V-storm50の時々日記 浅田次郎講演会


昨日の12月16日(日)午後2:00よりアルカディア大ホールにて見附市図書館創立25周年の記念事業として浅田次郎講演会が開催されました。
浅田次郎は皆様方もご承知の通り今をときめく国民的作家で直木賞をはじめ吉川英治賞柴田錬三郎賞を受賞し、日本ペンクラブの会長も務め、
映像化される作品も多く映画をはじめドラマ化や舞台化も含めると30作品を超える超売れっ子作家で現在一年に5作くらいのペースで作品を
書いている一番脂の乗り切った作家のひとりで現代もの、時代もの、長編から短編まで巧みにこなす作家で「平成の泣かせ男」と異名をとる
ほど読者を感涙の渦に巻き込む天才でもあります。私が感じていることはその作品の根底には必ず『奇蹟』が用意されているように感じます。
また、長編を長距離ランナーに例え短編は短距離ランナーで長距離とは違う筋肉をつけ総合的な鍛錬と果敢に挑戦する人でもあります。

講演の冒頭部で川端康成の代表作で新潟県湯沢町を舞台にした小説「雪国」の『国境のながいトンネルを抜けると雪国だった。』…を引用し
見附市民に親近感を抱かせるなど話しの展開はさすがで作家の実力をまざまざと感じさせてくれました。
国境(こっきょう)と読むのではなく「くにざかい」ではないか?と我々に浅田氏自身の自論を延べそれなら「国境い」と何故書かなかった
のか?など作家ならではの言葉の大切さや意味を改めて感じさせ如何に小説の導入部(つかみの部分)が大切かを述べられました。

本格的な作家として活動を始めたのが41歳ごろで受賞が決定的と周りから言われ宴会場まで用意して前祝で飲んでる最中に落選との報で誰も
いなくなりシラケたことなど笑いを誘う逸話も話されたり代表的な作品の書くきっかけとなった秘話や作品の読みどころ、更に漢詩などの
解説も大変分かり易く浅田氏の人柄と読みやすい文章と巧みなストーリー展開を彷彿させるお話を約1時間45分ほど話されました。

講演の後半参加者3人からの質問にも丁寧に且つ、さらに奥の話まで披露されました。
私も2番目に質問し映像化された作品が今まで30作以上あるが小説を書くにあたり映像化や登場人物のキャラクターを想像して書くことは
ありますか?更に以前壬生義士伝が渡辺 謙主演でドラマ化されたとき新撰組隊士井上源三郎役で出演されたときのエピソードを訊ねました。

浅田氏は京都の撮影現場を訪問時に冗談から出演することとなりヅラ合わせで控室で折りから同じ撮影所で撮影されていた忠臣蔵に出演してた
キムタクと隣り合わせとなり報道陣のカメラに囲まれた浅田次郎が誰なのか判らず「見かけぬ顔?どこのおじさんだろう?と不思議そうな顔を
していたエピソードや前頭部が禿ている自分の顔が月代を剃った侍のカツラが意外と似合うとおっしゃられ笑いを誘いました。
また、小説を書くとき映像化や登場人物のイメージを役者等と重ね合わせることは絶対ない。ただ作家である自分が登場人物たちの傍観者として
その現場にいて冷静にその場を見ている感じで、例えば「壬生義士伝」で吉村貫一郎南部藩の大阪組屋敷で切腹するまでの経過をその座敷の
片隅でじっくり見ているようなイメージをもち時間軸で冷静に観察しているような感覚を大切にして書いていると話されました。
また、映画と言うものは大変で「鉄道員ぽっぽや」は原稿用紙50枚の短編でも「壬生義士伝」の上下巻もあり1,300枚の大長編も同じ2時間
内外の枠に収めなければならず。作家として映像化にあたりプロデューサーや監督に総てを預けるしかないと話されました。

また3人目の質問者(同じ読書サロンのメンバーです)の数々の小説でその地方の方言を用いリアルさを感じさせる手法についての質問には
「実際に自分が現地を訪問し、よく居酒屋などに入り地元の人の方言を聞いたりメモったりして方言をつかむ、また全国方言辞典などで正確性
も確かめさらに現地の知り合いに方言部分のチェックを依頼していると話され、作家として絶対にやってはいけないことは標準語で文章を書き
それを現地の人に書き直してもらうことは作家のプライドとしてモラルとしてもしてはならないと思う。など作家としての矜持や意地も感じ
させて戴きました。

書くことが趣味でしばらくは一年に5作程度は書き続けると旺盛な作家魂を語られました。自分にとっても目が離せない作家のひとりです。