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こふん日記

2018-05-20

中央アジア13 ウルムチ出発 2011年7月12日

2011年7月12日 セメイへ

いよいよ中国出国する日がやってきた。上海から数えると1か月近く中国に滞在していたことになる。ウルムチに到着した日から計算しても18日目だ。これほど長く中国に、そしてウルムチに滞在することになるとは思ってもみなかった。食べること、寝ること、移動、言語、通貨などの生活様式すべてについて、すっかりウルムチ式が身についてしまい、今それらをすべて放棄するのがとにかく億劫でしょうがなかった。

僕はひどく緊張していた。そして緊張が高じて、昨日はとうとう下痢に見舞われてしまった。環境の変化に敏感すぎる自分が嫌になる。

次に向かうのは、カザフスタンのセメイという街だ。旧ソ連カザフスタンは、日本の約7倍の国土面積を擁し、東は中国、西はカスピ海まで及ぶ。セメイはウルムチから見て北北西900km、北緯50度に位置する。つまり南樺太境界線と同緯度にある街だ。なぜ、このあまり知られていない北の町を目指したのか?理由は後で述べることにする。

19時にバスは出発した。乗客は僕を除いて全員がカザフスタン人だった。外国人はおろか、中国人すら一人もいない。どうりで、バスのチケットを買う時に、「本当にセメイに行くのか?」と何度も念押しされたわけだ。このバスは、もっぱらカザフスタン人が中国に来るためのものなのだろう。

バスは空間にゆとりをもたせた寝台バスだ。車内は土足禁止で、両窓際に2段ベッドが並ぶ。中央の通路には絨毯が敷かれ、おばさん達が座って雑談をしている。座席の横幅は広く、仲の良いカップルなら二人で寝ることもできるだろう。だが座席の構造に問題があって、頭の部分が高すぎる。仰向けになると、頭が変に持ち上がって、非常に寝にくいのだった。

最初の休憩は、出発1時間後の20時だった。サービスエリアは、ウルムチと比べて空気が澄んでおり、その分、陽射しが強く感じられる。ここは、新疆の辺境とはとても思えないくらいに整ったサービスエリアで、トイレが近代的で清掃が行き届いていることに感心した。次の食事がいつになるか分からないので、僕は、しっかり拌面を食べることにした。直後にお腹が苦しくなり下痢の再来を恐れたが、なんとか持ちこたえた。中国ではこれがおそらく最後のトイレ休憩になるだろう。これからの道中で下痢が起こらないことを強く祈った。

十分な休憩を取ったあと、我々は出発した。バスは、見渡す限りの広大なヒマワリ畑の中、陽の沈む方向へ向かってひたすら進む。藍色の空と夕焼けのグラデーションが印象的だった。そして感傷に浸っている間に、いつしか日没を迎えた。窓越しでもはっきりと分かるくらいに星が瞬いていた。僕はずっと星空を眺めていた。旅をしているという高揚感を、久しぶりに自覚しているのだった。

2018-04-30

中央アジア12 ウルムチ

ハミグワは哈密瓜と表記される新疆原産のラグビーボールメロンである。この巨大なメロンは、過酷を極める夏の新疆において、貴重な水分補給源となる。新疆にいてハミグワ抜きの生活だと、何かが欠けている感じがして落ち着かない。

ラグビーボールを縦に16等分したものを、うまいと呟きながらかぶりついている時、ふと「昔のハミグワは美味しかった」と言っていたY君の言葉が頭をよぎった。彼がいつだったか、農家が儲け主義に走って水っぽいハミグワを大量生産するようになり、味が落ちたと嘆いていたのを思い出した。

Y君は変わった男だった。ある日突然、ウイグル語の勉強がしたいと言ってウルムチに留学したのだった。当初は短期留学の予定だったのが、1年、2年と延びて結局3年ウルムチに滞在することになった。ウイグル語が堪能になった彼は、日本語を忘れてしまい、夢すらウイグル語で見るようになったという。

このウルムチで3年間暮らしていたことは驚異的だと、僕は思った。まず酷暑をどうやって彼が乗り切っていたのか聞いてみたかった。やはり羅布麻茶をたっぷり摂っていたのだろうか?主食はやはり拌面だったのだろうか?だとすれば、この二つの組み合わせの素晴らしさについて、ゆっくり語り合いたいと思った。彼もきっとまた、同じ食事をしていて、そのおかげで体調が良かったと共感しあえるような気がしたのだ。

そして日照時間の短い厳しい冬を3度も耐え忍んだことは尊敬に値すると思った。寒さに決して強いとは言えない彼が、氷点下20度を下回る夜の辛苦についてあまり語らなかったのは、この地ならではの対処法があったのかもしれない。あるいは、寒さに適応してしまったのだろうか。そこは推測するよりほかなかった。なにしろ僕の知っているウルムチは、ウルムチの限られた場所の点でしかない。例えば、清水寺抹茶パフェが京都の全てだろうか?旅行者から見えるのは、いつも一面でしかないのだ。そう考えると、ウイグル語自由に操り、先駆者のいない新疆の地で、生活者として根を下ろしていた彼が偉大な存在に思えた。

最大の疑問は、なぜよりによってウルムチを選んだのか?だった。僕は彼に何度か理由を尋ねたことがある。だがこれに対する彼の答えは決まっていた。彼はいつも「何となく面白そうだったから」と言って、質問をはぐらかした。そしてついぞ、核心的理由に近づくことは出来なかった。

そんな彼がある時、僕にフロッピーディスクを手渡してきたことがあった。フロッピーには、彼が作ったウイグル語の教科書が入っていた。日本には満足の行くウイグル語の教科書がないから、自分で書いたのだと言って、僕に添削を求めたのだった。だがそれは100ページを優に超え、レポートと呼ぶにはあまりにも大作だった。序章の、ウイグル語アラビア文字で表記されるというところで中断してしまい、今に至っている。

後年、風の便りで彼が亡くなったことを知った時、僕はかなり動揺した。彼の死そのものも勿論ショックだったが、彼が日本とウイグルそして中国の橋渡しをする貴重な人材になるだろうと、信じて疑っていなかったからだ。人生に無駄はないと人は言う。しかし彼のかけがえのない3年間はなんだったのだろうか?死んでしまっては、どうにもならないではないか。彼の3年が役に立たないとするならば、たかが1年程度の浅く薄い旅などに意味があるのだろうか?

旅をしている時、きっとこの瞬間がのちのち糧になると信じて、苦しいことに耐えている自分がいる。だが彼のことを思い浮かべると、どうしても、この信仰が根っこからグラグラしてしまうような不安に襲われてしまうのだ。

旅も人生も同様にその瞬間は一度きりである。もしあと一か月の命だったとしても、旅を続けることに悔いはないのか?こうして自問自答することも、時には必要なのかもしれない。

中央アジア11 ウルムチ カザフビザ編

2011年7月7日

中央アジアビザ地獄の洗礼を初めて浴びたのはウルムチだった。僕は隣国カザフスタンビザを取るために、カザフスタン鉄道事務所という所に来ていた。これまでビザと言ってもカンボジアアライバルビザくらいしか取ったことがなく、いわばこれが事実上初めてのビザ取得経験となった。

ウルムチにはカザフスタン大使館領事館がなく、鉄道事務所がかわりにビザ業務を担っている。この鉄道事務所は街のかなり北の方にあって、どのガイドブックでも地図外ではあるが、近くにまで来ると間違いなくそこだと分かる。ウルムチ一番の人だかりができているからだ。

ここでは、常に100人を超える人がこの建物を取り囲んでいる。彼らが何を目的としているのかは分からないが、建物の中から職員が現れると一斉に鉄の柵に殺到し、手を挙げ大声で叫ぶ。すると職員が、その中から数人を選び、施設の中に入れるというシステムだ。

僕も人混みに紛れて、見よう見まねでこの「命のビザ争奪戦を繰り広げていた。だが一向に指名される気配がなく、声が枯れてしまい、諦めて戦線を離脱することにした。かわりに門番にそっと「日本人だがビザが欲しい」と告げると、すんなりと中に入ることが出来た。

ビザ取得の手続き自体には特に煩雑なものはない。だが日数がかかる。7月4日(月)に申請をして、受け取ることが出来るのは8日の金曜日だ。誤算だったのは、その間パスポートを預ける必要があることだった。

パスポートがないことで最も困るのは、両替が出来ない事だ。この時、僕はもっぱらトラベラーズチェックを持参していた。今はトラベラーズチェックと聞いても知らない人が殆どだろうから、ちょっと説明しておく。トラベラーズチェックには2か所サインする場所があり、購入後すぐにうち一か所にサインをしておく。そして両替する時に、銀行員の目の前で二か所目にサインを記入する。こうしてサインの一致を確認することで、盗難された時の不正使用を防ぐ仕組みになっている。

さて、中国でのトラベラーズチェックの両替は以下のような手順で行う。パスポートトラベラーズチェック申請用紙(結構色々記載欄がある)を、まず提出する。申請用紙には名前や泊まっているホテル、パスポート番号などを記入する。トラベラーズチェックを受け取った銀行員は、このトラベラーズチェックが有効なものかどうかの確認を電話で行う。問題がなければその日のレートに基づいて現金が支払われる。あとは受領のサインをすれば完了だ。

ただトラベラーズチェックの扱いに慣れない銀行員の場合、認証のところでかなりの時間を食う。長い場合だと30分くらいかかることもある。この銀行側にとっての煩瑣な事務手続きが、トラベラーズチェック廃止になった大きな理由だろう。作業コストを利用者が負担する仕組みでない以上、やむを得ないのかなと思う。ただクレジットカードは使用状況の即時的把握がしにくく、不正使用・スキミング・上限額などの心配もある。盗難の心配をしないで済み、残高管理が容易なトラベラーズチェックには、それなりの便利さがあった。

さて月曜日にパスポートを預けてからの5日間は、残金だけで生活するという想定外の事態が待ち受けていたので、家計簿を付けるのが苦手な僕は往生した。だいたい支出を管理するのが苦手なのだ。コーヒーやジュースやお菓子など、計算に入れていない出費がかさみ、みるみるお金は減っていった。8日にビザを受け取った時、財布に残っていたのはわずか5角札1枚だった。中国でもさすがに6円ではバスすら乗ることができず、灼熱のウルムチを、はるか北のカザフスタン領事館から南の新疆飯店まで2時間かけて歩いて戻ったのだった。

そのご褒美でもないが、現金を得た後、僕はマッサージに行った。「足浴(ズーユー)」というのが、おそらく中国での標準的な按摩屋になると思う。湯を張った桶に足をつけて、足の血の巡りが亢進するのを待つ間、頭、首、おでこ、肩をマッサージし、後半いよいよ足つぼマッサージに入る。最後はリクライニングを完全に倒してうつぶせになり、熱い枕を腰に当てつつ肩、背中、腰のマッサージしていく。このフルコースのマッサージに、お茶と靴下のサービスが付いて1時間たったの66元(800円)だ。終わった後は全身の血流が良くなり、すごく体が軽くなった感じがする。中国足浴で一番特徴的だと思うのが、おでこをしっかりマッサージすることだ。額が意外に凝りやすい部位だということを気付かされた。

2018-04-21

中央アジア10 ウルムチ ウルムチ暴動記念日

2011年7月6日

夜12時になると日が沈み、街はようやく静かになる。窓の外には、やや太くなった新月が顔を出していた。ロータリーを覗きこむと、多数の警察車両が停まっているのが見える。今日7月6日は、ウルムチにとって特別な日だ。200人の死者を出した2009年のウルムチ暴動からちょうど2年になる。

ウイグル人が多数を占める新疆ウイグル自治区では、支配者である漢人との衝突が絶えない。ここでの中国の対応は、自治の尊重や話し合いではなく、徹底したCrack downだ。そのために採用されている方策は、実に多岐にわたる。

監視カメラによる個人の追跡、批判言動の密告、デモや集会の禁止、隣国からの新疆への入域制限など一般的な行動監視に加えて、個人車両へのGPS設置の義務化など、我々民主国家から見ると、かなり先進的かつ踏み込んだ手段が取られている。

だが、この地域で拘束された市民がどのように裁かれ、どのような処遇に晒されるのか漏れ伝わってくることは少ない。情報管制もcrack downの重要な要素だと考えている証拠だろう。

これまでのところ、暴動はすべて鎮圧され、crack downは成功しているように見える。あとは経済成長生活の豊かさをもたらせば、やがてウイグル人の不満も消失するだろう。しかし、そう思惑通りに物事が進むとは限らない。

そもそも論として、自分たちの土地によそ者が入ってきて、物事を勝手に決めていくところに不満の種がある。そこで意思決定プロセスを市民が納得できるものにするために、民主的な選挙は存在する。では仮に新疆ウイグル自治区内で「民主的な」選挙が行われるようになったら状況は変わるだろうか。しかしそれでも、選挙で選ばれた代表者が、反体制的と認定を受けて弾かれてしまうのであれば、形骸化したアリバイ的選挙になるだろう。結局、最終的なプロセスを透明化するための言論の自由がなければ、民主的とは言えないのである。

こと中国において、特にサイバー空間での言論取り締まりは、目を見張るものがある。百度微信などのネットサービスは中国国内で完結し、またこれらのサイトそのものがウイルスプログラムを内包している。そしてグーグルフェイスブックツイッターインスタグラム、ラインなど外国と繋がるサイトは完全に遮断されている。VPN等の迂回路もかつては存在したが、徐々に道は狭められてきている。

国内での取り締まりは、恐るべき人海戦術に依存している。「不適切」と判断されたサイトは人の手で削除される。体制批判につながりうるキーワードも自動的に排除される。熊のプーさんも当然禁止ワードに入っている。この「不適切ワード」の基準は公開されていないので実態は闇の中だが、地域によって若干の差異があることから、国と地方の両者が管理しているのだろう。

このように非常に高い壁を築き、新しい問題が出てくればその都度壁を高くする方針中国政府は取っている。しかし壁は無限に高くできるものだろうか?

例えば、うなぎ上りに増加する海外経験者は、ツイッターインスタグラム潜在的利用者である。上に政策あれば下に対策有りとされる中国では、今後も市民と監視者のいたちごっこが続くだろう。いずれパトロールの効率化のため、AIがより濃い密度でサイバー空間を巡回するようになっていく。しかしネット上の生の声をすべて拾い上げたAIの存在は、真実を誰よりも知る脅威となるはずだ。このAIを管理するための人員が、また大量に投入されるのだろうか?

ひずみはいつか正される。捻じった紐は必ず戻ろうとする。戻ろうとした紐をさらに捻じれば、歪みは次第に大きくなっていく。そして極限まで捻じったところで、一気に大きな揺り戻しが起こる時がいつか来る。その時初めて、紐を捻じろうとしたことが過ちだったと気付くのである。

2018-04-15

中央アジア9 ウルムチ

2011年7月3日

麦田ユースホステルから古巣の新疆飯店に戻って来た。前回の4階から2フロア上がって6階に上がると床タイルがきれいで、それだけで部屋の雰囲気がまるで違う。眺めも少し良くなった。窓から見下ろすロータリーと高架道路も、遠くに見える茶色い乾いた山のどちらも好きだった。天井が高く窓も広いので開放感がある。ベッドと枕が程よい硬さなのもいい。こまめな水分補給は絶対に必要だ。電気ケトルで湯を沸かし水筒でお茶を淹れる作業を1日に何回も行った。最初はミネラルウオーターでお茶を作っていたが、消費量半端ないので、途中から水道水で入れるようになった。汚いトイレとシャワーも慣れれば快適に使える。いつしか僕はこの新疆飯店の611号室が好きになっていた。

一日の生活リズムはほぼ固定となった。朝食は近くの粥屋で、1元の粥と1元の饅頭を食べる。粥は味が付いていないので、醤油、塩で味を調える。饅頭も具なしなのでソースで味付けする。それだけで物足りない時は1.5元の目玉焼きを追加注文する。このフルコースでも3.5元、40円ちょっとだ。朝食後、宿へ戻りトイレと洗顔を済ませてから、午前の時間を勉強にあてる。場所は決まってディコスというKFCに次ぐ中国第2のファーストフードチェーンだ。店舗の内装が明るくきれいなのでゆっくり落ち着いて過ごせる。フードはフライドチキンバーガーが主力商品だが、若者が好みそうなドリンクも多い。僕はクーポンを使って5.5元のアイスコーヒーを毎日飲んでいた。午前は比較的閑散としているので、長時間自習していても文句を言われる雰囲気はない。これから向かう中央アジアに備えてロシア語の教科書を読んでいた。市内にはロシア語教室もあるくらいなので、ロシア語を勉強していても訝しがられることはない。ただ、格変化と前置詞が出てきた段階で頭がパンクし、読了は断念した。

昼食はパークソン4階のフードコートをぶらついて、食べたいものを適当に見繕う。それから午後は、新疆飯店近くの奇声網吧というネットカフェで時間を潰す。網吧というのは中国でいうところのネットカフェだ。原則として身分証明書の提示が必要だが、店員の誰かのIDカードを使ってログインを行う。緩いところではパスポートチェックはないが、厳しいところだとパスポート番号を控えたりコピーを取ったりもする。そもそも外国人に慣れていないところでは、門前払いとなることが多い。店内にはデスクトップのパソコンがずらっと並び、若い客がひたすらオンラインゲームに熱中している。奇声網吧はネーミングも妙だが、これまたクーラーのない雑居ビル半地下にある、快適とは程遠い環境だった。あまり長時間滞在すると熱中症になるし、外に出た時、眩しい太陽に晒されて後悔の念に苛まされるので、あらかじめ使用時間を決めておくことにした。

パークソンまで歩いていくこともあれば、バスに乗って移動することもあった。中国の交通マナーの悪さはよく話題にされることだが、ウルムチは特にひどい。むやみにクラクションを鳴らしたり、車間を異常に詰めたり、スピードを出したり、横断歩道を確認せずに右左折したりする車が溢れ返っていた。これを歩行者側から見るとかなりの恐怖で、青信号を渡っている時にはねられそうになったのは一度や二度ではない。右折車(日本でいうところの左折車)はまだ目視で確認できるからいい。だが左折車は遠くから猛スピードで突っ込んでくるので、よけ切れない。ドライバーのマインドに歩行者確認という概念が存在しないのだ。それならまだ赤信号の方が、左右の流れだけ確認すればよいのでより安全だ。というわけで、青信号で止まり赤信号で渡る習慣が身に着いた。

夕食はほぼ毎日、新疆飯店を少し東に入った大箱レストランで拌面という新疆独特の麺料理を食べていた。店に入り席に座るとまず持ってきてくれるのは、羅布麻茶という、これもまた新疆特産のお茶である。最初はクセが強くて抵抗があったが、カフェインフリーなおかげで慣れるとガブガブ飲めるようになった。時にはやかん一杯のお茶を飲み干す時もあったほどだ。夏の新疆は酷暑と乾燥が、おそろしいほど早く脱水を進行させる。そのため、とかく水分補給を怠らないことだ。拌面は讃岐うどん並みにコシがあり、そして上に載っている温かい具も、独特の酸味とスパイスが効いて旨い。毎日食べても飽きることがなく、昼頃には早く夕方にならないかなと待ち遠しくて仕方なかった。肉が多い目の贅沢な具を選んでも13元。拌面を食べるためだけに新疆に行ってもいいと思うことが今でもある。

ウルムチ北京時間に合わせているので日が沈むのが遅く、夜の11時ころまで外は明るかった。5時に拌面を食べた後、少し涼しくなる街をぶらっとする。夜が長いと心が弾む。ゆっくり読書したり、クッキーを食べたり、インスタントコーヒーを飲んだりして時間を過ごしてもなお日が沈まない。こういう時間を持てるのであればサマータイムもいいなと思う。だが日本でそれを導入するのはどうだろう?日が高いうちに大手を振って退勤出来るサラリーマンが、どれくらいいるであろうか?そこへ保育園のみがサマータイムを遵守したらどうなる?会社は最低18時までいないといけないのに、保育園は16時で終わるという阿鼻叫喚の地獄絵図が目に見えるようだ。しかも出勤時間だけ1時間早まりうつ病が増加しそうだ。もしサマータイムを3年間実験的に導入した場合、離婚件数有意に上昇しないことを強く祈る。

もう、どう働くかについての議論は、いったん時間からのアプローチをやめて、生産性が高く快適な職場環境のあり方から検討してはどうだろう?まず国家公務員上場企業の社員を対象に、職場環境の快適性について調査し、改善点を洗い出す。目標は当然、官庁の快適性スコア民間企業の平均を上回ることだ。なお、質問には「こういうアンケートは意味がないと思うか?」を含めて、職場環境のあり方への関心の低さも見るようにしてほしい。別に仕事が好きなら長時間没頭しても構わないだろう。だが仕事が嫌いだと考えるホワイトカラーが多ければ、それは問題だ。


ウルムチでは規則的な生活のおかげで体調はすこぶる良かった。精神的にも不思議なほど安定していた。生活は出来るだけルーチン化したほうがいい。自由であればあるほど、規律を持つことの重要性が身にしみて感じられる。早起きは三文の得、夜更かしは鬱の始まり、だ。

2018-04-08

中央アジア8 ウルムチ

2011年7月1日

ビザを受け取り、ウルムチへ戻ってきた。今回僕が泊まっているのは、新疆飯店ではなく北にある麦田ユースホステルだ。5人部屋ドミトリーが55元と新疆飯店より少し安いが、どうも何かがしっくりこない。まず2段ベッドの軋む音が苦手だった。そしてドミトリー特有のルーズな同室者に耐えられなかった。到着した日の夜、夜更かしした二人組が戻って来たのは深夜3時だった。それまで電気が点けっぱなしで、それからもお喋りをしていたのだ。こんな毎日が続けば寝不足になってしまう。あと蚊が多いのと水回りが貧弱なのも気に障る。あのトルファン賓館の地下牢を懐かしんでいる自分に気が付いて、新疆飯店に出戻ることを決意した。

麦田ユースホステルに泊まる一番の利点は、すぐ近くに百盛(PARKSON)というデパートがあることだろう。4階が広大なフードコートになっていて、贅沢を言わなければ、食べたい気分のものが大体見つかる。ウルムチに戻って来た日の夕食は砂鍋にした。

トルファンで閉ざされた生活をしていたから、俄然都会のものが恋しくなる。久しぶりのKFCは旨かった。ただウルムチKFCに粥は置いていない。ピザが無性に食べたかったが、ピザハットは激混みで入れなかった。そして、これだけ大都会ウルムチなのに、まだスタバセブンイレブンはない。「なめらかプリン」とか「マンゴーフラペチーノ」は我慢するしかない。

灼熱の新疆にいれば湯船につかりたい時もあるが、一人で中国のサウナ屋に入る勇気はまだない。

なんだか不自由だな、と愚痴がついこぼれる。

暇な時間がある時にほかの旅人はどうやって過ごしているのかなと思いを馳せる。休みの日に何をしているのか問題は、他の人が何か有意義な時間の過ごし方をしているに違いないというやっかみから来るものだと思うけれど、旅行中に時々そう思うことがあるということは、旅行に退屈と空虚がつきものであることの証明なのだろうか?

快適で楽しい旅を実現するのは意外と面倒くさい。