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2012-12-28

2012年の10枚

年に一度しか更新されないブログへようこそ。

そろそろ潮時かなーとも思っていたのですが、僕のセレクトが気になるという貴重なお声をいただいたことと、こうやってウェブで毎年のベストディスクを発表するようになってからちょうど10年だなーという記念碑的な意味を込めて、今年もちゃちゃっとベストディスクを選んでみますよ。

とはいえ、今年はもう10枚だけです。格好良くいえば少数精鋭。悪くいえば視野狭窄

ここ数年つづいていた、古いほう古いほうへと音源を掘っていく傾向がますます顕著になったので、今年は新譜をあまり聴いていないのです。そしてその聴き方も、直径12cmの銀盤の内側でほぼ完結しています。円周の外側に無限に広がる情報やら潮流やら思想やら世相やらとリンクさせるような聴き方は、やはりもっとたくさんの新譜に触れていないとできないもの。このリストから浮かび上がってくるものはたぶん僕の個人史だけだろうと思います。

いやしかし、それこそがより純粋な音響的聴取なのではないか。

というような戯言を捨て台詞に、さくっとリストへまいりましょう。順不同(ただしベスト3は上3つ)。

Gareth Dickson - Quite A Way Away

Quite a Way Away

10枚選ぼうと思って最初に思いついたのはこれでした。12Kからリリースされた、12Kらしいようで12Kらしくない少し12Kらしい音楽。

たしか昨年、12KのボスであるTaylor Deupreeはベストディスクとして前作『Collected Recordings』を挙げていたかと思うのですが、それを知っていてもまさかのリリースでした。

これまでも歌モノのリリースがなかったわけではありません。しかし、それでもアンビエント/ドローン/エレクトロニカという網には必ずしっかりと引っかかっていたわけで、Gareth Dicksonのようなフリーフォーク的サウンドというのはさすがに前代未聞。鬼が出るか蛇が出るか、と思っていたら、そのまんまGareth Dicksonでした。しかしこれが案外12Kっぽい。

爪弾かれるギターによる残響のセンチメンタリズムと呟くようなボーカルの湿度が滑らかに絡み合って、遠くの風景を望遠鏡で眺めているかのような奇妙な遠近感を演出してくれています。その景色は桃源郷か蜃気楼か、はたまた。

これぞ音響ポップの金字塔だ、といいたいところですが、彼に音響というタームへの意識があるのかどうか謎なところがまた不敵で素敵。

あ、あと、この名前を出すのはあえて我慢してみたのですが、やっぱり最後にこそっと言っておきますね。Nick Drakeがお好きなら是非。


Xinlisupreme - 4 Bombs

4 ボムズ

もうCDという形態で音楽をリリースすることはないのではないか、と思っていました。

破壊だけでも内省だけでも叙情だけでもない、単なるMBVフォロワーでも単なるFenneszフォロワーでもない唯一無二のエレクトリックノイズ・ミュージックの形を教えてくれた名盤『Murder License』から、実に10年ぶりとなるCD作品がこれ。

もっとも、その空白の10年のあいだにもフリーDLのアルバム『Neinfuturer』を発表していますし、今作の収録曲のほとんどが以前になんらかの形で無料配布されていた音源だという点では、かなり先鋭的なリリーススタイルだともいえるでしょうか。フリーミアムとかちょっと前に流行りましたね。

空白期間に公開された楽曲は僕が所持しているだけでもゆうに10曲以上あるはずなのですが、今回収録されたのはたった4曲5バージョンのみ。納得できる出来のものはこれだけだったのだとか。しかしその密度たるや尋常ではありません。物理的な音の密度という点でも、音像の豊饒さという点でもそう。ああ、少数精鋭というのはこういうことをいうのですね。

そして特筆すべきは、冒頭とラストとに2バージョン収録されている「Seaside Voice Guitar」。美しい幻想を身にまとわせながら蹂躙のかぎりを尽くす轟音に、ついに歌声がのってしまいました。これ、今年の僕のベストトラックです。よく、シューゲイザー的な音を評するときに「洪水のような」という表現が使われますが、この曲の場合は肌理の細かい炭酸が全身を下から上へ突き抜けていくような感じ。甘美な眩暈へと誘われます。


Antonio Loureiro - Só

ソー

天才はどこにでもいるもので。名前だけはなんとなく知っていた若きブラジル音楽家の、2年ぶり2枚目のアルバム。

作詞作曲はもちろんのことピアノからギターからパーカッションからなんでもこなすマルチ奏者、というとどこかで聞いたことのあるような紹介文になってしまうのですが、その才能から紡ぎ出されたサウンドはどこにもない異様なものでした。

ポップでオシャレで、だけど奇形。ジャンルで括れといわれればラテン音楽だということになるのでしょうが、僕がCDショップの店員だったらいろいろな棚に紛れ込ませたくてたまりません。ワールドミュージックのところにだけ並べておくなんてもったいない。前衛音響からポップスからオシャレカフェミュージックみたいな棚まで埋め尽くしたいです。たしかな音楽的教養と高度な演奏技術を基盤としつつ、そこにミニマルやらタンゴやらクラブミュージックやらアヴァンポップやらのエッセンスがこれでもかと流し込まれていて、めくるめく陶酔の音世界が味わえる59分間。

サウンドだけをとれば全然違うはずなのですが、僕がこの作品を聞いて思い浮かべたのはJames Blakeコーネリアスでした。節操がないほど雑多な音楽を吸収した結果、それがオリジナルなスタイルへと落とし込まれているという点で、案外似ているような。まだ聴いていない1stも早く手に入れたいです。


Yuichiro Fujimoto - Speaks Melodies

Speaks Melodies

こちらも久々、6年ぶりのアルバム。

これまでYuichiro Fujimotoというと、アナログでローファイな手触りの音響作品というイメージが強くありました。木訥としたフィールドレコーディングの海原に、ギターやピアノピアニカ等のささやかなメロディをそっと浮かべていくような、そんなイメージ。

いえ、今作でも基本手法は変わっていないはずです。鳴っている音色も、過去の作品と比較して劇的に斬新だというものはありません。しかし実際の響きは大きく違う印象を与えてくれました。たとえばメロディはよりシンプルな楽音でわかりやすく奏でられるようになり、フィールドレコーディングは以前より後景的に配置されるようになりました。録音も全体的にクリアーになっています。

最初に聴いたときは、だいぶ作風が変わったなと思いました。あまりにも、彼の音楽を特徴づけていたような要素が削ぎ落ちてしまいすぎているのではないか、と。下手をすると、何の変哲もないイージーリスニングに聞こえてしまうのではないか、と。

しかし2度、3度と繰り返し聴けば、むしろより個性が滲み出ているのはこちらなのだと気づかされました。これが6年という空白によって作られた余裕なのでしょうか。音と音との余白のコントロールに凝縮されたメロディの余韻。そこに見えるのはある種の上品さ。静かななかにある構図の歪みが気持ちいい。タイトルが示しているのはこういうことなのだろうかと独り合点していますが、はてさて。


Philippe Petit & Friends - Cordophony

Cordophone

初聴時のインパクトの点ではこちらがトップでした。

ここでの主役は弦楽器。腕利きの「Friends」たちによる各種弦楽器スキルフルな演奏をPhilippe Petitのアヴァンギャルドエレクトロニクスで料理したらどうなるか、という実験めいた作品でしたが、できあがったものはなんとも不思議なバランスの名作です。

ポップと前衛の狭間の響きを、ポストクラシカルとフリーミュージックの狭間のような音で鳴らした電子音響作品。さまざまな要素が混ざり合っていながら、これほど軸足がどちらにも寄っていないというのも珍しいでしょう。そのせいか、音そのものは重厚で硬質で威圧感すらあるのに、どうにも軽やかな空気感が常について回っているように感じます。まったく弛まない空中ブランコのような危うさと美しさ。いやいや、危うくないところに美なんて存在しうるでしょうか。ハンスリック先生に訊いてみたい。

もともと僕は弦楽器電子音が絡み合うことによって生まれる音楽が大好物なのですが、この枠組が刷新されたかのような感覚でした。


Brian Eno - Lux

LUX [輸入盤] (WARPCD231)

イーノの音ってなんなのでしょう。

音色だけをとってみれば、特別個性的な音というわけでもないはずです。まして、ただでさえ没個性的な響きにならざるをえないアンビエントミュージック。アマチュアでもそこそこの音楽が簡単に作れるこの時代に、シンプルの極みのようなイーノの音が、それでもイーノにしか出せない音として響くのはいったいどういうわけなのか。

などと考えてみると、それはつまるところ、アンビエントへの態度の問題なのかなーなんて思い至るわけです。現在、広義のアンビエントミュージックは、ネットレーベルなども合わせればそれこそ世界に際限なく溢れているわけですが、イーノが最初に提唱した意味でのアンビエントを目指して制作している人がどれくらいいるのかというと、きっとかなり少ないはずです。あるいは、当初は目指していても途中で目標が変わってしまうというべきか。

21世紀以降の、マイクロスコピックへと向かっていったアンビエントは、「隅々まで聴いてほしい」という欲望と無縁ではいられないのでしょう。イーノの場合は今なお聞き流してもらって問題ないというスタンスが感じられます。一方で、聞き流されても場を作れるだけの強度が備わっているのだともいえるでしょうか。

これまでのWarpからの作品が個人的にあんまりピンとこなかったこともあって、それほど大きな期待もせずに買ったのですが、結果的にはイーノの凄さばかりを痛感させられる一枚でした。


The Other Morning Call - Accorded

Accorded

聴いた回数ならこれが最多かもしれません。

パッチワークのように手の跡がくっきりと残るコラージュファンク。その粗さが情報の交差点のようになって、まるで錯視のように、実在するかどうかもわからないコンテクストを浮かび上がらせます。ポピュラー音楽サンプリングという魔法を手にしたとき以来の課題である、コンテクストをいかに生かすか/切り離すかという問題への抜け道のような回答が実に愉快。

面白いのは、非常に情報過多な音楽であるにもかかわらず、「バーとかでBGMとして聞き流してほしい」みたいなことを本人が言っていることで、カクテルパーティー効果の実験でもしたいのかと思わずにはいられないところなのですが、和食屋のBGMにジャズが使われるようになって久しい今、こういう感覚もそのうち当たり前のものになるのでしょうか。アルバムタイトルをいろいろ深読みしたくもなります。

などと小難しげなことを言っていますが、なんだかんだで、これでしっかり踊れる音楽だというところが最大のポイント。ただし、歓喜のダンスというよりは、鎮魂のダンスのような響きの重さ。


きゃりーぱみゅぱみゅ - ぱみゅぱみゅレボリューション

ぱみゅぱみゅレボリューション(通常盤)

これ、21世紀型テクノポップの現時点での最高峰じゃないかと。

いや、一般的に広義のテクノポップに分類されるような音楽で、もっと素晴らしいと思うものはほかにもあります。同じ中田ヤスタカのプロデュース作でもPerfumeの『⊿』なんて大傑作だと思っていますし、少女時代の日本での1stもおそろしい完成度でした。ただ、一般的な定義はともかくとして、僕のなかではずっと、これらに対して「テクノポップ」という言葉を用いることにどうも違和感があったのです(今年になってやっとEDMなんていうタームが復興してきたので、この違和感はそろそろ拭えそうですが)。

やはり80sにおけるテクノポップがどうあったかを考えると、その正統な後継者には、もっとキッチュで軽薄な感じがほしいなと。もちろん楽曲的なクオリティは維持しつつも、そこはかとない空虚さが漂っているくらいでないと、テクノポップという言葉の抜けが悪いといいますか。

そこで、きゃりーぱみゅぱみゅの登場ですよ。けっして上手とはいえないボーカル、意味を削ぎ落とされた歌詞、または幼稚なまでに意味的な歌詞、童謡じみたメロディ。まさしく現代のテクノポップの名を継ぐ者として相応しいではありませんか。

いわば、このアルバムはお菓子の家。子供騙しではあるかもしれないけれど、手を抜くことなく本気で騙そうとしてくれている、そんな音楽。だから僕も本気で騙されたくなるのです。


Simon Scott - Below Sea Level

Below Sea Level

レーベル買いという言葉がありますが、12Kというレーベルは、たしかに僕のなかでこれに値する数少ないレーベルでした。一時期は、まったく聞いたこともない音楽家の作品であっても、12Kなら無条件で入手していたほどです。

ただ、近年、僕のなかでの12Kに対する熱は明らかに冷めていました。2009〜2010年かけてのリリースが、あまりに僕好みなもの揃いだったことの反動でしょうか。レーベルとしての一貫性を保持しながらもそれぞれがすべて個性的という、アンビエント/ドローンのジャンルとしては奇蹟的といってもいいほどの豊饒さに、僕のなかでのハードルが高くなりすぎていたのかもしれません。あるいは単にこのフォームへの飽きがあったのか。

しかしこれは久々の大ヒット。ギター+フィールドレコーディング+電子音という、僕が好きな電子アンビエントの王道中の王道というべき編成の音響ですが、いやはや、非の打ち所なし。あと、水を感じさせる響きが好きだというのも大いに関係しているのでしょう。ここでの水のイメージは、単なる爽やかさだけではなく、森厳さや底知れなさを漂わせているところがなんともそそります。まったく無関係ですが、Bill Evans + Jim Hall『Undercurrent』のジャケットが思い浮かびました。


ACO - LUCK

LUCK

声に個性のあるボーカリストの強みというのは、たびたび思い知らされてきました。たとえばBjörkが、David Sylvianが、UAがそうであるように、音楽性がどれだけカメレオンのように目まぐるしく変化しようとも、声の強度だけで変化のバックグラウンドに説得力をもたせるという力業は、才能以外のなにものでもありません。

ACOもそう。ソウル/R&Bディーヴァとして世に出たあと、ダブをやったり北欧エレクトロニカに傾倒したりCarsten Nicolaiと共作したり、すっかり電子音響の世界へ移住してきたかと思いきや、近年は腕利きプレイヤーをあつめたシンプルな生楽器編成によるポップミュージックへと転向。まるっきり作品のカラーが変わってしまっているわけですが、にもかかわらず、ひとたび声が響けばそれは疑いようもなくACOの音楽として聞こえます。

最新作では、この声の強度がひとつの高みにまで達したような印象。飛び道具はなんにもないシンプルな作品集なのですが、それだけにひとつひとつの声と音が織り成す音響空間は、ぴんと緊張の糸が張り詰めたような、聖域とすら表現できるような完結した世界に。レコ発ライブも素晴らしかった。


といったところで、2012年の10枚でした。

実はほかに、このリストに割り込んできそうな予感がぷんぷんしているにもかかわらず未聴のものも何枚かあったりするのですが、そういった新譜を急いで聴こうとしなかったというのもまた今年の僕を象徴しているような気もするので、無理に駆け込みで聴くというのはやめておきました。

この調子だと来年があるかどうかはわかりませんが、急に新譜買いまくりモードに入らないともかぎらないので、いちおうこのブログは残しておこうかしらん。

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