こふん日記

2011年の旅行記 メコン編、中央アジア編、チベット編

ベトナム縦断22 サイゴン到着 2011年3月6日

2011年3月6日(日)

定刻通り4時にサイゴンに到着した。外はまだ暗い。待合室の椅子で夜明けを待つ。
僕はここで久しぶりに日本人に出会った。彼女は一人旅をしている若い学生さんだった。あまり話し掛けてほしくなかったのか、多くを語らなかったが顔には疲労が色濃く滲んでいた。きっと彼女は期待していたものを得られなかったのだろう。「ホームシックかもしれない」という言葉に、今の気持ちが集約されているように思われた。

しかし旅に何を求めそして旅が何を与えてくれるのかについては、旅に出る前に一度考えるべき問題だと思う。このミスマッチは大きな不幸を招く。人によって旅に対するイメージは様々だし、言うまでもなく行き先と旅のスタイルによって得られるものはかなり異なるからだ。
‐‐‐多くの旅仲間と出会い、暖炉で語らい、旅の苦楽を共にし、時には特別な感情が芽生える。現地の人からの無償の親切に触れて、帰国する時にはカメラのメモリーとアドレス帳が一杯になっている‐‐‐
そんな旅が理想であることに異論はない。だがしかしだ。かような典型的ロールモデルを旅行者が演じることは容易でなくなりつつあると思うのだ。
それと彼女には、旅のハウツーを教える先達が必要だったのではないかと思う。できれば先輩バックパッカーと一緒に行動し、宿やレストランや市場でどう振る舞うかを見て学べば良かったのだ。そうすれば、女性旅行者がどれだけ図々しくて、しかも許容されているかが分かったはずなのに。「バナナを1本無料でください」と平気で言えるようになると、旅が気楽なものになる。もちろん日本で同じことやっちゃダメだ。

僕は旅にもう出会いは求めない。ありのままの外の世界を見る機会があればそれで十分だ。新しい町(それがつまらなかろうと美しくなかろうと)の雰囲気を肌で感じ、宿探しでお買い得な部屋を見つけ、勇気を絞って入った食堂が当たりだった瞬間に喜びを感じる。この楽しみ方をするのにベトナムほどピッタリの場所はない。ただひょっとしたらとてつもなく退屈かもしれないので、同じことを他人に勧める気にはなれないのだ。


さて6時頃には外が明るくなってきた。オレンジ色に染まった空を見上げながら、街へ向かい宿を探すことにした。
旅行と車の運転は似ているとふと思う。「加速する」「止まる」「曲がる」が運転の3要素だとすると、「移動する」「泊まる」「食べる」が旅行の3大要素ではないだろうか?旅を続ける限りこの営みが永遠に繰り返される。意識すると気が遠くなる。旅行中、関心のベクトルは殆どがこの3つに向けられる。だからSNSに画像や動画を投稿する人は、3大作業を終えてなおエネルギーが余っている精力的な人なのだと思う。みんなが無理をしてまで真似をする必要はないんじゃないかな。

フォングーラオ通りという、バンコクでいえばカオサン通りにあたる安宿が軒を連ねる地域まで歩いてきた。
1軒目:バルコニー付きの広い部屋。25ドル。少し予算オーバー
2軒目:窓なしの暗い部屋。15ドル。却下
3軒目:22ドルで朝食付き。チェックアウト待ち。
4軒目:手狭だがきれい。7階とサイゴンの中では高層階。20ドル。
4軒目に決めた。水谷豊に似たオーナーはこれまで出会ったベトナム人と同じ国の人と思えないくらい礼儀正しかった。
改装されたばかりの部屋には一点のしみもなく白いシーツも清潔だった。ドアが重厚なのもプライバシーが守られていい。窓から見えるサイゴンの空が青くて気持ちよかった。熟睡できなかった分を取り戻そうと寝ることにした。

「ホームシックかもしれない」
今朝の彼女の科白を何度か反芻していた。家が恋しい貴女は恵まれた環境にいるということですよ!