迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

恥は恥と悟って、学び直すは賢者の修行。

元新聞記者がアホな発言を拡散した事で、更に混乱してるかも知れんが、福一のALPS処理水放流を政争の具にしてるのは、非常に愚かな上に、国民の鬱憤を外に向けてる時点で疚しい政権である事の証左でしかない。まず、自国民にきちんとした科学…特に気象学や生物学、更に化学に関する基礎知識を子供に教えず、単に他国を貶める事を推奨するのは、結果として国の品位や在外同胞が受ける不当な排斥、国際間での民族差別を招く咎となる。

 

そもそも、JAEAとて、福一の放射線量のモニタリングをきちんとやってる訳だし、その国際基準よりも更に厳格な数値設定を、原子力規制庁や東電等関係各機関で設けた上での話であり、仮に、金銭授受でどうこうしたと言うなら、それこそ国際機関の運営費の分担比率を見た上で語るべきでしょう…つまり、政争の具にしたい人からすれば、脅迫に屈した他国政府や国民の不様な姿が見たいだけで、それによる“民衆のガス抜き”ができれば、自国の政権維持ができるという思惑あっての話です。しかし、それはガチで在外同胞を考えずにやってる“迷惑行為”でしかなく、特にグローバル企業として活動してる会社や団体にとって、却って収益悪化につながる痛手になるのです…アメリカで華為(ファーウェイ)が事実上市場から追放された理由とて、単なる嫌がらせではなく、中共の指示でのスパイ行為が疑われ、実際にその形跡があった…という疚しさがバレたからです。

 

勿論、経済活動や技術開発の一環で、諜報活動と駆け引きはツキモノな部分ではあっても、それこそ度を超えた行為は、取引の信用を失墜させる行為であり、そこから再び交渉事を進めるにも、相手にすらされない事で騒ぐ様では、他の取引先からも打ち切られて詰む…それこそ、自らが招いた厄災である。ここに気付かないうちは、何を言っても、何をやっても、無視された挙句、最初から参加資格もないから努力そのものも無意味になる。

 

それじゃ、どうすれば信用を勝ち得、他と張り合える存在になれるか?それは“自分の世代じゃ達成できない”という現実を受け止め、次世代が苦労せずとも報われる様、地道に実力を付け、誰にも相手されなくても、腐らずに精進鍛錬を続ける事です…但し、その努力の方向性を間違えてはいけないのであり、他人を蹴落とす事より、自らが踏み台になる事で、若い世代の育成を行う事であり、その過程で、自分の知識や経験をアップデートさせれば良いのです。その繰り返しが、やがて後世において民族としての国際的地位を向上させ、国としても信頼を得られる訳です。

 

感情に絆される人程、一過的、あるいは表層部分の評価しか見ません。しかし、冷徹に、且つ、本心を見抜く人は、経緯や裏事情込みで物事を見る為、どんなに大声で騒ぎ立て、誹謗中傷を喰らっても、自らの役目や仕事には忠実に、そして粛々と執行するのみです…そこには科学的根拠や、過去の史実においての実例に基づき、想定されるあらゆる事案に鑑みた時、影響がない事を確信してやってるのであり、実害があった事例も、基本的には誤差の範囲であり、不運にもレアケースに該当した人は、あくまで“特異事例”だっただけの話です。特に、治療法の安全性はあくまで、当事者(被験者)が特殊な体質である事が、検診前までに判明してなかっただけであるのが殆どで、ワクチン接種の後遺症の多くも、ワクチンの成分よりも別の要因(金属アレルギーや先端刺突恐怖症といった別の疾病)である事も多いから、正直、最適解があっても諸般の理由で“例外事案”として処理される事もあるのです。

 

だからこそ、自意識過剰で他人を侮辱してるのであれば、それが後に“黒歴史”として語られ、何度も恥を掻く事になるかを考えた上で、自分ではどうにも理解できん分野は、初心に帰って教えを乞う事、学び直す事が重要なのです…人生とは、日々是修行の場であり、精進鍛錬を怠らない人だけが、日々成長し進化し続けられるのです。今の自分に満足し、過去の栄華に縋り、地位に固執する者に、次世代は育成できず、未来も暗く閉ざされたままです。そして、他人を罵る事でストレス発散してる人程、“誰かに叱られたい”と甘えている、未就学児以下の愚か者でしかありません。

だからあれ程、東海道新幹線に縋るな言っただろ!な話。

台風の影響で、更に静岡県内の集中豪雨の影響で、東海道新幹線が終日混乱してエラい目に遭った人が多かった訳だが、タイミング的に夏休み…特にお盆に直撃したからこそ、問題視してる人が多いが、別の見方すれば、事前に計画運休や台風一過の“後遺症”は、ある程度想定できた事なのに、代替案や事前準備としてルート変更等をやれば良いのに、なぜかそれをしなかった人が多い上に、乗車後2時間以上の遅延は運賃全額払い戻しというきっぷのルールがわかってない人多過ぎ‥鉄ヲタや旅好き、放浪癖なら、ここんトコは熟知してるし、何なら、今の時代ならでは使える迂回ルートがあるって散々、SNSで発信してるのに、そういう情報収集ができとらん。悪いが、何のために昨今デジタル化でなかなか持ってるのを見ないコミケのパンフレット並みに分厚い時刻表が発売されとんじゃい!って話だ。

 

 

鉄ヲタの危機管理…特に目的地に向かう途中でトラブルが起きた場合、どう対処するかは、それこそ経験則と時刻表の巻末近くにある“きっぷのルール”なる、鉄道事業者国交省が規定する旅客輸送規約の要点をまとめた項目があって、大凡の鉄ヲタなら、真っ先に熟読して頭に叩き込んでる部分…ここを読んでる人なら、大概は慌てふためかないし、ルールそのものはJRだろうが私鉄だろうが関係ない。故に、鉄道系Youtuberが“首都圏大回り乗車”とか、“青春18きっぷで日本縦断できるか?”とかのネタを投稿できるのも、ほぼほぼ、このルールを熟読し、応用した旅程を実行して、映像公開してる訳である。

 

つまり、今回の事態に備えるなら、メディアの報道内容と、各鉄道会社の運行情報を睨みながら、時刻表で行ける迂回ルートがあるかを読む作業をやっていれば、大概は回避可能な事案であり、“予定通り”が当然という概念こそが、判断を鈍らせる最大の要因と見抜く事が重要なのです。

 

もっと言い方を変えると、危機管理の至極は、日頃の常識は有事では通じないから、たまに非日常の経験を生活の中に入れてやってく事で、自然と身に付く訳です。コレは何も、鉄ヲタに限らず、ドライブ好きやキャンプ愛好家でも同じ事で、その経験が有事…特に自然災害発生時に、どう対応すれば良いか、あるいは、一時的に退避して救助を待ってる間にできる事は何か、そういった時の行動は、まさしく趣味の範疇でやってた経験がモノをいう訳です。当然、出張が多いサラリーマンでも、鉄ヲタ非ヲタ関係なく、危機管理として、前日前乗りや予定の切上げ、当日中に到着可能な迂回ルート策定は、できる様になってないと、重要な仕事が回ってくる事はありません。

 

 

一部報道で、子供をダシにした東海道新幹線の運休を批判する内容の話が流れてたが、一番悪いのは、事前の回避策もせずに駅に向かった親であり、情弱な親に振り回された挙句、楽しみにしてた野球観戦やテーマパークに行けずにギャン泣きした子供が気の毒としか言い様がない。単なる「便利な移動手段”としか新幹線を利用してないなら、一度でいいから時刻表読めと言いたい…何に為にリニア中央新幹線を作ろうとしてるか、あるいは、北陸新幹線は何で関西圏延伸が望まれてるのかを考えろって話だ。尤も、今でも金沢経由でサンダーバード乗り継ぎで大阪以西に向かえたし、長野経由でしなの乗り継ぎで名古屋まで行って、そっから静岡方面に戻ったり、近鉄名鉄に乗って中京圏に向かう事ができた訳だが…w

左翼も右翼も、所詮はダブスタクソ野郎の集まり。

お頭足らずはどっちも一緒で、ほぼ感情的になって相手の意見や提案、解説を聞こうとはしません…何故なら、相手に馬鹿にされ続けられた恨みや妬みで、自己否定されたと勘違いし、自己の正義の身に固執し、それを他人にも強要してまで正当性を認めてほしい訳です。しかし、それ故にダブスタが罷り通る訳で、自分にとって気に食わない相手、あるいは勝手に敵として見做した相手の行動が世間的に褒められると批判し、場合によっちゃ根拠や証拠を捏造し、あたかも“自分の手柄”として脅す訳です。

 

 

ここで考えるべきは、批判されてる側に関する“客観的視点”での経緯と状況の情報です。件の主張の矛盾点は、大概はここを追って行くと速攻で“虚構”であることがバレる訳で、そこを巧妙に隠すには、公式情報に対する“公表時の改竄”が必要になるのです。つまり、メディアが報じる内容は、場合によっては意図的に改竄が行われてる可能性がある訳で、件の国葬弔問者名簿の“黒塗り”も、メディアにとっても不都合な部分があって、入手の際に“揉み消した”と怪しむ方が、案外スジが通るのです。ま、プライバシー保護に関する認識の齟齬で、メディア的には全開示すべきと報じてても、参列者が“一般人”だった場合、その該当人物のプライバシーを侵害する恐れがあったってなれば、それはそれで政府批判の材料として使われる訳で、どっちが政権運営にダメージが残るかを踏まえたら、しゃーない部分と考えるのが妥当です。

 

また、国会議員の外遊に文句付ける割に、地方議員…特に災害被災地の自治体トップの外遊は批判しないのは、完全に本末転倒です。何故なら、国政与党議員は、国の代表使節でもあり、野党議員でも与党側の視察での“取りこぼし”を突いて、渡航先の野党議員の意見も調べるという仕事があって、単純に海外へ出向いてる訳ではありません。また、地方議員も、平素であれば姉妹都市提携を行なってる国や地域に視察や研修に行くのも一つの“交流事業”として見做されますが、台風や地震等で被災してる地域の行政トップが、被災現場を離れる事は、あってはならない話であると同時に、有権者をコケにした態度と見做されます。つまり、現場指揮官が自分の職務を放棄したと見做され、批判されても文句言えないのです。

 

ここが理解できてない以上、当然ですが“ダブスタクソ親父”扱いされる訳であり、感情的な怒りを恐れるあまりに暴力を振るう事を正当化するのであれば、もはやあらゆる戦禍は免れません。つまり、それぞれの役割や状況に合わせた行動に対し、責任を払う本意は、如何なる批判があっても、全体的に見たら、全員が満遍なく救済される仕組みや政策であれば問題ない訳であり、下手に分母を読み間違えて群衆を煽ったり、つまらん私恨をさも大多数の大事の様に偽るのは、却って国や社会の…引いては子供達の未来の可能性に蓋する行為であり、その損失の方が遥かに大きなダメージになります。

 

 

これは何も、行政のみならず、あらゆる分野でも言える事で、例えば医療機関での技術革新や新薬開発といった分野では、膨大な治験データが必要であり、不幸にも体質的あるいは体力的に無理があって事故った場合でも、その事故が起きない以上“問題”が放置され続け、改善策すら見出せないという絶望に突き落とされる可能性があった訳です…特に癌治療は、様々な要因と問題が患者個々で違う為、決定打となる治療法は、まだ確立できてないのが実情であり、また、発症時の年齢や性別とかによっては、病状の進行度と寛解に至るまでの対策が全く違う為、一方では生存できてももう一方は同じ治療を行ったのに…ってのもザラです。しかし、その積み重ねによってスパコンも駆使した“最適解”が求められるのであって、一概に放射線ガーとか薬害ガーとか騒ぐ時点でお察しです。

 

 

だからこそ、様々な分野の視点から考えるべきであり、表層面のみで騒ぐ前に、ちょい捻くれてモノを見ることも大事です。自衛隊憲兵の如く市民に銃口を向けるのでは?と言われたら、それって発言者が最高権限獲ったら真っ先にやりたい事を口にした…って考えたらいいんです。だって、一度でも災害救援に入った自衛官が、被災者に対して“作業の邪魔”と言って銃口を向けました?そういう事です。

不法行為してまで受けたい?人権擁護の利権とは

没落野党の党首がSNSで、アホ過ぎる発言で炎上させてる訳だが、考え様ではワザと注目集めて時期衆院選の地均ししてんじゃね?って勘繰る話だから、あまり相手にすべきではない。が、不正をしてまで日本へ入国し、難民保護申請して定住したいという甘ったれな発想は、正直、日本の法令を守った上で定住してる外国人に対して失礼だし、まして“異国の地”で住み着くのであれば、生活苦を理由に犯罪をやる時点で謂われなき差別で、他の連中が酷い目に遭っても文句言えない…無自覚のうちに、祖国や同胞の地位や尊厳を背負ってるからこそ、尚更礼節やモラルの重要性が問われるし、法令遵守ができない以上、迂闊に相手を舐めて横柄な態度を取れば、確実に国外追放(国籍上の母国へ強制送還)となる。

 

あくまで百歩譲って、どーにかして日本へ辿り着き、永住権を得たいが為に難民申請したとして、それが受理されたとしても、そこに“自由”はない…日本国憲法下で守られる人権や職業選択、言論、就学等の自由とは、それに見合う対価として、税金の納付や治安維持の為の監視、インフラ整備への協力等の義務が、国籍問わずに定住する以上は課される訳である。そこには、元から役場に登録ある住民の人権が最優先で保護される訳であり、他地域から観光や仕事で留まってる人は、客人である以上は最優先で救助されても、そのやり方や被災地での対応は、当該自治体の指示通りに動かないといけない…つまり、災害時の備蓄は住民優先であり、客人たる者が図々しく救援物資を受け取ったり、独り占めしてはいけない訳である。勿論、これはあくまで極論ではあるが、内情に詳しい者以外、基本情報がない以上は下手に手を出してはいけない。故に、外国籍の定住者に日本の選挙権は(一部例外を除き)、認められてない。

 

ただ…昨今の地域の過疎化や都市部への一極集中の弊害を受けてる自治体では、外国籍でも定住して納税してほしいという考えで、安易に“在留外国人向けの田舎暮らし”を提唱するトコが現れ、一部では国内法を歪曲してまで定住希望の外国人向けに行政サービスを変更を実施したトコまで出てきてる。いくら人道的配慮といえど、それは地域の文化を破壊しかねない愚行だし、それを喜んで移住しようと画策してる者も、ちょいと考え直さないといけない…本気でそこに定住する気なら、受け入れ先が用意した“祖国の習慣”ではなく、日本人の価値観や風習を壊してまで定住する価値があるかを考えるべきである。

 

勿論、日本人でも諸般の事情で所得税や住民税を納付してない人もいるが、それとてDVからの夜逃げやら、傷病が起因で長時間の行動ができない、未就学児童等、むしろ手厚い支援を要する状態の人もいる訳で、一概に公的支援を打ち切ったり、侮蔑するのは御門違い。問題は、きちんとした理由や事情もないのに生活保護の申請や民事賠償を求める事であり、これが横行してるから、支援申請を躊躇したり、間に合わなくって最悪の結末に至る事案がある訳である。役場とて、当人が本当に支援が必要な状況なのかを把握しきれてないからこそ、マイナンバーによる一元化した住民管理が必要になった訳であり、いちいち役場や公的機関に出向いて煩雑な書類記入や捺印の手間を省く為のマイナカードであり、その導入を嫌うのは、(無論セキュリティの不備等の不安はあれど)今までの不正ができなくなって、それで得られた公的支援や給付金の受給が止められるのが怖いからである。そりゃ、真面目に納税や法令を遵守してる者からすれば、如何なる理由を押し並べても、それ故に叩かれるし、嫌われて当然だ。そして、その裏で疚しい事をやってる組織や国際的な詐欺師が蠢いてるなら、余計に怪しまれるからこそ、違法行為をやる者を追い出す意図での外国人の入国管理が厳しくなったり、各種公的給付金をカットされても、それは仕方ない話…その犠牲の分だけ私服を肥やした者は、故に大切なモノを失う事が怖くて、他人を馬鹿にし続けて、逃げるしかない。

真の自由民主主義には、如何なる結果にも連帯責任が伴う。

名伏し難いTwitter芸人が、香具師い事言って注目されてんだが、敢えて相手するなら、自分の発言や行為に批判喰らって、その恨み節をつらつら書いても、一般ユーザーから大喜利されて、事の真意を理解される事は、まずないでしょうな…だって、芸名だろうが本名だろうが、その名を冠して世間で言葉を交わし、活動してる以上は、分相応の責任と意見を聞く義務が生じるのであり、それと引き換えに自由民主主義は維持できる訳である。つまり、多数決の結果に対する成否は、反対意見を示した者にも、負わされる訳であり、それが嫌で暴言・暴力に逃げるから嫌われるのである。

 

 

 

社会共産主義に傾倒する人に一番多い思考は、ほぼ“他力本願”であり、自分の失態や敗北の原因を、全部外的要因で片付けようとして敵を作り過ぎる点が見える。故に、敵対する相手が“何らかの事情”で、自分の手を汚さずに消し去れたら喜ぶし、自分の考えが正しいと思い込んで間違ってたら、その責任は、意見に賛同し行動を取った最前線の人に濡れ衣被せて逃げる算段である。こういう輩は、それこそ西遊記孫悟空と釈迦如来のバトルと一緒で、悟空がどんなに筋斗雲使って長距離飛ぼうとも、如意棒で岩山を砕いたとしても、釈迦如来の掌の上で暴れてただけで、それどころか釈迦如来はほぼノーダメだった事実を突き付けられた挙句、岩室に封じられて、玄奘三蔵奉仕が来るまで400年もの間、身動き一つ取れずに苦しむ事になったのは、あまりにも有名な故事だ。

 

つまり、“自由”には、それに似合うだけの“制限”がある…民主主義にも、単に基本的人権が保証される裏には、如何なる立場であっても社会を支え合う対等な存在として尊厳を“連帯責任で守る”義務がある。そこに人種や宗教、学歴、LGBTQも、身体ハンデも、年齢も関係ない。組織にいる以上は、分相応の“責任”を、全員が背負ってるからこそ、睦み励まし支え合うという概念に至るのであり、そこに上下貴賎はあってはいけない訳である。ここを忘れ、手柄を欲して責任逃れしようと暴挙に出るなら、当然の如く世間からも排斥される事になる。

 

 

どんなに格好付けてロックな生き様を誇示してても、人間的な最低ラインのモラルは踏み外さないから、普段は嫌われ者でも、それで孤立無縁状態でも、愛さずにはいられない存在として、多くの人から支援される。逆に、学歴が優秀でも、肩書が立派でも、輝かしい功績があっても、人の道を踏み外して暴れる以上は、世間から蔑まされるのも無理ない話。そして、真の意味での多様性とは、誰一人として自分の身勝手で社会の秩序を乱せば、更なる規制を“全員”が受ける事になる…ここを自覚し自制できてこそ、自由民主主義は維持できるって事に気付き、自分の発言や行動に責任を持つ事です。

 

悲しい事に、世界中どこを見ても、この境地に達成できた国や地域は存在しません…自己顕示欲と承認要求に抗えず、感情的になって暴力で解決を試みるからです。でも、所詮暴力は一過的な解決を見ても、永続的な問題解決には至りません。故に、継続的にモラルの維持と、誰でも守れそうなマナーやルールの確認、そしてその意味を深く理解する為に、単に解説するだけでなく、“一緒に履修する”事で次世代に正しく継承させる事が、真の教育なのだと思うのです。さて、ここまでのことを言っても、目の前の子供を見下したり、邪魔者呼ばわりして虐待に走ってる人は、どう叱ってやりましょうかね?

難民・移民政策と人道的モラル教育

フランスで起きた暴動の発端は、17歳の男子が、警官の制止を振り切って逃げた為に発砲し、それが命中して亡くなった事がきっかけだった訳だが、そもそも、その少年が警官の指示に従ってたらどうって事ない話であり、且つ、逃げた理由が経済難民で不法滞在がバレるのが怖かったという…いろんな意味でモラルの欠如から起きた悲劇であり、特に、今のフランスでは移民政策に注力し過ぎた結果、モラル欠如な人々が法を盾に、また、所謂“人権派弁護士”を称する公的詐欺師が、諸般の事情で基礎教育すら受ける事なく他国へ移住した人の感情を焚き付け、余計に国内を混乱させて嗤う始末である。その背景には、難民保護の多くが、物資支援ばっかで、教育やモラルを指導する支援が、今日に至るまで、どこも“やってない”という事に尽きるのである。

 

 

日本の入管法が他国より厳しいのは、正にそこの部分の支援が“できない”からこそだし、もしそこの部分をクリアさせるには、それこそ難民キャンプや移民受け入れ施設等で、最低でも半年〜1年かけて、移住先で必要なマナーや国際的な人道的モラルの教育指導を義務化する必要があり、単に“読み書き計算”ができればいいという程度の指導では、フランスの事件同様の動乱が起きてもおかしくありません。ここで重要になるのが、如何なる宗教においても根本にある筈の“人の道を説く”基礎哲学と指導であって、信仰や布教は二の次です…日本は憲法下において信仰の自由が保障されてると言えど、その根幹には神道における“人として生きる心得”が、どの宗派であっても守られていて、且つ、生活様式に家事全般や職業の尊厳を、神話や伝記、果ては和歌、小説等の文学や武芸事を通じて、<s>ミャクミャク様</s>…もとい、脈々と説いて来たからです。

 

しかし、オイラが知りうる範囲での“世界宗教”と冠してる欧米や中東の宗教倫理には、残念ながらこの概念が欠如したまま布教してるトコがあり、故に互いに対立してるようにしか見えないのです。もっと言えば、生きる上で必要な物質を確保する事はできたとしても、継続的支援には限界が出るのは、“次の一手”を誰も指導せず、独立・自立の機会を奪って、“未来に蓋をする”施策しかやってないからです。ぶっちゃけ、日本の支援策は“物資より育成”というスタンスであり、それは先の戦時下において統治した東南アジア諸国の状況と、その後の独立運動の経緯を知れば一目瞭然であり、それは今でも中東やアフリカの開発支援でも同じな訳です。逆に国連加盟国のうち、出資負担の大きい欧米諸国の支援に、物資以外の支援はどうでしょう?つまり、そういう事です…上っ面な宗教倫理観を振りかざす割に、誰一人として救えず、逆に戦乱を悪化させてるのは、神道の概念でいう“人の道を外れた行為”だからです。

 

 

残念な事に、人間に限らず“生物”は、元々から他者を見下して優位に立つ事でしか生き残れない宿業を抱えて産まれる訳で、他種だけでなく同種の存在であっても血で血を洗う事しかできない存在です…そこを否定し抗う意思…それこそ来年公開予定の劇場版種自由のPVでのキャッチコピーそのものと言って良い概念を求めたのが宗教のあらましであり、故に根幹には“人の道”という生き様の哲学があるのです。しかし、仏教でも、釈尊滅後の世界において、仏教の教えそのものが歪められるのは避けられないと、法華経でも説かれてる様に、日常で習慣化して、それが“あって当然”となれば、初歩的な部分を簡略化して次世代に教えてしまう為、“道が逸れる”事になるのです。これが、如何なる宗教も、指導者次第で邪教化する要因なのです。

 

話を元に戻すと、真の意味での人道支援とは、救援物資による一次支援だけではなく、基礎教育や技術指導といった“二次支援”のあり方を模索し、実践する事です。そこには母国で自立する為のモラル作りも含まれるし、他国への移住を考える前に、移住先での法的規制や生活上での基本的マナーを学び、手順を追って身につける事が、ひいては祖国や同胞の人権や尊厳を守れる鍵だと諭すのが本筋だとオイラは考えます。勿論、受け入れる方も、単に相手を憐れんだり見下すのではなく、罪を犯せば誰であっても罰せられる事と、貢献すれば誰であっても褒め称えられる事は、“全て平等”という事を弁えるべきです…〇〇だからとか、××なのにとか、表面上の情報だけで目の前の相手を見ずに判断を下すのは、感情剥き出しで襲い掛かる野良犬以下な所業であり、完全に人の道を外れた忌むべき者として排除されるだけです。

ご無沙汰w 新興国を羨む前に…

こっちでやるのは何年振りやらw ま、SNSで長文やるより、こっちの方が手っ取り早いって思い、見にくいアプリ画面と悪戦苦闘しながら、久々にやりますか。

 

 

さて、交通システムやネット環境において、日本は“遅れてる”と指摘する人が散見されるが、比較対象に上がってる国や地域を見た時点で、勉強不足もいいトコだなぁ…って感想しか出ない。というのも、上辺の部分のみ見て嘆くのは簡単だが、その“内情”を理解した上で喋ってる人が殆ど何だよなぁw

 

特に中国🇨🇳のそれって、一部の都市を特区として自由貿易圏の企業を呼び込み、そこで技術を模倣して作り上げたモノであり、また、共産圏であるからこそ、住民登録に全て紐付けて管理する様にしてるから、個人情報は国が全て牛耳ってる訳であり、そこに抗おうとして事を起こせば、一族ごと“粛正”もある訳である。更に、貨幣で偽造が横行してるからこそのキャッシュレスであり、経済動向すらそれを国が管理して嘘を吐くのも他愛無い話です。ここんトコが理解できてると、何で567蔓延時に無茶苦茶な事をやったのか、天安門事件を歴史(現代史)で正しく教えてこなかったのか、未だに少数民族自治区に対する圧政を強いるのか、容易に察しが付くのです。

 

東南アジアや中東、アフリカでも、実態的に言えばデジタルインフラに関しては、それこそ欧米や日本より無茶苦茶進んでるトコが増えてるけど、その背景には、今まで電話はおろか電気そのものも普及がままならない地域だったからこそ、ODAとかで最新鋭の機器を導入し、最新型のデジタルインフラを早急に普及させることができるのであって、最初っから生活インフラ全般が整備済みな地域に最新技術を盛り込むには、既存のそれらを全部取っ払わないと難しい訳です。勿論、既存のパイプラインや電線網を置き換えても影響ない規格であれば、そこまで時間は掛からなくても、老朽化による不具合で事故が起きる可能性もある為、また、新規で設置するよりコストが割高になる事もあって、なかなか手が付けられないのも現状としてある訳です。

 

 

要は肉体と一緒で、新興国とされる国程“組織の新陳代謝”も早いし、若年層の人口も多い分、国の体力も発展も目覚ましい反面、財政難や職種の無さが問題となり、また、物価が安い事を理由に賃金そのものもさることながら、就労現場の環境も劣悪故に、出稼ぎに出る若年層を引き止める為の政策が求められる訳であり、日本や欧米諸国(てか、旧来の西側諸国)でインフラの格差や旧態依然の生活インフラが根強く残るのも、設備の更新•維持に開発費以上の経費が掛かるのと、システムの信頼性や簡素化しても品質を維持できるモノ“だけ”が生き残ってる訳であり、また、医療の進歩や介護のあり方等で、若年層より高齢者層の方が人口比率的に多いからこそ、最新鋭技術の導入に対して慎重になり、失敗を恐れるあまりに“既存で充分”という思考に至る訳です。ここが理解できてるか否かで、見方はガラッと変わる訳です。

 

逆転の発想で言えば、若いうちは無謀な事をやっても他の部分でリカバリーできても、老いれば経験則と知識がある分臆病になり、そこでジェネレーションギャップ的な隔たりが生まれ、対立してしまうのです。これは宗教の経典を学問として研鑽するのと、実践をもって体感し悟逹する事との違いでもあり、頭デッカチや地位に自惚れるバカは成仏できんと釈尊十大弟子を喝破したのと同じで、“どちらが”ではなく“どっちも”必然であり重要って事です。老耄だからと卑下して塞ぎ込むより、自ら生涯現役であり続ける為に若い連中とバチバチにやり合って向上心を保つ事で、より良いモノを作り上げてこそ“老舗”というブランドの維持と発展が見込めるのであり、若いからといって無茶や無理が祟れば、どんなに優れた才能を持っても、その先の発展も信頼を勝ち得る事はできません。そこの選択肢を間違えると、単調でつまらない、自分の価値すら見出せずに、他人への勝手な怨恨抱えて腐るだけです。そうならない為にも、勝手な価値観を押し付けて見下すのではなく、様々な立場での考えや価値観を認め合った上で共存する道を探る事こそ、現代社会に必要な“スキル”ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

余談だが、一キリスト系宗教家の立場で、国を相手に多額の資金を要求するのは、他の宗教団体に対しても失礼で迷惑だし、教皇様が“精霊から生まれ変わらないとダメな存在”って斬り捨てられるのも無理ないw ついでに、他国の血税をむしり取る事を正義と教える指導は、信徒だけでなく、世界をダメにする一凶でしかない…哀れ過ぎて笑えん。