小倉昌男『福祉を変える経営』
再読。賛否の極端に分かれる本だと思う。
- 作者: 小倉昌男
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2003/10/09
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 84回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
でもこの本をそこだけで読んでしまえば、小倉さんの原点の感覚、その初志をも、見ないまま押し流してしまう。そこには長年の「商売」を血肉化した人間が、「福祉」の人間が当り前と思い込む常識(共同性)にいだいた率直な違和感がある。資本や効率性の論理と福祉の論理は違う、企業活動や商売には抵抗がある、それより当事者の生きがいや自主活動が大事だ、と福祉畑の人間は時に無条件に考える。確かに、特に重心の親などは、激しく前者の論理を拒絶して当然だろう。また長い間「障害者も人並みに働け」と強制され続けた経緯からくる警戒心もあるだろう。しかし、支援者の多くにとってはどうか。
いくら立派な施設があっても、国や自治体の予算から出るのは施設費、職員の人件費だけであって、働いている障害者の給料はそこに含まれていない。障害者も給料は自分で稼がなければいけないわけです。それは民間の障害者の施設である共同作業所でも公的な授産所でも同様です。そして障害者の月給が平均して一万円、という事実はどこに行っても変わりはないのです。
みなさん方は障害者のために小規模作業所をつくり、献身的に仕事をしている。しかし、そこで働いている障害者は月に一万円以下しかもらっていません。逆にいうと、皆さんは一万円以下しか給料を払っていない。それでいいんですか。見方を変えたら搾取と言われてもしようがないでしょう(略)。月給一万円以下で働かせていたら、障害者を飯の種にしていると言われてもしようがないのです。
ここでも、彼の言葉を「単純すぎる」面で見れば、つまらない。当事者の生活の場を懸命に支え続ける小規模作業所の人々からすれば、現実を見ていない、と言う面もあるだろう。
しかし小倉さんは、少なくとも経営のプロから見た時、支援者の多くが、障害者の社会的なポテンシャルを十分にひらいてこなかった事実、そしてその事実を疑いもせず正当化し続ける事実への、率直な違和感を率直に語る。この感覚をわが身の問題と感受できるか否か、ある種の「羞恥」の感覚を抱けるか否か、がぼくらの賛否を分ける分岐点となる。
大切なのは、「福祉的就労」や「福祉の常識」を囲い込み、聖域化することではない。また個々の特殊性がある障害者を、健常者の能力を前提とした社会ルールに強制的に取り込むことでもない。
実際は、障害者の日々の仕事(作業/下請労働)は、つねにすでに、トータルな労働システムの中に組み込まれている。正規雇用/不安定労働(アルバイト・派遣など)/下請労働/福祉的就労/……を、ぼくらは、同じ《構造》の中でとらえなおすべきではないか*1。障害者産業化(障害者をメシの種にする)の問題もふくめ、また税金を使いながら自分が経済活動から無垢でいられるという錯覚もふくめ、「(健常者の)就労」と「福祉的就労」を――後者の必要を絶対に認めつつ――無条件に分離し、べつの世界の事柄と考えてしまう思い込みを、まずは福祉畑の人間が疑ってみることではないか。何故障害者がことさら「年金が十分あっても働きますか」「あなたにとって仕事の意味は何ですか」と問われねばならないのか。
……小倉さんの本から、まずはそういうことを考えた*2。