クリエイティブツアーズ中津編

阪急中津駅である人に出会った。怖いくらいの偶然。ちょうどその日はハナムラさんが関わる「クリエイティブツーリズム中津編」が行なわれる日だったそうで再会30分後に飛び入り参加させてもらう。クリエイティブツーリズムって一体なんだ?という状態のまま。
クリエイティブツーリズムは大阪のクリエイティブスペースをめぐるツアーということです。詳しくはこちら
http://www.facebook.com/1permilCreativeShare


色々な場所へ歩いた。住んでいる町なのに知らない場所もあった。面白い街であることを再確認。空襲を逃れた町なので木造家屋・商店が残っていて、その周辺をアーティストやクリエイターが拠点とし始めている。


こういうツアーに町の住人として参加するのも面白いなと、それはなぜかと言うと自慢したくなるから。住んでいるまちを自慢したくなるってとても大切だと思う。まちを愛する。とか大袈裟なことじゃなくて、自分のまちに遊びにくるとこんな所あるよ、ぐらいの。良さをわかって住むということは価値あること、だからこそ大切に出来るし、もっと良くしたいと思えるんじゃないかな。


「大学との距離」で住むまちを選んでいた学生時代を思うと捉え方が違うことを実感する。ずっと住み続けると決めているわけではないけれど、自分がしっかりとそこにいるという感覚がある。


もっとたくさんの人が自然発生的にまち歩きするにはどうしたらいいか(まち歩きしなきゃだめだってことではないんですが)。自分ならどんな風にするか。なんて考えながら歩いてました。
また機会があれば行きたい。次回は4月20日玉造編だそうです。面白そう。


訪れた所
・ピエロハーバー  http://www2.odn.ne.jp/sugar-town/
・アトリエ空白  http://www.facebook.com/pages/blank-milk/105518522893202
・シカク  http://uguilab.com/shikakutop.html
・オレンジキュービック空夢箱 http://sorayumebako.blog137.fc2.com/
・輪音511  http://waon511.jimdo.com/

プルゼニ


チェコ旅行のこと、プルゼニという街

チェコ西部にある街へふらっと行ってみた時のこと。
スケール感の小さな町、町の中心には教会と大きな広場があって、町のどこからでも教会の塔が見えて求心性がある。過剰ではなく、心に染みる教会空間だった。

この町に来た目的の一つは、この町の地下に縦横無尽に地下道が走っていることを知ったから。これが本当に面白かった。その地下道が様々な機能を持っている。(正確には持っていた、今は使われてないそう)食物の貯蔵のためであり、水を取るための井戸を掘るためであり、かつては酒宴が行なわれる場所だったそうな。綺麗な地下水が流れていることとか、公の場で酒宴が行なえなかったこととか、色々な理由があって、地下道が生まれた。その固有性に興奮した。どこかで使えないかなと、アイデアの源にもなりそうな気がした。

町の目的の2つ目は、ピルスナービール発祥地であること。ビール好きの聖地である。ビール工場にいった。今はも現役ではないけれど、地下の醸造蔵へ入れた。かつての醸造方法でつくったビールを地下でいただく、貴重な経験。

この町で印象的に感じたことは、地下道もビールも町の文化であると認識されていること。そして、町に住む人達がそれらの文化を誇りに思っていること。魅力的な町であること納得。
住んでいる人が自慢出来る町、その良さって必ずあると思う。やっぱりそういう町に住みたいよね。

プラハ

チェコへ行って来た。
まずはプラハの話、とても綺麗な街。その美しさは歴史的な建物が残っていて、きれいな川が流れているから、はもちろん。

ヨーロッパの古い街でよく感じるのは、それが有名な観光地であっても、住と隣接していること。すぐそばに生の生活がある。それによって街がとても活き活きと感じられる。プラハの街もブラブラ歩いていたら、ふと静かな住宅街に入っていくような感覚になった、そこでは自分がよそ者であることにドキドキするんだけれど、その分街のあるべき姿に触れたような気がしてワクワクする。そういう街が好きだ。

丘の上から見下ろすプラハもキレイだったけど、
夜明けからプラハの街を走り始めて、走る途中で街が段々と明るくなって、走り終えると朝だった。自分がよそ者であるのでドキドキしたけれど、本当に美しかった。

トゥーゲントハット邸

やはりプラハ旅行の目玉になった、トゥーゲントハット邸。
散りばめられたユーモラスなディテールにもちろん感動。
リビングはまるで、ひとつの空間が伸び縮みするような感覚。ある場所に立つと、色々な空間のまとまりを経験できる。それは大きな空間を遮蔽もしくは分割することによって出来ているんだけれど、建物を構成する柱(梁は隠蔽されている)の秩序とある意味で無関係に遮蔽物が配置されているためか、空気の密度に大小が生まれているような感覚。それは色々な居場所があることと関係している。広いということを超えて豊かだと感じた。リビングからの眺めが最高。

住宅としては贅沢な設備機器スペックや建物そのものの大きさにももちろん驚くんだけれど、機能とそのボリュームの構成がさりげなく心地いいと感じた。メインエントランスはプライベートなフロアにあるんだけれど、パブリック空間であるリビングへ向かう階段に自然光が差し込みドラマチックであり、エントランスからリビングへと壁と空間が連続している。
素敵な本も買ってこれたので、じっくり勉強することにしよう。

ついに。

大阪中央郵便局がその姿を消してしまった。一部保存はされているけれど。
大阪のまちがとても貴重なものを失ったと思ってます。
この建物を保存しようとする声はたくさんあったはず。僕もそう思ってた一人だけれど、失ってしまった原因は自分にもあると思っています。

それは建物の価値が伝わっていないから、まちにあの建物があることの意義が伝わっていないから。残すより建て替えた方がいいというように比較されるものではなく、絶対的な価値そして存在意義だと思っています。でも、それがまちを歩いている人、建物を所有している人にまで伝わらないと、それは価値たりえない。

価値観の編集が必要なのではないか。そのために何をするのか。設計者は真摯に誠実に設計していくことしか出来ない、のか。。

ぽっかり穴が空いたような風景を見て、もやもやしてた。


「つくれることを考えるんじゃくて、どうつくるべきかを考えないと」


きいた。今日、ある人に言われた言葉。
自分の知識の範囲で、「これはおさまらないから、こうしないと」とスケッチしていたまさにその時。
自分に腹がたった。
自分で壁をつくってないか。考えることをやめてないか。言い訳を考えるために頭を使ってないか。
鉄骨造はあんまりやってことないから、今日は帰りが遅いから、時間がないから、疲れているから、そんなことばっかり考えてないか。
こんなアホなこと考えたくもないけれど、「壁をつくるのは自分だ。」


読んで、見て、触って、吸収だけの期間はもうとっくに終わっている。吸収は続ける。続けながら、考えを出していかないといけない。
もっと飛べるだろ。くそ、悔しいぞ。