議論が成立するには

前にも書いた話だと思うが.


議論は味方としか出来ない.敵の言う事を聴く必要が無いからだ.議論というのは一番平和的な解決方法である.力で服従させるのではなく,お互いの理解を持って決着とするからだ.強制力が無い中で,「同じものを選択する」と皆が見つけるものを探るのが議論だ.


これは人に注意する時とかでも同じである.むかつく人を敵だと思って注意すると上手くいかない.常日頃から,自分は味方だと説いておかないと,聞いてもらいたいことが耳に入らない.こういう言い方をすると勘違いして「どうやったら味方だと思わせることができるのですか?」と聞いてくる奴がいるのだが,ここではっきり言っておくと,私が言っているのは「味方だと思え」ということである.味方だと思ったら,するべきことは自然に分かる.逆に,そう思っていなくて思わせようとしても余程頭の悪い奴しか騙せない.基本的に,自分の周りの人の知的レベルは自分と大差ないので,騙せてるというのはほぼ幻想である.


で,味方であるという事はどういうことかというと,目標が一致しているという事である.人が人に注意できるのは,「その行為は目標を達成することを遠ざけていますよ」という局面だけだ.相手の幸せを願っていれば,相手が幸せになるための方法を説くことができ,それは大抵受け入れられる.相手に得の無い話は相手には受け入れられない.相手に得があれば,その結果自分に得があっても受け入れられるだろう.


集団で行動するときは,目標を皆が理解しているということがとても重要になる.会社では利益などの目標があって分かりやすいが,我々のような文化系サークルは特にその辺が曖昧になりがちである.好き勝手に遊ぶのが目標なら,集まりが悪い事に文句を言う奴の方が悪い.何かを成し遂げて大きな達成感を得るのが目的なら,集まらない方が悪い.仕事しない方が悪い.目標が決まってないと,注意が有効にならない.もしリーダーに目標があるなら,それは頑張って皆に伝えなくてはいけない.あるいは目標に賛同したものをメンバーにするかだ.


議論は,「賢くなりたい」という目標を皆が目指している時しか成立しない.だから私は皆に「賢くなりたい」と思ってもらいたい.そのためには「賢くなるとこんないい事があるよ」とか話せばいいんだろうか.なんだろう.情けない言い訳をしないでいいとか,この世の理不尽を自分の手で少しでも是正できるとか,人の役に立つ事ができるとかそんなところだろうか?


いや,そんな大それた話をするほどの事でもない.賢くなろうと思って,すぐに賢くなるわけではない.「お前は賢くない」とは非難しない.誰だって最初は(そしていくら努力しても完璧には)賢くはない.だからその場では「賢くなろう」と思うだけでいい.それは簡単な事であり,簡単であるからこそ「それぐらいやってよ」と思うのだ.


まとめ

  • 議論(話し合い)で物事を解決したかったら,味方だという事を伝えたうえで(あるいは伝わるように)行う
  • 味方だという事は,目標が一致しているという事
  • 目標が違えば答えの良し悪しも変わるから議論にならない
  • 目標をそろえるには相手の得を説明しなくてはならない
  • 賢くなろうというのは最低ラインの目標であり,これが無い人はすべての議論に参加できない
  • しかし賢くなろうとするというのは,本人の意識だけで解決することができる.