山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

OB歴訪・G!殿村和祥先輩インタビュー再掲 2008.8月

タイトルどうり吾が人生のバックボーンの一つ、淡水サッカークラブ(神戸高商・神戸経専・神戸商大・兵庫県立大学神戸)が2010年に80周年を迎えるのにあたり、この2年を準備期間として、記念事業の一つとしてHPを仮開設したのに伴い、そのコンテンツの柱として、OB列伝を取材掲載することになりました。そこで、まずは今も終身ヘッドコーチとして現役を指導して下さっている殿村先輩をお尋ねすべく半月も前からご都合を伺っておりましたのに、私の本業の方で、BIG案件の成約直前作業が重なり、やっと今日、お話を賜る運びとなりました。写真は100分の対談後の、少しは語れたかなとの表情であります。詳しくは、tansui−s.com淡水サッカーのHPにUPいたしますが、同時に殿さんの半生をも、お話いただけ、永年抱いていたイメージとはまた違った人格を発見したここちでありました。
お話のテーマは、一貫して商大サッカーに拘ってきたし、これからもそれを貫くことの一点に絞られたものでした。その元となるものは、先輩諸氏が営々と積み上げてきた実績であり、好不調の差こそあれ代々の部員が全力で励んできた事実であります。そのことから是高商1回から始まる部の歴史を再認識することから始めようと、詳しい資料をどっさり準備してくださった。そのなかで特に会報第1号昭和26年8月発行がそも始まりとなった頃の、熱気を実に克明に伝える貴重な資料であることは間違いありません。
一方、何故サッカーなのかに話が及び、殿さんの来歴にふれ、なにしろサッカーが好きでたまらなっかったこと。すべての進路選択がサッカーをやれることを最優先してきたことを話された。ここが全く今までの私が抱いていたイメージと違うところで、私を大阪ガスに呼んでくださった際、お役所的な大ガスにピッタリとおもった殿さんが、大ガスを就職先に選んだのは、戦後実業団でサッカー部が続いていた数少ない会社であったからだそうです。もとより神戸商大もサッカー部を目指して入学されたとのこと。昭和2年生まれの殿さんはサッカーに励んでいた甲陽中学4年で海軍飛行予科練習生に志願し、飛行機にのるつもりが、飛行機なぞあるわけのない状況になり、和歌山・田辺の海岸へ海上特攻要員(特攻艇震洋人間魚雷回天等)として配備されそこで終戦を迎えられた。一つ間違えれば特攻帰りの闇屋で終わっていたかも知れないところ、やはりサッカーしたさに神戸高商に進むことにしたと断言された。同期の藤川氏・北氏も同じ復員学生であったそうな。2回の外島氏の回想文にも、高商入学に際して、軍歴が問題となり、田中教授に助けられたと述べられておられる。サッカー部にはそんな気の荒い兵隊帰りがゴロゴロしていたわけです。
ずっと殿さんの内に秘められた熱さに共感を覚えていたが、実はそれ以上に、その奥に無頼の風が吹いていたわけで、自分と同じ匂いを感じてのことだったんだと改めて納得した。