東京マグニチュード8.0 第11話(最終話)

悠貴が死んだのは、東京タワーの瓦礫……の後での未来ちゃんが目に涙を一杯ためながら、ガシガシ殴るところ。アレが悠貴にトドメを刺したんですね! わかります!
 
最終回については脚本はモノローグ主体、というかほぼモノローグしかない状態で、見てる側の時間の感覚を奪い回想を重ねる事によって物語を反芻させるような手法がとられている。脚本もかなり練り込まれていて、当作品にはここ2〜3話ぐらい半ば不快感しか感じてなかった私ですら、最終話の展開には関心してしまった。しかしかしモノローグを使う手段として「登場人物の死」を物語の中核に置く方法はやはり安易だ。
 
この辺りの物語の方向性は完全に好みの問題だが、物語の着地点を「登場人物の死」に置いてしまうことによって、それ以上発展性が無い、閉じた物語になってしまう。つまり東京Mの話は「悠貴が死んだ」で止まってしまう、それ以上の意味を全く持たない物語になってしまい、意味合いとしては焼き畑とそんなに変わらない。
 
あと、おっさん向けアニメだから別に良いんだけど、どこらかしらおっさんくさい道徳観を感じる。あの姉弟にしても、どう考えても当事者が見た等身大の子どもというよりかは、大人から観測した子どもに見えた。やはりというか何というか、お涙ちょうだいで済んでしまう内容といい、妙な道徳観といい、ノイタミナは私にとってやっぱり地雷だ、東のエデンが面白かったからそのままの勢いで見てたけど、正直……ね。

総評

結論としては、わざわざ11話も使ってやるような話ではない。7話以降の展開から「登場人物の死」によるスケールの縮小、正直6話で終わっておけばそれなりに名作だったので残念だ。

CANAAN 第13話(最終話)

「マリアは光じゃない、友達だ」マリアとカナンは互いを同列に見ることによって、見えない壁を乗り越え、互いに寄り添う事を許された。カナンは最早「絶望」では無い。そしてアルファルドの名の由来は「孤独」だとも判明、すごく本質的です。
 
アルファルドの目的はシャムに近づくため、その為に手間がすごく掛かりすぎてるような気がするけど、それは彼女が「孤独」という名前を背負ってるからか。
 
あと、カミングス生きてたのかw 個人的に僧侶よりもフリーのカメラマンに転職して欲しかったけど、流石にみのさんと被る以前に色々不味いか(笑

総評

なんだか最後までよく分からない作品だった。そのうえ登場人物が過剰に語りすぎるせいで、逆にテーマが見えづらくなってしまった。あとこの作品の「公? 何それおいしいの?」的な開き直りっぷりは絶望先生の不謹慎ネタのそれに似てるので、ギャグじゃないシーンなのに何故か笑ってしまうシーンがぽつぽつとあった。そんな意味も含めて楽しい作品だったと思います。