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こふん日記

2017-09-11

カンボジア13 ポルポトの家

バイクタクシーの青年は、はっきりと「プレアビヒアに行ける」と断言した。もし危険な状況になれば連絡が入るから大丈夫だと言う。そんなことが可能なのか。

彼は表情をほとんど変えない男だった。商売のためにニコリとしたり、あるいは不機嫌になってムスッとしたりすることがない。とにかく岩のように表情を変えなかった。だから本当なのか、客の歓心を買おうと嘘をついているのかを表情で判断することは難しかった。

アンロンウェンは特殊な町である。ベトナム軍がプノンペンからポルポト派を追放したのは1979年であるが、ポルポト派は西部へ逃走し抵抗運動を続けた。ポルポト参謀総長タモックはタイ国境近いこのアンロンウェンの地に足場を置いた。それ以降、1998年のポルポト死去、翌年のタモック投降までの20年間にわたり、この町はポルポト派最後の拠点として機能してきた。今なお住民の大部分は旧ポルポト派の残党と言われている。

アンロンウェンに来たもう一つの目的は、その足跡を辿ることだった。特にポルポトのsafe house、つまり隠れ家には大きな興味があった。なぜ政府軍の空と陸からの攻撃にもかかわらず、20年間捕まることなく生き延びることが出来たのか。その手掛かりを知りたかった。ただし公共交通機関は一切ない。また史跡の性質上、地図や標識のない山中にあり非常に見付けにくいということだった。

たまたまホテルのロビーに居合わせた西洋人旅行者が、昨日ポルポトの家に行ったという話をした。するとバイクタクシーの彼は、写真を見せるよう頼んだ。そしてその家と思しき写真を確認して「これは本当のポルポトの家ではない」と言い切った。たしかにこれもポルポトの家には違いないが、20年間潜伏生活を送った隠れ家ではないと言う。その口調には、このエリアは自分の庭だと言わんばかりの確固たる自信が滲んでいた。僕は彼に任せようと思った。今からポルポトの家に連れて行って欲しいと依頼した。


アンロンウェンから北側には屏風状のダンレック山脈が連なっている。屏風の向こう側はタイである。急な坂を国境300メートル手前まで北へ登る。ここまで上がってくると風がひんやりとする。そこから東に方向を変え、山の中腹に沿って穴ぼこだらけのひどい道を進むとタモックの崖が現れる。ここはテラス状に開けた場所でカンボジア側の大平原が気持ちよく見渡せる。かつてはポルポト派のラジオ局が設置されていた。この場所からタモックはアンロンウェンに侵攻してくる政府軍をつぶさに観察していたという。今はキャンプ場も整備され、この展望台を目指してカンボジアの若者が集まる景勝地となっている。

しかしここはゴールではない。ポルポトの家へは更に森の中を東に進む。道はバイクが飛び跳ねそうなくらいの悪路である。目印のない分岐もある。彼がどうやって道を覚えているのか不明だが、すいすいと迷うことなく針路をとった。おそらくダミーの道には地雷が仕掛けられていたのだと思った。こうしてバイクを疾走すること30分、ようやくポルポトの家に辿り着いた。

森を抜けた先は高原地帯で、随分と空気が冷たく感じられた。タモックの崖同様に木の隙間からカンボジア側をきれいに見渡せる。家の外壁はレンガ造り、骨格は鉄筋コンクリートの質素な平屋である。攻撃に備えて隠れられるように10畳ほどの秘密の地下室が作られている。60僉100僂長方形の穴が1階と地下を結んでいる。階段やはしごはなく、地下から1階へ上がるためには、長い木の棒を穴に引っ掛けて登る。この長方形の穴は普段は蓋をされ、カモフラージュされていたと推測される。地下室の壁には多数の落書きがあり、多くはカンボジア語だが「KATANA」と石で書かれたものも目に入る。日本人観光客が書いたものだろうか?あるいはポルポト自身によるメモなのだろうか?いずれにせよ意図は分からない。

隠れ家としてのこの場所を考えていた。空からの攻撃に対しては地下室でやり過ごしたのだろう。地上軍や落下傘部隊が侵入してきた場合はどうしていたか。まず考えられるのがタイ側への退避だ。ここから少し山を越えればタイに入る。シェムリアップから政府軍が攻めて来たとして、遥か遠くの時点で敵を確認し、余裕を持って山中を歩いて逃げることが可能だ。森の中の姿は衛星では捉えにくい。事実、ポルポト派の幹部はタイと自由に往来していたともされる。それに加えて山域一帯を地雷で固めていた可能性が高く、山には迂闊に近づけなかっただろう。そもそもここがポルポトの家だと誰も知らなかった訳だし、観光地化した今でも簡単に辿り着けないのだから。

よくポルポトはタイ・カンボジア国境のジャングルに潜んでいたと表現されるが、実際に感じる印象はまったく違う。血なまぐさい歴史とは対照的に、新緑が目に眩しい爽やかなところだった。

近くに小さな池があった。何かが不自然で引っかかったのでバイクを止めた。よく見ると上高地のように池の中に枯れ木がたくさん立っている。静謐で思索的な空気が流れているのを感じた。ポルポトもたまにこの池のほとりを散策し、過去を振り返ることがあったのだろうか?

涼しい風が暑気のカンボジアであることを忘れさせる。心穏やかになれる場所だった。