オルタの感想再び

マブラヴオルタネイティブをプレイし終わって半月以上が経ちましたが、それでも時々オルタの夢を見たり、ふとした瞬間にあの世界のことを考えたりしてしまっているので、相当に影響を受けたんだなと驚くばかりです。近年やったゲームの中では、本当に最大の衝撃でした。
 他の人の感想を見る限りでは、発売直後の中傷と変わらないレベルの批判を除けば、ほとんど絶賛する内容ばかりで、僕のように批判する感想がほとんどなかったので、きっと皆さんは満足されたんでしょうね。
 僕は最後の10章での落胆が大きすぎて、手放しで賞賛できないのが残念でした。9章までがあまりに凄まじい出来だったために、もったいないという気持ちが先に来てしまうようです。


ちなみにグロシーンやメインヒロインたちが全死亡する展開は問題にしていません。あれは必要なシーンです。


それでプレイ直後に書いた感想に対して下記のエントリからトラックバックを受けていたので、改めて思い返してみるとします。


なお、以下の文章は10章桜花作戦を批判する内容となっていますので、予めご承知おき下さい。


全編を通して生き様や死に様といったものに対して、このゲームはしつこいくらいに考えることを要求してきます。それはもう真剣に泣きが入るほどに。だけどこの主人公は常に頑張ってきました。7章から始まる過酷な展開をも乗り越え、それこそ「武、あんた、すげーよ」「お前を尊敬する」と言いたくなるくらい。純夏に向かって「それがどうした」とあっさり言ってみせたときなど、神がかってるとまで思いましたよ。
 プレイヤーの意識レベルを引っ張り上げながら、常にプレイヤーの前を行っていたわけです。そしてそんな主人公を通してプレイヤーも、主人公と同様にこの世界での生き様や死に様を身に付けたはずです(ゲームという仮想現実内で錯覚した一時的なものに過ぎませんが)。


ところがあの10章では、プレイヤーの前を行っていたはずの主人公が、なぜか遥か後ろでグダグダな様子なのです。どうやらプレイヤーは主人公を追い越してしまったらしい。いや違うな。主人公は突然に逆戻りしてしまったらしい。ここで激しく違和感が発生。
 足並みを揃えるようにして、仲間たちも主人公を遥か後ろの甘っちょろいガキとして扱い始めるわけです。ポカーン状態なプレイヤー(=俺)。おいおい、ちょっと待ってくれよと。ダミーマーカーの件は、ああでもしないと主人公は任務を全う出来ないと判断されたってことですよね。あれこそ仲間たちの主人公に対する最大の侮辱だったと思うんですけど、主人公はそういうふうに思わせた自分が甘いせいだと自分を責めます。おいおい、なんだよ、結局ダメダメなんじゃん。僕にはこれが、9章までの頑張りを見てきて一緒に成長してきたはずのプレイヤーをも否定する展開に感じられました。


そして最後の冥夜を撃つシーンは、やはり今でも納得が行かない。あの場面をもう一度じっくりと見直してみたのですが、全く同じようにイライラさせられました。やはり感情移入レベルが下がってしまったのが最大の原因ですが、もう1つ思ったのは、あの場面はアニメーションと台詞を合わせるためなのか、プレイヤーの好きなタイミングでのメッセージ送りが出来ないという点。しかも流れるような会話ではなくて、字幕に合わせたぶつ切りの台詞回しでテンポが遅すぎること。これも苛つく要因でした。


最終的に撃ったのだからいいではないかと思う人もいるかもしれませんが、僕が問題にしているのは撃つまでが長すぎるという点です。霞には純夏との接触で意識が戻らないかもしれないリスクをあっさりと背負わせたくせに、何で冥夜を撃つときだけあそこまで躊躇うのか。切羽詰っていない状況なら盛大に悩めばいいと思いますし、悩むのが当然ですが、あの状況はそれが許される場面ではありません。地球と人類の未来という背負っているものの重さを正しく認識していれば、エネルギーが回復した時点で、遅くともid:ton-booさんの言うように冥夜がBETAに侵蝕されたことを知った時点で撃つべきです。大切な者を自らの手で撃ち殺すことに対する葛藤だとか、そういう甘っちょろい(あえてこういう言葉を使いますが)ことを言っていていい場面ではありません。そしてそういう甘い考え方から脱却しろと、このゲームの作り手は夕呼先生や悠陽殿下などの言葉を通して散々迫ってきたはずではなかったのか? それを自ら否定するような演出にも納得がいかないわけです。だけど簡単に撃ってしまっては盛り上がりに欠けるのも事実ですし、逆にそれほど感情移入させないでプレイするスタイルのプレイヤーからは冷たすぎるとの批判を受けることでしょう。だからこそタイムリミット的なものを示すなどの工夫をして欲しかったなというのが、前のエントリで書いた真意でした。


そういう意味で主人公に足りないと感じたものは、何が何でも世界を救うんだという決意です。
 それこそ自分が死のうとも、そして自分が手を汚そうとも。
 この覚悟は9章が終了した時点で、主人公も水月や伊隅隊長の最期を見て身に付けたものと思っていたのに、10章の桜花作戦では全然そんなことはなかった。冥夜を撃つその瞬間まで、この覚悟に至らなかったというのが、グダグダに感じてしまった理由だと思うのです。
 そしてその覚悟を身につけることができなかった理由が、主人公は死んではいけないという設定にあったのではないか、というのが僕の推察でした。主人公が死んだら、オルタの世界はそこで終了となり、再び10月22日から始まるという描写があります。ループするのは主人公ではなく世界です。


人類を救うという大きな目的と大切な者を守るという身近な理由とが相反するときに、どういう行動をとればいいのか、最後の作戦では当然起こりえる状況だと予想できるにもかかわらず、みんな生きて戻ろうなんて調子のいいことを言って考えようとしない主人公に、夕呼先生を始め冥夜たちが危惧を抱いたのは当然と言えば当然かな。そう考えるとダミーマーカーの仕込みも頷けます。
 やっぱり、因果導体から解放されてループの輪から外れたことを主人公に認識させるべきだったのでは? 何で夕呼先生は、そのことを主人公に伝えなかったのだろう。桜花作戦の成功率を上げるためには、主人公に更なる覚悟を付けさせるべきだったのに。


でもみんな手放しでこのゲームを賞賛しているか、10章のあの程度のグダグダは許容範囲らしいので、僕のような感想を抱いたのは少数派なのかもしれませんね。繰り返しになりますが、9章までがあまりに素晴らしい出来だったために、10章にも同じだけのクオリティを求めすぎたのかもしれません。