3.麦酒の家の冒険

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

解説にもあったけれど、安楽椅子探偵を長編で行うのは、とてつもなく大変。
短編だったら解決までの道のりが一本道でも許されるけど、長編だったらこの作品みたいに仮説を出して否定してまた(それまでとは一歩進んだ)仮説を出して、の繰り返し。それだけの興味深い推理とその否定材料を捻りださなきゃいけないんだから、とてつもなく手間がかかりそう。
いったい作者はどうやってこの作品を作り上げたんだろう。設定をまず編み出して、そこから様々な推論を列挙していく中で設定の細部を付け足して一つの形に仕上げたんだろうか。


登場人物たちの推理合戦が面白いし、ある問題を思考する際の参考になる。推理の方向性を定めるために前提を共有したり(持ち主と使用者は別と考えよう、とか)、あくまで便宜的なモデルを用いてみたり。あと実感したのは、「問い」の大切さ。どこに着眼点を置くか、どの疑問点を中心に考えていくか、問題への焦点の当て方が重要なんだと気づく。


そして、ビールの家の謎を解くのが登場人物にとってはただの遊戯であり、確証を求める必要性もなければ可能なことでもないので、自由な推論を行うことが可能だったから、どの推理も独創的でのびのびとしている。中盤のタカチの推理を「芸術点が高かった」と表現してみんなで感動したのが典型的な例だし、最後に出した一番「芸術点が高」くてでも信ぴょう性などまるでない「大馬鹿野郎の仮説」が実際の真相だったのも、こういう状況の物語だから許されるのかもしれない(ちょっと不満ではあるけど)。


後は、ビールを隠した本当の理由と、お仕置き説における缶が一つなくなった理由が印象深い。


西澤作品は「七回死んだ男」に次いで二冊目だけれど、どっちも素晴らしい本格ミステリだった。この「タック」が出てくるシリーズをもうちょっと読んでみようか。って思わせてくれるから、シリーズものっていいですよね。

2.疑心

「眠れない夜があったっていい。飯が食えなくなったっていい。っせいぜい体重が減るくらいのことだ。それで死ぬようなことはない」


疑心―隠蔽捜査〈3〉

疑心―隠蔽捜査〈3〉

 いやあ、まさか竜崎が恋愛するとは!
 隠蔽捜査シリーズは、警察小説である以上に、竜崎信也という稀有なキャラクターの思考や言動を観察して楽しむキャラ小説だと思って読んでいる。合理性を何よりも重んじる唐変木人間に何をさせれば面白いかというと、確かに恋愛はうってつけである。
 大統領警護の際に警備本部長に任命された竜崎に、補佐役として畠山という女性が現れる。その日以来、彼女のことが気になって仕方がない。一緒にいる時間がとても幸せで、離れると喪失感を覚えてしまう。彼女が他の男性と仲良くしていると腹が立ってしょうがない。心の動揺にうろたえる様がいちいち笑える。竜崎と恋愛なんて、こんなミスマッチ、笑えないわけがないです。
 警察小説としての見どころは、テロ対策として派遣されたアメリカ人の捜査員と警察上層部との板挟みになった竜崎の葛藤。不審人物がカメラに映っていたことから羽田空港を閉鎖するべきとのアメリカ人ハックマンの主張は通らず、更に上層部からは本部長である竜崎にテロ対策の責任を押し付けられる。ただでさえ畠山の存在で仕事に身が入らない竜崎にとって更なる難関が訪れる。
 先に犯人を捕まえようと努力する中で、他の事件との意外な関連が見つかり、事件は解決に向かう。その「他の事件」を単独で捜査している跳ねっ返りだけど能力の高い戸高という人物がシリーズの中で重要な役割を担っていきそう。竜崎が今後彼をどう御していくのかが注目。
 やがて自身の問題に対して折り合いをつけてからの働きっぷりはやっぱりいきいきとしている。それまでが精彩を欠いていただけに、自分の信念に従って合理的に動くさまが一段格好よく映る。一生懸命働いて結果を出す、周囲に認められる、というのがどれだけ充実感を得られるものかが伝わってきて、ああ、俺も仕事頑張ろう、という気にさせてくれる。
 そして忘れちゃいけない、竜崎と妻とのやりとりも魅力の一つ。互いにそっけないようでいて、強い信頼関係で結ばれている姿は一つの理想の夫婦像。奥さんが一見地味ながら毎回印象に残る発言が必ずあって、「家からたたきだす」には竜崎と一緒にぞっとさせられてしまった。あと、竜崎個人(あるいは家庭)の出来事と、警察小説(あるいはミステリー)としての事件は、テーマ的な関連は特に持たせることはしないんだね。

1.もういちど読む山川日本史

もういちど読む山川日本史

もういちど読む山川日本史


教科書と比べて恐らく違いが様々あるんだろうけれど、一目で分かる相違点は、重要語句がゴシック体で書かれていないこと。つまり、受験勉強のように一つ一つの語句を覚えるんじゃなくて、読み物として通読していくことで歴史の流れを俯瞰的に観察する読み方をしたほうがいい。点じゃなくて線で読む。ということに100ページほど進んだ辺りで気づいた。いや、最初はわざわざ赤マジック持って重要そうなところに線を引きながら読んだんだけど、これがつまらなくて途中で読むの止めて半年近く放置していたんです。で、今日気まぐれに再び手に取ってみて、上記のように読み方を変えてみたらなかなか楽しく読み進められて二時間強で読了。実際、歴史の流れを辿るという意識を持ちながら読んでいくことで、その後の行く末を決定づけるポイントやそれまでの歴史から鑑みると実に革新的な出来事っていうのを発見することができた。応仁の乱とか、関ヶ原の合戦とか、明治維新とか、そういう分かりやすい出来事だけじゃなくて、用語としては知っていたけどその影響力に関しては気づいていなかった事柄がいろいろ。
 それらを自分なりにまとめてみる。前置きをしておくと、本書を読んだ直後の自分は日本の歴史をこうまとめました、という、この時点での落とし前をつけるための作業であって、間違っているかもしれないし、間違いを恐れてはいけないし、間違っていたら後で考えを改めればいいだけのこと。という言い訳をはじめにしておく。
 まず、墾田永年私財法が大きかった。自らが開墾した土地は永久に私有することを認めたため、貴族や寺社が豪族と手を結んで開墾を進めて私有地を広め、荘園が生まれる。荘園を守ることで各地の武士団が成長し、それがやがて武士が政権を取る時代へと変化していき、鎌倉時代へ突入していく。
 戦国時代までは、常に荘園を守っている者の力が強い時代だったんですね。鎌倉時代荘園領主を差し置いて地頭が力を持つようになり、室町時代は幕府が地方武士を組織するために守護の権限を強化した結果守護大名が生まれて幕府を脅かす存在になる。その後応仁の乱がきっかけで下剋上の時代が訪れると、守護大名が実力で領地を争う戦国時代へと突入。ここで混乱が臨界点に突入し、秀吉が天下統一を果たす。
 そこで秀吉が行った検地と刀狩というのが、実はとても大切なものだった、らしい。全国の耕地の面積を調べ、一つの土地に一人の耕作者を充てることで、全国の土地を秀吉が支配し、土地(荘園)の争いというものを生じなくさせた。また、刀狩を行うことで、農民が武士になることはなくなった。こうして争いの種を積んでおくことで、政権が揺らぐ可能性が少なくなっていく。関ヶ原で西軍が勝っても、その後江戸時代のように安定した政権を維持できたんじゃないかな、と思う。
 そして江戸時代に入ると、武家諸法度を定めて大名への統制を厳しくした。こうして大名が反乱を起こすこともなくなり、黒船が来航するまでは安定した体制を取ることができていた。この辺りは、それまでの歴史を振り返り、ちゃんと考えて対策を打ったということなのだろうか。
 点としてではなく線として歴史を見て行くことで、新たな見地を得ることができた。狭い国土だし他国からの侵略がなかったから気づかなかったけれど、日本も戦国時代までは土地の争いというのを繰り広げていたことを知る。人間と土地の関係というのははやり重要なんだね。だからこそ、検地をおこなって土地の所有者を明確にさせ、刀狩で反乱の芽を摘んだのは大きな功績だったのかもしれない。