こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

広州 メコン編 2011年2月

2011年2月15日

目覚まし時計はかけなかったが、浅い眠りから覚めると6時だった。
明るくなるのを待って、外に出た。

天気は曇り、気温10度と肌寒かった。緯度的には沖縄より南に位置する広州だが、思っていたほど温暖ではなかった。
近代的な地下鉄に乗り、街中に移動して銀行で2万円を両替した。10円=0.76415元、つまり1元=13円。空港より13%ほど良いレートだった。
さて、限られた時間の中でどこを巡るか考えることは、旅行における重要かつ労力を要する作業の一つである。訪れる価値があると考える場所、価値がないと考える場所の線引きはまさしくその人の価値観である。
広州の滞在予定は1日。どうしても訪れたかった場所がある。それはホワイトスワンホテルだ。

珠江の土砂堆積地であった沙面は、アヘン戦争後にイギリスとフランスの租界(外国人居留地)として整備された。東西に伸びるメインストリートに街路樹が鬱蒼と生い茂り古い洋館が立ち並ぶさまは中国であることを忘れさせる空間だ。ここ沙面の南岸にスワンホテルが建築されたのは、改革開放路線転向まもない1980年代前半のことである。中国でホテル格付けが始まるのは1988年だが、最初の5つ星ホテルの一つとして指定されたのがここホワイトスワンホテルだった。
ホワイトスワンホテルを特徴づけているのは、ロビーからラウンジにかけて広がる庭園だ。壮大な滝に流れる小川、そして数フロアにまたがって生い茂る熱帯植物。この意表を突く建造物が、国の威信をかけて作られたであろうことは容易に想像できる。ただいかに莫大な財を投じたホテルでも老朽化と色褪せは免れえない。その後の2012年から大規模な改修が施されることとなった。
いつどこで僕がこのホテルについて耳にしたのか、何が僕を惹きつけたのか、どうしても思い出せない。しかし記憶の片隅にずっとこびり付いていた。いつか行かねばならないと思っていたのだ。結局、見たことで謎が解けたわけではないが、果たすことが出来てつっかえ感が解消された。
返す返すも残念なのはこの庭園を写真に収めていないことだ。改修後もこの庭園が保存されているのか、全く無くなってしまうのか、あるいは意匠のみ継承して別の形で生まれ変わったのか?非常に気になるところである。
こうしてホワイトスワンホテルはいつか再訪せねばならない場所になった。


昼食は広州東駅の「真功夫」というファーストフードでとった。真功夫とは、リアル・カンフーという意味でロゴにもブルースリーが描かれている。キーワードは「蒸す」。「栄養はやはり蒸すのが良いよね」がキャッチコピーだ。ちなみに「真(zhen)」と「蒸(zheng)」で韻を踏んでいるそうだ。僕が注文したのは排骨飯(パイコーファン)セット34元(=約440円)。ぶつ切りのスペアリブ、蒸したレタス、山盛りのライス、鶏ガラ入りのスープ。ランチとしてはかなりの重量感だ。ファーストフードの範疇を超えている。
さて少しずつ旅の感覚に馴染んできた。旅は見るもの食べるものすべてが新鮮で刺激に満ちている。

続いて懐聖寺を訪れることにした。この懐聖寺は寺と名前が付いているがモスクである。僕の勝手なイメージでは、中国のイスラム教徒はもっぱら西北地域に分布しているのだと考えていたが、懐聖寺周辺はムスリム居住地区だ。南方の広州にモスクが存在していることは少し意外だった。しかも唐代に建てられたというから相当歴史が古い。文化大革命の時代に取り壊されなかったのだろうか?色々な疑問が湧く。
ここのミナレット(尖塔)は、コンクリートの打ちっぱなしみたいなつるんとしたユニークな外観をしている。これを見ると、古いというだけで建造物には価値があると思う。

あと六榕寺と陳氏書院と代表的な見所を見学して今日の観光を終えることにした。

夕はとても賑やかな上下九路をぶらついて、流行っている点心屋に入った。店員に中国語でまくしたてられてあたふたしたが、指差し会話でワンタンメン13.5元を頼むことが出来た。本場の中華を食べられたという感激で、とてもおいしく感じた。

今日は観光・食ともにかなり精力的に活動した。1日を振り返って色んな事が出来たという感覚は人の気分を安定させると思う。
いよいよ明日からはベトナムを目指して南への移動が始まる。