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ストップ!ソーダストリーム 売らないで、買わないで、違法イスラエル製品 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014年08月25日

炭酸ドリンク植民地主義

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「ミドル・イースト・モニター」の記事(8月21日)によると、今回のガザ攻撃開始以降、パレスチナ西岸地区におけるイスラエル入植地拡大のペースが60%も増加しているとのことです。入植地活動の調査などを行うパレスチナNGOエルサレム応用研究機関」(ARIJ)の調査によると、これらの入植地拡大は住宅建設工事の入札などの正式の手続きを経たものではなく、入植者による違法な住宅建設というかたちで行われているとのことです。これは、パレスチナ人国際社会からの非難を避けるための方策であり、イスラエルの関係機関は、ガザの状況が落ち着いた段階で、これらの入植地拡大を追認することになるだろうとARIJの研究員は語っています。

入植地の工場がパレスチナ人雇用することで平和に貢献していると主張するソーダストリームは、イスラエル民族浄化政策を隠蔽しています。以下に紹介する論文は今年4月に発表されたものですが、ソーダストリーム社がまさにパレスチナ植民政策のエージェントであることを明らかにしています。イスラエルの行っていることが植民地主義にもとづく構造的な暴力であるということを、ソーダストリーム工場で働くパレスチナ人労働者の置かれた状況を通じて具体的に例証しています。

ガザ情勢をめぐっては、相も変わらず、「イスラエルパレスチナ」「イスラエル対ハマース」という単純な二項対立的紛争観に立って、中立・客観を装う議論が横行しています。残念なことに、社会運動に携わる人々の中にも時折そうした議論をする人を見ることがあります。ぜひ考えてほしいのは、「在特会」のヘイトクライムを、日本人と在日朝鮮人との民族対立という構図で捉えることは正しい問題把握といえるのか、ということです。日本の中国侵略やナチス・ドイツユダヤ人虐殺を、日本人対中国人ドイツ人ユダヤ人の民族紛争であるとみなすことは妥当なのでしょうか? より広い歴史的視野をもってイスラエルの対パレスチナ人政策とパレスチナ人たちの(暴力・非暴力を含めた)抵抗運動を評価することが要請されているように思われます。以下、少々長いですが、ぜひお読み下さい。



炭酸ドリンク植民地主義

ジェイムズ・フィン、キャリー・メイド
中東調査情報プロジェクト(MERIP)、2014年4月18日

毎日朝早く、ジャバア村の労働者ら数十人は、両側にゴミが積もった狭い階段を上って、60号線沿いのバス停へと向かう。ナザレからベルシェバまでをつなぐこの高速道路は、西岸地区を縦断している。階段を上り切ると、労働者達はトンネルを横切る。かつて村人達が高速道路に行く際に便利だったこのトンネルは、2000年代初めのインティファーダ以降、巨大な石灰岩や土砂、瓦礫によって通行が邪魔されている。バス停のある道路の湾曲部は、エルサレムの北西9マイルに位置し、遠方には、高さ20フィートのコンクリート隔離壁が周囲を取り巻くように連なっている。高速道路の東にはイスラエル入植地ゲヴァ・ベンヤミンへの入口を示す標識の立つ円形十字路があり、あちこちに入植地の不動産広告や、A地区――1993年オスロ合意によってパレスチナ人の管理下に置かれた、西岸の18%を占める地区――への入口であることをイスラエル人に警告する軍の赤い危険標識が掲げられている。入植者とパレスチナ人それぞれの一日が始まると、高速道路は車やバスで渋滞し始める。ここで労働者達は、10マイル離れた職場、ソーダストリーム工場へと彼らを運ぶバスを待つのである。

この労働者達は、2013年1月にスカーレット・ヨハンソンによって国際的な注目を集めた論争の中心に位置する。この女優がソーダストリームスポークスパーソンになるという契約を発表すると、被占領西岸地区内マアレ・アドミーム入植地に付属するミショール・アドミーム工業団地にあるこのイスラエル企業の工場について、大きく異なる二つの説明がされるようになった。ソーダストリーム批判者は、工場が国際法上違法な入植地の中にあると指摘し、パレスチナ人労働者は奴隷労働市場のように搾取されていると主張する。他方ソーダストリームを擁護する人々は、テレビ映えのするダニエル・ビルンバウムCEOを筆頭として、まったく異なる説明をする。ビルンバウム、あるいは彼の言葉を繰り返すヨハンソンによれば、「この工場は、この紛争の両サイドにいる活動家政治家にとって理想的なものです。なぜならそれは一つの平和モデルであり、我々二民族間に平和を実現することが可能だということを日々証明しているからです」ということになる[1]。同じ工場でユダヤ人パレスチナ人雇用することによって、ソーダストリーム社は、従業員が平等に尊重される、多文化的な環境の整った雇用を提供しているのだと。

論争は盛り上がっているが、その一因は両者の議論が行き違っていることにもある。ソーダストリームスパークリングディナーでの話題を提供する中、批判者・支持者のいずれもこの会社が労働力を引き出しているコミュニティについてしっかりとした説明をしていない。また、共生という言葉を用いながらイスラエルユダヤ人に利益を与えるイスラエル経済計画についても全体的な見取図を示せていない。ジャバア村の物語は1967年以降の占領の歴史を良く反映している。そこでは、封じ込め政策と就労制限によってパレスチナ人イスラエルへの経済依存がもたらされてきた。しかも、この状況はグリーンライン――1949年の休戦ライン――に限定されない。ネゲヴ地方で操業が予定されているソーダストリームの工場もまた、パレスチナ人貧困を促進し、低賃金労働に依存する開発計画を準備してきた国家政策から利益を得るのである。


モデル工場

かつてジャバア村は孤立した村ではなかった。北にはラマッラー、南にはエルサレムがわずか2〜3マイルの距離にある。(占領が始まった)1967年、それは農業を主な生業とする小さな集落であった。しかしその後、入植地や軍事基地、「自然保護区」のため、農地の大半をイスラエルに奪われることで、ジャバア村は劇的な変化を強いられてきた。今日、村の唯一の入口に辿り着くには、60号線を越える橋につながる曲がりくねった道を通って行くしかない。入植地によって土地を奪われ、周囲を囲い込まれながら、ジャバア村の住民は彼らの経済資源のほとんどが失われていくのをただ眺めるしかなかった。

多くのジャバア村住民は、アメリカか他の国に移り住んでいった。残っている3300人の住民の半分以上がグリーンラインの向こう側(イスラエル)か、入植地、あるいはミショール・アドミームのような工業団地で働いている。中には、かつての村の土地に入植者が作った小さな工業団地シャアル・ベンヤミンンで働く村人もいる。ソーダストリーム社に雇用されているジャバア村の住民は100人以上に上り、ミショール・アドミーム工業団地にあるこの工場における労働者の最大の供給地の一つとなっている。

ソーダストリームの擁護者は、何かと言えば、会社は労働者に良い給料を払っていると主張する。そして、工場の労働環境やそこで働くことによって得られる生活水準について良いように言う労働者の言葉を引き合いに出す。ソーダストリーム社のウェブサイトで見ることのできるプロモーションビデオは、組立ラインに並ぶユダヤ人パレスチナ人労働者の姿を映し出し、パレスチナ人労働者に笑顔で次のようなことを言わせている。「私はソーダストリームが好きです。ソーダストリームは多くのアラブ人に仕事を提供しています。このソーダストリーム工場では、私達は兄弟、あるいは一つの家族のようです。」

私達自身、ソーダストリーム社の従業員あるいは元従業員と話してみたところ、中にはいやな経験をして憤慨している者――とりわけ短期間雇用されていた元従業員の場合――もいるが、彼らの大半は自分達の労働環境賃金に満足していた。しかし、労働者らが常に満足していた訳ではない。2009年以前、ソーダストリーム社は派遣業者を通じてイスラエル最低賃金以下の給料しかパレスチナ人労働者に支払っていなかった。これは、入植地にもイスラエル労働法適用すべきだとした2007年の最高裁判決に違反していた。2009年、この派遣業者労働法違反について処罰を受け、間もなく倒産した。再びミショール・アドミームの工場において労働者を外部委託しようとする試みは失敗し、また、労働者の側でも労働運動組織化に成功した結果、ソーダストリーム社は工場で直接労働者雇用し、イスラエル法律に従うようになった。労働者の権利擁護団体は、今でも一日12時間労働や残業手当の不払い、会社からの威嚇などについての訴えを受けている。しかし、ソーダストリーム社が入植地内工業団地における他の工場に比べ、最も良い労働条件を提供しているということは事実だといえる。

ソーダストリームの工場はショーケースである。つまり、理想的入植地経営の代表として、会社やイスラエル政府は海外のジャーナリスト取材できるように取り計らっている[2]。しかし、ソーダストリーム社の労働条件に限らず、特定の入植地ビジネスにのみ注目することは、占領がもたらすより大きな影響について不問に付すこととなる。イスラエル最低賃金(約1240ドル/月)が、西岸パレスチナ人の得る――仕事を得られたとすればであるが――平均賃金の2倍を優に上回ることは事実である。しかし、イスラエル最低賃金――ユダヤ系イスラエル人の町や入植地において何とかやり繰りできる金額――が西岸パレスチナ人労働者にとってそれだけ良い条件となっているのはなぜなのか?


分断して「共存」せよ

西岸地区におけるパレスチナ経済は、1967年以来この地域の経済を支配してきたイスラエル国家の諸政策と切り離して考えることはできない。イスラエルはこの地域の輸出入や自然資源を支配してきた。また、西岸地区の内部や、その後退・収縮していく境界を越えてのモノや人の移動も支配してきた。

占領開始から最初の10年間、イスラエル西岸とガザの経済を自国の経済に統合しようとした。それは、パレスチナ人経済的に豊かにさせることによって抵抗運動を抑制しようとする政策によるものであった。当初これらの政策は、標準的な経済指標によれば成功していた。すなわち、占領地の全域において賃金は上昇し、失業はほとんどなくなり、個人消費は著しく上昇した[3]。しかしこれらの利益は、パレスチナ経済の総体的な潜在力と独立とを犠牲にすることによって得られたものであった[4]。イスラエルは土地の収用とパレスチナ農業の近代化を同時に行うことによって、多くの農民を土地から引き離した。そうして、イスラエル雇用に頼らざるを得ない大量の現役労働者を作り出したのである。

1993年オスロ合意に続く西岸地区の行政的ないし物理的分割は、イスラエルによるパレスチナ経済の支配を揺るぎないものとした(ガザでは、2006年選挙におけるハマースの勝利以降、ほぼ全面的な封鎖を通じてイスラエルがこの地域の経済を支配している)。労働の許可や輸出入の許可を与える権限は完全にイスラエル国家が掌握しており、地域内の道路やグリーンライン越しの移動についてもイスラエルの監督下に置かれている。失業率は大きく変動してきた。1990年代後半や、西岸地区が完全に封鎖された第二次インティファーダの際には失業率は急上昇した。以降、軍事封鎖が緩められ、人々がイスラエルでの仕事に復帰したり、入植地内の仕事を見つけるようになるにつれ、失業率は次第に減少してきた。1993年以降、パレスチナ自治政府は公共部門において数千もの雇用を作ってきたが、それらの利益に預かったのは、中・高学歴パレスチナ人がほとんどで、しかも自治政府による雇用の安定性はイスラエルが代理徴収した地方税の送金や国際援助に依存するものであった。パレスチナ人雇用イスラエルの政治・経済・治安上の都合によって事実上制限されている。

このような環境において、共生があり得るとすれば、それは、パレスチナ人イスラエル企業による製造業や建築業、農業労働に低賃金雇用される以外にはほとんど考えられない。頻発する入植者による暴力事件と比べれば、そのような雇用は理想的な形態の交流にさえ見えるかもしれない。過去3年間、ジャバア村は、モスクやわずかに残った農地に対する襲撃事件、高校での落書きなど、入植者の暴力に耐え忍んできた。しかし、ジャバア村の住人は今も毎日工場に通い続ける。

ソーダストリーム社の共生モデルは、独立したパレスチナ経済の可能性を破壊することでイスラエル企業利益を増進してきた支配システムに欠かすことのできないものである。共生についての議論を、まるで事実に基づいていない説明や、冷笑的な宣伝戦略に帰すことはできない。この(共生という)概念のイスラエルパレスチナにおける長い歴史は、常にその想定された二者間の政治的経済的不平等によって規定され、また実際に可能とされてきたのである。


新しい時代?

西岸地区におけるソーダストリーム社の操業を弁護しながらも、ビルンバウムは、彼がこの会社に関わる以前からあったミショール・アドミームの工場が「悩みの種」であることを公に認めていた。ソーダストリーム社は現在、グリーンラインの内側の、イダン・ハ・ネゲヴというベルシェバの北にある新しい工業団地にもう一つの工場を建設している。入植地であり、ボイコットの対象とされているミショール・アドミームは、ソーダストリーム社のようなグローバル市場を対象とする企業にとって不利な立地条件である。ネゲヴの工場は、この圧力から逃れる可能性を与えつつも、入植地ビジネスにおける利点の多くを兼ね備えている。西岸の入植地もネゲヴの工業団地も、イスラエル土地管理局によって、開発のための最優先地区として分類されている。これらの地区に投資する企業は補助金助成金、税控除などを受けられる。重要なことは、これらの工業団地から得られる税収――しばしば非ユダヤ人労働に高く依存している――が、隣接するユダヤ人自治体――入植地であれ、イスラエル領内のユダヤ人の町であれ、――の収入となっていることである。

イスラエル政府は、この数十年来、ネゲヴ地方におけるベドウィン住民を集住させ、都市生活をさせようと努力してきた。この政策は最近ではプラウェル計画において最も暴力的なかたちで行われている。イダン・ハ・ネゲヴ工業団地は、こうした努力の一環をなすものである。このプロジェクトは、1948年イスラエル建国にまで遡る。このときネゲヴ地方に暮らす9万2000人のベドウィンのうち8万1000人が新国家の外部に追放され、残りの1万1000人は「シヤーグ」と呼ばれる狭い地域に封じ込められた。残存した村は、1969年までフェンスに囲まれ、軍令の下で支配され(※)、その後もイスラエルによって承認されずにいる。未承認の村は、水道や電気などの基本的インフラの整備を拒否され、住民は家や貯水タンクに対する破壊命令にさらされた。ベドウィンは、恒常的な追放の危険と基本的な設備へのアクセス制限と引換えに歴史的な土地に残るか、国が設置した7つの居住区の中の一つに移住するかの選択を迫られた。

このような状況で、ベドウィンの家族の実に67.2%が貧困状態にある。これに対し、イスラエル貧困状態にある家族は20.5%である。イスラエルは、各自治体の社会経済開発のレベルを10段階にランク付けしているが、すべてのベドウィンコミュニティは最下位とされている。公式統計によれば、ネゲヴ地方の都市に暮らすベドウィンにおける失業率は約17%である。これは、この地方におけるもっとも貧しいユダヤ人の町における失業率の倍以上である。未承認の村における失業率については公式統計が存在しないが、そこでの失業が(都市部のベドウィンと比べても)著しいことは一般的に知られていることである。

入植地の工業団地と同じように、イダン・ハ・ネゲヴ工業団地も、経済発展を通じてベドウィンイスラエル社会に統合する共生プロジェクトであるとして、もてはやされてきた。この工業団地は、最も大きなベドウィンの町であるラハットの指導者達や、この開発計画の最大利害関係者である周辺のユダヤ人コミュニティからの協力があることを自慢してきた。当初ソーダストリーム社は1000人以上の新たな雇用を約束していたが、500人の従業員に計画を縮小した。しかも彼らの多くは最低賃金雇用される予定である[5]。

イスラエル市民権を持っていようがいまいが、イスラエル工業団地で働くパレスチナ人にとって最低賃金とは、多くの場合、国家――西岸においては、国際法上、住民の生活に責任をもつ占領当局――が彼らに与える最大限の保護なのである。ジャバア村とネゲヴの住民は、異なる関係をイスラエル国家と結び、異なる法体系の下で暮らしているものの、囲い込み、意図的な反開発、プロレタリアート化という良く似た歴史を負っている。

ソーダストリームの問題はグリーンラインによって隔てられるものではない。また、ソーダストリーム社だけが、イスラエル政府による人口的・経済的な改変の対象とされた地域から利益を得ているわけでもない。イスラエルパレスチナ全域において人と空間を支配する重層的システムの中では、最低賃金での雇用でも贅沢なものに見えてしまうのであって、そのようなシステムにしぶしぶ従うしかない労働者にとって共生とは婉曲語法以上のものではないのである。

[1] Reuters, January 29, 2014.
[2] Benjamin Katz-Nussbaum, “A Model Factory For a Colonialism in Trouble: The SodaStream Saga Revisited,” Mondoweiss, March 7, 2014.
[3] Neve Gordon, Israel’s Occupation (Berkeley, CA: University of California Press, 2008), p. 66.
[4] Leila Farsakh, Palestinian Labor Migration to Israel: Labor, Land and Occupation (Abingdon: Routledge, 2005)
[5] Haaretz, February 3, 2014.

イスラエル建国後、イスラエル領内に取り込まれながらも消滅を免れたパレスチナ人の村のは、1966年まで軍政下に置かれていた。しかし、ナカブ(ネゲヴ)地方に暮らしていたベドウィンパレスチナ人達は1969年まで軍政下に置かれていた(訳者が著者に確認)。

[著者]
ジェイムズ・フィン:ラマッラー在住の人類学者。
キャリー・メイドフ:カルフォルニア大学バークレー校人類学を専攻する大学院生

原文:Seltzer Colonialism / Michael Fin, Callie Maidhof
The Middle East Research and Information Project (MERIP), April 18, 2014