Sentimental Christmas

私がまだ、小学生だった頃、雪の降るクリスマスがありました。私の住む町は暖かい場所ですので、雪なんて滅多に降らないんだけれど、降っても淡いもので、積もる景色なんて雪国だけのお話だと思っていたんだけれど、その朝は確かに子犬のように浮かれたものです。流石に脚の埋もれるほど濃厚な雪景色は拝めず、道の傍や公園をまだらに彩っているくらいの、ささやかな白模様でしたが、幼い私にはひとつ夢かなったくらいの一大事でして、茶色の混ざった不細工な雪だるま必死で作り上げて、玄関先に貧相に飾っておいたものです。
私がまだ、小学生だった頃、クリスマス会がありました。子供会と云って、各地区ごとに定められたグループのようなもので、一年生から六年生まで、比較的家の近い生徒同士はみな機会には集うのです。私は仲の良い幼馴染みふたりと、連れ立って公民館へ向かいました。入り口には、既に置き場を失った大小の靴が、下駄箱あふれて外にまで転がっていました。その頃既に私は高学年でしたので、恐縮することもなく群衆の中へ溶け込むことが出来ました。日頃遊ぶことのない、クラスの女の子もおりました。私は殊に女性の前では内気の炸裂するシャイボーイで、決まって彼女らと目を合わそうとはせず、男子生徒ばかりと戯れ合っておりました。それでも私の好きだった幼馴染みの女の子、ひとつ年下のその娘は、かつてもっと幼い時分に、物怖じせずいつでも賑やかだった私のことを、今はいっとき思春期特有の病にかかっているのだと、いまに元通りの快活な私が戻ってくるのだと、広い心で信じていてくれたようで、気の利いた台詞ひとつ云えなくなった不安定な私にも、以前と変わらぬ笑顔で取り合ってくれたものです。私はいつだって彼女の視線を気にしていました。例えば背後に彼女がいたならば、仲間との戯れにも自らの後ろ姿の様子について思案するばかりで、もはや仲間の話すらろくに聞けなくなる有様でありました。おんなじ空間に彼女がいるという時には、相槌のひとつも、声色に気を遣うのです。しかしそのように恋する相手と、何らかの関わり合いを持つことが出来るという時期が、どれほど嘘のようであったか、今では身にしみるようです。結句その恋が実ることはありませんでしたが、あの頃は、まるで恋にやぶれるなんてドラマチックなことが、自らに起こりうるなんて想像もしていなかったし、漠然と、ぼくは将来あの娘と結婚するに違いない、なんてしずかちゃんを想うのび太のような心持ちで日々過ごしておりましたので、世界にはまだぼくの知らないことがどれだけあるんだろう、と瞳輝かせていた頃から、平凡な幸福の在り方についてすら知る前に、世界の広さについて興味を失った今が、むしろ狭いとさえ思い始めた今が、悔しくて、情けなくて。
最近、時間の過ぎるのが、遅いんです。楽しい時間は早く過ぎると云うでしょう。私は、肌に感じる時間の流れは遅いんだけれど、一日の終わりには、早かったと感じるんです。一年も、あっという間です。つまり、何にもないんです。何にもないから、苦痛だけど、何にもないから、思い返す記憶もない。ほんと、真っ白ですよ、私の毎日なんて、真っ白な、雪のように、落ちてくるのは遅いけど、いざ、掌に載せると、たちまち、すうっと消えてなくなっちゃうんです。積もりきれない雪の私に、ホワイトクリスマスなんていう、ロマンスは、夢のまた夢。

Posted by Mist