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『おやすみプンプン』におけるプンプンと田中愛子と南条幸の関係[ネタバレ含]

 最終巻の感想はこちら
 おやすみプンプン13巻/浅野いにお[感想・レビュー][ネタバレ] - 今日もご無事で。

 おやすみプンプン8巻までしか読んでいないのでこの先の考察がストーリーと一致しない点が多々あると思うけれど、読み終えて思った事を。(10巻まで読んだ結果、一致しない点が多々あった・・・)

 主に高校生〜フリーター辺り。つまりネタバレ感想。

おやすみプンプンにおけるキーパーソン

 小学生編、中学生編、高校生編とこの物語は続いていくのだけれど、僕は小学生〜中学生辺りまではこの物語の基軸、みたいなものが分からなかった。
 主人公プンプンが不幸になっていくまでの過程を物語として紡いでいくのか、それともいつもの浅野いにおのように俯瞰的に見た日常の風景を綴ろうとしているのか。
 けれど、高校生辺りからようやく田中愛子という存在が要所要所でキーポイントとなっていて、彼女が、彼女の存在こそがこの物語の肝なのだ、とやっと理解した。それについては以前も少し触れた。

おやすみプンプンとノルウェイの森と人間失格 - 今日もご無事で。

▼物語の主人公プンプンが欲しているもの

 田中愛子とプンプンは中学までは同じ場所であったが、高校は別々の場所へ進学したため、会う機会がめっきり減ってしまった。
 プンプンはその中で「高校生としてのあるべき姿」と「田中愛子への執念に似た思い」を抱きながら暮らしていく。
 それでも「会えない」「見つからない」「探せない」という絶望がゆっくりとプンプンを侵食していき、周りの事情がより一層プンプンに追い打ちをかける。


 高校生編までは読者として「この漫画が何を言いたいのか」が全く分からなかった。もやもやしていた。多分、プンプンもピンと来ていなかったと信じたい。

 そもそも、この「プンプン」という人物がなにを求めているのか。「いまどきの高校生ってこんなもんでしょ?」というには「ちょっと違くない?」と思っていた。

 プンプンは高校生活において、なんとか周りの環境に身を流せようとするけれども、上手く立ちまわれず、溶け込めず、「自分(プンプン)が欲しているもの」とはきっと違うのだな、と少しずつ理解し始める。

▼欲望を掻き立てられる存在、愛子ちゃん

 それが原因かそうでないか、プンプンは大学へ行かずフリーターとなる。


 やがて、プンプンはフリーターとなったある時、街中で田中愛子(愛子ちゃん)を見つける。しかし、プンプンは電車の中、彼女はホームに、という状況下で、電車は発車してしまう。必死にもとの駅に戻るプンプンだが、彼女は見当たらない。

 とにかく必死だった。プンプンは必死に、その瞬間、生きたのだ。

 それから、プンプンは日々、田中愛子と出会う為に街中に出る。

 しかし、探せども探せども彼女は見つからない。

 そこから、プンプンは腐る。
 腐る。腐る。腐る。
 ふてくされて、腐る。

▼田中愛子がプンプンを生かしている、その休息としての南条幸

 特にこれといった独白じみた描写はないけれど、プンプンはここで「田中愛子」という人物が自身の人生を牛耳っているのだ、と気付いたのではないかと思う。彼女によって生かされていたのだ、と。

 そんな腐りきっていた在る時、南条幸という人物に会う。

 いざこざがあって、プンプンは彼女と親密になっていく。プンプンは幸せになっていくのだ。

 1巻からずっと続いていた不幸の連続。それが止む。

 プンプンは幸せになっていく。

▼求めていたものなんて本当はなかった?

 しかし2人が一線を越えてしまった時、プンプンは泣きながら言う。

こんなにもいともあっさりセックスひとつですべてのもんやりが解決してしまうのだとしたら、僕の今までの人生はなんだったんでしょうか?(おやすみプンプン8巻)

18年間生きてきて今日ほど、生きることに絶望した日はなかった。(おやすみプンプン8巻)

 そして、8巻最後に田中愛子登場、というシーンでこの巻は終わるのだけれど(ここからは物語読んでないので、話一致しない可能性ある)。

▼南条幸は居たって居なくたっていい、けど田中愛子は存在なくてはいけない

 プンプンは、幸せというのが代替可能なものであると気付いてしまうのだと僕は思う。南条幸、という人物がプンプンの琴線に触れたことは間違いないのだろう。
 しかし、それは街中にあふれる流行りの音楽や、都心から外れた小さな古本屋の隅っこの棚で見つけた小説や、雨の夕暮れに見た映画、のような、それらときっと変わりのない幸せなのだ。

あくまで代替可能なのだ。

 プンプンは埋め合わせとして、いまの幸せを手にして、生きている。埋め合わせの為の、南条幸であり、生きる理由、日々ベッドから起きる理由なのだ。

▼田中愛子への依存

 しかし、田中愛子は違った。プンプンにとって彼女は、良くも悪くも代替不可能なものなのだ。18年間、呪縛のように心にへばり付き、離れることのなかった。

 6巻だろうか。7巻だろうか。

 雄一おじさんが「過去の罪の意識」にすがることで生きていた、と語っていたけれど、それに近い部分があるんじゃないだろうか。「逃れることのできない」と思いこませることでプンプンは生きていて、南条幸はそれを「一旦忘れる為の」ものであった。

 だから、8巻の最初のほうで「決着をつける」ことを怖がったのは、その「生きる理由」を失くしてしまうからではないだろか。

▼決着をつけてはいけない存在

 もっと言えば、プンプンは田中愛子と決着をつけてはいけないのだ。それこそが、プンプンの生き甲斐であり、生きる理由である。

 例えば田中愛子が死んだとしても、どのような結果になったとしても、プンプンの中で決着がつくことはなくて、決別ができることはなくて、一生捕らわれて生きていく。

▼雄一おじさんの事件との違い

 雄一おじさんは、結果的に決着がついた、と言ってもいいと思うけれど。
 というか彼の心情を語るシーンがあまりないので、彼は案外「代替可能な幸せ」であることを知った上でドライに生きているのかもしれない。
 あと、雄一おじさんの場合は「罪の意識(自分が悪い)」が彼を痛みつけていたのであって、プンプンのような「恋愛(のような錯覚)」の感覚とは少し違う。


 人は悪い言い方をすれば忘却しないと、過去を忘れる、という行為がなければ幸せにはなれない。過去にいつまでも縋りついていては、捕われていては、いつか過去に殺される。
 例えば「将来の夢」を果たせなかった人間が、いつまでもそれに縋りついていては、いつか「将来の夢を抱いていた過去の自分」に殺されるのだ。


うまく忘れないと、うまく今と付き合えない。


 大抵の人は、覚えていても、そんなに強く痛みつけられたりはしないのだろうけれど、プンプンにとって田中愛子はきっと強烈だった。あまりにも代替は効かないし、忘却も困難なものだった。

 だから、ここまで捻くれ続けていたプンプンが、南条幸(もしくはそれ同等)という人物と「代替可能でない幸せ」と錯覚し、生きていけるかどうかは疑問である。

 少なくとも、今、プンプンの目の前に田中愛子が現れたら、いままでにない衝撃でズドーンとプンプンは頭を鉄鎚で殴られぶっ壊れるんじゃないかと思った。

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