8月17日(金)ラサー成都ー広州(予定)

ターンテーブルは1つしかない。必ずここに出てくるはずである。
到着案内の電光掲示板の表示はクルクルと変わり、あてにはならない。
出てくる荷物のタグを見ると「鄭州」と書いてある。
ラサからの荷物ではなのか??

23才(の旅行者)が、AIR CARGOから荷卸し作業をしている裏手に廻って
、一生懸命職員に話し掛けている姿が、荷物がベルトコンベアーの上を流
れ、ターンテーブルに出ていくすだれ状のビニールカーテンの隙間から見
えた。
私も急いでAIR CARGOが到着する作業場に廻り、職員をつかまえて
「これ、この荷物、ラサからの???」
と大声で聞く。

見ればまだあどけない、20才そこそこの若〜い職員で、あまりの私の迫力
に恐れをなしたのか「不、不・・・。」と後ずさりしながら答えてくれる。
「ラサ!ラサ! ラサから荷物はっ?!」
新米職員、視線をそらし、どこかに行ってしまう。

慌てて表にいるそーねいの元に戻る。

り「ラサからの荷物じゃないみたい・・・。」
そ「ええ〜っ!もう、どうなっとるん?」

どうやらたった1個しか動いていないターンテーブルに、中国全土から来
た手荷物が一斉に出てきて廻っているらしい。

偉さんはどこかに行ったきり、帰ってこない。
空港職員を捕まえて問いただしても、聞いているんだかいないんだか。
困ったような、面倒臭そうな顔をしながら、どこかに電話をかけてはくれ
るが、その後の回答がない。
取り残された私達は、無言でグルグル回るターンテーブルを見つめるのみ
である。

ふと落ち着いて周りを見渡すと、どうも私達以外の中国人民達もが、空港
職員に詰め寄ったりため息まじりでターンテーブルを見つめている。

1時間程たっただろうか?
明らかに”秘境に行ってきます”という趣の、大きなリュックや怪しげな
箱が流れてきた。
全員が「ラサか?!」と身を乗り出す。
私はまちきれなくて、また作業場へ廻りこみ、今まさに荷卸し中のAIR
CARGOの元へ走り寄る。
するとそこには、台湾人らしき若者バックパッカー達が「あいよ〜」を
連発しながら、カーゴから直接、自分のリュックを取りだしているでは
ないか。

り「ねぇ、これラサからの荷物? あなた達、ラサから来たの?」
台「そうよ〜!やっと荷物が出てきたのよ〜。もうっ!4時間も待っち
ゃった!」
り「4時間っ!! 辛苦了・・・。」
なんと、私達の前の便の荷物がようやく出てきた所であった。

それを聞いて、半ばあきらめ顔で振り向くと、先ほどの後ずさりして逃げ
ていった若い職員がこちらをジッと見つめている。
「何だろう・・・?」とこちらもジッと見つめ返すと、彼が私に向かっ
てオイデ、オイデと手招きするではないか。
「???」素直に彼の元に行くと、まだ荷卸し順番の来ていないカーゴを
指差し
「ラサ」と一言。

り「えっ?ラサ?これ、ラサから?」
職「中、見るか?」
り「うん!」

職員はまだ鍵が閉まっている扉を無理やり引っ張って隙間を開け、中を
覗かせてくれる。

職「おまえの荷物、あったか?」
り「う〜ん・・・。暗くてよく見えない。」
職「そうか・・・。」
若い職員が残念そうに去っていく。

しばらくしてまた新しいカーゴが到着し、荷卸しを始めた。
作業員に混じってカーゴの回りをうろつき、中を覗くと・・・。

”あったぁぁぁ・・・”

慌てて荷物の出口、ビニール状のカーテンがひらひらとする隙間から、
ターンテーブルの所にいるそーねいに向かって腕で大きくOKサインを出し、
「あった!あった!」と叫ぶ。
カーテンの向こうでは全員がホッと安堵顔。私も走ってみんなの元に戻る。
するとまもなく我々の荷物が次々と流れてきた。

待つこと約2時間。
もう広州に行けなかった事も、飛行機が8時間、飛ばなかった事もどうだって
いい。
みなが無事、何事もなくここに到着できた喜びでいっぱいである。
すると、待ち構えていたかのように偉さんがどこからともなく戻って来て、
「荷物、来た? さ、行きましょう。」
と言ってさっさと出ていく。

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