演劇×劇場×文化施設建築

2017-03-12

震災6年】避難訓練 演奏中でも焦らず

文京シビックホール文京区)では、地震による火災の発生を想定した「避難訓練コンサート」が行われた。

プロオーケストラ演奏している最中、災害が発生したとのアナウンスが流れ、観客約400人はその場で頭を抱えるなど防御姿勢を取った後、職員誘導ロビーなどに退避した。混乱なく避難は完了し、観客たちは再開された演奏を楽しんだ。

参加した板橋区会社員中根文さん(37)は「このホールにはよく来るが、災害時にどうするか考えたことはなかった。もし災害が起きても焦らずに避難したい」と語った。

http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20170312-OYTNT50016.html

気分は名ピアニスト 大泉町文化むらスタインウェイが弾ける!

大泉町のホールでピアニストの気分を味わいませんか−。

同町文化むら・大ホールで五月二十七、二十八日にプロピアニストコンサートで使う世界的な名器「スタインウェイD」などを一般の人が弾くことができる「第10回 文化むら ピアノマラソン」(主催大泉町スポーツ文化振興事業団)を開催する。

普段は接することのない文化むら所有の楽器に気軽に親しんでもらうのが狙い。日頃からピアノを弾いているかどうかや、うまい下手に関係なく五分間演奏できるとあって十年続く人気企画だ。「募集を超える申し込みがあり抽選になるほど」と担当者

楽器はほかにピアノベーゼンドルファーインペリアル」とバロック音楽に用いられるチェンバロ

演奏ソロ連弾、二台ピアノのほか、他の楽器との合奏やピアノ伴奏による独唱合唱など、ピアノまたはチェンバロを使えば、どんな形態でも構わないという。

各日午前九時半〜午後六時で(1)スタインウェイの部(2)ベーゼンドルファーの部(3)チェンバロの部(二十七日午後のみ)(4)二台ピアノの部(二十八日午後のみ)に分かれる。

客席への入場は無料(事前の申し込み不要)だが、演奏するには参加料一人(組)五百円。二台ピアノの部は一組千円で申し込みが必要。

演奏の申し込みは、チラシか文化むらホームページから印刷した申込書に記入して、往復はがき貼付して文化むらの「ピアノマラソン」係に送る。文化むらへ直接申し込む場合は普通郵便はがきを一枚持参する。三十一日必着。

問い合わせは文化むら。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201703/CK2017031202000147.html

宗次ホール総括支配人・野間晴久さん /愛知

名古屋市中区栄の繁華街に立地するクラシック音楽専用の「宗次(むねつぐ)ホール」が、29日に開館10周年を迎える。多彩な企画を打ち出し、年400回の公演を実現する。現場を預かる野間晴久さん(63)は開館1年後に就任した4代目の総括支配人だ。

ホールは「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業した宗次徳二さんが、演奏家たちに活躍の場を提供したいと私財を投じて建設し、2007年3月に開館した。野間さんは壱番屋と取引があった信用金庫からの出向で、就任前には「支配人といっても、経理を任されるのだろう」と気楽に構えていたが、短期間に3人の支配人が次々に辞めた事実を知る。悪い予感の通り、ホール運営赤字で、何よりも入場者の少なさにショックを受けた。

年400〜500回の自主公演とクラシック音楽があふれる優しい街づくりを掲げていたが、08年春の就任当時、310席のホールに100人入れば上出来で、わずか26人の公演もあった。空席に響く音色に胸が痛んだ。「このままでは、誰の思いも報われない」。改革を決意し、自ら集客戦略を練り始めた。

09年1月、開館当初から開催する初心者向けの昼公演「ランチタイム名曲コンサート」に、近隣ホテル食事を組み合わせた「ランチクラシック」を始めた。中高年の女性を中心に反響があり、劇的に入場者が増えた。

集客を見込める昼公演を充実させようと、翌年には午後1時半からの「スイーツタイムコンサート」を導入した。絵画や文学、歴史などテーマを絞った演奏会で、朗読映像を組み合わせ、異分野の愛好者たちを呼び込んだ。

コンサートがおまけでもいい。とにかく足を運んでもらう。生の音に出合えば、きっと感動がある」。スタッフたちと競い合うように新たな企画をひねり出し、着実に入場者を増やしていった。16年は開館初年の4・5倍近い8万人の来場を記録した。

節目を迎え、企画力運営ノウハウ地域還元する活動も始まった。クラシック音楽を通じた人の輪が広がり、宗次ホールに関わる仲間たちの理想努力が実を結び始めたと感じる。「頑張っただけ周りがハッピーになる。この仕事が楽しくて仕方がない」と笑みがこぼれた。

人物略歴

のま・はるひさ

1954年、名古屋市中川区生まれ。壱番屋の創業当初から取引がある岐阜信用金庫で長く融資を担当。54歳で出向後、支配人のまま定年を迎え、再就職した。9年間、客席の反応を観察して培った「客目線」で、若手演奏家たちの育成にも力を注ぐ。

http://mainichi.jp/articles/20170312/ddl/k23/040/035000c