さとしの哲学書簡ver3 エジプト・ヘルワン便り Twitter

September 01(Tue), 2009 [さとしの独断人物伝]男性として王位についたハトシェプスト

[]男性として王位についたハトシェプスト

旧HPにあった、歴史の中のTGをこちらに移しました…。

管理が難しいもので…


世界初のFTMトランスジェンダーか?!

男性として王位についたハトシェプスト

(BC 1504-1482)


※この記事は1997年と1998年、つまり10年前ににかかれたものです。

 2006年にミイラが発見されてから少し見解が違ってきていますので

 また書いてみたいですね。

以下。


(BC 1504-1482)

★はじめに

性同一性障害をもったものは、大半の人々の過ごすパターンの人生になじめないこと幼少時にわかるため、人生のモデルが無いことが多く、否定的感情で過ごしてしまうことが多い。

そんな彼等にとって先駆者の姿はなによりも励みになるものである。3500年前を生きたハトシェプストもその一人だ。女性の体に生まれながらつけひげまでつけて男装し、公式の場で活動していたという事実が私を魅了した。それも後継の男子がいなかったからではなく、トトメス三世という後継者(現在は甥説有力)がいながら、である。

 

 マアトカーラー=ハトシェプスト=ケネメトアメン。この人物の名をどれだけの人が知っているであろうか。今後数回はそうした歴史上のそうした人物の紹介をやってみようと思う。


★デル=エル=ババリの神殿

エジプト首都カイロからナイル川を74。Km遡るとそこはルクソール古代エジプト新王国時代には首都として栄えたテーベの遺跡が数多く存在している。ナイル川東岸には壮麗な神殿が立ち並び、古代エジプトの栄華をしのばせる。

ナイル川西岸はネクロポリス、「死者の都」であり、かの有名なトウトアンクアメンが眠る王家の谷もここにある。ここの地形はナイル谷と呼ばれる険しい石灰岩の山塊がそびえており、我々がイメージする地平線まで見渡せるような砂漠とは違った荒々しい砂漠である。

その山塊の最高峰がエル・クルンであり、峰の東の崖下に古代エジプト建築史上最高傑作といわれる三段テラス式の神殿がそびえている。かの有名なデル=エル=バハリのハトシェプスト女王葬祭殿である。


 



★女王の発見?男ではなく・・・

1829年ヒエログリフの解読で有名なフランスシャンポリオンが調査におとずれた遺跡を丹念に調べていくうちに、王名のカルトウーシュが女性形をしていることに気がついた。それが、ハトシェプスト女王の発見であり、この事はエジプト学界を驚かせた。それまではハトシェプストが女性であることも、ハトシェプストという女王が存在していたことも知られていなかったのである。

葬祭殿の王の姿は男性であった。そのため神殿の創作者が女性であるとは予想だにしなかったのである。しかし、碑文の中では男性形、女性形が混同するという形で示されている。要するに今風にいうと性別は変えたが、改名はしていない状態である。ハトシェプストは「女王」として即位したのではなく、男性として純然たるファラオとして即位したのである。男性形と女性形が混同するという形で示されているのはこのことがいかに難しいことであったかを物語っている。

即位前は「女性」として「王妃」の称号を用いているが、即位後はファラオとしての五称号を使い、男装して、公務の指揮にあたった。残された彫像も男性の姿で作られている。しかし、発見された壁画や彫像はすべてこわされ、後世の王名表にもその名は残っていない。反対勢力、つまり、長年ないがしろにされてきた、トトメス三世の一派がその名を歴史上から消そうとしたのである。ハトシェプストの人生は決して平穏なものではなかった。

 






★ハトシェプストの幼少時代・・・社会環境

ハトシェプストは今から3500年前、BC1425年頃に父トトメスー世、母アハメスの間に第一王女として生まれた。

 

第18王朝初期は「帝国主義時代」、アジア系のヒクソスの支配を脱却し、盛んに軍備を進め、オリエント世界で政治、経済的にも最も強大な国家として成長し、文化的にも最も繁栄した古代エジプト史上華麗な時期であった。

そうしたエジプト国家の基礎を確固たるものにしたのが第三代の王、トトメスー世であった。北はユーフラテス河畔、南はヌビアの第四カタラクトまで、帝国を拡大していった。彼はは王族の出身であったが、一介の軍人に過ぎなかった。

しかし、古代エジプトは女権社会である。王位継承権は第一王女がもっていた。第一王女の婿がファラオになるのである。先王アメンホテプー世の第一王女、アハメスと結婚したトトメスー世との間には4人の子供が生まれたが、育ったのはハトシェプストだけであった。幾度となく軍事遠征を行い、沢山の戦利品や捕虜を連れ帰る父の姿はそのままハトシェプストの人生の理想の姿となった。

トトメスー世は14年の治世のあと、1512年に没した。王家の慣習に基づいて推定15歳のハトシェプストは3歳年下の弟、トトメス二世を婿として「王妃」となった。公式にはかげにひそんでいたが、トトメス二世の名でだされた指令のほとんどがハトシェプストの指令であるらしい。カルナック神殿、エスナ神殿、メデイネト・ハブ神殿建築、ヌビア遠征など病弱なトトメス二世の補助という形で政治にはかなり関与していた。その頃のハトシェプストは女性の姿である。

二人の間には王女は二人いたが、王子はいなかった。8年の治世のあと、トトメス二世は病死する。ハトシェプスト、23歳の時である。死の直前、トトメス二世は王族の一人、トトメス三世を後継者に任命する。名目上は第一王女ネフェルラーと結増するという形である。トトメス三世がファラオトなり、ハトシェプストが摂政の座についた。このころから「ファラオ」になるための準備をすすめていく。


 



ファラオ宣言!!・・・その業績

王位の継承権は女性がもっていたが、ファラオは「ホルスの息子」、男性でなくてはならなかった。このことを考慮してハトシェプストは王宮内の反対勢力を懐柔し、王位に対する正当性を主張する。治世2年、君主として国政を掌握することを宣言し、ファラオとしての五称号がそろった7年目にファラオとして正式にたった。

治世年 推定年齢 業績

2年 25歳 戴冠式 カルナック神殿オベリスク建立(56m現存せず)

7年 30歳 デル=エル=バハリに葬祭殿建築

8年 31歳 プント遠征

11年 34歳 シナイ半島鉱山開発隊派遣

15年 38歳 オベリスク建立(29m)セド祭 ネフェルラー王女の死

16年 39歳 シナイ半島鉱山開発隊派遣 カルナックに「赤の聖堂」寄贈

19年 42歳 センムト失脚 トトメス三世と共同統治宣言

22年  45歳 6月10日 死

ハトシェプストの統治の特徴としては治世年間に一度も軍事遠征が行われず、内政重視であったということである。故にハトシェプストは平和主義者とされるが、ほかに事情があったであろうことは、細かく記録をみていけば、出征記録があるし、晩年でも軍を派遣した記録があることでわかる。いずれにしても、大体的な軍事遠征を行わなかった代わりに「貿易によって」国を繁栄させようと考えた。トトメスー世のイメージを「平和的に」行おうとしたのである。幸いか、軍事遠征が必須となるほど緊迫した事態はおきなかった。






 ★センムトとネフェルラー・・・重要人物

こうした政策をささえてきたのは寵臣のセンムトである。無名の建築家の次男でしかなかったが、古代エジプト史上五大賢人の一人に数えられるほど優秀であった彼は、王女ネフェルラーの家庭教師となってから才能を発揮してその出自からは想像出来ぬほど出世した。もちろん彼の上にも位の高い官僚が大勢いたが、女王の意図を組んで自由に動くにはちょうどいい地位であった。デル=エル=バハリの神殿は披の設計である。トトメス二世時代から親密であったため、ハトシェプストとの仲が推測されるが本当のところはわからない。ただハトシェプストにとって重重な人物であったことは確かである。


治世15年、王女ネフェルラーを後継者に指名し、「共同統治」宣言をする。ところがその直後、ネフェルラーは急死する。 このころから人生の歯車が狂いだす。本来なら治世3。年にやるはずのセド祭を15年でやったのも運命を切り替えようとしてのことだったであろう。


しかし、19年にはセンムトが失脚する。王女の死をきっかけに二人の仲がこじれ、そのために暗殺されたと伝えられているがさだかではない。たび重なる不幸はハトシェプストの体をむしばんでいく。かつての政治にかける覇気はなかった。そんなときにエジプト植民地の叛乱が勃発したが何の手もうてなかった。

 

そこで長く辺境の地で軍隊生活をしていたトトメス三世が呼び戻され、共同統治宣言をし、ハトシェプストの名で叛乱の鎮圧に乗り出した。このことで軍隊将校達の人気が一気にトトメス三世のところへ集り、トトメス三世を擁立する反対勢力が大きくなっていった。治世22年、トトメス三世はクーデターをおこし、王座に帰り咲いた。

 

ハトシェプストは亡くなった。クーデターで殺されたのか、病死なのかはわからない。

トトメス三世は葬式はファラオにふさわしく行った、と伝えられる。享年45歳であった。*1



★歴史の中のジェンダーセクシャリティ問題

ハトシェプストがTS、TV、レズビアンかという問題は論じるつもりはない。J.A.Tyldesleyが引用したMagetの論文では結婿歴があることを挙げて「性同一性障害はない」と結論している。しかしこの論文1951年のものである。学問の世界ではよくある他分野の最新情報の収集が遅れてしまう実例の一つである。結婚歴の有無が性同一性障害の有無に結びつかないことは我々はよく知っているはずである。

しかし、歴史学考古学的に個人のジェンダーセクシャリティを抽出することは、極めて困難である。まず第一に文字資料が男性のみの手によるということがある。つまり「女性」を抽出することも困難なのである。女性の社会を理解するための資料は男性の意味付けを通じて、もしくは女性の生活用品から抽出するしかない。古代エジプトの女性についての研究は意外かもしれないが、ここ十年の歴史しかない。

第二に個人のプライベートの記録が皆無であるということである。私生活がわからないのである。したがってハトシェプストのトランスジェンダーはパートタイムだろうと推測する学者もいる。したがってレズビアンとしてもパートナーの存在記録がない。そもそも称号をもつ地位の女性が少ない。パートナーであるということで称号を得ることはないだろう。

ちなみに当時の公式の「正妃」としての称号はハトシェプストの第一王女ネフェルラーがもっている。センムトが愛人とされるのは、センムトの称号に「王のお気に入り」「王に愛された人」というものがあることと、二人の関係をやゆする落書きが残されているためである。

 



★TS、TGGIDか?!トランスジェンダー

TSか、という問題になると判定はほぼ不可能である。古代エジプトにはFTMの手術がないのである。技術がないので当り前のことであるが、MTFであればペニスの有無で大体想像がっく。同性愛に関しては軍事都市メンフイスでは禁止だったが、他の州では黙認されていた。しかしFTMに関してはその肉体構造の特徴故にTSが不可能である。マクステクトミーは古代ギリシャアマゾンが行っていたという記録がある。それにしてもペルシャ戦争時、ハトシェプストよりも100年ははくだる。したがってTGという概念でしかとらえることが出来ない。

ここでのTG、「トランスジェンダー」という言葉を広義の意味、つまり、「行為として肉体の帰属する性と反対の性へ移行すること」と考えてみた。狭義では「社会性、性役割についてトランスジェンダーという行為を行った人々」と意味付しておいた。ハトシェプストをはじめとした、手術以前の歴史上のトランスジェンダーを語る上で押えておきたい。

 



★ハトシェプストはなぜトランスできたか?・・その社会背景

トランスジェンダーという行為がハトシェプストの個人的な個性によるものだとしても、当時の社会通念や価値観から独立していることはないだろう。ハトシェプストが本当にトランスジェンダーか否かを論じるよりもどうやってそれを可故にしたのか、つまり、トランスジェンダーの意味付を社会に対してどう行ったのかが重要である。トランスジェンダーをいかに社会の構成員として受け入れていくかといった問題は、その人が所属する社会のジェンダーがどう規定されているかに関係してくる。後縞ではそこをみていこうと思う。


トランスジェンダー出来る社会であるということはジェンダーの意味付が比較的緩やかか社会だということが出来よう。しかしそうであっても決して平穏な道ではなかった。まず肉体的に女性である披女がどぅゃって「男」であるというアイデンティティを確立し、それを正当化するか。

 



★ハトシェプストの理論武装からみる王位の性格

ファラオはホルス神の化身である。そのために「男」でなければならなかった。デル=エル=バハリにハトシェプスト誕生の記録がある。母アハメスの元にトトメスー世に姿を変えたアメン神がおとずれる。二人は交わり、やがて息子ハトシェプストが生まれ、トトメスー世に後継者として認知される、といったストーリーである。しかし実際はハトシェプストは娘であり、トトメスー世がファラオとして認知した事実もない。しかし、ここでハトシェプストがいいたかったのは、「女ホルス」、つまり「男性」であるホルス神の魂が女性の肉体に宿ったにすぎないという考えであった。魂が「男」だかられっきとした男性である。したがって王位への正当性はある。碑文の一人称は「彼」である。姿も男性である。

もう一つの問題は「正妃」を誰にするか、といった問題である。基本的にファラオは単独では存在しない。必ず儀式を一緒にとり行う「王妃」が存在する。このことは「神の妻」という称号の意味にも出ている。ハトシェプストの公式のパートナーについては謎が多いが、王女ネフェルラーがその役についていたと考えられている。彼女は「神の妻」の称号をもっている。従来は名目上の夫、トトメス三世に関係している称号と見られていたが、トトメス三世と夫婦であった記録がない。そのため、ファラオ、ハトシェプストに関係している称号ではないか、といわれている。






★本当に恨みか!?トトメス三世の破壊の謎

ハトシェプストの死後、トトメス三世はハトシェプストの遺物を破壊した。故に後世の王名表には名前が残っていない。そのために、ハトシェプストは本当に即位したのれ単にファラオのまねをしていただけか、という説もある。トトメス三世は治世22年に単独統治を始めた。20年以上も虐げられていた恨みでハトシェプストの記念碑を破壊したものと思われていた。

ところが、どうもそうではないということが判明した。ハトシ工プストの肖像はすべて破壊されている。しかし、もレ恨みで破壊するならば、痕跡がわからないように破壊するはずである。それなのに肖像がかつてここにあったということがはっきりとわかる。しかもNavilleの調査によれば、破壊行動の時期は治世42年以前であることはないという。

つまり、ハトシェプストの死後20年後である。さらにトトメス三世が単独統治を始めたのは29歳の時である。その3年前には共同統治宣言をだしている。もし権力の奪回をめぎすならこの時がチャンスであった。奪回可能な年になっても10年待ち、さらに奪回後に20年待って復讐を開始する。計30年である。こんな気の長い復讐があったであろうか。*2さらに単独統治後のトトメス三世の行動を見ているとむしろ将軍、学者肌で他のファラオ達のように王位への執着を感じさせない。もともと王位には関心がないという説もある。

では記念碑の破壊は何を意味するのか。実はこのことはトランスジェンダーというものを社会がどうとらえたかを示す事実なのである。破壊されたハトシェプストの記念物はすべてファラオ時代の物である。王妃時代の物は無事なのである。このことに気づいたG・Robinはトトメス三世の治世末期にトランスジェンダーファラオという存在が古代エジプト倫理である、「マアト」に反する、という決議がなされたのではないかと考えた。

 



★マアト(古代エジプトの法、倫理)からみたTG

ファラオは「マアト」の実現者でなければならない。ファラオの存在そのものが古代エジプトにおける司法なのである。古王国時代には確かにファラオは神の化身であり、絶対であった。ところが王権が衰退してくるとファラオの支配力が弱くなってくる。分裂割拠の戦国時代となる、中王国時代になると中央集権国家が再び成立するがもはや地方豪族の力が強くかつての神権国家の威厳はなかった。そこで持ち出されたのが「マアト」、倫理の観念であった。これは「真実」「正義」という意味もある。ファラオは人間の理想像でなければならなかった。

そしてハトシェプストまでは事実そのとおりであった。トランスジェンダーの存在はなかった。まさかトランスジェンダーファラオという事態は考えられなかった。それでもハトシェプストは政治家としても有能であった。そのためにハトシェプストの存命中はトランスジェンダーファラオは特例として認められ、家臣達の尊敬も得られていた。

しかしハトシェプストの死後はハトシェプストの個人性は忘れさられ、トランスジェンダーという特異性だけが伝えられる。ファラオの地位をねらう偽トランスジェンダーが激増することはそのまま古代エジプト国家の危機につながる。そのために先例があってはならないとファラオハトシェプストの存在の抹消を図ったのであろう。その同じ年、トトメス三世はアメンホテプ二世を後継者として任命している。このことと関係があるのかもしれない。トトメス三世自身はどう思っていたのか。

トトメス三世の第三王女アストムゲブの棺がカイロ博物館に所蔵されている。蓋は確かに王女の姿である。しかし棺の中の肖像は男性の姿である。トトメス三世の名が刻まれているので本人のものだろう。アストムゲブの人生に関してはアメンの神官であったことしかわかっていない。棺だけなのである。しかしこのことからトランスジェンダーに関して完全否定していたとはいいがたい。国家の要求にはしたがったもののハトシェプストに対して思う所があったのだろう。それが壁画の破壊の不徹底につながっているのかもしれない。






★ハトシェプスト・・・後世への影響

ハトシェプストはトランスジェンダーのまま生きた。そのため女性の肉体に縛られてかつてのファラオのような業続を追及するのは困難であった。よく言われている「平和主義」は他国に侵略も受けない経済活動の一環でしかなかった。こうした代償行為が後世に意外な社会現象を巻き起こすとはハトシェプストは想像したであろうか。19世舵の女性運動でハトシェプストはまつりあげられたのである。「女性政治家であれば国を戦争なしで治められる」と。これはインデイラ=ガンジーサッチャー首相の出場まで信じられた。そして今もなおハトシェプストはトランスジェンダーをめぐる社会の在り方について興味深い資料を提供してくれる。

*1ミイラの年齢が推定50歳で実際にはトトメス三世の単独統治後、しばらく生きていたとされる

*2:34年恨みを抱えつづけた前例があるにゃあるがね…

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