subetesuki08’s NIKO II Diary

お出かけ、旅行、おいしかった食べ物屋さんのことや庭先や散歩で撮ったナイスショット、私の考える楽しい生き方などについて、載せています。
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↑の写真は高遠城址公園で撮ったものです

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2012-02-18

2010-05-31

毎日を楽しく生きるには。。。

毎日生きていると、いろいろなことが起きます。いやなことがあったり、つらいことがあったり、逆にすごく楽しいことがあったり、いろいろです。


いやなことはやっぱり起きてほしくないし、いいことはたくさん起きてほしい、それは誰もの願いでしょう。でも、少し考えると、いやなことでもつらいことでも、自分の身に起きたことにはきっと必ず意味があるもの、そういうふうに思います。さすがに、包丁を持った人が目の前に現れて、切りつけてきても、それが自分にとって意味があることなんだとは、思えないものがありますが、人生自分のものにしようと思ったら、なるべくたくさんしたいことをする、というのが大切ではないかと思います。


自分のしたいことが時には人のためにならない場合もあるかもしれません。そういうこともひっくるめて、自分のしたいことをしていれば、少なくとも自己としての充実感はあるものでしょう。


自分利益にしかならないことばかりしていては、いくらしたいことをするといっても、周りに認められないでしょうが、誰でもたいてい、自分のしたい事は、観点を変えれば、ある程度周りのためにもなることではないでしょうか。かくいう私も、自分がしたいことは出来る範囲でなるべく幅広くやるようにしています。中国人の友達ができて、中国語勉強するのもそうですし、写真が好きだからいいレンズを買うのもそうです。


自分が許せる範囲で自分のしたいことをする、そういうスタンスでいると、人生は思ったより自由で楽しみが色いろあることに気付けます。人生に疲れたときは、陽の当たる外をのんびり歩いてみるのもいいものです。そういうことをするだけで、自分の悩みが大したものないものに見えてくるものだと思います。


生きていれば色いろあるのは当然です。それに対してどう対処するかで人生は右にも左にも変わるでしょう。人生が辛い人は、今の人生がなぜつらいのかをじっくり考え、どうすれば自分として納得行く答えが出るのかを考えてみるのもいいかもしれません。


神様は解決不可能な問題を私たちに与えたりはしないもの、そう信じれれば、自分の抱える問題が、思ったほど悲惨ではないことがわかるかもしれません。世界には、地雷の埋められた大地で生きている人や、いつ終わるともしれない戦争を続けている国が実際にあるのですから。

2009-07-01

明るく生きる

明るく生きる、それは、明るい世界で生きること。明るい世界というのは、自分が明るくなるから周囲の世界が明るくなること。なぜ自分は暗いのか。それは過去の失敗と未来への不安にとらわれているから。この失敗と不安を消滅させれば今に生き、いつも楽しく明るく生きることができます。


人はなぜ失敗にとらわれ、未来に不安を抱くのでしょう。それはとりもなおさず、現時点においてそれにとらわれるに足る十分な理由があると信じているからです。ひどい言い方かもしれませんが、そのような不安感や挫折感を味わうことで、逆に安心しているのです。本当は、この世にとらわれることなど何一つとしてないのです。あるのは、将来に何をおき、過去に何をしたかだけ。そこには微塵の曇りも存在しません。


将来にこうすると決めたことは、必ず実現するものです。不安にとらわれそれに固執するからそうではないように感じるだけなのです。ですから、いつわざる気持ちを持って明るく生きてください。してはいけないことをたくさんすればするほど、偽りの心は増幅し、明るい日差しは遠のきます。したいことに正当な理由をもち、偽りの心から開放され、楽しく明るい現在を過ごしてください。


人が明るく生きるだけで、社会は根本から変わっていきます。皆さんが社会をそして当然自分を変えたいなら、明るく生きてください。こだわりを消滅させることが、明るく生きるコツです。何かにこだわっているのなら、それがそんなに重要なことか、自問してください。

2009-06-30

今が一番

今が一番というのは、実はおくが深かったりします。よくある言葉ですが、大部分の人は今が一番などとは思っていないのではないでしょうか。今というときの問題点を指摘すればきりがなく、過去の栄光にとらわれればきりがなく、未来への希望は限りなく、そんな感じがよくあるパターンはないでしょうか。


今が一番というのは、今の自分が精一杯やっていることを素直に認めるということです。精一杯やっていないよという人は、その精一杯やっていない状態が、精一杯なのです。もしそうなのでなければ、単に精一杯やればいいだけです。それができない、ゆえに、今の状態がそんな人でも精一杯なのです。


そんな自分にオーケーを出すと、毎日が楽になります。生きていく気持ちだけあれば、未来はいかようにも描けるのです。今の時代に死んでしまう人は、そういう運命を受け入れたのです。今の時代を生きたい人は、生きていくのです。今という時代は、今があるたびにどんどん変わっていくのです。そして時間軸が進んでいくのです。


今が変わるために必要なのは自分だけです。自分のなかの何かが変わるたび周囲には必ず変化が起きます。今が一番は永遠に続くのです。お金持ちになったり、結婚したり、外車を持ったり、何が起きても、その時点が一番だという認識を心から持ったとき、人間は永遠というときの意味を知り、未来永劫続く幸福という名の平穏を手に入れるのです。


今が一番の意味を皆さんも考えていただければと思います。

2009-06-25

日記を書くことで

日記を書くと自分がわかってきます。毎日の出来事に何を感じているかわかるのです。そして書いたことを分析することで次にどんなステップを踏めばいいかがわかります。後悔したことがあったらそのことに気づくのです。楽しいことがあったら何が自分を喜ばすかがわかるのです。そうやって自分を高めていくのです。


鏡の法則というのがありますが、日記も他人に写る自分と同様鏡の法則が利用できます。そこに書かれたことが今の自分なのです。自分の問題はすべて投影されるのです。どうしたらいいかがそこでみえてくるのです。逆に言うと書くこと自体が問題解決の手段なのです。他人に向けて発しているこの言葉は、自分への言葉なのです。生きている限りこのことは続くのです。


人間は百パーセントの満足を常に保つことができるのです。逆に120パーセントの満足は必要ないのです。それは、不満足の裏返しなのです。他人の言葉と行動を見つめ、自分の発する言葉さえも見つめることで、今の自分が見えるのです。このブログは、私にとってはそういった類のものです。

日々楽しく生きるには

喜びを手に入れたければ、喜びを手に入れることを心に決めるのです。楽しくないのは、心に楽しくないという言葉がインプットされているからなのです。無理に楽しい気持ちにしてもだめなのです。心にある楽しくないを消滅させるのです。気持ちにうそをついては、抜け出せません。気持ちをそのまま受け取るのです。そして流していくのです。そうすることで心が未来を向くのです。


何かから逃げる気持ちを持っていることも楽しく生きるうえでは足かせになります。逃げる前に分析するのです。なぜそれから逃げたいのか、正確に分析することで、果たしてそれから逃げるべきか逃げるべきではないかがわかるのです。負担が増えることを恐れるとマイナスの罠にはまるのです。仕事ができなければ、当たり前に仕事を十二分にこなせる自分を目指すのです。負担とは自分が許せる範囲で、周囲の許容を得て課せられるものです。応分の負担をすることは必要ですし、権利であると同時に義務でもあります。しかしながら、したくない負担は理由の健全な限りにおいてするべきではありません。


万人が応分の負担を適切にして社会は快調に回るのです。社会を回す一人としての応分の負担が、万人に求められるのです。生きているだけで負担の人は、生きるしかないのです。余裕のある人は、余裕のある分だけ負担をするのです。


楽をしたいのは当然です。ですが、楽をする中にも助ける権利を行使すること、つまり負担をすることがなくして、人として役割を果たしているとは言えません。生きていれば人を助けるのは当然です。もちろんだからといって、人を助けなければいけないわけではありません。人を助ける気持ちが自然にわかなければ、人を助けるのはしばらくまったほうがいいかもしれません。義務としての援助ではなく、権利としての援助を行使するのです。


助けることを義務と感じることは、長年続いてきた人類の負の遺産です。義務と感じている限り、気持ちは明るくならないでしょう。権利の行使と考えられたとき、歯車が逆に回転し始めるのです。みなで助け合って楽しく生きたいものです。

2009-06-24

病は気から

病は気からとはよくいったものです。言い換えると気持ちがすっきりしていれば、病気にはならないということでもあります。心の病というのもありますが、肉体的な病気も、心にそのような観念がなければ、そういった病気にはならないというのが、どうやら本当のところのようです。言い換えると心の状態を変えれば病気は治るということでもあります。


けっしてなおらないように感じる病気も、心にそのような考えがうずくまっているがゆえに、その病気になることに気づけば、自己治癒が可能になります。ヒーリングというのがはやっていますが、根本的な意味でのヒーリングは、自己完結しています。病を治すのなら、自分の心を覗いて」どこに病を引き起こしている考えがうまっているのかを見つければ、心は一気に軽くなり、同時に病気さえもどこかにいってしまう。そんな夢のような信じられない方法が、だんだんと現実のものになりつつあります。


お医者さん不足が叫ばれて久しいですが、あと数年後には、そのような認識は過去のものになると思われます。病気は自分で治すもの、そんな夢のような話が、今は信じられなくても、公の事実として世の中に広がるでしょう。先達たちが言ったように、まさしく病は気から。気を取り直せばすべてキャンセル可能なのです。


生きることを心に決めたときから、人は変わり始めます。癌であろうが、透析を受けていようが、健康に生きることを決めたときから、心と体は、それに向けて確実に前進していくのです。私とて、過去に大病になったことがありますが、もはや私にとって、病気という概念は過去のもの。


この世は生きている人のためのものです。人は病気という概念が過去のものになったとき、真の平和を得ます。この世に生を受けた人が真の平和を取り戻すことを願っています。

2009-06-23

いつも明るく

人間は暗い気分になるときもあります。ですが、明るい気分でいつもいようと心に決めると、意外といつも明るく生きられるものです。まあ、明るい暗いというものは、相対的なもので、実際には明るくなったり暗くなったりというのは、自然現象だとも思います。神様にでもならなければ、いつも明るくはいられないでしょう。またその必要もないのかもしれません。


心にとって望ましいのは、本質的にニュートラルでいることだと思います。興奮するとき、一瞬でも落ち込むときもあるかもしれませんが、総じてニュートラルでいられれば、日々是好となるでしょう。このニュートラルというものが人生を快適に過ごすための秘訣だと思います。落ち込んでばかりの人生は誰も送りたくないでしょうが、逆に興奮しっぱなしというのもほとんどの人は望まないでしょう。


嬉々として活発に脳みそに快感物質が放出されるとき、暗くなってどうしましょうというとき、そんなときも心と自分とを切り離して考えられると、自然体でいられます。生きるのに苦労はいりません。みんなもう十分に苦労したのですから。


楽しく生きるのに必要なことは、ただひとつ。楽しく生きることを心に決めるだけです。逃げの手段ではなく、人生の目的としての楽しさ、それがみんなに訪れることを願いたいと思います。

2008-06-20

人生楽あれば苦もある

どこかで聞いたせりふです。人間であれば、必ず楽ありゃ苦もあります。楽が多いか苦が多いかの違いだけです。楽を多くしたいと思えば、楽が増え、苦を多くしたいと思えば苦が多くなる、これが基本です。とはいえ、楽が多いほうがいいに決まっていると思いつつ、苦が多い人はたくさんいます。人生の向上において重要なのは、実はこの苦です。苦といっても死んでしまっては意味がありません。ほどほどの苦を経験することで人生の方向性を調整することができるものです。なかにはいくら苦を経験しても方向がぶれずにどこだか得体の知れない方向に行ってしまう人もいますが、人生とはだいたいそのようになっています。苦多き人生をすごしたいと思うか、楽多き人生をすごしたいと思うかは人それぞれです。私みたいに楽が99.9パーセントの人生がいいと思っていれば、そうなるし、逆なら逆でそうなります。思ったとおりになる、それが本来の人生です。時には苦を感じることで人生を微調整することも必要でしょう。そうすることで、よりよい人生が見えてくる限りにおいて苦は必要なのです。

2008-06-11

常に情報収集をして古い情報を新しい情報と入れ替える

今の世の中にあって情報収集はとても大切です。そうだと思っていたことがいつのまにかそうではなくなっていたりします。いろいろなところにアンテナをはって情報収集をし、時に自分の固定観念により固定されている過ちを修正していく必要があります。アンテナを張る数は多いほどいいですが、自分が張りたいと思うところにアンテナを張るのがいいでしょう。興味のないところにアンテナを張っても長続きしません。徹底してアンテナを張る、そうすれば、世の中の趨勢も見えてきます。今どこで何が売れているのか、今社会がどんな風に動いているのか、そういうことがひとつでも徹底的にアンテナを張ることで見えてくるのです。同じ張るなら楽しいことに張るのがいいと思います。そして興味のおもむく限りアンテナを張り続けましょう。世の中には素敵なことが満ち溢れているものです。素敵なことに携わっていれば自然と素敵なことが起きるものです。そういった人生を送りたいものです。

2008-06-09

やりたいことをやる

やりたいことがある人は幸せです。やりたいことをやっているとき、人生を生きていると実感できるからです。やりたいことは、たくさんの存在を幸せにするようなことだと幸せが増えるものです。なかには、他人や他の存在の幸せなどまったく目に入らない存在もいるのが事実ですが、少しずつでも自分の幸せと他者の幸せとがだぶるようになれば、心の平安が次第に訪れるでしょう。楽しいことをやるのは大切です。自分だけの楽しみもときには必要です。でも、自分だけの楽しみばかりを追い求めるとき、存在には等しく周囲からの勧告、助言、あるいはバッシングが手に入るのです。ですから、したいことをやると同時に、それがどの程度周囲に影響を与えているのかを自己点検するといいでしょう。自分に自信がある人ほど、したいことをしているものです。何をしたいのか、今後何をしてみたいのかを考えつつ、したいことを増やしていくと、より効果的に人生を送ることができます。

2008-06-05

日々精進これにあり

この世の中に日々精進していると断言できる人はどれくらいいるかな〜と考えるとき、人ってなんだろうと考えがとまってしまったりします。いうまでもなく日々精進するのは大切です。でも人間というのは、楽な方向に流されやすいものです。あくまで流されやすいだけで、必ず流されるというわけではありませんが、何か心に心棒となる思想は確かに大切でしょう。それがない人は、明らかに世の中の動きや、そのほか瑣末のことに流される傾向があるものなのです。別に一見悪いと思える方向に流されること自体決して悪いことではありませんが、しかしながら、自分が流されたくない方向に流されていく人々を見ていると、彼らはなぜそういう人生を歩んでいるのだろうと、ふと思ったりもします。人生はいうまでもなく、自分で切り開いていくものです。どんなにどんづまりにみえても、四面楚歌に見えても、探し続ければ大いなる高みに上る道があるものです。残念ですが、そのことに気づいている人はとても少ないのです。しかしながら、それらの人は現時点でそのような道があることに気がついていないだけであり、将来それも近い将来にははっきりと意識してそのような道を歩み始めるのでしょう。日々精進、それは、これからの世の中では、誰にでも当てはまる言葉になることでしょう。あるいは、意識しなくても日々精進できる世の中が訪れると言い換えてもいいのかもしれません。

2008-06-04

同じ生きるなら楽しめる人に

人生には人の数だけ生き方があります。それは疑う余地がありません。はっきり言えることは、世の中には苦しみたい人もいるということでもあります。しかしながら、大多数の人がそう思うであろう事は、人生は楽しむものであるということです。少なくとも今は楽しむ余裕がなくても、本当は楽しみたいと大多数の人が思っていると言うことでもあります。心から人生が楽しめるようになるまでには、通る過程がありますが、どのような過程を経るにしろ楽しみたいと思っていれば必ず人生を楽しめる人になるということです。ここでは、過程は重要ではなく、目標である、人生を楽しむ人になるという思いをしっかりと心に秘めると言うことです。過程については、重要ではないといいましたが、実際には、過程自体を楽しむというのが人生の主たるものとなるのです。皆さんは楽しんで生きていますが?楽しむのはあくまで自分です。他人を楽しませることが自分を楽しませることと同義になれば、世界は大きく開けます。世の中は等しく皆さんの心が解放されることを待っています。みんなで楽しく生きたいものです。

2008-06-03

求める人は手に入れる

人は一攫千金をねらって宝くじを買ったり馬券を買ったりします。一攫千金、この夢のような話も本当に心から求めれば実現すると思います。でも大多数の人にとってはこのような一攫千金を狙う心を発達させるよりももっと好ましい方向があるように思います。何かを実現するためにお金は必要かもしれません。しかしながらお金を目的にすると人生は通常狂います。あくまで何かの手段としてのお金であり、むしろためればためるほど、不幸になっていくのです。貯めたら貯めただけ使うのがお金の価値を何倍にも増やす方法です。何の目的もなくためたり、ただ日々が不安だからと貯める一方では、不安は増すばかり、不幸の源は解消されないのです。何かがほしければ求めましょう。人生は単純です。求めよ、さらば得ん、なのです。

2008-06-02

喜びを喜びと感じられる人は幸いです

今日からなるべく毎日それを大切だと感じる思いをつづっていこうと思います。今日の一言は「喜びを喜びと感じられる人は幸いです」喜びというのは完全に主観的なものであり、と同時に他人と共有するものでもあります。人の喜びを自分の喜びのように感じられる人は、毎日が喜びに満ち溢れているでしょう。喜びを喜びと感じられることは、人として平和に幸せに生きていくために必要不可欠です。喜びのない人生は生きる価値を手に入れていない人生です。価値ある人生は喜びとともにある、どんな些細なことでもいい、喜びを見出せれば、その人生は前進するのです。私にとって喜びとは、人生を生きていくための栄養剤です。喜びを手に入れるたびに人生が潤います。このブログを書いているのも書くことが喜びであるからです。大切な人と過ごす時間、それも大きな喜びでしょう。生涯の伴侶を手に入れた人は、その人が自分にとってどういう意味を持つのか今一度再考して、苦楽も喜びもともにできる存在として、再定義してみてもいいかもしれません。喜びは心とともにあります。心が開放されればされるほど、喜びは増えていきます。私も、日々を過ごしつつ、喜びを手に入れられるよう、生きていきたいと思います。