エレカシの涙

 昨日、「瞼が熱くなった」などと書いたものの連想で、エレファントカシマシの涙について書きます。
 エレカシの歌には、「涙」という単語が頻出します。こちらの素晴らしいDBによると、その数じつに36曲です。
(契約切れを経た移籍直後の2枚のアルバムで特に多いのが印象的です。)

 また、いろんなインタビューで、宮本は以下のように「泣ける」という言葉をよく使います。

  • “翳り行く部屋”を聞くと泣ける。
  • “俺たちの明日”の出だし、「どうだい、近頃〜」と歌うときに泣ける。
  • “こうして部屋で寝転んでいると〜”も、20代の鬱々とした時期を思い出して歌いながら泣けてしまう。
  • (今後のミュージックシーンへの希望として)泣ける歌が聴きたい。熱い涙を流したい。またそういう歌を作りたい。

 これだけ「涙」が連発されると、さすがに聞いているほうも慣れてしまって、感情が高ぶって何かがこみ上げることを、幾分か誇張して「泣ける」と表現しているのかな、くらいに思えてしまいます。

 ところが実際は違うようなのです。僕は最近初めてみたのですが、宮本が歌いながら突如泣き出し、嗚咽するという有名な動画があります。2分30秒付近です。

 これは「奴隷天国」収録の“寒き夜”という歌で、あの契約切れ直前、大失恋も重なったという、大きな傷跡が思い返されて思わず泣いてしまったのでは、と言われています。
 この後、あらためていくつかの動画をよく見ていると、「俺たちの明日」の後半のサビの部分で、熱く歌っている中で確かに瞳がうるんでいるように見受けられるものがありました。
 また、町丘後のライブで、アルバムリリースがない中で大阪野音に多くのファンがつめかけたことで、MCで泣きそうになっていた、ということも聞きました。


 つまりは、誇張でもなんでもなく、宮本が「泣く」といったら本当に泣くのです。
 「涙がこぼれた」と歌ったら、本当に涙がこぼれたときのことを歌っているのです。


 それは、自らの歌詞に激しい感情を呼び起こされ、時に涙が流れてしまうほど、本当の歌詞と本当の魂のこもった声を出すということの裏返しであり、だからこそ僕はあの歌にこころを揺さぶられるのだと思います。

 涙もろい宮本、いろんな情感にまっすぐに向き合って心を震わせている宮本。
 そういう人が話す「熱い涙」という言葉は、僕の知っている「あついなみだ」とは全く別のものを意味するような気がします。それを身にしみて知りたいがため、僕はまたエレカシを聞くのです。