エコキャップ運動はどうして?

現状を受け入れ、何のためか誰のためかを考えて、仕事をする、ことをしたい。

これは誰のためなのか、なんのためなのか
じぶんがそれをするのはなぜか、なんのためか。


エコキャップ(ペットボトルのフタ)を集めて、貧国の子どもにワクチンを、という活動があって、流行ってるようなのだけど、それを批判するような意見を見た。

「欧米だったら現金を寄付する」とか「輸送にかえってコストやCO2がかかる」とか。

・・・そういうことを言う人も嫌いだけど、一番気に食わないのはそういうことで活動が下火になったり、人がそれをやめてしまうこと。

考えないでやるくらいならやんなきゃいいのだ、とおもう。

もともと、心意気にドネーションしているのではなく、自分の免罪符のために参加してるだけなのだろうと想像してしまう。

職場で、その、エコキャップを集めているのだけど、その場で飲んだものはいれるけど、僕は自宅のものまでは持ち込んだりしない。

現金で寄付したほうが効率がいいと、個人的には考えていて、してるし、「どこへどのように」という説明が、末端の現場まで伝達しないで「途上国のワクチン」なんていう、曖昧極まりない説明では、加担することが躊躇されたし、特に関心もなかったし、もちろん輸送コストや、特に、集める手間を考えたらあほらしいと思っていた。

(ただ、怪しくないかどうかは、一応調べた。)

そう思ってたけど、でも、「それはあほらしいですよ」なんてひとことも言わないし、持ってきてくれた人には「お預かりします」と気持よく言うし、気持よく手伝うし、それは実際本心からなのだ。

動機はどうあれ、ひとがポジティブで楽しい気持ちでやってる小さな明かりに水を掛けるようなことはしたくないから。

でも

もし、

ネガティブキャンペーンに押されて「やっぱやめようよ」となったら、絶対反対するし!ものすごく怒る!

僕がひねくれてるというだけの話なら、まぁそれはそれで納得しないでもないけど。