ストンリバーの日記

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2016-07-26

扇子の音

 ジャズピアニスト国府弘子さんにピアノ一丁!」というエッセー本がある。

国立音楽大学を出て、ジャズという異色の世界へ進まれた点に若干興味を持って読み進めた。

その中に一点、将棋の話題に遭遇した。

交友関係があった伊藤果六段(当時)を対局中の将棋会館に訪ねてしばし観戦されたときの感想である。

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静けさの中でほとんど言葉が交わされないのにまずビックリ。

それでいてすごく大切な瞬間(頭の中の)を表すような一つの音が時たま聞こえる。

それは棋士の持つ扇子が手の中でパタ、と閉じられる音。その音が妙に感動的で、私の心に残っております。

私にはそれだけでも人間の決断力、精神力の一つの象徴に思えました。

日常生活において、目先のことには目いっぱいスッタモンダして、「この場を勝とう、切り抜けよう」とするけれどこの一手が先に行ってどう影響するかという、いわゆる大局観を持つことは難しい。(以上、抜粋)

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 最近、TVやネット動画を見ても棋士が扇子を手にする姿は少なくなったように感じる(私だけかも知れないが)。

近年、空調設備が完備されてきたとはいえ、もともと読みのリズムを採るために音はなっていたに違いない。

この本が出版されたのが1995年であり、その後の「名人戦センス事件」が暗に影響を及ぼしているのかもしれない。

扇子は色紙とともに、連盟の2大将棋グッズだと私は思っている。

色紙はときおり眺めるしかないが、扇子は実用的な面を持っている。

大盤解説会などで受動的に手に入れるのではなく、買ってみたいと思わせられるような工夫が連盟に求められているような気もする。


 実はこの本で一番共感したのは次の一章です。

タイトルは<個性について考えました>

特に冒頭の6行でした。

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 私のいる音楽の世界で言うと、ピアノの音を一音聴いただけで、「あっ、キース・ジャレットのタッチ」とわかったり、曲を聴いて「このメロデイーの節まわしはまさしくデイブ・グルーシン」とわかったりします。

 そしてそういう、個性を確立した人たちを尊敬します。

 研究段階では誰かのスタイルをトコトンマネしたり、いろんな人のフレーズを学ぶことは重要ですが、最終的に過去の偉大な芸術家にそっくりな芸術家になんてなりたくないと思う(そういうのは、研究家というんだよね)。

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 音楽に限らず、いろんな分野についても云えることだなと感じ入りました。

2016-07-23

とまらない注目!新名人

 週刊誌等に引っ張りだこの佐藤天彦新名人が今週は週刊ポスト(8月5日号)に写真主体の5ページ分記事で、また週刊文春(7月28日号)では阿川佐和子の名物対談コーナー(この人に会いたい)に登場した。


 まず、週刊ポストでは将棋フアンとしてはさほど目新しい内容はなかったがただ一点、22歳のころに習っていたピアノの発表会で小学生に混じってガクガクに震えてしまったというエピソードには少々人間味を感じる(将棋では一切緊張したことはないとの本人の弁ゆえ)。

 次に、週刊文春におけるコンピューター将棋のやり取りが興味深かったので以下に紹介したい。


阿川:いま、将棋囲碁の世界を騒がせている人工頭脳問題、あれ、どうなっていくんです?人間がなかなか勝てなくなっていると聞きますけど。

佐藤:強いコンピューターが現れていることは事実です。でも、我々の将棋と人工頭脳の将棋とは、別個の価値観で成り立っていると僕は思います。将棋に勝つということには、自分に打ち克つという要素がある。強い相手に気後れしないとか、体調の悪さをカバーするとか、人間ならではのいろんな要素がありつつ勝つからこそ「勝つことは素晴らしい」という価値観になる。

阿川:つまり対人と対コンピューターとは別物と考えるべき問題だと?

佐藤:おっしゃる通りです。将棋って昔はもっと広い盤面で桝目も駒数もたくさんあって、飛車角どころじゃないべらぼうに強い駒もあった。奪った駒をまた使えるという日本将棋の大きな特徴がない時代もあったんです。

阿川:え、そうなんですか!?

佐藤:それが形を変えて今のルールに落ち着いた。要するに「人間が面白いと感じられる」方向へと変化し続けてきたんだと思います。つまり、難しすぎないようなバランスをとりつつ変化してきた歴史があります。

阿川:へえ〜

佐藤:一方で、今コンピューターが将棋囲碁棋士に勝つというのは、基本的に計算能力の戦いの結果です。人間が楽しめることを目標としてきた将棋とはそこが大いに違う。

阿川:いわば将棋のココロってことですか。一マスしか動けない歩が王様を守ってあげたとき、人の心を打つとか。

佐藤:まったくその通りだと思います。香車が成香になって相手陣地で活躍したり、飛車をあえて渡すのが良かったり、それぞれの駒の役割が人間の生き方のように感じられたりもします。


*このほか、総じてバランスのとれた対談内容になっていた。ゲストの旬の思いを引き出せる阿川さんの手練の技とも読み取れた。

2016-07-19

詰将棋全国大会

梅雨明け間近のこの季節ほど、人間を一喜一憂させるものはない。

台風に見舞われたこともあったし、大雨で新幹線ダイヤが乱れまくったこともあった。いつの年か、大雨続く九州を後ろ髪引かれる思いで出発したこともあった。今年はどうだろう。行きも帰りも好天に恵まれた。こういう年があってもいいだろう。

 このイベントは7月の固定された開催日が続く。1年の計画もたてやすく、だからこそ少々無理しても全国から同好の士が集まるのだろう。詰キストは詰パラの新年号を手にするときには特別の感慨が湧くものだ。それは「今年もやるぞ詰将棋」という思いが自然に立つ。7月の旅はそれを再確認する場でもあるのだ。少なくとも、これまでの私にとってはそうだった。


 そういった第32回詰将棋全国大会が岡山県倉敷市で7月17日に開催された。

詰将棋全国大会とは名古屋東京大阪、その他(地方)の4年サイクルで各地で開催される詰将棋フアンの祭典である。

 運営にあたっては彼の地での詰将棋愛好家がいかほど存在するかがポイントになる。名古屋東京大阪の場合はさほど心配はないし、イベント当日での参加者もある程度の集客力が望めるのでなんら心配はない。

 その点、地方開催の場合は思わぬ苦労がある。

九州開催も過去2回(福岡)あったが、九州内に散在するという表現がぴったりの詰将棋愛好家の運営スタッフ集めに苦労した思い出がある。一方、地方開催地へ参加する立場では思わぬ楽しみがある。

 私は4年前の長野県松本市での出席が印象に残っている。

初めて訪れた長野県名古屋から列車に乗って、旧くは「千曲川スケッチ」の島崎藤村を、新しくは「ダイヤモンドダスト」の南木佳士さんの作品の数々を想い浮かべながら、沿線の景色をものめずらしく眺めていたものである。松本についてからは、「松本城」の歴史ある雄姿に感激したものである。このように地方開催は観光も兼ねられるということがあり、初めて訪れるなら、なおさらの感がある。


 さて、今回の倉敷市。よく行く「関西方面の旅」では、通り過ぎるだけの山陽本線新幹線駅の岡山だが、倉敷は意外とよく訪れたことがある街である。それは毎年、11月に開催される倉敷籐花戦の公開対局である。会場の倉敷芸文館の近くには「大山名人記念館」がある。さすが大名人を生んだ地だけあって首長以下将棋に対する理解が違う。同じことが、この山陽沿線下の加古川市にもいえる。プロ棋士を数多く誕生させたこの地は「加古川青流戦」の創設をはじめ、定期的に将棋イベントを実施している。まことにうらやましい限りで、ふるさと納税をして応援したいようなそんな気持ちもしてくる。


 つぎに、大会参加の感想である。

まず、地方開催での参加者数がどのくらいか気になるところだが、百名を超える人が集まってくれた(108人)。

また、例年、自発的に参加されているプロ棋士が散見されるところだが、今年は5名の方がいらっしゃった(谷川浩司九段浦野真彦八段、北浜健介八段、船江恒平五段、山根ことみ女流初段)。やはりプロが入ると華やぎの感じがして大変ありがたいことである。

 前半の看寿賞作品の解説と後半の詰将棋早解き競争がイベントの二本柱である。

特に、後者は毎年、開催場所により若干の進行の趣向は変われども、全員参加の楽しいゲームである。

詰キストの過去の栄光?に関係なく、最近における詰将棋への取り組み方(特に解図)の熱心さがものをいうようだ。多分、そうだろう。

 ところで、私は詰パラ同人作家となり、詰パラの担当を十数年にわたり経験し、拙作品集も2冊出版した。

なんとなく、将棋人生のある程度の目標を果たしたという、いわゆる「達成感」に浸っているので、今では詰パラも読むだけの会員になってしまった感がある。

 もし、詰将棋を作り、発表し、解答もバリバリするということであれば、このイベントはもっと充実したものであったに違いない。

 今の私は看寿賞の作品紹介を通して、時代の最先端を行く詰将棋作品の確認と旧くからの交流がある詰キストたちとの再会・歓談が楽しみの一つとなってしまったようだ。これらのことだけでも、来た甲斐があったと思う。

 その夜の懇親会が本格的な交流の場である。百人もいればすべての方と言葉を交わすのは困難であるが、あの人、この人と目で確認できるだけでも一種の安らぎと安心感を覚えるものである。2時間の立食パーテイもあっという間に過ぎ去った。

 詰将棋ともっと、もっとかかわりを持たなくてはという奮い立つような感動をもらいながら、来年開催の名古屋にも元気で参加したいものだと正直に思った。

2016-07-09

竜王戦への期待

 渡辺明竜王への挑戦者を決める第29期竜王戦決勝トーナメントが進行中である。

将棋世界8月号では本戦トーナメントに出場を決めた11人の戦いを前にしてのコメントが載っていた。

1組2位で通過した振り飛車党の代表ともいえる久保利明九段は「初戦で羽生三冠を破って調子がつかめた。一戦一戦準備して自分らしい将棋を指せるよう努力します。フアンの方に、一戦でも多く振り飛車をお見せできればと思います。」とある。


 さて、永瀬拓矢六段に勝利した阿部健治郎七段との対局が7月8日におこなわれた。

先手となった久保九段は初手56歩から中飛車をめざした。阿部七段は2手目84歩と指したため、よくある中飛車戦の駒組となった。

 後手28手目65銀と進出した手に対して、あくまで軽い捌きを目指す先手は56銀とぶつける。

その後、軽い捌きに対して押さえ込みを図りたい後手との見応えある応酬を経て50手目41分の長考で後手は52飛と回った。この飛車を目標に先手は攻めの継続手として61銀と打った。

この銀打ちが勝負手になったみたいだが依然として先手の切れ模様の手が続いた。特に、後手より82手目55角以下の自然な攻め味が続き、86手目36桂と打たれたあたりは先手陣、正直苦しい展開となった。

 終盤は互いに複雑な変化もあり、どうやら後手が決め損なったのではという評価が検討陣のおおかたな見方だった。

よって、先手の逆転勝ちということになるがリアルタイムで見ている分にはスリリングで手に汗握る将棋であった。

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 次の相手は7月11日におこなわれる郷田王将vs三浦九段の勝者とあたる。

それに勝てば挑戦者を決める三番勝負となる。

今年、後半のタイトル戦を展望してみても振り飛車戦の登場が期待できるのはこの久保さんしかいないようだ。

過去には挑戦者決定戦まで進んだ実績を持つ。今期はそれより上をという気持ちを持ち続けてほしいものである。

久保vs阿部.kif 直

2016-07-08

北九州将棋フエステイバル

 例年3月に開催されている北九州将棋フエステイバルだが、今年はどういう風の吹き回しか、9月開催になった。

よく訪れているイベントだったので、主催者より案内状が送付されてきた。

9月17日が前夜祭で、翌18日がイベント本番だが、イベント内容そのものは例年と大差ない。

昨年より「指導対局」が1000円の有料となっている点が注意するところだろう。

こども将棋教室、前夜祭および指導対局の申し込みは8月20日が締め切りとあった。

下記にそのチラシを貼り付けます。

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