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鈴木君の海、その中

2018-06-05

ニコニコ動画2

前提:ニコニコ動画 - 鈴木君の海、その中

ニコニコ動画をオワコン化させた原因「負のスパイラル」を解説するよ

ニコニコ動画の強みとは何だったのか

元々は30点〜60点の動画を
コメントで盛り上げて100点にしていくサイトだった
投稿者と視聴者が 相互発信 することで
面白さのスパイラルを生み出し、盛り上がっていた

・30点〜60点の動画を上げる投稿者
・それをコメントで盛り上げる視聴者

この両者のいい感じのバランス…
これこそがニコニコの強みだった
しかし、この均衡を崩す出来事が起こる
それが、ニコニコ大会議

オワコン化への戦犯ニコニコ大会議

ニコニコ大会議とは
ニコニコ動画の運営が
人気歌い手や踊り手などを集めたライブ

この「ニコニコ大会議」によって
投稿者と視聴者のいいバランスが崩れた


ニコニコ大会議
運営にピックアップされた投稿者が
力を持ちすぎてしまった

その結果、ランキングは
大会議に出場する投稿者ばかりが独占した

ニコニコ動画で伸びるには
運営に押されている投稿者か
その関係者・知り合いになること

これが1番のファクターになってしまった

一部の人だけが伸びて
それ以外の人は過疎から抜け出せない構図…

これは、経済学者がピケティが指摘した
資本家が富を得て、労働者貧困から抜け出せない
資本主義の欠陥構造に似ている

ニコニコ大会議は「ライブ」という形で
演者と視聴者をくっきり分けた


ニコニコ本来の強みだった
投稿者と視聴者のいい感じのバランスが崩れてしまった…

ニコニコ本来の強みだった
相互発信型動画サイトが

コンテンツを生み出す側 と
コンテンツを消費する側

ニコニコ大会議によって、
この2つの役割が明確に別れてしまったのだ


(中略)

運営がプッシュする人ばかりが伸びる時代

確かに、目先の再生数・来場者数を稼げるので
その場限りのイベント運営する側としてはある意味正しい

しかし、5年後を想像できていなかった

ニコニコ大会議
運営がプッシュした歌い手やボカロPが
5年後には、ニコニコから出てってしまった

運営のプッシュによって
影響力が強まったクリエイター
より稼げる、より可能性がある場所に舞台を移す
それがメジャーデビューだったり
Youtube進出だ

そして、負のスパイラルにより
Top層が抜けた後のニコニコ動画
まさに、残りカスw
中堅層のコンテンツが育ってない…

ニコニコの敗因はニコニコ大会議をすることで
目先の数字に囚われすぎて
特定のクリエイターをプッシュしすぎたこと

それにより、
投稿者と視聴者の相互発信型サイトだったものが、
クリエイターの影響力が強くなりすぎて
視聴者がコンテンツを消費するだけの構図になり
特定のクリエイターしか伸びない状況になってしまった


そして、影響力が強まったクリエイター
メジャーデビューやYoutube進出して
ニコニコから出ていった結果…

ニコニコ動画は残りカスしかない
オワコンサイトになった

 非常に納得できる。……ただ、オワコンと言うが、自分からすると「そもそも始まっていたのか?」という疑問がある。

 「コメントで盛り上げて100点にしていくサイトだった」とあるが、私から言わせればこの時点で終わっていた。というのはこれは「コメントをつける人間がみんな応援してくれるいいやつだ!」という性善説から導き出されている。電車男的世界観といってもいい。我々の生きる世界では褒め言葉と同じくらい貶し言葉というものがある。というよりネットでは貶し言葉の方が多いくらいだ。では、ニコニコでなぜみんなが盛り上げていこうぜ!という意識で一致団結することができたのだろうか?それはニコニコ動画には何も無かったからではないか。

 私がニコニコ動画に初めて出会った時はおそらくテスト版の時期だった。YouTubeの動画のアドレスを引用すると、それがニコニコ動画の中のコンテンツとして現れ、流れるコメントをつけられるというサービスだった。私はたまたま見つけた富野由悠季の動画を貼り付けると面白い事になった。初めは「なんだこのハゲ」とか「御大は今日も元気でいらっしゃる」みたいな第一印象でのコメが流れる。しばらくするとその動画や監督個人に対するコアなコメントが流れて、さらにしばらくするとそのコメントを受けて新たな印象みたいなものが発言されたり、身振りなど細かな事に気づく人が出てきた。動画自体は何も変わらない。けれどもコメントが新しくなるたびに発見があるコンテンツだった。文字中心で掲示板やチャットに近い。主要な層が2chから流れてきた事と関係しているのかもしれない。
 
 非常に知的なコンテンツで、私にとってニコニコ動画の全盛期はこの頃なのである。この時代の動画は「テングザル動画」だったからよかったのだ。

no title

糸井 最近、僕が発見したものすごい考え方があるんです。「テングザルのおもしろさのポイントはなんだかわかるか?」という問いかけなんですけどね。まぁ、「なんですか?」って訊かれたいわけなんですけど。

三谷 え? それはなんですか?

糸井 ありがとうございます。それはね、「目」なんです。みんなは当然、鼻だと思ってるんです。でもね、鼻は目につきやすいだけでね、テングザルを何度見てもおもしろいのは、あのでっかい鼻をしたテングザルが、「オレの鼻、おもしろいだろ?」っていう目をしてないからなんですよ。

三谷 ああ、なるほど(笑)。たしかに「おもしろいだろ?」って顔をしてたら、ぜんぜんおもしろくないです。

糸井 おもしろくないんです。このテングザル理論は、もとを正せば、吉本隆明さんのパクリなんです。といっても吉本さんはテングザルのことを言ったわけじゃなくて、「表現のいちばんの基本形は沈黙だ」と。ことばの枝葉を生み出す幹には沈黙があるんだとおっしゃったんです。僕はそれを聞いたときに息を飲んで、いろんなことを整理し直さなくちゃいけないなと思ったんですが、その帰り道で、この「テングザル理論」を思いついたんです。

 動画自体が俺って面白いだろ?とアピールしてはいけない。動画自体は会話の種を作るきっかけにすぎず、起承転結でいう「起」で止まっていた方が面白くなる。「歌ってみた。」はいいけれども、「歌ってみた結果www」みたいな動画を投稿したらつまらなくなるのである。このYouTube転載時代というのは投稿者に求められていたのは「発掘」であり、自分が有名になりたい!みたいな「俺だ俺だ俺だ!」文化ではなかった(と思う)。

 ところがみなさんご存じの通り、YouTubeから怒られた事によってニコニコ動画には「動画そのもの」がなくなってしまった。人々がコメントをつけたいという需要は高いのに、ネタが供給されないという困った自体になった。ここでニコニコ動画がとった行動は「動画サイト」であろうとすることだった。

 まず、それまでだれでも普通にコメントをする事ができたのに、メール登録による会員制の閉じたサイトにした。これによって動画投稿が少なくてもコメントするユーザー自体が少ないからバランスは取れる事になった。これが第一の萎えポイントで、私はしばらく一般会員にすらならなかった。というより、メールで登録しても実際に使えるようになるまで、なぜか時間がかかったのである。ユーザーの期待に応えるのが遅すぎてこの時点でなんかモヤモヤしたものを感じていた。

 で、ようやく見れるようになったと思ったら今度は動画が極端になっていた。肖像権が厳しすぎたためか、アニメ、ゲームなど著作権的にグレーというかアウトな動画がほとんどを占めており、他ができない事というよりも他がやってはいけない事をやるサイトみたくなっていた。何より「俺って面白いだろ?」動画が増えており、さらに萎える事になった。すでに笑いをねらった部分などが決まっていてみんなで「www」と草を生やす。アメリカのコメディを見ているかのような制作者の想定した観客のリアクションばかりで、かつての知的さや可能性は感じなくなっていた。けれどもニコ厨と呼ばれる人達はこの時代のMADな作品なんかをいい時代だ……とか言っているわけである。だから、ニコ厨がどんなにこの時代に戻れと言って戻っても、私からすると未来はないぞ!という事を思う。

 このように深刻なクリエイター不足の時代だったからこそ、クリエイターの芽をつぶしてはダメだ。自分たちの文化が欲しい。自分たち発祥のモノは何が何でも守って育てていこう。という全員が一致団結する空気が生まれたのである。これは動画そのものが少なく、クリエイターも少ないから可能だった事なのだ。事実、このルール無用の空間だからこそできた実験動画(みたみた動画)はヒットし、他では見られない作品を作れた。

 ところが、今現在、動画作品はアニメやゲームから、演奏、アイドル的存在に至るまで、もう腐るほどありあまっていて供給過多に陥っている。しかもアニメ作品は公式が提供してくれるのだから、かつてのような無法地帯である事は難しくなった。クリエイターが増えた一方で、コメントの質自体は何も変わらなかった。完成された動画には「すごいですね」としかいいようがないし、だめな動画であっても「コメントで盛り上げて100点にしていくサイトだった」。コメント自体は「ただ褒めるだけの手抜き」でよかった。普通に売り込んだらメジャーデビューできない落ちこぼれと、コメントの技術を磨こうとしないクソコメが残っていったので、どんどんダメになっていった。私はこの時点でもうニコニコ動画など見ていないのだが、動画をうpしている人間とその信者は自分の身の回りが賑わっているので、実は苦しい状況に陥っているのに何不自由なく暮らしていけると勘違いしている。

 クリエイター応援する事自体は間違いではない。だが運営はうp主=クリエイターであるという誤解をした。コメ主がクリエイターであるという構造に全然気づいていなかった。だから、ニコニコ運営はうp主を育てる方向に注力した。狭い範囲の需要しか満たせない落ちこぼれをスターにしようと金をつぎ込んだ。上記ニコニコ大会議の件はまさにその事を指す。

 客観的に見ても、歴史をふりかえってもニコニコ動画の魅力は「コメント」にある。だからコメントの質とか、面白いコメントをするための機能とか、コメントの見せ方とか、コメントこそ一番に考えなければいけない事なのである。動画の画質だとか、オフィシャルアニメを流すとかそういう事ではない。ひろゆきみたいな古参はその事に気づいているようだが、今の運営もユーザーもおそらく自分がサービスを知った頃には「日本」VS「海外」という差しか感じていなかったのではないだろうか?俺たちのミク!俺たちの日本!みたいなノリでニコニコ動画は面白かったわけじゃない。その事にきづいていないのである。

 褒めて伸ばすというのもある場面では有効だが、一見完璧にできあがったものにたいしてちゃぶ台がえしできるような意見を持った人間というのも必要なのである。ニコニコも目先の利益だけで人々が判断し、反対意見を徹底的に悪くいうような会社なのだろう。実はブラック企業なのにブラックだと思わない人達が何の対策もしないまま倒産寸前まで会社を傾けていくように、オワコンだと思いたくない人達がオワコン化への対処を何もしなかったということ。ご愁傷様。