ゲーム内のコミュニケーション2

前提:ゲーム内のコミュニケーション - 鈴木君の海、その中

 ゼルダの伝説時のオカリナは名作である事は間違いなく、どこを褒めるかは人それぞれだ。私自身が思うに、時のオカリナの最大の発明はタイトルにもなっている「オカリナ」だと思う。

 アドヴェンチャーゲームというのは元々パソコン向けのゲームで、パソコンにキーボードで文字入力をして、それに対してソフト側が反応を返すという仕組みが基本なわけだけど、基本的に「言語」でやりとりをしていた。それが色々あって、選択肢になって、再びキーボードに戻ったり、ボイスチャットでしゃべりながらやりとりするみたいな原始的手法にもどったりした。

 ゼルダの伝説時のオカリナではこの入力に「歌」というものが加わっている。歌はオカリナによって奏でられる。オカリナは基本的には5音階で、歌の出だしは3つの音を決まった順番で2回鳴らすというものだ。ゼルダの世界では基本的に歌詞というものが無く、そのほとんどがハミング――つまり、特定の文字や文化の語彙とは切り離された非言語的コミュニケーションなのである。*1

 「ちょうちょう」や「アリラン」、日本だったら「かごめかごめ」などのように歌の出だしが近似のフレーズの繰り返しから始まるというのは土着の音楽には多い特徴である。また、5音階という音も非西洋的な民族的音階である。同じフレーズを繰り返して、それが力になり世界に影響を与えるという「呪文」的な性質を時のオカリナの曲は持っている。

 面白いのは、音一つ一つには何の意味もない。西洋では悪魔の音みたいな妙な意味づけもあるみたいだが、本来自然界の音には優劣も意味も存在しない。そしてサリアの歌も嵐の歌もメロディ自体に意味はない。ゲームをやった事がない人がサリアの歌を聞いて元気になる事もなければ、嵐の歌を奏でて突然雨が降ってくるという事もない。そういう本来なら無色であるものに、意味づけをしてゲーム内の物語、世界を作り出している。牛に子守歌を奏でると牛乳が出るというのは不思議な光景だが、歌が呪文的なコミュニケーションツールとなっている時のオカリナでは自然な光景になる。

 ひょっとするとこういった世界観は人類が共通に持っているものなのかもしれない。だからこそ時のオカリナは世界の人々にも認められた。言葉が通じない海外のプレイヤーにもサリアの歌を奏でればどういう効果が起こるかは「通じる」のである。ゲーム内で新しい言語を開発したにも等しいすごい事である。

 私の文章力ではいまいちスゴさを説明しきれていない気がするが、私の注目ポイントがどの辺りにあるか分かって頂ければ幸いである。

*1:広い意味では言語と呼んでいいのかもしれないが