヒールのあるブーツは駄目かしらん?チビだから嵩上げ必須なのですが。オペラハウスに行く人は履き替えたりするのかな。出来れば、ヒールのあるロングブーツで履き替え持たずに行きたいものですが。

マダム・バタフライ@春秋座in京都

今年で私にとっては3回目、このシリーズとしては4回目になる北白川は瓜生山・京都造形芸術大学の京都芸術劇場(春秋座・studio21)(←名前長い)のオペラシリーズの蝶々夫人に行って参りました。

この春秋座、七〜八百席の小さな劇場ですが、歌舞伎仕様になっておりまして、客席を横切る*1花道があり、赤い花街風の提灯にぐるりと囲まれた空間など、独特の雰囲気であります。オケピも切ってありますが、音響はクラシックをやるには響き過ぎる部類で、編成を減らして独自の工夫の元に演奏されます。と言うと、悪条件の中で我慢して聴くような印象を持たれるかもしれませんが、いやいや、むしろ私はここで聴くオペラは音響含めて大好物でありまして*2、読者諸氏にも自信を持ってお薦め出来ると考えている次第です。


今回トータルでかなりの出来だったのですが、まず効果的だったのが演出です。この春秋座の空間をうまく使ってあるんですね。幕が開くと長崎の小高い丘の上にある蝶々さんとピンカートンの新居となるわけですが、これは畳と生け花を置いただけのミニマルなもの。このミニマルなセットは、日本の伝統的な舞台芸術におけるそれを思わせます。ここにマジックミラー風の、向こうが透けて見え、かつ手前も鏡のように映るという黒い薄壁と、同じく黒い紗幕が障子として開閉して変化を添えます。このマジックミラーは去年アドリアーナ・ルクナヴルールでも見たアレですね。小ネタですが、この障子を舞台上の登場人物が閉めるときのジェスチャーというのが、無いものをあるように見せる落語の所作のようで面白かったです。

また着物が全て本物でして、これは日本の公演であっても珍しいことだと思いますが、質感がちゃんとしてるのはいいもんです。京都ネットワークの存在でしょうか、例えば蝶々さんの親戚兼同僚の女性コーラスは、どこぞの花街から調達してきた揃いの踊りの着物を着て現れるのですね。蝶々さんの白無垢(1幕)はちゃんとした織で綿入れの裾になってるし、2幕以降の帯・着物ともに蝶々柄の着物も若奥さんが着てて可笑しくない色柄仕立てだし*3、鈴木の着物がどこぞの玄人みたいになってたりしないし。着付は玄人っぽい、つか踊りの着付だなあーと思ったけど、舞台なんだから、まあそれはそれでいいか。結婚の公証人(だっけ?)が冠載せた神主の正装で現れるのは「そう来たか!」「でも違うだろ〜」と思いつつ、ゲラゲラ笑わせてもらいました。

春秋座のオペラでは花道を使うのはお約束ですが、普段はサービスカットというか「ちょっとだけよ」な使い方なのですが、今回は花道を使う頻度が非常に多く、蝶々さんの家を訪れる客人はここを通って訪問することになっています。揃いの着物を着た女性コーラスがここに並んで登場の歌を歌ったときには、そのバックの赤提灯の並んだ背景とも相まって視覚的なゴージャスさは最高潮に達し、この箱ならではの音響のリッチさの中で、花道と舞台の2方向からの歌声に満たされ、客席はリアル結婚式のような晴れがましい空気に包まれました。これはちょっと、逆に、スタンダードなオペラハウスでやるオペラにはあり得ないゴージャスさでしたね。最高席でも1万円以下で見れる低予算オペラシリーズの筈なのに。七百席の会場でオペラって時点でものすごい贅沢だけど。


さて演奏の方ですが、まず蝶々さんを歌った川越さん。私はこの方は結構注目しておりまして、聴くたびに何かある人です。すごく掴みのあるタイプで歌いだしてすぐに夢中になるような人とは違うんですが、ドラマの終盤で必ずホロッとさせられるんですよね。今回も子供と分かれる決断をするところで目頭が熱く。どちらかというと線が細く*4繊細で丁寧な歌唱の人で、それは中低音の多い蝶々さんのような役をやっていてさえそう思うんですが、しかしそれは悪いことではなく、ドラマティックな表現を得意とするソプラノがドスが入りがちなことを思うと(そしてそれはティーンエイジャーの蝶々さんなのかという疑問が)、そうならずにホロッとさせる表現力というのは結構レアなのではないかと思います。

スズキをやった相田さんは満足だが、もっと違う系統の役で聴いてみたいな。ピンカートンは、私は主役テノールに拒否感が出やすい人間なのですが、それは私の個人的な許容範囲の狭さゆえで9割出るので出る方が当たり前って感じなのですが*5、それが出なかったので、まあ良い方ではないかと。シャープレスは声質は好きなタイプで歌唱も手堅い。ケイトが笑っちゃうくらい男前。このまま宝塚の男役に転進出来そうなくらい男前*6。ゴローはひょろひょろと正しいゴロー。神官・ヤマドリを歌った松山さんの深々とした声が心地よい。

結構ぐっと来たのが、蝶々さんが「ママー!」って寄って来た子供*7を1度追いやって、でも子供は戻って来ちゃうんだけど、そんときに蝶々さんが抱きしめたいんだけど、躊躇って躊躇って、挙句突き放すというのは、目隠しよりこっちのがリアルというかそりゃそうだよなあと思ったのだが、これも版の指定だろうか。確かに目隠しした子供がそこにいるまま自害する方がステージ的な悲劇性は高まるのであるが。

演奏は、私はプッチーニの中でもトゥーランドットとバラフライはもう大好きでもう酔いまくりなので、あの音楽を聴いてるだけで幸せなので自然に評価が甘くなるのであるが、それ差し引いても、実に良かったと思う。うまくハマったときはすごく良い、ここの音響もすごく楽しめた。この編成減らしバージョンを良く響く箱で聴くってのも、独特の魅力があっていいなあ。贅沢を言えば1幕最後の二重唱のときのオケと舞台の噛み合い具合がもっとハマれば絶妙に良かったと思うが、そりゃ「あとココが」の法則*8ってもんだ。

G.プッチーニ 作曲 歌劇「蝶々夫人」全2幕 <原語上演・字幕付>
2013年7月6日(土) 17:00 京都芸術劇場 春秋座

演監督:松山郁雄
指揮:牧村邦彦
演出:井原広樹
所作指導:飛鳥左近
美術・いけばな:笹岡隆甫
衣装:飛鳥珠王
照明:原中治美
舞台監督:飯田貴幸(ザ・スタッフ)
音楽コーチ:松下京介
演出助手:唐谷裕子
スーパーバイザー:飛鳥峯王


蝶々夫人…    川越塔子
ピンカートン…  大澤一彰
シャープレス…  藤山仁志
スズキ…     相田麻純
ケイト…     浪川佳代
ゴロー…     冨田裕貴
ボンゾ…     安東玄人
神官・ヤマドリ… 松山いくお
合唱:ミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラス
演奏:ミラマーレ室内管弦楽団


企画制作:NPO法人 ミラマーレ・オペラ
主催:京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
プロデューサー:橘市郎、舘野佳嗣
協賛:株式会社 進々堂
協力:未生流笹岡、日本舞踊飛鳥流
後援:KBS京都、京都新聞社京都市教育委員会イタリア文化会館-大阪


ところで、ピンカートンが終幕のアリアを歌わないなとか、ケイトってこんなに喋ったっけ?と思ったら、初演のちょっと後バージョンという、よく使われているのとは違う版を使ったのだそう。指揮者の牧村氏が版について述べている箇所を、リンクが切れても読めるように引用しておきます。

http://www.k-pac.org/performance/20130706b.html
僕は『蝶々夫人』には、こだわりがありまして、
初演から少し改訂したバージョンでずっと続けています。
これは普段、上演される「現行版」という譜面より
少し改定した形で演奏しているのですが、
このバージョンは、かなり日本人、東洋人が蔑視されていて、
ピンカートンというテノールが蝶々さんに
随分と、ひどいことをするのでございます。
その辺りをクローズアップするには、
このバージョンが良いのではないかと思っています。


またピンカートンがアメリカに帰った後に結婚する妻・ケイトは、
「現行版」の2幕2場では、しゃべる所は数小節しかないんです。
でも初演版では、すごく長くしゃべっている。
彼女が長くしゃべるがゆえに
蝶々さんの悲劇性がより増していくという・・・。
僕にとっては、とても説得力のある書き方をしているので、
そちらを使用しています。


ピンカートンは、ひどい人なのですが、
ケイトは輪をかけてひどい・・・、
それは冷酷とかではなくて、とても正義感が強い・・・
正義感の強い人の象徴みたいな女性です。
ピンカートンと蝶々さんが再会した時、
初演版では、ピンカートンはアリアを歌わないのですね。
実は胸から財布を出して「これで何とかしてくれ」って言うのですよ。
それはあまりにもひどい、ということでカットされたんです。
それで、後悔のアリアを歌う、
というのが現在のバージョンです。
そしてケイトの冷たい正義感が聴衆の涙を誘ってしまう。
そのシーンはどうしても入れたかったのです。


さらに今回は、僕がやってきた初演版に近いバージョンと
この春秋座という場所に一番そぐった
コンパクトで凝縮されたバージョンとして
手を入れて、新たに作ってみました。

*1:いや、「縦切る」と言うべきか?

*2:ただしそれは、この場所の特質をちゃんと踏まえた上で適正に演奏された場合に限って出る効果なのかもしれません。そんくらい他のクラシックのホールと違います。

*3:今の着物よりちょっと袖が長いのも正しい。

*4:ところでオペラで「線が細い」と言うと、声量が無いことを遠回しに言う表現だそうだが、ここでは本来の意味であるので念のため。

*5:もうちょっと距離感を置いて聴けばいいのにと自分でも思うのだが、出来ずに好き嫌いの両極端に振れる「つんのめり型」鑑賞になってしまう。

*6:冷酷な正義感の人だから、かも。後述。

*7:小さなことだが、子供に声を出させる演出は初めて見た気がするが、これは後述する版の指定なんだろうか。演出がやってるんだろうか。隅田川か。

*8:完成度が高いほど、「あとココが」という箇所が挙げられるようになるという逆説的な現象を表す法則。

フィガロの結婚@バーゼル歌劇場(びわ湖公演)

まあまあ。大人しかった。宣伝文句から「今が旬」な「イキの良さ」を期待していたので、ちょっと肩透かし。オケは安定してる。音も綺麗だし、舞台とのバランスもすこぶる良し。どこも気になるところがない。ただ、熟練的な良さで、なんか、落ち着いちゃう。多少粗くてもいいから、思いっきり喜劇らしさが欲しいかも。

演出は、普通の現代演出。トンガっていたり、原作の意義をよくよく練って現代に相当するものを提示したり、舞台美術の美しさではっとさせられ通しだったり・・・はない。ファッションとか、ちゃんとセンスがあってリアルな現代なのだが、フィガロの結婚を現代演出にすると、伯爵とフィガロの身分的な格差が視覚的に無くなって、ついでに身分差自体にも説得力が無くなって、このオペラの軸になっている初夜権なるトンデモ権利にもさっぱりリアルティが無くなるので、なんとなく白けてしまう。衣装が時代ものだとそれだけで「その時代はそんなもんか」と勝手に納得しながら見れるんだけど。フィガロらしいお約束のドタバタ(伯爵とケルビーノの隠れ追い出しっことか)をあんましやってくれない。クール。演目によってはクールもいいけど、どっちかといえばドタバタ喜劇なこの演目でそれを見たいかというと。

伯爵夫人は頭ひとつ抜けた感じ。スザンヌもなかなかで、前半やや低調と思いきや、後半ぐっと良くなって、手紙の二重唱、終幕のアリア良かったな。フィガロも深々した声でうまいけど、フィガロ役にはもっと全身が弾けるようなノリの良さが欲しい私。伯爵はフィガロが深々してるだけに、交互に歌うと相対的に声質が軽く感じられて損をした部分がややあったかも。この二人のバランスって難しいなあ・・・と前回も同じタイトルを観たときに思ったっけ。どういう状態を想定して、モーツァルトはこれを当てたのだろう。ケルビーノも結構良かったけど、私はこのロールに結構思い入れがあり、また過去にいい人に当たっているので、もひとつ何か欲しい。他みんな上手いしくまとまってるけど、全体には、やっぱり大人しいという印象。

2013. 6.30 (日) びわ湖ホール
スイス・バーゼル歌劇場 モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」全4幕(イタリア語上演・日本語字幕付)

演 出 エルマー・ゲールデン
指 揮 ジュリアーノ・ベッタ
管弦楽 バーゼルシンフォニエッタ
合 唱 バーゼル歌劇場合唱団
伯 爵      クリストファー・ボルダック      
伯爵夫人     カルメラレミージョ
フィガロ     エフゲニー・アレクシエフ
スザンナ     マヤ・ボーグ
ケルビーノ   フランツィスカ・ゴットヴァルト 
マルチェリーナ ジェラルディン・キャシディ
バルトロ    アンドリュー・マーフィー
バジリオ    カール=ハインツ・ブラント
ドン・クルツィオ ヤツェク・クロスニツキ
バルバリーナ  ローレンス・ギロ
アントニオ   マルティン・バウマイスター


フィガロの結婚何回観てるかな。はじめてライブで観たのがこのオペラで、最初はコペンハーゲンの旧劇場。現代演出だけどサッカーチームが舞台という設定になってて、オーナー兼スタープレーヤーの伯爵とその他キャラとの圧倒的な力関係も自然に見れたし説得力があって、次々と現れる瞬間々々が美しくて、人の動きが自然で、ギャグが効いていて、テンポよく展開していくので目が離せなかった。笑いながら観たのに、終わると何故か「人生の美しさ」を感じた。ホルテン演出だからな。次は新国のダンボールでこれは殆ど覚えてない。この間になんか見てるだろうと思うんだけど思い出せずで、その後で京都会館でやった関西二期会。これはキャストも演奏も良かったし、室内と外を規定した「枠」だけのシンプルな舞台で、内と外で動くキャラクターに想像力をかきたてられて、すごく良かった。シンプルな舞台装置で想像力を駆使するってのが日本の伝統芸能にも通じるスタイルで、らしくて良いと思うのだけど。次にウィーンで、これはウィーンにしては珍しいパターンで、衣装は時代もので優雅だが、舞台装置は抽象画が上がり降りする、伝統と現代の折衷式。(スザンヌに変装した)伯爵夫人が終幕の伯爵との逢瀬でガバっと足広げたりしてて、それ日本に持ってくるのは止めた方がいいよって思ったりしたけど*1、全体には無理のないもので、可も無く不可も無く。上手いけどルーティンぽくてイキの良さは無くて、こんなもんかねって感想。直近がプラハの来日公演。オーソドックスで積極的な感想が無かった。伯爵とフィガロがあんま見慣れない中欧男性だったために、その民族的特徴ばかりに気をとられてしまって、この二人が似てたことが一番印象に残ってる。ということで私のベスト1〜2は、マイナーどころばかりなのだった。こんなだから変態なんだけど。

*1:その次のシーズンで日本公演にフィガロってタイミングの年だった。結局来たのは別の演出だったのでメデタシメデタシ。

アルジェのイタリア女@京都オペラ協会

地元にいるとラジオなどで宣伝してるのが耳に入るものの、オペラ好きの間ではあまり話題にならない(知られていない)このシリーズ、勿体ないので是非紹介してみたいと思います。

まず「アルジェのイタリア女」というオペラそのものが面白かったです。テンポが良くて、シーンがポンポン切り替わっていって、登場人物の一人一人が分かりやすくて、馬鹿々々しくて、終わってすっきりな作品です。ひとつひとつのシーンに付けられている音楽も魅力的でバリエーションに富んでいるし、あの音楽がどんどん切り替わっていくテンポがなによりも気持ち良かった。

オケは去年の記憶よりずっと良くなったと思いました。この作品が合っているのかもしれません。

歌手陣は、若手の起用を目的にしている公演だけあって、みな若い々々。ついでに細い。でぶっちょの大公の筈のムスタファまで細い。本当はファルスタッフとかオックスみたいな役どころなんだろうけど。

イタリア女のイザベラを歌った小林さんが出物で、ちょっとクールな印象もある密度の詰まった声で、歌唱もしっかりしてるし、こりゃ今後が楽しみな人材。タッデオの迎さんに個人的に注目してるのだが、細かいところで上手いのだが、細かくまとまり過ぎっつーか、個性と役柄のマッチ感がイマひとつ。これが噛み合ったときの迎さんは本当にすごいのだが。バリトンのこういう役はいっぱいあると思うので、どう消化するか課題ということで*1。実はキャスト表見ずに観始めて、リンドーロが出てきて、こりゃ不安定だけど何かあるっつーか、よくこんな新人を見つけて来たもんだと思って、後でキャスト見たら・・・何度も聴いたことある人じゃん!全然違う人に聴こえたんです。あー吃驚した。他の皆さんも立派だったと思う。

演出は、もっと動いて欲しいような。オペラ一般として決して動きが少ない方ではないし、これより動きがなくて満足することもざらにあるけど、今回は、音楽の要求する動きに比べて、視覚上の動きが少なくて寂しい瞬間が結構あった。

第6回長岡京音楽祭 京都オペラ協会定期公演「アルジェのイタリア女」
2013/6/23(日) 京都府長岡京記念文化会館

総監督・演出:ミッシェル・ワッセルマン
指揮:小崎雅弘
コレペティ・チェンバロ:岡本佐紀子
演奏:京都オペラ管弦楽団
イザベッラ:小林久美子  リンドーロ:竹内直紀  タッデオ:迎 肇聡  ムスタファ:東 平聞  エルヴィーラ:三村浩美  ズルマ:白石優子   ハリ:木村孝夫
合唱:京都オペラ合唱団

ところでオペラ、同じキャストで、ピアノ伴奏による抜粋上演の機会があります。ブライトンホテルのやってる音楽祭の前半。7月1日(月)です。
http://www.brightonhotels.co.jp/kyoto/hotelevent/ongakusai2013/

*1:一人だけすごい高い要求を書きました

シモン・ボッカネグラ@いずみホール

これは、私は合わなかったなあ。客席は非常にウケていたので、きっと求めるものが違うだけで、方向性の異なる人にとっては良い公演だったのでしょう。歌手陣が、悪くは無いのだけど、一定以上に掴みのある人(←私にとって)がいなくて、どうにもドラマに入るには至らなかった。そんなかでは、尾崎さんが一番テイストに近く、出てくると清涼感があった*1。オケは良かったと思う。前から2列目という座席のせいもあり、はじまってしばらくは自分が奏者の一人になったような音響に新鮮な感覚だったけど、そういうのはすぐ慣れちゃうもんで、やっぱ歌手次第かなと。

シモンははじめて通して観たけど、こりゃお蔵入りも分かるような、という感想。プロローグが分かりにくい。その後も誰にどうフォーカスしたらいいのか、いわゆる人気作品に比べるとはっきりしない点があると思った。

いずみホール・オペラ2013 〜ヴェルディ生誕200年〜
シモン・ボッカネグラ
(原語上演/字幕スーパー付)
●日時  2013年6月22日(土)
●出演者 河原忠之(プロデュース・指揮)
シモン・ボッカネグラ:堀内康雄
アメーリア・グリマルディ:尾崎比佐子
ヤコポ・フィエスコ:花月 真
ガブリエーレ・アドルノ:松本薫
パオロ・アルビアーニ:青山 貴
ピエトロ:萩原寛
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団

*1:このオペラの紅一点だからというわけではなく、求めるものに近いから。

びわ湖ホール声楽アンサンブル@茨木公演

以前に行った公演を、少しずつ遡って書いてみます。あんま全体を記すことにはこだわらず(それやってると書きかけでお蔵入りになっちゃうし)、特に印象に残っていることだけ短く。

いつもの合唱レパートリーもものすごく良かったんだけど、前半のソロが強く印象に残りました。すごく短い、5行詩くらいの言葉に歌を着けた小品。詩の世界も、素朴というか身近。

ちょっと前に栗原さんのことを何が良いか簡単に言うのが難しいって書いたんだけど、つまり、分かりやすく極端じゃないんだけど、なにかある、そういう感じ。言葉の扱いがすごく優しくて、それも日本的な柔らかい優しさ。柔和というか。でも、その優しさや柔らかさが、その言葉から逆にイメージするような極端なそれじゃなくて、もっともっとという感じじゃなくて、何かと比較してこっちの方がもっと、という種類の性質のものじゃなくて、儚くて・・・それこそが特徴。そのバランスが心地良くて鮮烈な印象になる。

迎さんのソロはおもしろい世界観の作品。子供の視点から親や先生の矛盾を歌った詩の世界。これはこの人の面目躍如というか独擅場というか、基本的には綺麗な声の人なんだけど、なんかクレヨンしんちゃんみたいな、ヒネた子供のニュアンスが出せる人なんだよね、それって矛盾してるみたいだけど。本当にあれ不思議で仕方ない。これ聴いて以来ダミ声パパゲーノを思い出して仕方ありません。当時のログを引用してみましょう。『なんかダミ声キャラで、決して声がダミ声なわけではないのだけど、なんか小太りダミ声で、努力は嫌いで食べることが大好きで「え゛ーーー」って言いながらみんなの後を着いていくような、一人早合点するおっちょこちょいで寂しがり屋のベタなギャグキャラってあるじゃないですか。動きなども含めて、すっごいああいう感じ。そういう種類のキャラ立ちしてて、すごく良かった。』オペラでこれが出来るのが本当に不思議で仕方ない。もう思い出したら、あのダミ声パパゲーノが聞きたくて溜まりません。もう一度実現しないかな。熱烈希望です。

中嶋さんは前の2人に比べると素直で美しくて万人ウケする芸風だと思います。

後半、ラターはポピュラーの定番曲のような馴染みやすい素直な曲で、べにすずめはしばらく私の頭に住み着きました。いやでも、びわ湖ホール声楽アンサンブル面白いよね。面白いっていうのは、面白みがあるってことなんだけど。

びわ湖ホール声楽アンサンブル 茨木公演
<林光と現代合唱曲集>
2013年6月9日(日)茨木市市民総合センター クリエイトセンター

指揮:本山秀毅
独唱・合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
ピアノ:岡本佐紀子

  • 林光編曲「混声合唱による日本抒情歌曲集」より
    • からたちの花(独唱:松下美奈子)
    • お菓子と娘
    • カチューシャの唄(独唱:森季子)
    • 野の羊(独唱:砂場拓也)
    • 鉾をおさめて
    • 待ちぼうけ
  • ソングより
    • けむり/やさしかったひとに/ゆき(独唱:栗原未和)
    • のびのび/そこだけ/さくしゃ(独唱:迎肇聡)
    • 舟歌/魚のいない水族館(独唱:中嶋康子)
  • オペラ「森は生きている」より
    • 十二月の歌
    • 真冬の歌〜四月と娘
    • 森へ向うソリの歌
    • こがねの太陽〜森は生きている
  • ジョン・ラター作曲
    • All things bright and beautiful
    • O clap your hands
    • For the beauty of the earth
    • The twelve days of Christmas
  • 木下政子作曲
    • 44このべにすずめ
    • 高原列車
    • 混声合唱組曲「方舟」より 水底吹笛 方舟

清姫@びわ湖ホール声楽アンサンブル定期

とても充実した公演でした!張り詰めた時間が心地よかった!

前半も面白かったんだけど、後半のオペラ「清姫」がなんとも良かったなーと。現代音楽なんだけど、心地よい緊張感があって、水が猶予う感じとか、鐘が鳴り響く感じとか、渾然一体となって、身を任せていると、なんとも不思議な感覚になって、高揚して終わって、しばらくその感覚だけで何も要らない気分になりました。楽曲そのものと、アンサンブルの皆さんの作り出す音楽空間の素晴らしさですね。音楽によって、聴覚だけじゃなくて他の感覚も刺激されて、聴覚を通り越した空間に包まれているようで、まさに「音楽空間」的になるんです。

主役の清姫安珍+合唱というシンプルな構成なのですが、安珍を歌った山本さんがすごくハマっていて、びわ湖の誇るお笑いテノールユニット・びわ湖ホール4大テノールのメンバーということもあり、ギャグの印象が強い(?)レジェーロ・テノールの山本さんですが、その印象に反して(?)歌の方は生真面目さが入るのがこの人の大きな個性ではなかろうかと私は思っているのですが、この生真面目さが美僧(!)で堅物の安珍というキャラにはまさに適任でして、こういう設定には興味ない筈の私でも、これはちょっとクラっと来ちゃいました。うーん、自分にこんな属性があるとは思わなかった・・・。

清姫は、こちらも個人的に注目している栗原さん。この役は、過去に聴いた役の水準と比較すると、すごくいいとは言い難いのですが、やっぱりいいわー(どっちなんだ!)。何がいいんだと説明しにくいのが栗原さんの個性なのですが、ある時は第一声でもうすごくいいと思うし、またある時は声はそうでもなくて、表現というか、テンションがいいと思うし・・・、今回はテンションですかね。ちょっと日本語が聞き取りにくいというのは今回あったかも。むしろ、合唱の聞き取りが難なく出来たことに驚くべきかもしれませんが。

公演名
びわ湖ホール声楽アンサンブル第52回定期公演 「合唱と室内オペラ―伝統から今日へ―」
プログラム
1. 柴田南雄 作曲/北原白秋 詩:三つの無伴奏合唱曲 (1948)
   1.水上
   2.早春
   3.風
2. 野平一郎 採譜・編曲:清元節卯の花≫(2007) 
3. 佐々木幹郎 台本/西村 朗 作曲 室内オペラ ≪清姫−水の鱗≫
   〜二人の独唱者、混声合唱とピアノのための〜(2011)
   (独唱)清姫:栗原未和  安珍:山本康寛
開催日
2013.06.01(土)

最後に座席の話。座席はお任せの方法でチケット入手したのですが、そしたらやや後半のド真ん中が届いてしまって、ガーン!!座ったらまさに視界のステージ・ジャストの位置で前の人の頭が重なり、どんなサイド席でもこれはないというステージ7割のド真ん中が見えない状態に。これがあるから私は正面とか平土間が好きでないんですよね*1 。しかしびわ湖ホール(ハード)の想定体型の幅が狭過ぎて、ちっとでも平均体型からはみ出すと不都合があるのは、これまで何度も経験してきたけど、今回が一番ひどかった。きっと手配してくれた人はド真ん中が良席だと思って回してくれたのだろう。ああ猫に小判、チビに良席。

しかし!いいこともあって、清姫が客席で歌うときの立ち位置が丁度私のいる列だったんですね。それで、至近距離で空気の振動を直に感じながら聴くことになって、ついでに、本当に真横で聴くよりも数メートル離れたときの方がよく響いてくるという発見があったりして、そちらは良い経験になりました。

*1:ちなみに前の人がいない1列目でも、手すりや舞台縁やその他の構造物が障害になる私には、もはや通常の良席は良席でない。一番安全なのは、たとえ舞台が切り欠けても、さすがにド真ん中が見えないってことはないサイド席。