2010-01-24 表参道ねぶたとアフリカ

原宿ねぶたの顛末ですが、青森ねぶたキャンプの人にとっては、われらが板金のねぶた!なのでしっかり観客としてねぶたを見ましたが、ここは世界有数の人口過密地域・センターオブトーキョーなので、「東京名物・ものすごい人ごみ」でもみくちゃにされて跳人のように疲れたわい。
とくに板金ねぶたにあのお囃子が流れると、もうこっちは青森のように跳ね叫びたいのにどうにもならず、生殺しそのもの(笑)でした。
あと、表参道は道路標識の位置が低く、歩道橋があるため、そのたびにねぶたが引っかかってしまいくぐりぬけるのに苦労してましたね。これぞ「ねぶた版・リンボーダンス」
結局、青森県産品の歌は聞けなかったですわい。行司風の決まり手キャラはよく見かけたけど
野宿野郎の売上は2冊、アフリカ企画なのでこの期に便乗して、さらにタンザニアで買った粉末ジュースを百円にして売ったら、2つ売れました。ぱちぱちぱち。
あと、さらにさらに便乗してアフリカツーリングで使わなかったマラリアの治療薬(Cotecxin 60mg×8)と余った予防薬(Doxycycline 100mg×30)も置いてみましたが、結局売れず。
2010-01-23 青森からアフリカへ

2010-01-02 正月なのに、食べられた月

2010-01-01 ’10

あけましておめでとうございます。賀正。
2010年、というよりも「‘10年代」のはじまりの瞬間ですね
そんで、さっき迎えたカウントダウンの話ですが、
やっぱカウントダウンで新年を向かえる瞬間ってのは毎年の事ながら本当に興奮しますね。
まさに「発射する気分」だー!
「10年代」といえば、自分が10代の頃はよくイベント会場に行って新年を迎えただけど、
それがものすんごい人ごみのため、会場にたどり着けないまま通路でそのままカウントダウンを迎えてしまったり。
さすがに今では、わざわざ人ごみの中まで出かけ、もまれながら新年を迎える気力なんか無いけど、テレビを見ながら静かに迎えるカウントダウンってのいいね!
ことしもよろしくおねがいします
2009-12-30 ‘00

そういえば、今年で00年代が終わるんだったっけ。今日気付きました
ってことは、あさってからは10年代なのね!
年月が過ぎるのは本当に早い。まだ00年代の半ば過ぎか後半ぐらいにもかんじるぐらいなのに。
ううむ、自分にとっては60年代とか90年代と言う表現がなじんでるので
10年代、ってのはどうもピンと来ないわい。10代みたいで。
とくに、「’00年代」なんて、実はいままでどう呼んでいいのかわからなかったんですわ!
ゼロゼロ年代とか、あるいは二千年代とか?
新聞では「ゼロ年代」と呼ぶようで、00年代の最後の最後になってやっと読み方が確定しました!(笑)
でもゼロ年代だと、「’0年代」になってしまい、なんかおかしくないだろうか。
思えば昔は(前世紀のころね)80年代とか90年代と、10年一区切りにされたけど、00年代に関しては21世紀の最初、さらには二千年代(2000〜2999)の最初という意味合いが強かったせいで、10年区切りの印象が乏しかったのかもしれない。そう思いませんか?
さて、私にとっての00年代は、激動と栄光の10年でした(と自画自賛!?)
年齢的にも22〜32歳なので、まさにこの10年こそ肉体的、精神的にもに自分の絶頂期だったわけです。
00年代の略歴として
00 世界一周
01 世界一周
02 日本
03 9月よりオーストラリア
04 9月までオーストラリア、12月からアジア
05 4月までアジア
06 日本(1週間だけ韓国)
07 日本
08 12月よりアフリカ
09 7月までアフリカ
この10年のうち、なんと3年4ヶ月も海外にいたことになるのよね!
自分が90年代の時は、「00年代は絶頂期になるぞ」と考えていたので
いまこうして振り返ると、やりたいこともできて満足の10年だったと思います
あと、この10年はインターネットの10年だったですね。
STK 1もそうだけど、
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/
だからこうしてネット上で書いてるわけでありまして。
それではさらば00。
2009-11-15 ¥1,037,935

約104万円。(日本国内の交通費も含めれば)
この金額は、2008年12月から翌7月までのアフリカツーリングの「全費用」です。
今回のアフリカの旅で消費したお金は単車購入ふくめ7ヶ月と20日間で「約80万円」(往復の飛行機代除く)
どんなアフリカの高級リゾートに止まってぜいたく三昧したとしても、そう簡単に80万円は使いきれぬはず。
我々の周りでアフリカで80万円も使った人間はあまりいないはずです。
ウガンダの首都カンパラとかで何度か高級レストランも入りました。
日本人駐在員も来る様な高級な店ですよ。
でも、日本の普通のレストランとおなじぐらいの値段です。
ほかにも以前の旅先日記で書いたとおり、一軒家のコテージを借りながら海や湖を見ながら沈没してましたし。
キリマンジャロ登山では700ドル以上払いましたし。
とはいっても、いつもアフリカで豪遊したわけではありません。
普段のアフリカの旅路では、大節約しました。
アフリカの人たちの目線で旅をしたかった。
普段は汚い食堂で、ハエのたかるめしやウガリを手づかみでくらい、生水も、がぶ飲み!
くいきれず残った食事も、ちゃんと持ち帰って食べました。
どうしても食べれなかった食事は、近くにいる客や子供とかに上げたり。
飽食の国からはるばる飛行機と単車に乗って其の地まで来てるのです。
そのアフリカで食べ物を捨てることは失礼ですしね。
Tシャツやズボンも、破れたら自分で縫って直して着つづけてましたよ。
アフリカの奥地ではボロボロになってでかい穴の空きまくった汚いジャケット着てました。
日本だとその様はホームレスすら着ませんが、アフリカ奥地ではもっとボロボロの服を着てる人も多いので、全く違和感ありません。
でも、その恰好で南アフリカの洒落た街中にいくと、さすがに恥ずかしかったなあ。
もちろんアフリカ行っても自分で手を汚しながら単車の整備をしたりオイル交換したね。
寧ろ、アフリカのような発展途上国の場合、現地の人の目線に合わせるためにも、絶対節約しないとダメです!
買い物の時はいつもおもいっきり値切りまくったですよ。
ただーし、一番大事なのは、値段の交渉のときは「自分も満足し、相手も満足」するような値切り方が大事になってきます!
こちらがあまりに値切りすぎて、たかが数十円のためにお互い不快な思いをすることほど、バカげているものはない!
それよりはいくらかで妥協して、かつ自分も得できればいいのです。
でもさすがに、路上でボロボロの服を着た少年が売っている1個7円の揚げパンは値切りませんよ。
ぼったくり価格なら戦闘態勢で値切り交渉(でも大阪人にはまだまだかなわないかも。笑)するけど、ローカル価格なら、けして値切りません。
アフリカでの支出
T/C US$ 4,000 (Amex $100@40枚)
現金 US$ 3,000 & ¥80000
クレカ \36387
(ドルレート \731242/ $7000 = \ 104.463)
帰国直後の残金 US$ 396+ TC$100 =
海外231日での使用金額 $6504(\679428)+\116387 = \795,815
アフリカ1日当たり 795815/231days= \3445
世界一周1日当たり 1271200/490days =\2594
出発前の支出
往復航空券 関空>ケープタウン>成田 ¥238220
夜行バス(新宿>難波) ¥3900
出発前の使用金額 ¥242,120
東南アフリカ一周の総費用 \679428 + ¥358507=¥1,037,935
総費用換算アフリカ1日当たり 1037935/231days= \4493
総費用換算世界一周1日当たり 1698347/490days =\3466
距離当たり使用金額アフリカ:1037935/36406.5km =\28.510/km
距離当たり使用金額世界一周:1698347/60730.0km =\27.965/km
2009-10-28 ついにETC、げっと!

といっても、手に入れたのはETC「カード」だけです
しかも、車もありません!
もちろん自分の単車にもETCレシーバーはまだありません。
でもね、ETCカードを作ったからといったって、この32歳のボンビーマンは、車は買いません!
そして今後も車を買うことは、まずないでしょう!
じゃあなぜ作ったんだよ、というと、3割は見栄です!(笑)
でもあとの7割、いや10割は役立つからです!
というのも、いまやほとんどのレンタカーにはETCがついているので、自分のカードを持っていれば高速1000円の世界を享受できるわけ。
作ったきっかけは、ETCカードの年会費は[無料]なので。
もし年会費に300円でもかかったら、ETCカードにはまず加入しなかったでしょう。
実際、レンタカーを借りることなんてあまりないし、さらにETCを使う機会はさらにないだろうし。
だけど備えあれば憂いなし。
車の運転は好きだけどマイカーは要らない、レンタカー志向のあふろでした〜
2009-10-26 26年ぶりの再会!

先日、26年間行方不明だった曲(懐メロ)と、再会することができました
自分が小さい頃、家族でドライブに行ったとき、乗っていたダイハツの軽ワゴン車のカセットデッキからよく流れた曲で、夏の海岸をドライブしているときに相応しい、さわやかですごくいい曲だった。
それ以降、ことあるごとにこのメロディーがよく思い浮かんできた。
なのに、その歌は誰が歌っているのか全く判らなかった。
メロディーの流れから「抱きしめて 離さないでしょう」ぐらいはかろうじて推測できたが。
それでもわからないまま時は流れて、20代になってインターネットの検索ができるようになってからはいろいろ調べてみたけど「抱きしめて 離さない」ぐらいじゃ手がかりはなく、インターネットで検索してもさっぱり。
しかしさらに何年か経ったこの先日、このサイトで
http://www.uta-net.com/user/index_search/search1.html
もういちど丹念に探しまくった結果、
アーティスト名は「ハイ・ファイ・セット」曲名は「素直になりたい」(1984.1.21)という事がついに判明!
しかしハイファイセットなんてグループ、ここで初めて知りました。いわんや今の若い人は多分知らないと思う。
だから再び日の目を見ることなく、今まで26年間わからなかったんだろうなあ
昭和から最近のJ-POPに詳しいレイさんなら知ってるかも?
もしこの世にネットがなかったら、この懐メロに再会することはまず無かったでしょう
1984年の子供は、25年何ヶ月か経ち三十路になり、当時の両親と同年代になってしまった(大笑)
なので、今度は自分が家庭を持った気分になって、「素直になりたい」を聴きながらドライヴしてみたいね〜。
2009-10-20 竹馬と人力車・その後

8月22日の日記で紹介した二組のアベック。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1262202687&owner_id=732456
竹馬の旅も人力車の旅も、徒歩旅よりもおそいから、日本のどこかでかち合うんじゃないかと思っていたら
ついに9月26日、富山県でMIXしたそうです。よかったですねえ。
人力車
http://diary.kazepro.org/?day=20091018
http://diary.kazepro.org/?day=20090927
竹馬
http://www.savepongo-japanese.blogspot.com/
おめでとうございます。
2009-09-30 オンボロ軽トラはMTだった

先週末、えらい古い、青いポンコツ軽トラに乗った。しかもマニュアル車!(ダイハツ・ハイゼット)
1998年(前世紀だ!)に1トントラックをなんとか運転して以来、11年ぶりのマニュアル車です。
いくら車も買えない貧乏人とはいえ、レンタカーなどで乗った車はすべてオートマですよ。
なにより、ゲーセンでドライブゲームをする時でさえ、いつもオートマを選んでいたほどだー(笑)
軽トラには相方と二人で乗ったのだが、目的地まで半分ほど着いたとき、ついに相方と運転を変わる事になった。
11年ぶりの操作で、ものすごい緊張したが、広い駐車場があったのでまずはクラッチの練習。
そして公道へ。何とか走れる。でも発信時アクセルをふかしぎみになる。しかしだんだん慣れてくると、言葉では言い表せないぐらい楽しい。オートマティックに比べれば「本当に車を操っている」という楽しさ。
たしかに、ATよりも緊張するし、クラッチを多用する左足は疲れる。エンストもする。
でも、面白い!
そしてMTはシフトミスをする。4速から5速にシフトアップしようと思ったら3速にはいってしまい、当然車体はエンブレが聞いて前のめり、エンジンは唸ってしまう
でも、面白い!
考えてみれば自分が普段乗っている単車なんて、筋金入りの正真正銘・偽りなしのMTなのだ
半クラやシフトタイミングやクラッチミートの感覚は二輪も四輪もまったく同じ。
思った以上にすぐによりを戻せ、20kmほど走るとスムーズにギアチェンジができるし、減速して最加速する時も、ベターなギアを選ぶ必要があり、その分頭を使うので脳のトレーニングにいい。
しかし、MTの欠点としてこんな事もあった。
運転していた相方が先に車を降り、後で助手席に残っていた自分も降りた途端、なんと軽トラが勝手にバックした。
彼はギアをニュートラルにしてサイドブレーキを掛け忘れていたのだ。
AT車なら、Pレンジに入れておけばサイドブレーキを忘れても勝手に動かない(というか、Pに入れないと鍵が抜けない)
そういうニッポン的過保護親切設計に慣れてしまうと、荒削りだった昔の車は、凶器にだってなる。
とっさに私は運転席に戻り、サイドブレーキを掛けてストップさせたが、もし助手席に乗っていた人が免許無い人だったら、パニックになっていただろう。
毎日長距離を運転するのならATのほうが断然楽だが、
たまに運転する分ならATよりもMTのほうが面白そうだ。
以前、うちの友人がMTの軽トラを新車で買ったとき、
「なんで玉数も少なく、しかも面倒なギア操作をしなければならないMTをわざわざ買うんだろう」と不思議に思っていた
だが、MTを運転して以来、友人がMTの軽トラを買った理由と言うのがよくわかった。
2009-09-17 ラジオに出演しました

2009-09-16 アフリカ日記、南アフリカ編

現在作成中のアフリカ日記を一部公表します
と言っても、どえらい長ーいので適当に読んでやってください
12月14日 (ツーリング1日目)
11日も過ごした宿を去る日が来た。
9時40分起床。チェックアウトが10時なので、あわてて片付ける
「あ、雨が降りそうだよ〜、今日出発せずに今夜も泊まればいいじゃないか」
と仲間がはやし立てるが、ぼくは一日も早く旅立ちたいの!
とにかく未知なる国へ走りたい。
手早くパッキングを行い、11:09分、仲間たちに見送られて出発!!
ケープタウンからN2(国道2号線)でポートエリザベス、そしてダーバンと東へ進む。
フリーウェイから普通の国道に変わるが、日本とは断然ペースが違う
北海道の道北や道東のような一本道の制限速度が120km。
猛スピードですれ違う車は、シュワン!、シュワン!とまるでジェット機のようだ。
60キロでちんたらケープタウンの街中を走らざるを得なかった慣らし運転も終わったので、これより80キロ巡航。それ以上で巡航すると小さな125ccエンジンにダメージがでそうなので。
時速80キロというスピードは、日本の国道なら追い越す側なのに、ここではあっというまにどんどん追い越される。
道路も景色も、オーストラリアによく似ている。オーストラリアがなつかしい。
でもオーストラリアで650ccのビッグバイクで一周した時は、もちろん自分はシュワンシュワンの側で、いつも130km/h巡航。時には150〜160km/hで走ったりした。
やがて、WindowsXPのトップ画面のような緑の丘陵地帯から南下して、16時ごろ、アフリカ大陸最南端のアグラス岬に到着。インド洋と大西洋を分ける岬で、その先は南氷洋と南極大陸とあって、天気は晴れているが物凄く波が荒く、豪快だ。
アフリカ初☆野宿
夜、Swellendamという小さな町についた。まるでオーストラリアの田舎の町そっくりの落ち着いた雰囲気だが、看板を見ると、黒人が市長である。
暗くなったので今夜から早速寝床を探さなくてはならない。昨日までぬくぬくと宿にいたけど、今日からは宿無しだ。さあどうするか。
でも、いきなり野宿はあれなので、街のキャンプ場に停まろうと思ったが、4人分ぐらいのスペースで130ラントするらしく高いので、やめる
それなら町はずれで墓場を見つけたのでそこで野宿しようかとも考えたが、人に見つかったら危険なのでやめにした。
さらに奥へ進むと、急坂があるのでそこを登りつめた行き止まりのところで野宿することにした
自分の経験上、丘の上とかなら誰も来ないので大体こういうところで野宿するのだが、やはり誰も来ないので正解だった。
テントを張って寝ると、4ヶ月前のねぶたツーリング初日の郡山での野宿を思い出した
396km走行
「白人と黒人と中国人」
12月15日
5時起床。空は大分明るいが、すこし肌寒い。人がいなく静かなので、のんびり出発する。
今日はN2を外れ、日本で言う3桁国道や、田舎道を走ったりした。風景もよく、自分のペースでのんびり走れるのがいい。
夕方前、オーツホーンという町に到着。名物のダチョウが食いたかったので、ラテン風レストラン「La Dolce Vita(The sweet life)」に入る。広い中庭を利用したオープンテラスなので単車は自分の席の隣に泊められるし、風通しもさわやかで落ち着く。そのうえ無線ラン付きなのでひさしぶりにネットを堪能しまくる。
ダチョウのステーキセットは95ラント。約1000円。
超節約ツーリングを主体とする自分にとっては高い食費だが、ステーキは300gもあり、独特のくさみが若干感じられたものの牛肉よりも柔らかく美味。しかも無線ランでネットがやり放題ということを考えれば、とても安いものだ。
店員もとてもフレンドリーで、もう至福のひと時。
ああ、アフリカのツーリングって最高!
と・・、いいたいところだが、考えてみれば店員は白人で、店内のカップルや家族ずれの客は、すべて白人。まるで欧米やオーストラリアにいる気がする
黒人の姿は店内では見られなかった。
そう、ここは「白人向けレストラン」なのだった。
かつて人種隔離政策アパルトヘイトがあった時代は、あらゆる施設が白人専用・黒人専用と厳格に分かれていた。だからこのレストランも昔は「白人専用レストラン」だったのだろう。
リベラルなケープタウンにいたときには感じなかったことだが
ここのような田舎の封建的なエリアでは、アパルトヘイトが終わった今でも、「白人は白人、黒人は黒人」という考えが根強く残っている。
レストランの中では肌の白い純血の白人の子供たちが遊んでいる。
かたや門の外に出ると、ボロボロの服を着た黒人の子供たちが、磁石に吸い付くかのようにこちらにやってきて「金をくれ、金をくれ」と、まるで歌舞伎町のポン引きのようなしつこさでまとわりついてくる。
そういう「現実」を見ながら育つ白人の子も黒人の子も、いったいどんな大人になるんだろうか。
「差別はアカン」「みんな平等に」という日本で育った自分にとって、たしかに南アの田舎では差別はまだ残っているんだろうと、覚悟はしていた。
でも、かれらはお互い同じ国、同じ町に住んでるのにかかわらず、人種によってあまりに違う「現実」を目の当たりに味わってしまうと、やはり気分が重くなる。
今日もいっぱい走って夜になったが、道路沿いには延々とフェンスがはられており野宿する場所が見つからず。
しかし夜中にUniondaleという山の中の村にたどりつき、キャンプ場へいくとゲートも開いており、夜遅くテントを張って早朝に出たためタダで泊まれた。南アとはいえ、山奥の村なら意外に危険ではないらしい。
439km走行。
12月16日
4:45起床。まだうす暗い中、すばやくホットシャワーを浴びて、管理人が来ないうちに撤収。
5:32出発。夏なのに、アフリカの割に緯度も高く、標高が800mもあって走っていると寒い。14度ぐらいか。 国道沿いでは、まだ朝は早いが黒人労働者たちが集まってトラックに乗りこんで働きに出てくる
6;38、45km走って小休止。MorningSunが出てきてあったかくなる。
9時半、152km。小さな名もない町のカフェテラスで朝食。ミニ・モーニングセット。
28ラント(約300円)。ミニサイズなので、日本人サイズにしても少なく感じた。
このカフェテラスは白人が経営する店で家族で切り盛りしてるようだが、昨日のレストラン同様、黄色人種の私にも好意的に見てくれた。東洋人というより、ツーリングライダーとしてみてくれてるからだろう。
荷物をごっそり積み込んでツーリングをするライダーなんて、ほとんどが白人なのだから。
とはいえど、こういう店は白人向けなので黒人が客として入ることはなさそうだ。
やはり人種差別は暗黙のうちに残っていると実感する。
でもそれだけでは足りないので、小さな商店に入り、パンと、飲むヨーグルトAMASIを買って、ちょっと外れたところで食べる。
AMASIという飲むヨーグルトは、名まえとちがって甘くはない(笑)
てゆうか、明治ブルガリアヨーグルトとそっくり。量も500ml。でも60円ぐらいだったかな
そのとなりの商店に入ると、おや!と思った
何でこんなところに日本人がいるんだ?
と思ったら、中国人だった。
こんな名もない村なのに、華僑の夫婦が商店を経営しているのだ。
彼らは中国から輸入してきた大量の衣類や雑貨やおもちゃを売りさばいており、
南アフリカやその周辺国の各町に散らばってくらしている
ようするに需要あれば供給ありで、こんな人口数千人の村でも、「町の物資供給係」として中国人の存在が必要不可欠になってくるのだろう。
少しでも儲かれば、どこの国のどんなところでも住み着く中国人華僑。もう、全世界のあちこちに均質的にくらすそのバイタリティーたるや、今の日本人では絶対真似できない
これから先、アフリカの各国各地で華僑を見るようになるし、少しお世話になったりもするのだった。
13:30 ポートエリザベス着。294km。高層ビルが建ち、坂がちな地形は神戸のようだが、ダウンタウンは小便臭くとても汚く、危険な雰囲気。白人はほとんど歩いていない。
単車で回れるからいいものの、歩いていたら狙われるだろう
フリーウェイ沿いに、SPARというスーパーのチェーン店があったので、そこのデリで昼飯を買う。御飯がパサパさして食いにくい。
おまけに敷地内にあるホットドッグ屋台。1本10ラント。
夜、キングウィリアムズタウン(KWT)という地方都市についた。
ちょうどフェスティバルお祭りのようなものをやっていたので
ちょっと見物する。バンド演奏やフリマもやっている。日本のイベント的な催しもので、黒人で大賑わいだ。警備員も多数いるので治安面ではそれほど問題なかろう
でも、泊めてある愛車には目を光らせなくてはならない
この日も野宿する場所が見つからず、しかもKWTの街中にキャンプ場や安宿が見つからなかったので、絶望的な気分になりながら、町を外れ道路を外れ、牧場のフェンスが開いていたところがあったのでやむをえずそこから入り、牧場の中で寝る。すぐに動けるようマットだけ敷いての正真正銘の野宿!
この日は朝の5時半から24時まで走り625kmも走ったので、疲れてすぐに眠れるだろう。
眠りについてしばらくして気配がするので目を覚ますと、なんと牛さんたちに囲まれていた。
しかし日の出と共に、今度は人間(牧場で働く黒人)に見つかってしまった
「人の土地さで寝ておって、警察に行げ」などと遠巻きから文句を言われる始末。
自分は、誇り低き野宿野郎・国際部の者として、「世界で野宿してきたんだから当然アフリカでも野宿三昧だ!」と意気込んでいたのだが、アフリカの野宿がこんなに難しく、かつこんなに殺伐としたものだったとは・・・・
それ以降、無理して野宿するのはやめることにした。
アフリカの野宿のむずかしさや危険さは覚悟していたが、やっぱりアフリカを甘く見ていた。それに比べれば日本はやっぱり治安がいい。
625km走行
「かつては黒人の国だった」
12月17日
そんなわけで5:05分出発。睡眠不足ぎみ。
6:41イーストロンドン着。郡山のような市街地の規模。
イーストロンドンから谷を越えて
Butterworthという村(マレーシアにも同じ地名があるけど)に入ると、今までの街とは全く違うのだ
小汚く泥臭い雰囲気、活気と人に満ち溢れたギンギラギンに熱いストリート。
そう、これぞアフリカなのだ!!
かつての黒人の国・Transkeiトランスカイに入境したのだ
トランスカイは、南アフリカ内にあった独立国のひとつだが、これは南アの白人らがアパルトヘイトの国際世論の批判をかわし、自分たちのメンツや利益をたもつために都合のいいように仕立てられた傀儡国家でしかない。
南アを旅していくうちに、アパルトヘイト時代の南アは、本当にロクでもない国だったことが、改めてわかる。
かといって、差別された怨念が爆発し、治安が急激に悪化している今の南アもいいとは言えないが。
旧トランスカイの中心都市、Mthatha(ムタタ)に到着。高い近代的ビルもあるが、Butterworth同様、中心街は人と活気に満ち溢れている。
なによりいいのは、他の都市で感じたギラギラした殺気や、危ない視線が感じられない。白人が定めたトランスカイとはいえ、やはり自分たちの黒人領に誇りを持っていることがひしひしと感じられ、人々も黒人本来の、のびのびとしたフレンドリーさを感じることができ、うれしくなる。
さて、ここムタタで少し休むぞと、ゲストハウスを訊ねたが、一番安いゲストハウスでも、アジアの安宿のような古くて狭い部屋で200ラントもするなんて、話にならない。
そして、住宅街にあるPrestwichというゲストハウスを訊ねると、部屋は清潔で良さそうだが300ラントする。
そこで、「ゲストハウスの敷地内でキャンプできるだろうか?」と頼んでみた
そしたら、おかみさんからOKが出て、一泊50ラントでいいかと聞いてみたら、それでよいとのことだった
走行415km
12月18日
いろんな人たちと話しているうちに、もう一泊する事にした。
洗濯物もアイロンしてくれた。その心遣いがとってもうれしい!
くそあついテントの中で今後の旅プランを練りまくる。
11時ぐらいに少しヒルネしてしまった
その後、ムタタの街で買い物。街をぶらぶらする。黒人の街なので、とにかくアフリカン。
店から大音量で流れるキリスト賛美の怪しい黒人音楽。
段ボール箱をバランスよく頭に載せて買い物帰りのおばちゃん。
軒下の露店の買い食いも楽しい。
ゴルフボールを大きめにしたぐらいの、ミニサイズのりんごや桜桃が売られていて、1ケ1ラント。でも甘くておいしい。
釣り用のクーラーボックス一つで身軽に商いをするソフトクリーム売りのおばちゃん。
クーラーボックスの中にはソフトコーンと、市販の2L入りのアイスクリームが入っているだけで、それを盛り付けるだけのものだが、1つ4ラントと安い。
少し溶けかかっていたが、安くてうまいので2つ食べた。
この町でもChinaShopと書かれた中国商店が何軒かあり、雑貨等のみならず、自転車や家電品も売っている。
意外と10代ぐらいの若い男や女の中国人も多く、とくにかわいい女の子が一人いて、まるで日本の女子中高生みたいだったので、黒人や白人ばかり見てきた自分は思わず見とれてしまった。
夜は、「雨が降るぞ」という忠告どおり、激しいStorm。テント内の両端が漏れる。
ひたすら狭いテントの中でうずくまるが、21時になって眠くなって横になったら雨も止んでホッとする。
走行16km
12月19日
5:22起床。23度と生あたたかい朝。
宿のみなさんに別れを告げて、7:45出発
黒人領のトランスカイから、クワ・ズールーナタール州(KZN)に入ると、またもやいろいろ変化する。
トランスカイの国道沿いは、のびやかな放牧地に円錐形などの伝統的民家が点在する牧歌的アフリカな風景なのだが、KZNに入ると牧場風景から森林地帯へといっきに変わる。
民家も見かけなくなり、森の中に時たま見える建物も無機質だし(というか、普通の南アスタイル)し、なんと白人のヒッチハイクも見かけた。
トランスカイは、国道を突っ切るように村が点在していたが、KZNではバイパスのように町を迂回する。やはりトランスカイはかなり独特だった。
正午頃なので日差しも強くかなり暑い。
ダーバンの手前の町、Umkomaas。何の変哲もない海岸の町だが、うんこまーすという地名、絶品。写真をいろいろ撮る。
そしてダーバンに到着。ケープタウンより有名ではないが、まるでマンハッタンのように超高層ビルが林立し、ケープタウンよりも断然大都会だ。その分治安も悪く、暗くなる前に宿を探さなくてはならない
夕方、テクウェニというバックパッカーズを見つけて泊まった。
摩天楼が立ち並ぶ大都会ダーバンの、東京で言えば麻布や白金台のような高級住宅街の中にある。月並みなバックパッカーズだが、ゲートの閉まる音がうるさかった
走行492km
12月20日
6:45起床。ケープタウンを出てからというもの、早寝早起きの規則正しい健康的な生活が続いている。いいことだ。
南半球では今が夏至に近く日も長いので、朝早くから夜遅くまで走ることができ、効率がいい。
ダーバンからはN3で北へ進路を変え、首都プレトリアに行く。標高も上昇する。
ダーバンから60kmのピーターマリッツバーグに到着。
ここのTakeawayの店で昼飯を買うとき、気のいいインド人店主と話をした
「日本から来たのか。ハイテクで便利じゃないか。
見てのとおり、この外の通りはゴミだらけだ。でも日本ならゴミが落ちてないとてもクリーンな街なんだろうな。日本に行って見たいわい」
「いやいや日本でも都会の街中だとそれほどきれいでもないですよ。でもこの町よりは日本のほうがきれいですけどね。」
と、お世辞と事実を両方云っておいた。
今日もひたすら走り21:20、「ウルトラシティ」というガソリンスタンドとコンビニとファーストフード店の複合施設に着いた。日本で言う高速道路のサービスエリアだ。
日本のように、駐車場の端で野宿しようとすると、ボーア人らしき白人のおっさんがやってきた。
ちょうど彼に「ここで寝てもいいんでしょうか?」とたずねてみると、「いやー、わしらもここで寝るんだよ」
といって、毛布をしいて野宿していた。さすがだ。野宿の同志である。
彼らに負けじと自分も野宿。ほかに野宿してる人がいるおかげで心強かったし、標高が高いわりに(1660m)寒くも暑くもなく、カも居なくて快適に野宿できた。
走行425km
12月21日
5:40起床、7:28出発。今日は明るいうちにプレトリアを目指す。
途中、南ア最大のタウンシップ(黒人居住区)ソウェトに寄って見た。
なるほど、全く白人や有色人種は歩いていない。完全に黒人だけの世界だ
単車で通り過ぎるだけなのでまだいいが、自分ひとりあるいていたら明らかに目立つだろう。そう思うと不気味だ。
ソウェトというと、貧しく悲惨なイメージがするが、住居にもピンからキリまであるようで、日本の郊外の住宅街の一戸建ての家のようなものもあれば、錆びたトタン屋根と石で重しをしたようなボッロボロの掘っ立て小屋もある。
そんなソウェトの中にも最新のショッピングモールがあるのにはおどろく。
夕方、プレトリア近郊のバックパッカーズに到着。
連日ずっと走りずめだったので、ここでスペアパーツの補充や両替、雑務や休養のため何日か滞在する。
走行449km
12月22日
8:40と、おそめの起床。といっても部屋が暗いので何時だかわからず。
きのう安心して食いすぎたせいか、ゲリが4回。
しかも昨夜はうるさく、しかもベッドに虫がいるのか猛烈にかゆい。蚊もいたので散々だった。なので、今日からはドミトリーではなくキャンプする事にした
宿の裏側にひっそりとテントを張る。これはある意味、激安の個室なので思いのほか落ち着く。
昼頃、テントの中でPC作業。デジカメで撮りまくったデータをDVDに焼く。バッテリー残量も問題なくほっかほかの焼き立てDVDが完成。
その後チェーン調整とオイル交換、余ったオイルはチェーンに塗る。
伸び伸びになったチェーンを張ったら異音もなくなり、調子もよさげだ。
12月23日
9:50ごろ起床。昨日早く寝たのにおそ起き。ここまでの疲れが溜まっているんだろう
建物の間の日差しの悪いテント場なので、テント内は昼でも25度と暑くもなく快適。
一人でのんびりできる時間もなかったので休養するのも好かろう。
単車を走らせ、Amexの両替所を探しにプレトリア駅前のInfoへ。
Amexはプレトリアのダウンタウンではなく、MenlynParkというかなり外れの大型ショッピングモールにあるとのこと。
自分の単車があるので問題ないが、自分の足がないと、南アはとても旅しずらいだろう。
その後プレトリアの下町へ寄る。アジアと違って安飯屋がないのは苦労する。
やっとの思いで見つけた食堂は当たりだった。
メニューはPap’n Chicken(or Beef) パパンビーフ。
黒人主食のウガリに、チキンまたはビーフのトマトソース煮込み、たまにビーンズや菜っ葉のサラダがついてくる。黒人家庭の代表的な食事である。
15ラントと安くうまく、なにより低ビタミン・高脂肪・高カロリーのファストフード系の白人食に比べて、断然栄養のバランスがある。
テーブルが2つあるだけの小さな食堂なので、黒人しか入らず、東洋人は私だけだ。だが、そんな私をスタッフは気に入ってくれたようで、「また明日も来てね!」と言われ、プレトリア滞在中はいつもそこに通うのだった
その食堂のテレビから、ナイジェリア映画の予告編みたいのがよく流れていたが、それがオカルトものにせよラブコメディーにせよ、怪しく、狂ったものばかり(笑)
低予算製作なので、オカルトもののCGが安っぽくて笑えた。まるでモスラやザ・ピーナッツの時代のような映画の黎明期ぶりだろうか
そしてやたら音量バランスが悪いので、それが余計におどろおどろしているのだ。
これを今の日本の子供に見せたら、きっとトラウマになるだろうな。
そのごMenlynショッピングモールを発見。これから先の国のために、アメックスで米ドルのTCからラントのキャッシュを多めにつくっておく。
日本と変わらぬ近代的ショッピングモール。気分はすごくいい。
夜中に土砂降りが降って、外側のフライシートと内側のインナーは雨が入らぬようにめいいっぱい離したのだが、テント内の両端に水が溜まる。テントの表面にはドロがついて、めんどくさい。
12月24日
午前中、Centurion(センチュリオン)という町にあるホンダのディーラーにて頼んだスペアパーツを受け取る。これからパーツ供給でまともな国は無さそうなので、足りないと大変だろうし、かといって余らせると無駄になるし荷物にもなる。難しいところだ。
今夜はクリスマスイブだ。でも一人テントのなかでさびしくすごす。
イヴだからしゃーないのだろうけど、夜中2時ごろまでうるさかった。明日もクリスマスだからうるさそうだ。
でも、ここでのんびりしたい気持ちと大みそかまでにザンビアのビクトリア滝にたどり着きたいと言う気持ちが交錯する。
プレトリアでの用事も済んだし、休みだしたらキリがない。早く次の国、ボツワナに行きたい。沈没するには早い!?
12月25日
7:30起床。やはり今日プレトリアを出ることにする
クリスマスなのでどこもかしこも休み。退屈なだけなので出発して正解だった。
でもレバノン料理店だけは開いていた。さすがイスラムの国だ。
クリスマスなんてくそくらえってことで、レバノンではポピュラーなSchwarmaシュワルマを頼んでみた。
シュワルマはスパイスの効いたひき肉や野菜の具をパン生地にくるんだもので、メキシコのブリトーやタコスに似ている。うまい。
でもそれだけじゃ足りないのでChips(フライドポテト)も頼んだ
今日はひたすらメッタメタに走る。さもなくば不完全燃焼だ、ということで夜になっても走り、22:35にボツワナとの国境まで来てしまった。
その夜はボツワナへの国境の手前の茂みの中で野宿。
ここまでくれば強盗もこないだろうし、国境警備隊もいるので治安的には問題ないだろう!?
487km走行
「ボツワナ入国」
12月26日
6:20起床。7:50出発。
8:06、国境にて出入国手続き。詳細は以下のとおり
南アフリカ出国
人:問題なし
車:書類提示は無いが、登録ディスクのチェックあり
ボツワナ入国
人:ビザ無料、特に問題なし
車:合計費用 P120約1800円、(第三国へ行って戻る場合、すなわち往復だとP160らしい)
内訳:通行許可料50
保険(3ヶ月有効)50
交通安全税20
出国から入国までの所要手続き時間は、1時間強だった。
晴れてボツワナに入国だ!
国を越えると、通貨が変わるぐらいで、南アと変わらない。
南アはアフリカーンスと英語の併記だったりしたが、ここでは英語中心なので微妙に違うか。
そして、南アからボツワナに入った途端、車の流れが遅くなった。
町はたいした交通量じゃないのにやたら信号が多く、いらついてしまう。
国道を80km/h巡航してもそんなに追い越されなくなった
ボツワナはダイヤモンドなどの地下資源でうるおい、アフリカの中でも財政の豊かな国なので、首都のハボロネに着くと、日本のように信号が多く、アフリカとは思えぬほど近代的なビルが並び、まるで日本の県庁所在地のみたいだ
ハボロネは、アフリカで最もアフリカらしくない首都といういわれがあって、計画都市ゆえに面白みに欠けるし、滞在中はボクシングデー(といってもスポーツのボクシングではない)と週末が重なり、店はしまっている店が多く、はっきりってつまらん。
日本だったらこういう年末の時期こそ書き入れ時なのにだが・
スーパーしか開いていないので食糧を買ったら、ハボロネ唯一のキャンプ場・Citi Campでのんびりするのみ。
でもこのキャンプ場は随所に電源があって、電池の充電やテントの中でパソコンもできるし、なおかつ宿泊者が少ないので昼間などはとても静かで落ち着くのだ。
174km走行
12月27日
標高1000m、真夏の軽井沢のように快適だ
以下作成中
2009-08-22 竹馬で縦断か、人力車一周か

ねぶたに参加して叫んで跳ね回ってスカッとするのはもちろんだけど、
なによりねぶたキャンプ場では、日本全国、さらに世界から面白く粋のいい旅人がばんばん集まるので、これがとてもいいのだ!
その中でも、今年はさらに常識を超えるような面白い旅人がいた。
「竹馬で日本縦断」
「人力車で日本一周」
共通するのは、
二組ともアベックである
二組ともねぶたキャンプ場に行き、ねぶたに参加していたこと。
竹馬も人力車も、徒歩よりもおそい超スローな旅。
女性のほうはどちらも美人でかわいい(笑)
「なんでこんなおかしなことをやる女子がこんなにかわいいんだろう?」
とは、さまざまな旅人を取材している元世界一周チャリダーX氏の弁。
まずは、竹馬夫妻。奥さんも美人。
彼らもねぶたキャンプにも泊まっていたが、私がはじめて出会ったのは8月9日のいか焼きの村の手前3kmぐらいのところ。
単車で走っていたら、なぜか竹馬で二人が歩いているのを発見!なんじゃこりゃ!と思い、すぐUターンして彼らの前に戻りました。
話を聞いてみると、どうせ日本縦断やるなら竹馬でやってみよう!という冗談のつもりが、本当に竹馬でスタートしてしまったという。
だんなのほうは日本語の話せるオージー。なのでオーストラリアの話でもしようかと思ったが、自分は時間がなく、大変な旅をしている二人のじゃまをするのもあれなので、10分程度話しただけでお別れしてしまったのがちょっと残念かな
竹馬ブログ
http://www.savepongo-japanese.blogspot.com/
新聞記事
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090530/trd0905301943014-n1.htm
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2009/20090814201624.asp
人力車のほうは、奥さんはスーパーかわいかったです。
そのラブラブ度は、もううらやましいぐらいに。
夫は寛黙な反面、奥さんはよくしゃべってた。
ブログを読み進めてみると、本当に博愛的というか性善的というか、純粋なまでにポジティヴ。
だから奥さんから心から愛されるのね。
ねぶた祭りではねぶたの曳き手も体験。確かに毎日人力車曳いているしね。
日本文化と人間を愛する真性日本男児。
人力車ブログ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2627923
新聞記事
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2009/06/17/new09061709top.htm
2009-08-11 ねぶた@シンガポールスリング

先日ねぶたから帰ってまいりました。
跳ねるのはもちろんのこと、ねぶたキャンプは想像を超える面白い旅人が集結して本当に楽しいです。夏に合わせて日本に帰ってきた甲斐がありました。やっぱ夏は祭りだ!
今年も私はひたすら国道を走り、バス停や道の駅で野宿しながらの青森ねぶた貧乏ツーリングでした。使った合計金額は11日間でたったの22000円!この貧乏旅スタイルは十代の頃と変わっていません
アフリカのヘタな安宿よりも、屋根付きのバス停の方が快適だったりします。日本は治安がいいし、設備が整ってキレイだからホッとするね。
12月1日より7月15日までアフリカにいて、3日間ぐらいシンガポールで過ごした後、先月20日に帰国しました。
なので今年のねぶたは半分外人状態で出動しました
そのシンガポールのブギス(Bugis)駅近くにあるショッピングセンターの中に「恵比寿星商店街」という大きな日本食レストランがあり、そこの店の前にはなんと、ねぶたが飾られているのであります
ねぶたを愛する私は、長いアフリカの旅の後に、しかもねぶたが来月ということで、この異国の地で見るねぶたに独りで興奮!
そして先日本場の青森で内山龍星氏のねぶたをみてもう一度興奮したのであります。
PSここで食べたミニラーメンとうな重のセットは、16シンガポールドルと高かったけどおいしかったよ。ぜんぜん日本と変わらん。
2009-07-27 帰国後あれこれ

シンガポールの事やアフリカのことを書くつもりだったが、気がつけば書くことがものすごく多すぎる、
そのうちアフリカツーリングについては自分のHPに載せるけどね。
とりあえず、帰国後のことを書きます
7・26
今日は柏ねぶたに参加。3年連続である。しかも今日はひさびさの夏らしい天気。気分も高揚。
柏ねぶたは自分にとってねぶたファンになるきっかけとなったものだし、(柏では跳人も観客も一緒に跳ねて叫んで盛り上がれるので)青森ねぶたに行く前の前哨戦のようなものだ
思えば、2月のケニアの真夏の赤道熱帯ビーチではねぶた日記を作成して今年のねぶた参加に思いをはせていたし
今月の上旬ナミビアの荒野を走っているときは、来月はねぶただ!とヘルメットの中でラッセラーと発声練習をしていた
それだけねぶたは胸踊る祭りなのだ。日本のカーニバルである
そんな待ちわびたねぶたなので、狂ったように跳ね叫んだら、思いっきり声が枯れてしまった。
でも声が枯れるまで叫んだのは、完全爆発した証拠。大成功である。
今年はアフリカで手に入れたペンダントや腕輪を身につけ、アフリカンパワー全開で挑むのだ。
しかしこの後の二次会では、ともすけとかねごんが私の使ったアフリカのペンダントをつけたまんま帰ってしまうハプニングもあったが、跳人も観客も一緒に盛り上がる柏ねぶたは実にいい。満足の夜だった。
7・23
ケーヅデンキで持ち運び可能な外付けハードディスク320GBを買った。HD-PFU2-BKだ。
8200円ぐらいだったか
PCに入っていた写真やファイルは60GB 分だが、充分余裕がある。
以前買ったときは80GBで1万以上したけど、時代の進化は、偉い。
日本のハイテク製品は質の良いものがたくさん売っているので、帰国したらいろいろ買うぞと期待していた
それだけ旅先でこわれたりしてたってことね
7月22日
皆既日食。この日のために私は帰国をしたのである
でも曇って雨が降ってで日食もくそもない。
だけど日食の間、おぼろげながら空が夕方のように薄暗くなったのが判った
夕方からは今年初のママチャリをこいで熊谷うちわ祭りを少し見物。
この日は陰湿な天気で、次第に雨が降ってきて、人もまばらで、まるで盛り上がらなかった
日本一の暑さを売りにしている町なので、これじゃあちっとももうからないのではないか。
やはり祭りは夏らしく暑くなくてはダメだ。
(そういえば、昨日のラジオ聴いてたら天気予報では東京33度、熊谷では35度になるでしょう、と言っていた。このとき東京と熊谷の気温しか言わなかったから、この町もずいぶんと存在感が増してきたものになった)
R17の歩行者天国も9時で終わる(以前は10時だった)
しかも、うちわ祭りのオリジナルのうちわは百円出さないともらえない。
バブルのころはタダでたくさんもらえたのだが。不況なのか
7・21
8ヶ月ぶりの帰宅。
家はとくに変わってはいないけど、でも自分はまだ半分外人。
こないだまで、ちっとも落ち着かないドミトリー(相部屋)や、うるさい安宿、そして野宿と言う日々だったのでやっと落ち着く。
アフリカでは上記の他にも、強盗だのという治安の悪さに絶えず闘いながら過ごしていたので、治安がいいということは、なんともありがたいことなのだ。
2009-07-20 ついに日本に戻ってきた

7月20日、ついにアフリカから日本に戻りました
1999年7月から10年遅れで恐怖の大王がやってきたのだ!(うそ)
7月15日にケープタウンを去り、途中のシンガポールで4日ほど過ごした後、成田に到着。8ヶ月もの過酷なアフリカからひさしぶりの日本に帰還したとあって緊張と興奮してしまう
空港の駅からK成電鉄に乗る。近くには野球部員の男子高校生が4人ほどいたが、日に焼けて色黒で坊主頭の彼らを見て、思わずコイサン族(ブッシュマン)を思い出してしまった(笑)
大佐倉の駅に停車すると、セミの鳴き声が聞える。まるで田舎の夏休みってかんじだ
シンガポールはもっと蒸し暑かったが、日本のほうが四季があるのでより夏らしさを感じる
乗客の顔は、シンガポールに比べれば、遠めで見れば顔つきはそんなに変わりはないが(シンガポール人は華僑が8割近く占めるので)
日本人(というより千葉県人)のほうが彫が深く、男も女も肌が白い。私の肌はシンガポール人並みの焼け方だ
反対側の座席では、女子大生ふうの若い女性が寝ていたのだが、寝返るあまり見ず知らずのとなりの男に寄りかかっているではないか
まあ、通勤していたころは見慣れたシーンなのでどうも思わなかったのだが、アフリカから帰るとやたら奇異に思える
日暮里についても、まだ日本モードに戻れない。自分は日本人なのにかかわらず、帰国した直後なので、半分外人である
下町情緒あふれる谷中銀座はなんと外人のバックパッカーも歩いており、まるで日本に帰った、と言う実感が湧かない。谷中銀座には何度も行った事があるというのに関わらず。
なんだか日本にいると言うより、シンガポールのチャイナタウンをしっとりとおとなしくしたような場所にいるような、どこかの国のリトルトーキョーっぽいところにいるような、舞台のセットのなかを歩いているような不思議な気分だった
そして、谷中銀座の通りを外れ、誰もいない路地を歩いていると、背後から日本語が聞えた「あ、日本人だ」と思わずつぶやいてしまった。
あたりまえだ、ここは日本だっつうの
2009-06-27 いろんな民族が歩いてるよ

えー、私はいまアフリカはナミビアの奥地にある町、オプウォにいます
ここはとても不思議な町で、こうしてパソコンを打っている宿の外に出ると、いろんな格好をした民族が歩いてるゾー(笑)
日本のみなさんとやりとりしているすぐそこで、太古からの衣装をしたヒンバ族や、クラシカルな服装のヘレロ族が歩いているのが、われながらとてもおかしいのですが。ようするにチョンマゲと袴を着て歩いてるのと同じです。
でも他のアフリカの町同様、普通にセーターとGパンなどの洋服を来て歩いている人もいるし、テンガロンハットとベストを着た、西部劇に出てくるようなかっこうしたヘレロ族の渋〜いおじさんもいる。それらがミックスして混在しているこの町は本当に不思議で面白い。
このネットの最先端のハイテクと古くからの生活様式。そのギャップがとても愉快です。だから旅は面白いのです
(でも、ラオスのネットカフェにいたときは時は、近くに坊さんがネットしていたし。そんなバーチャルと実世界の調和がすごい)
さて、5月のジンバブエ以降、帰国も迫り、毎日が多忙すぎる為、ネットをする余裕すらなかったのですが、
このオプウォの宿(ABBA GuestHouse)では無料でラップトップ接続できるのでひさしぶりにネットしまくってます。
でも欠点として、一旦ネットをやりだすと麻薬のようにはまってしまい、旅の貴重な時間がどんどんむだになってしまうんだよね
心配していた方、この場を借りてお礼申上げます
でも心配してくれる人がいてちょっとうれしいです。
今まではかなり孤独な旅でした。
100兆ドル札を出して経済崩壊したあのジンバブエに入国したり
世界一危険な都市・ヨハネスブルグに突入したり
南アフリカ・キンバリーの町外れで野宿したら、アフリカのくせにテントが凍るほど寒かったり
こないだナミビアで前輪タイヤがパンクして大転倒して傷だらけになったりと、
相変わらずトラブルだらけの日々です
大転倒は、重傷ではないですが、軽傷か中傷(笑)ぐらいにはなっています。
ジンバブエからは、とにかく走りまくり、モザンビーク、スワジランド、南ア、レソト、南アそしてナミビアにいます
気がつけばアフリカ大陸横断です
南緯17度のオプウォでのんびりしたあとは、最後のたたかいとして、南緯33度のケープタウンに向けて一気走りして南下します
(北緯と距離に直すと、フィリピンのルソン島から沖縄を経由して福岡にいくのと同じだ)
2009-06-25 世界遺産をひとりじめ

先月の話になりますが、グレートジンバブエ遺跡に行ってきました
といっても、本当は行く予定は無かったです
このグレジン遺跡に寄ってしまうと、400kmも余計に大回りしなくてはならないし、石がつみ重なってるだけの場所なのでアジアやエジプトの遺跡を見慣れた人があまり期待していくと肩すかしを食う恐れも。。とガイドブックに書いてあったので、わざわざ行くほどのものでもないと最初から無視していた
しかーし、渓流浴ワニーさんが是非行きたい場所、とおっしゃていたので、その遺跡がみょ〜に気になりはじめ、首都のハラーレだけ訪れてこのままモザンビークに戻っていいのか、なんかもやもやするっ、ていうことで、あえて行く事にした
のっけから大トラブル。この国は道路標識がいいかげんなのでなんとえらい方向に走ってしまった。道なりに走ったのに関わらず迷いに迷って、結局ハイウェイに戻ったのが午後。200kmも余計にロスしてしまった
おそらくこの国の経済が壊滅したさいに、やけくそになって道路標識なんかも勝手にすっこ抜いて盗んで家屋の修理の足しにしたんでしょうか。日本では考えられないが。しかも国道を外れると、標識とかもほとんどないので、まるで迷路。自分がどこ走っているのか全くわからないから恐ろしい。
しかもハイウェイに戻る道だ!と思って喜んだら行き止まりになってたり、ひどいダートになってたりとか。
その分、日本と違って信号も渋滞もほとんどないのでペースが速く進め、気がついたら200kmのロスって感じでした。さすが大陸!
その日の夜、ハラーレから遺跡に近いマシンゴの町まで結局509kmも走ってしまいました。なんとか到着するも、あざ笑うかのように街は全部停電。真っ暗闇でどうしようもない。トラブルだらけのジンバブエ、そしてアフリカは本当に疲れる。
街灯も全く無い暗闇なので、星空がはっきり見えて、天の川まで見えたのが唯一の救いだった
翌朝、グレートジンバブエに着くと、人の気配が全く無い。これが本当に世界遺産なのだろうか
これでもジンバブエの国名の由来となった、ジンバブエ一の世界遺産なのかっ!
日本だったらどんな観光地でも、とりわけ世界遺産レベルなら観光客でひしめいてるはずなのに。
経済も大分回復したとはいえ、恐ろしい、悪い、と言うイメージが出来てしまい旅行者がジンバブエを避けるようになりましたし。
受付に行って名簿を見ると、先日の入場者はなんと。。。。。
13人しかいない(笑)
入場料の大金15US$を払い、城砦に登ったり、円形サークルの中に入ったりした
といっても本当に石がつみ重なっただけの、本当に本当にたいした事無い遺跡だった
「思ったとおり、たいした事無いなー」
しかし、そのたいしたことがないおかげで、見わたしてみれば、この遺跡内には、私のほかにまったく誰もいない。
余計な観光客がいないおかげで心ゆくまで遺跡の世界を堪能できる。なんだか自分がグレートジンバブエを支配している気になり、石がつみ重ねられただけの風景は、よくよく考えれば古代中世の世界に似ているので、まるでRPGの勇者になったみたいだ。
遺跡を見学と言うよりも、遺跡の中で寝転がったりしていにしえの世界に浸ってリラックスするようなところかもしれない。
濃厚でうるさくてくどいアフリカ社会にいたどっぷりひたったぼくにとって、グレートジンバブエ遺跡で心が洗われた。
退屈な遺跡が転じて、思いもよらぬいい場所となった。
2009-05-16 100兆ドル札のジンバブエに入国!

現在ジンバブエの首都ハラーレにいます
さて、みなさんも知っているとは思いますが、この国は白人追放政策をして経済破綻してしまい、めちゃくちゃなインフレのため、なんと1000億ドル札までだす(後日100兆ドル札までだしたと知り、さらにぶったまげる)という狂った国になってしまい、物も無くなり、コレラや餓死者まで出てしまいました
なのでてっきり北〇鮮のような国だとおもってしまい、アフリカに来る前はかなり恐れてました。だけど他のアフリカ諸国を旅しながらジンバブエだけを穴を開けるわけにはいかん。というかむしろどんな状態なのか見てみたいぞ!
ってことでジンバブエに入国したら意外や意外、スーパーでは南アフリカと変わらぬぐらい物があふれ、ガソリン(1リットル1.08ドル)も手に入る。
車もたくさん走っている。高級車もちゃんと走っている。白人もいちおう普通に歩いている。
てっきり北朝のような死んだ国だと思っていたので、あまりの普通ぶりに、あっけにとられる。
正直言って、マスコミの報道と、実際の目で見るのは訳がちがいましたね。
連立政権になって、最近になってインフレが止まらずクズのようなジンバブエドルを廃止、米ドルと南アフリカの通貨ラントがジンバブエの通貨になってしまったのを入国時に知ったほど。経済がどん底から戻り、物資が再び増えたのもそのためであろうか。
スーパーや商店での買い物は米ドル。まるでアメリカみたいだが、1ドル以下のお釣りは南アのラントで返ってくる。
例:3ドル50セントなら3ドルと5ラント硬貨、または1ドル札と20ラント札と5ラント硬貨。
紙幣やコインも輸入してるのでお釣りも不足し、レジは混雑する。
ちょっとしたお菓子などは2つで一ドル、などキリがよくなっている
首都ハラレは高層ビルの並ぶ近代的な大都会だ。高層ビルの多さではナイロビの方が上回るだろうが、クラシカルな高層ビルがあるあたり、ニューヨークを思い出す。
しかもジンバブエの住宅街や田舎はオーストラリアの田舎町を思い出すぐらいクラシカルで品格があるぐらいだ。
かつての沈没系日本人宿、ジャカランダロッジは日本人、というか旅行者全体がいないようで、しかも15ドルに値上がりしている。
これじゃあ昔のように沈没はできない。
少し離れたセーブルロッジに泊まっていますが、20ドルのところを10ドルに値切って泊まっています。
このセーブルロッジもかつては白人旅行者が多かったけど、今や旅行者は私や現地の人だけで、他の部屋は空き室だらけです
経済も回復したのに、旅行者はまだまだ避けて通るようです。
ジンバブエの治安は危ないけど、おおらかで親切な人もいる。
なので自分的には、ジンバブエの印象はなかなか悪くないですな。
しかも、ネットカフェは20分で1ドルと安くないけど、回線も早く、満足。
2009-04-24 ナイロビで夏が終わり、読書の秋

(いまから2ヶ月前の話になりますが)1月28日から一ヶ月あまり、ダルエスサラームを初めとした標高0mのCoastにいたので真夏のさかりだったのですが、2月21日にやっとケニアの首都のナイロビにつきました
高原都市ナイロビは標高が1690mもあるのでじつにすずしく、真夏からいっきに秋になった気分。
ナイロビではニューケニアロッジ(以下NKL)に泊まっていた。
ケープタウンのキャットアンドムースもそうだったが、ここも日本人が多く泊まるけど、白人やアフリカ人も泊まる半日本人宿である。
アフリカにいると活字に飢えているのでひさしぶりに読む日本の本は格別である。
まあ、ネット環境もあるこの旅では昔ほどではないけど、ネットも無かったときなんかもっと活字に飢えまくっていた。インドのニューデリーとかコスタリカのサンホセにあった日本センターのようなところでひさびさに日本の本を目にしたときは、乾いたスポンジに水が吸収されるかのようにむさぼり読んだものじゃよ
ここNKLで読んだ本や雑誌は
「深夜特急3・インドネパール編」「ぐうたら生活入門(遠藤周作)」「帰ってきたもてない男」「Courier Japon」「女性自身」
置いてる本が、もてない男だのぐうたらだの、ってところが日本人宿っぽくていいね。
人から読ませてもらった本がSFパロディの「日本以外全部沈没」
しかし日本人宿にはどういうわけかよく女性週刊誌が置いてある
その時読んだのが2007年9月初めの女性自身だった。
さすがに日本だと、大の男が女性週刊誌を立ち読みするのははばかられるので、こういう機会に熟読す。
「DVDで出会える私だけの王子さま」なんて記事は、中年女性が、10代の少年俳優に「萌え〜」だの「甘いマスクにドキドキ」だの「母性本能くすぐられる」なんてざまは、男も女もおたがい様なのね。
「新宿ルミネの姉的使い方」と言うフレーズを読んだときは、かなりノスタルジーを感じたね。なぜなら07年9月当時、自分も新宿で働いており、昼休みなんかよく新宿ルミネに寄っていたからだ(笑)
西牟田靖氏著の「僕たちの深夜特急」を読んでおきながら、原作の「深夜特急」は読んだことがなかった。
深夜特急を読もうと思っても、図書館においてなかったりしてなかなか機会が無かった。
ちょうど自分も9年前、インドからロンドンまでユーラシアを横断した。深夜特急のルートもインドからロンドンだ。
今回はアフリカの旅であるが、かつての沢木耕太郎のように、自分もナイロビではチャイを飲み(インド移民のえいきょうでケニアでもチャイはポピュラーだ)少女の乞食につきまとわれ、服を買うのにも値段交渉をし、どぶのような道を歩いて足元が汚れる。
読んでいるとまるで深夜特急の旅とシンクロしている気分になった
と、なんだか全然アフリカらしくない日記でした。
2009-03-06 ロシアンルーレット牛乳

えー、現地の黒人しか入らない安食堂で、爆裂的なハエがたかるニャマチョマやスクマ、ウガリを手づかみで食い、出されたぬるい生水もガンガン飲んで、元気ハツラツオロナミンC!と云える位元気なアフロずらです。
といっても、いつも元気とは限りません。たまにわけのわからんトラブルが起きたり、泊まってるところがひどかったりするとうつ気味だったりします
ケニアのお菓子やさんでは、ケーキやお菓子とともにパック入りの牛乳も売られていて、ケーキやお菓子を牛乳と一緒に食べる人も多い。それだけ牛乳が親しまれてるようですな。
さて、スーパーで買った500ml、27ケニアシリング(39円ぐらい)で買った袋入り牛乳。賞味期限があさってまで大丈夫なのに関わらず、いざ開けて飲んでみると、味が変なのだ。
ちょっとすっぱくて、半分牛乳の味で半分ヨーグルトの味がするのだ。
つまり、くさってるのだ。
なんで賞味期限前なのに、くさっとる牛乳売りつけんねん!
と、日本だったらクレーム物だが、アフリカなら
「そんなこと私に云われても困るわ。だからといってあなたを助ける事なんてできませんのよ」
「まあまあ、のむヨーグルトだと思って飲みなされ」
といわれて相手にもされないのがオチだ。恐るべしアフリカ。
アフリカでは、牛乳は3〜4個に一個の割合でくさっている。
ということは、ロシアンルーレットよりもひどいやないけ!
前回のくさった牛乳は、ザンビアで買ったのだが、それなんかモロにくさっており、まるでヨーグルト。飲むヨーグルトと間違えて買ったのかと一瞬思ったが、ちゃんと「フレッシュミルク」と明記してあった。
新鮮なのに腐ってるなんて、詐欺ですか?
そして怖ろしい事に、袋には賞味期限が明記されてなかったのだ!これじゃフレッシュなのか腐っているのかわからんじゃないか!
「はい、この牛乳はくさってません。よかったですね。」
「はい、この牛乳はくさってます。残念でした〜」
と、客にロシアンルーレットをしろというのか!
まあ、少し飲んでみると味はブルガリアヨーグルトに似てなくもないので、全部飲んでみようかとも考えたが、その後、げりピー音頭にのたうちまわるのもいやなので、結局しかたなく捨てたという苦い経験がある。金返せーっ!
で、今回の半ぎゅうにゅ半よーグルは、
ザンビアとちがって飲めなくもなさそうなので、金を出したのに前回のように捨てるのはもったいないし、何よりシャクにさわるので、勇気を出して全部飲んでやった。
そしたら・・何時間後かに軽い下痢になってしまった。
まあ、このアフリカでは、こうして無事に生きているだけでもありがたいと思おう。(泣)
なによりの収穫として、ちょっとぐらい腐った牛乳を飲んでも、軽い下痢程度で済むということが、本日の人体実験で証明されたわけだし(大泣)
2009-02-13 真夏のアフリカで、なぜかねぶた

ここまでの道中、ずっと黒人ばっか、たまに白人、ごくたまに中国人を見るだけの生活なので
ここに来てひさしぶりにネットにアクセスし、フラッシュ広告をみると、
そこに写っている日本人の顔に妙に注目しました。
最先端の黄色人種の男は黒縁メガネと長髪、なんだなあと思いました。
日本にいたときは全然何も感じなかったのですが、黒人ばかりを見てきた目にとってはひさしぶりの日本人は新鮮に映るのだああ!(笑)
さて、今は2月ですが、ここは南半球なので季節では8月です。8月上旬といえば、ねぶた祭り!
灼熱の太陽の暑い日ざしを浴びていると、真夏の熱狂的なねぶたのことがよみがえるのよのね。
ということで、すっかりほったらかしてた去年のねぶた日記を、なぜか今更ケニアにてアップロードさせました
遠いアフリカでねぶたのことを考えながら、みんなのことを考えながらPCで作業をするってのもいいもんですな。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/nebuta08.htm
ぶっちゃけ、アフリカの旅、とてもつらいよ!
でもそんな旅の途中に快適な場所でじっくり休養し、こういう作業をするのは気分転換になる。
2009-02-06 アフリカ・ケニアより

2ヶ月以上ぶりの更新です
えー、現在アフリカにいます。去年の12月に南アフリカで二輪車を購い北上、ついにケニアとやってきました
一部の人たちの間では、死亡説まで流しているのではないかと思われますが、ちゃんと生きてます。
なぜなら、日本にいたころは即レスするほどネットしてましたが、今はその反動であえてアフリカに来てまでそこまでネットはしません。旅の毎日も意外に忙しいですし。ネットって、やりだすとキリがなくなるんですわ。
日本のことを忘れて裏島太郎状態になるのもいいもんですね。
薬にもなればストレスにもなるネットの波に揉まれるより、マラウィ湖やインド洋の波の音を聞くほうがいやされます。
あの〜、真冬の日本で、日々の長時間労働に耐えているみなさんには申しにくい事ですが
私は現在ケニア南部のディアニというビーチの、かやぶき小屋に一人ぐらし(Diani Beachalets:一泊860円ぐらい)しながらおもいっきりバカンスを堪能しております。寒さに震えてるころ、こちらは常夏の太陽で汗がにじんでおりますの。
青い空にコバルトブルーの海、白い砂浜。南国のやしの木。
ロングチェアーの上で、インド洋からの潮風と波の音と、絵に描いたような南海の景色を見ていると、
自分の人生はなんだったのかと思いやす。しばらくはこの家(しかもれっきとした一戸建て)に住んで、長旅の疲れをいやします。
とはいっても、ここはアフリカなので、ここまでの道中はトラブル続きで、とても大変でした。
まあ、詳しくはまた書きます。
無事生きて祖国に帰れたら、アフリカの旅の内容を更新しますのでよろしゅうです。
とりあえづ、くわへり〜。
2008-11-23 学園祭

いい夫婦の日の週末は学園祭ずくしだった。
土曜は東京外語大。
日曜の今日は壱万円札でおなじみの大学。
で、いきなり日にちを前後して今日の学園祭について。
★一万円札編
昨日行った外大の学園祭に比べれば、雰囲気が明らかに違う。
ゴミゴミしているし、なによりちゃらい男たちがナンパに精を出し、大学見学に来た女子高生までくどいてた。
ここは超一流大学なので受かれば官軍、女にもモテるし就職も安泰、とばかりに大学に入った途端あぐらをかいているのだろう。これでは金持ちのぼんぼんの集まりといわれても仕方があるまい。
いっそ技術を習得しようとする専門学校生のほうがよっぽど勉強熱心ではないか?
それはさておき、この大学の学園祭に来た目的というのは、ずばりデーブスペクターの講演。
以前何年か前にデーブの講演を聞いたら話がうまくて面白かったから。それだけ。
でも、デーブったら昔言っていたネタを今回も使いまわしていたぞ(笑)
そして、「アフリカとメディア」という著名人をあつめた講演があったのでこれも行きたかったが、デーブの講演とだいぶ重なってしまったので終わりの方しか聞けなかった。
でも、勝間和代氏が客席の前方で聞いていたというのにはビックリした。
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/
結びとして
「援助するだけではアフリカのためにはならない」
「メディアやネットだけでなく実際にアフリカに行って現実を見てくるべき、学生は若いしヒマもあるからバイトなりして行けばいい」
「40代50代の男性は仕事や家庭で時間がないが、そういう年代の人こそアフリカについて考えるべき」
と言う意見には自分も同感だった。
うーん全部聞きたかったわい。
そのあとは「漢方薬の試飲コーナー」と言う妖しげなコーナーで漢方茶を飲んだり、落研の落語を堪能。
★TUFS編
東京外国語大学は、昨日のK大よりもこじんまりとしていているが、東京近郊なので校内はのびのびとしてこぎれいだった。アカデミックな感じがした。
学生も外国語を専修するとだけあって、まじめな感じがして良かった。
一部の学園祭の催し、たとえばフラメンコのショウとか、小冊子などは有料だった。
でもここは国立大学。われわれの税金を使っている以上、学園祭に無駄なお金を使ってはいかんとですよ。
外大は、K大で見たあのスーフリのような派手で軟派な盛り上がりがない。
それが質実とした学園祭本来の姿として好感がもてた。
2008-11-07 コラムが掲載されたよ

2008-10-11 変なナンバープレート

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080104/trd0801041049007-n1.htm
松山市が雲形ナンバーを発表した時は
「うわーなんてカッコ悪いんだ!こんなの自分のバイクにつけたくないな」と、正直思ったね。
でも、月日が経てば見慣れてくるかもしれないし、むしろこの写真に映ってるような若い女の子から、「雲形のナンバーかわいいっ」なんて云って注目されると、逆にいいかも(笑)
さて、実は自称ナンバープレート研究家?の私なのだが、雲形とか米型の「変形ナンバー」って、日本とカナダだけのようです。
世界中、もちろんお国ごとにデザインも凝っていたりするんだけど、実はどこへ行っても正方形や横長方形などの四角辺のナンバーしか見当たらないもんだ。例外としてドイツの国外向け臨時ナンバーは、卵型の楕円形。ベルギーやオランダなどの原付とかも台形だった。
でも、町おこしの為に原付のナンバーの形を変えるという発想は、柔軟性に富んでてすごいと思った。
2008-10-04 自転車ツーリング 一日140km

新しく買った旅チャリンコで走りたくてうずうずしていたので、いきなり都内まで漕いでみた。
「200ccの単車・ジェベル200」といい、「新車の旅自転車」と、最近買ってばかりだなあ。貯金は減る一方だあ。
と言っても両方あわせてもたった10数万円しかかかっとらん。安っ!
ハンドルバーにはヘッドライトやドイツ製のワイヤレススピードメーター、そしてGPSまで取り付けた(名づけて勝間和代システムだ! 笑)
でも、ドイツメーターはヘッドライトつけたりGPSがあると本体が作動しなくなると言うナーバスなものだった。
うちの場合、東京都心へのコースは、「自宅から大宮」「大宮から都内」の2つのステージに分かれる。
「自宅から大宮」までは荒川自転車道で、R16バイパスと交わるところまで走る。
荒川自転車道は荒川のドテ沿いを通るので、首都圏とは思えぬほどすごく景色が広々として、車も信号も無く、よく整備されていて気持ちよく走れる。
しかし、さいたま新都心の摩天楼が見える大宮から先はいっきに舞台が変わる。「大宮から都内」まではビルの合間を縫って走るシティライドだ。
埼玉県庁を経由する旧国道R17。しかし意外に道幅も広いので車道左端も走りやすい。ときたま30km/hぐらいでメッセンジャーのようにがむしゃらに走ってみたりした。
雨が降ってきた。合羽を着て走る。蒸れ蒸れだが、雨走行も体験せんといかん。
R17でふたたび荒川を越えて、東京都。池袋経由で明治通りにて新宿到着。途中休憩したり買い物したので5時間かかった。
そして飯田橋や神楽坂のほうに行って折り返し。高田馬場、池袋からまたR17で大宮へ。
帰りはバテバテなので荒川では15km/h以下でちんたら走って帰宅。
(池袋から自宅までは4時間08分走りっぱなしで57.3kmだった)
自宅から都心まで、単車なら80〜120分でいけるのだが、自転車だと5時間はかかる。いくらいい自転車を買ったからって、そんなに甘くなかった。
往復12時間、140kmはちょっとしんどかった。
車とかに依存してる人にとってはとてつもない距離だが、世界を走るチャリダーから見れば、たいした距離じゃない。
走った後は鈍い筋肉痛がしまくったが、チャリダーとしての自信がついた。
ライダーとしては飽和的なほど充分に経験値があるけど、チャリダーとしてはレベル1の初心者なので、単車旅と違った新しい発見が多くなりそうで、楽しみだ。
2008-09-27 次はモーターなしです

2008年。三十路にしてとうとう自転車ツーリングの道にはまってしまった。
30歳になって、仲間たちの影響もあって、スノボ、ロッククライミング、沢登り、ねぶた祭り・・などと、いろんなことに手を出し始てしまったが、とくに新たに挑戦してみたかったのは「エンジン無しの人力二輪」ツーリング、すなわち自転車での海外ツーリングだった。
もちろん自動二輪の海外ツーリングは現在も愛しているが、もともと昔から自転車でのツーリングにも興味はあった。(といっても20代はバイクにのめりこんでしまったのだが)
でも、一通り世界を走ってみると、自動二輪の海外ツーリングはお金がかかるし、インドで自動二輪の陸揚げと通関待ちの為に何週間も日にちを要した時は、「ああ・・これが自転車だったらすぐに旅立てるのに・・」と、非常にめんどくさい思いもした。
そして日本に帰ってバイクで走ると、世界の壮大な道を走ってきた自分にとって、道狭い、渋滞多い、制限速度低い、信号多過ぎ、さらに高速料金バカ高いので、走るたびに無意識のうちにいつもいらついてしまう。かといって、海外流の走行をすると、ネコさんがいないか絶えず気を配らなくてはならない。つかまらないように走るために、神経を消耗させてしまっている。
その点、ママチャリに乗ると、そんな緊張からほぐれるし、限りなく自分のペースで走れるから、なんかホッとしてくるのだ。
そして折からの物価&ガソリン高騰もあって、わたしの新しい仲間たちからも、「バイクではなく自転車で旅すればいいじゃないか」とみんなから口揃えて勧められるようになった。
なにせ新しい仲間の大半が自転車旅行者&自転車冒険家だからだ(笑)
(前回GNやジェベルの話を書いたのに、いつのまにか自転車の話題にされてしまったぐらいだそれだけ自転車フリークが多い。)
ガソリン高騰と健康エコ志向。そんな時代の「空前の自転車ブーム」 に見事に乗せられてしまった。
エコロジスト気取りになるつもりはないが、なるべく無駄のない人生をしたい。節約は美徳だ。なにより年齢とともに溜まりつつある皮下脂肪を燃焼させねばなるまい。
単車と自転車の両刀づかい、というのもカッコいいじゃないか。
マシン購入について
ママチャリでは輪行もできないしギア比の構造上、原付のリミッターみたいにどんなに漕いでもスピードは乗らなくなってくるが、MTBなどは漕げば漕ぐほどガンガンスピードが出るので漕ぎ甲斐がある。
はじめは、実家に放置されホコリかぶってた古いMTBがあったので、それを借りて乗ってたが、それで海外ツーリングしようとなると、キャリアやサイドバッグなどオプションで増設せねばならず、加工取り付けすると結構な金額になるので、それだけの金を出すのなら、はじめからフル装備の旅自転車、ジャイアントのグレートジャーニー(3)の新品を買ったほうがいいだろう。
GJ3を選んだ理由:
自転車に関してはまったくの初心者なので、自分にとって初めからキャリアもサイドバッグもついている「旅向け完成車」なのでうってつけ。素人判断でオプション装備に悩まなくて済む。
94500円という価格は、何十万円もするハイエンド高級車よりも安く、でも19800円の格安MTBより品質や耐久性などは格段に良いので、旅チャリンコとしてはちょうどいい値段なのだ
そして関野吉晴氏の番組、グレートジャーニーのファンだったから(笑) GJの初放送だった1994〜95年ごろは高校生で、携帯もネットも皆無だった時代。海外ツーリングの情報源なんて書店や図書館で調べるしかなかったので、GJの映像は非常になインパクトがあった。
で、旅向けである車体剛性や操縦性などは、きっとグレートジャーニーの世界実走行を通じてモニタリングされて改良されているのだろうし(と思う)
2008-09-24 さよならGN ようこそジェベル200

昨日の9/23は、とてもすっきりした一日だった
今日まで13年5ヶ月付き合ってきた我が愛車、GN125を廃車にしたのだ。 11万5000kmも走行し、まるで自動車並み(笑)
この時生まれた赤子は中学2年生。そう思うと月日がたつのは実に早い。
今年5月に電装形、発電系のメカトラブルが発生したため、(テスターで電圧を測定しても充分に発電されてない事がわかった。おそらくステーターコイル、またはレギュレーターだとおもうので、修理に3万円以上かかりそう)それ以来動かしておらず、そのほかにも車体の老朽化が激しいため、いろいろ考えたのですがさすがの自分もこれ以上乗り続けるのは困難と判断し、廃車にすることにしました。無念。
部品とり用のジャンク車体として、ネットで売ろうかとも考えて悶えていたけど、お互いGNを通じて切磋琢磨してきた友人・貧乏自由人氏(以下BJ)が、GNの後見人となってくれて、我がGN125魂(笑)を引き継いでくれるのだあ! おかげですっきりしたさ。
バッテリーを満充電して出発、なんとかBJ家に着いて、棺桶に両足を突っ込んだ瀕死のNG125をプレゼント。
10代後半から30代初めまで、青春を共にしてきたGN。
気がつけばこれで日本47都道府県行ってしまい、用途も単なる通勤から石垣島へ行って具志堅用高の父に会いに行ったりと幅広く使われていた。
だが、GNをNGになるまでてってーてきに乗りつぶしたので、不思議と未練とか悔いは無かった。形あるものは朽ちていずれ去り行くものだ。
もう思い残す事はない。車体は無くても、外したスピードメーターなどは永久に不滅です。一生涯の形見だ。
GNに別れを告げて、BJ氏と一緒に二人乗りでジェベル200の売り手の元に行く。
ミクシを通じた個人売買なので、中間マージン0の納得のいく値段なのだ!
なので自分は最近オートバイはほとんど個人売買で売り買いしている。
名義変更や登録手続きだって慣れれば難しくないし、しかも前所有者の話で、そのマシンの様子がよくわかるので、いいことづくめなのだ。
売り手の方は、某大手企業の水泳部に所属するとだけあって、感じの良い若者だった。
こうして、うちの片隅には、GNの代わりにジェベルが鎮座しておるのであります
2008-09-20 明日の読売新聞朝刊

明日の9月21日朝刊、読売東京版に、昨日我々が取材された野〇野〇の野宿シーンが掲載されるらしい。
でも私は埼玉人なんで見れません。都民のみなさま、見てやってください
2008-09-01 真夏の夜の夢

8月31日のこと。先日の疲れでヒルネならぬ夕寝をしてしまった。そしたら夢の中でユー〇ンの曲が「ダンスを踊りましょう〜♪」とノーテンキにくり帰し流れていた。
夜目覚めた後も、やたらそのメロディが印象に残っており、メロディは知っていてもタイトルや歌詞は知らないので、「ダンスを踊りましょう」で検索してみたら、なんとタイトルがちょうど「真夏の夜の夢」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND4276/index.html
しかも、「花火は舞い上がり」というフレーズを見た瞬間、おりしも遠くで延期された花火大会の音が聞えていたのだ!
まるで神がかりだ。
















