「河南」編鄭州へ

今回は河南行である。
 季節は、二十四節気でいう「芒種」の頃、あるいは「高考」が行われる
時期だ。6月上旬である。この2つの言葉は、おいおい説明しようと思う。
今回の旅と関係あるような、ないような・・・。

 我々の移動は、やはりいつも通りの火車、つまり、鉄道だ。
 北京西駅を夜10時38分に出発した夜行列車は、翌日の朝7時過ぎに鄭州
着く。発着時間は申し分ないし、乗り心地だって硬臥(2等寝台)とはいえ結
構快適だ。ただ、あまりに快適で、列車の旅をゆっくり楽しむという贅沢は
味わえず、気が付いたらもう鄭州・・・というのが、ちょっと残念だ。
 鄭州駅は、中国鉄路最大の中継点であり、交通の要衝だ。したがって、商
品交易が盛んだ。なるほど駅の周りは、地方からの買い付け業者のために、
衣類・機械類等々を売る店が多く、荷物を持った大勢の人々と大通りを行き
来する大型長距離バス等々でいつもごった返している。旅行者にとっては、
火車・バス等の乗り換えの街として認識されているかもしれない。いずれに
せよ、この街のイメージは、賑やかな商業区、といったところだ。
また、我々旅行者にはあまり縁の無い話だが、鄭州商品取引所で決められる
いわゆる"鄭州価格"は、食糧・食用油取引の目安になる参考価格として、中
国国内はもとより、世界中から重要視されている。

 交易都市としての側面ばかりが目立つ鄭州だが、歴史は恐ろしく古い。
 市街地に「商代遺址」がある。3500年ほど前の街の城壁だ。ありがたそう
に「商代遺址」などと名前がついているが、今となっては、延々続く高さ7,
8メートルの丘にすぎず、てっぺんを市民が普通に散歩したり、お年寄りが
集まっていたり、なんとも、繁華街の喧騒とは対照的にのんびりムードが漂
っていて好感が持てる。

 個人的には、この「商代遺址」も好きだが、もうひとつ鄭州の歴史の深さ
を感じたのが、「河南省博物館」の数々の展示だ。この博物館は、97年に我
々が鄭州を訪れた時にはまだ工事中だったので、その後にリニューアルオー
プンしたはずだ。ピラミッド型の外観が目を引く。河南省で発掘された多数
の古代の出土品はいうに及ばず、近代史に至るまで、非常に分かりやすく展
示してある。あまりの展示品の多さに途中で疲れて動けなくなりそうだが、
ひとつひとつがどれも非常に価値の高いものだ。結局、じっくり1日かけて
(いつでも休めるようにベンチや喫茶室等が用意されている)見学しても
飽きる事はなかった。また、毎日数回古楽器の演奏ショーも行われ、これ
も一聴(?)の価値がある。
 この博物館で、我々が特に気に入ったのは、出土品・発掘現場の写真と共
に 何の工事の際にその遺跡が発見されたかという事を紹介した展示室であ
る。工事現場の写真の横に、「私はここに眠っていました」と言わんばかり
に出土品がずらりと並んでいるのだ。ビルの建設現場・高速道路の工事現場
・トンネル工事等々、都市開発と歴史のミスマッチに拍手を送りたくなる。
きっとこの辺りは、どこを掘っても何らかしらの遺跡やら墳墓やらが出てく
るぐらい、地面に歴史が詰まっているはずだ。

そういえば、街の外れで光ケーブル埋設を示す標示板を見かけたが、その中
で「ここには光ケーブルが埋設されているから、掘り起こしたり、"盗墓"を
したりしてはいけない」と書いてあった。お宝探しにあちこち掘りまくる輩
がいっぱいいるのだろうか・・・。それにしても、ここの展示を見る限り、や
みくもに地面を掘っているだけでもいつの日か"お宝"を掘り当てることが
できそうで、妙に納得がいく。
                        (つづく)


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