原作改変【ゴジラ1954】

 初代ゴジラを鑑賞してもらえただろうか?もし、終えていたのならば、次の質問に答えてほしい。「ゴジラ」の「主役」は誰なのだろうか?

 パッと思いつくのは、ヒーロー的な活躍を見せた芹沢博士だろう。あるいは全体を俯瞰して見ており、最後においしい所を持って行った山根博士かもしれない。いや、そもそもタイトルになっている「ゴジラ」こそ主役に呼ぶにふさわしいかもしれない。どのキャラクターも主人公にふさわしい動きをしているので、どれも正解に見える。……ところが、実際にはこの物語にはこれらの人物以外に「主人公」と設定されている人物がいる。それは南海サルベージの「尾形秀人」である。

 私はこの事を知った時に驚いた。なぜならば彼は一番主人公らしい活躍をしない人物だからだ。まずヒーロー的な芹沢の愛する人を(直接的な描写は無いが)寝取り、冷静な山根博士とは真っ向から意見が対立し、ゴジラに対しては何も出来ず、ヒロインと芹沢の力で何とかするというあまりにも「他力本願」すぎる人物だ。最後の最後で海底にもぐるシーンが見せ場として用意されているが、先に海上に出てきてしまい、その結果芹沢の心中を許してしまう。しかもその時の叫び声が「セリザワサァーン!」という素っ頓狂な声なのだ。あまりにも格好悪い。ところがいろんな資料を見ても、出演者のクレジットを見てもどうやら尾形が主人公というのは事実らしい。

 ゴジラの出演者のトップには宝田明の名前があるが、この当時の宝田はベテランでもなんでもなく新人に近い存在だった。そしてそんな宝田にとって初主演の映画がゴジラだったのである。ある日宝田はスタッフに「主演の宝田です!」と挨拶しに行ったら、「主演はゴジラだ!」と言い返されたらしい。ここから考えられるのは二つで、一つは「宝田明が嫌われていたか」もしくは、「脚本を読んだスタッフが尾形秀人を嫌っていたか」どちらかである。いずれにしろ尾形は公式からdisられていたのである。

 おそらく尾形というキャラクターは当初はもっと主人公にふさわしい動きをしていた可能性が高い。ゴジラには「原作」のクレジットがあり、香山滋が原作となる小説を書いていたらしい。その「原作」では尾形は主人公として機能していた可能性が高く、映画のクレジットにおいても出演者のトップに宝田の名前がある事からも脚本の段階でもやはり主人公として設定されていた可能性が高い。ところが脚本が完成した後でこいつはあまり魅力的に描いてはいけないと判断したスタッフ間において、disられる事になったのだろうと思う。なぜそんな事になったのか?それはゴジラが「ピカレスク小説」だったからではないか?

参考:ピカレスク小説 - Wikipedia

 ピカレスクというのは私の理解において「悪人による風刺的な表現の物語」だ。芥川龍之介羅生門的なのをイメージしてもらいたい。尾形というのはみなさんもご存じの通り「持っていない人」である。乞食とまでは言わないが、下級の身分の人間なのである。対する山根博士も芹沢博士もあるいは、恵美子お嬢さんも「持っている」人たちで世の中において認められた上流階級の人達なのである。この「持っていない人物」が社会を批判的に見て、悪さをしながら欲しいものを手に入れていくみたいな、そういう毒のある作風が本来の「ピカレスクゴジラ」だったのではないだろうか?このピカレスクゴジラは「ある人物」によっておそらく「改変」させられた。それは本編監督の「本多猪四郎」によって。

 宝田は本多について「怒鳴っているところを見た事がない」と語っている。その人柄については本編にも影響が見え、例えば芹沢と尾形が書類を奪い合うシーンでは、白く濁った水槽の向こう側で奪い合いが行われる。ゴジラによる東京破壊は映しておきながら、人間同士の争いは一切映さないというそういう作風なのである。そして彼は脚本とクレジットされており、おそらく元々の毒々しい部分を取っ払って優しく穏やかな感じに「改変」してしまったのだろう。そのためゴジラピカレスクっぽさはほとんど薄まってしまい、全く違う印象の映画になってしまった。実写化で原作改変して叩かれる事は多いが、この初代ゴジラも実は原作改変の作品だったのである。なので、設定上はマッドサイエンティストであった芹沢は科学者の鑑とでもいうべきほど聖人になってしまった。

 ゴジラの魅力というのはこういった「原作改変後」の部分というのがかなり大きいのである。例えばゴジラの姿を見てもしも多くの人が「原爆のフラッシュバック」が起きるような姿や行動をしていたら、こんな60年近くも愛されるようなキャラクターにはなっていないだろう。企画当初からズレた部分があったからこんだけヒットしたのである。だから「当初のアイディアでは〜」とか「企画書には〜」なんてものはハッキリ言ってアテにならない。ゴジラがヒットした要因は別のところにあるからだ。

 改変された結果、尾形を演じた宝田も、原作者の香山もゴジラというものに「感情移入」する事になった。これは当初の脚本では想定されておらず、だからゴジラは当たり前のように殺された。その後長い間「死なないキャラ」になったのにも、今作が当初のアイディアを改変して「感情移入できるキャラ」にしてしまった事が大きい。まずはじめにゴジラはそれぞれの監督が原作になかったものを付け足した、「原作改変」されたところが人々に大きな影響を与えたという「変な作品」なのだというところからスタートしたい。