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Album:Fantôme(宇多田ヒカル)[感想・レビュー]

Fantôme

Fantôme

 この時代に生まれてよかったと思う瞬間がある。それは音楽にしたって勿論そうで、その時々の自分のコンディションだってあるわけだから、偶然の重なり合いが産んだ結果でもある。8年ぶりの宇多田ヒカルのフルアルバム『Fantôme』はまさにそうで、“出会えてよかった”と感じさせてくれる。
 本作は母親へのレクエイムだとかどうだとか、本人も匂わせる発言をしてはいるものの、それを差し引いて考えても素晴らしく、表現は少々気持ち悪いかもしれないが、僕はこのアルバムから母性を感じた。いままでの宇多田ヒカルって僕にとっては“とんでもなくセクシーな人”だったんですよね。歌にすごくエロスを感じるし、でも常にそれが“神的視点”だったりする。近づこうとしても近づけなくて、そこにあるのは母性とかじゃなく、神秘的とはまた違う神的でいてかつ無機質で存在の不明な……まあ、とにかく触れることのできない「在る」をただ感じていたんですよね。もう少し具体的に言うと、例えば『First Love』で“最後のキスは/煙草のflavorがした”なんて歌詞、とんでもなくセクシーなんですけど、これを当時16とかそこらの女子高生が書いたっていうの、いまいち想像がつかないんですよね。「在る」に違いはないんだけれど、僕らの目の前に現実感を持って存在してくれない。個人的にそんな神的視点が最も栄えているのが『This Is Love』ですね。ものすごいエロスと、無機質が共存している。

 新曲じゃなくて過去の曲を紹介してしまいましたが…。
 『Fantôme』はこれまでと違って、明確な存在感を僕らの前にもって現れたんですよね、宇多田ヒカルが。それが母性でして、歌を聴いていると一種の(大袈裟ですが)トランス状態になりかけるようなレベル。これ、めちゃくちゃ良いヘッドホンで聴いたら一生外せなくなるのでは?ぐらの感想です。いままで「在る」状態だった宇多田ヒカルが、目の前にあらわれて、手を差し伸べたり、抱きしめたりしてくれているような錯覚に陥るまでの“愛”や“優しさ”があって、それが特に顕著なのが『二時間だけのバカンス』だと思っている。椎名林檎のボーカルと相まって、胸の奥に突き刺さるフレーズ。この歌もいろんな解釈があるけれど、もう素直に応援歌と捉えてしまっていいと思うんだ。

朝昼晩とがんばる/私たちのエスケープ(二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎/宇多田ヒカル)

 本当に不思議なんだよな。普通に考えたら、第三者目線でこの歌は聴くべきなのに、どうしても聴いていると当事者になってしまう。宇多田ヒカルと逃避行をしているような、椎名林檎になって逃避行しているような、そんな錯覚に陥るまでの魔法がある。こんなに美しく大胆なストリングスに、見事にのる歌があるだろうかってぐらいに、それぞれが存在感を放ちながら力強く共存している。かといって「アレンジ派手だよね」って感じでもなく、しっかりと優しさと慎ましさを残している。もうこの曲、泣けてしまうんですよね……。いままでの宇多田ヒカルにはなかった、日常の情景がメロディーにひきつられて浮かぶ、ありありと。

 本作はどれも素晴らしい曲ばかりなのだけれど、やはり『花束を君に』は特に素晴らしい。なにが素晴らしいって、アレンジもメロディーもぜんぶ!!ドラムの音がものすごく好みなのだけれど、2番にはいるタイミングでの力強いフィルインが素敵。シンプルなビートを刻んでいるのに、楽曲に確かに彩りを添えているし、なんか、オーケストラみたいなスケールの大きな雰囲気を持ちながら、歌っている世界観は、ほんの小さな、そして些細な、一人の女性の想いなんですよね。
 あとは、この楽曲“さみしさ”や“せつなさ”よりも“やさしさ”を強く感じるのが、何度聴いても心地良くいられる理由かなあ。これもまた宇多田ヒカルの新境地だよ。戻ってきたんじゃなく、確かな変化。いま歌うから、ものすごく意味のある曲なんだろうなあ。

花束を君に贈ろう/言いたいこと/言いたいこと/きっと山ほどあるけど/神様しか知らないまま(花束を君に/宇多田ヒカル)

 もうこの『Fantôme』は唯一無二の最高傑作になってしまった。いつもだったら次回作が楽しみになったりするんだけど、もはや想像がつかない。こんなものを産みだしてしまったら、たぶん同じ路線では越えることができないだろうなと感じるぐらいの最高傑作だった。
 新たな始まりを予感させた『道』で綴られる「人は皆生きているんじゃなく生かされている」という何気ないフレーズは、これからも偶発的な奇跡を生み出す為の大切な布石なんだろう。
 幻影から解き放たれた今、きっとこれから彼女が生み出すものにはより人間らしさが纏わりついて、生々しく動物の気配が歌に閉じ込められていくんじゃないかと思う。天才でもありながら、一人の女性でもある。そのありのままが、まるで目の前にいてくれるかのようにあたたかく包み込まれるキャパシティを持っている。もはやその「人間らしさ」は、誰もが持っているようで、実はほかのアーティストでは滅多に醸しだすことのできない彼女の才能のひとつなのかもしれない。