東京からの疎開の妥当性について

東京から疎開するか否かという問題は、ここ数日急激に真剣味を帯びてきた話になっています。この件について、私は先週頭にじっくり考えて一応の結論を出しています。誰かの役に立つかどうかなど分かりませんが、一応書いておきます。先週頭から今日に至るまで、結論は一貫して変わりません。幾分の重み付けの変更があっただけです。

  • 首都圏在住で就業していない人が、積極的に首都に残る理由はない
  • 放射能汚染および放射線被曝のリスクは、積極的に首都を離れる理由になるほど高くならない

以下、背景です

米国の対応について

こういう時に政府も新聞もテレビ全く信用できない(あるいはしたくない)という日本国民の性癖に基づいて、「あの国はああ言った、この国はああ言った」という情報はそれが流言飛語であっても重要視されています。
おそらくその中でもっとも重要視されているのはアメリカの態度であると思われます。アメリカの自国民に対する声明として今読むことができるものとしては18日付けの旅行者向け警告が最新のものになるかと思います。
これは今までの警告への(差分ではない)アップデートを含んでおり、日本在住あるいは旅行中のアメリカ市民に対する米国政府のコメントとして、一番まとまっているようです。この声明は日本政府が公表している情報、米国が入手した情報に基づく科学的判断の結果だと記されています。
要約すると一番重要な点は:

  • 予防的措置として米国市民は福島第一原発から半径80kmの距離から避難することを勧告する。
  • (東京にある日本大使館、名古屋にある日本領事館、横浜の外交官養成施設(?)、青森、千葉、福島、群馬、茨城、岩手、宮城、長野、新潟、埼玉、静岡、栃木、山形、山梨の各県に赴任している米国政府職員の)適任の家族が自発的に国外に待避することを承認する

となります。
最初の勧告はすでに広く知られていますが、「予防措置として」が抜け落ちて受け取られているように思えます。また、政府が出す「勧告」について日本人は必要以上に強い意味を感じがちですが、英語の"recommendation"には強制の意味はありません。
さて、次の要点である許可については、以下のニュースと整合しません。

国務省は、日本駐在の外交官の一部と出国を希望するアメリカ人をチャーター機で韓国と台湾に避難させることを決め、台湾には18日未明に約100人が到着しました。

18日付けの旅行者向け声明では

the State Department has authorized the voluntary departure from Japan of eligible family members of U.S. government personnel assigned to

となっており、政府職員の適任の家族が、自主的に、日本を離れることを承認となっています。
家族が日本を離れることに許可がいるのか!と思われるかもしれませんが、"eligible"の意味がちょっと難しく、これはおそらく職員とともに公費で日本に来た家族を指すのではないかと思われます。公費で来ている以上、政府職員の家族は勝手な行動は許されないのかもしれません。また、これは「自発的な」待避に対する「許可」であって、政府が待避を勧告しているわけでは一切ありません。この文章を読む限り、政府職員の自発的待避は許されていません。要するに職員はこれまで通り働け、被災などの理由がある場合は個別対応ということです。
以上、米国の声明でした。このほか、他国の同国人(特に大使館職員)に対する反応を見ていますが、いずれも落ち着いているようです。

今後起きうる事態の予想と、起きうる最悪の事態の予想は違う

これは技術者にとっては当たり前のことですが、一般の方には納得できないようです。
物理的な事故の場合、今後どうなるかということは確率の問題でしかありません。技術者が「今後こうなる」と言うとき、それはそうなる確率がもっとも高いだろうと予測しているだけです。自然現象はAll or Nothingではなく、確率として発生しますから、絶対などありません。記者会見で(頭の悪そうな)マスコミが(偉そうに)追求している点に対して歯切れの悪い回答が返ってくることが多いですが、あの中のそれなりの数は、歯切れの悪い回答になることが必然なのです。今後どうなるのか、と言う問題に対して、科学や工学は正確な答えを出しません。答えの精度を上げようと努力するだけです。絶対確実な未来は科学の範疇ではありませんから、どうしても知りたければ水晶玉でも覗いてください。
したがって。と、書くわけですが、ことほど重大な事態については二つの事を予想する必要があります。

  1. 今後、事態はどうなるか
  2. 今後、起きうる最悪の事態は何か

この二つは全く違います。1.は、現状に照らし合わせて今後一番高い確率で起きること、あるいは確からしい着地点を想像することです。2.は、非常に確率が低いとしても、自分の身に降りかかることが無視できない確率で存在する事態を想像しておくことです。

今後起きうる最悪のこと

繰り返し書きますが、この節に書くことはこれから起きるだろう確からしいことではありません。福島第一原発1号機から6号機までの炉心の状況と燃料貯蔵プールの状況から考えて、非常に低い確率だが起きうる最悪の状態を素人の私が推測したものです。
前提条件として、現時点での炉の状態(1,2,3,4は冷却中,5,6は冷温停止中)と、1,3,4号機の建屋が爆発、それぞれの燃料貯蔵プールが外部放水を必要とする状況であること、2号機のプールの状況が不明であること、5,6号機の電源系が回復し、自律冷却が可能であることを考慮します。

起きうる最悪の事態としてのプールにおける燃料棒損壊

私が想定している最悪の事態は、今後余震、停電、故障、人為的ミス、建物の損壊などにより、継続的に水を満たせなくなることによる、いずれかのプールにおける燃料棒損壊です。
運転直後の破滅的に高い放射能をもった燃料棒は、いずれも圧力容器に閉じ込められています。したがって、プール内のそれは冷温停止状態の炉と同じく(運転直後に比べれば)弱い放射能しか持っていません。しかし、何らかの原因でプールが長時間空になると、放熱不足により高温になります。これは既報の通りです。それが進んで燃料ペレットを包むジルコニウム合金の鞘が溶融、折損すると、内部に包まれていたペレットがばらばらと落ちてプールの底にたまります。これは炉心溶融事故で想定する現象と同じですが、問題は、この仮定では燃料プールは干上がっており、核物質が大気にさらされている状態であるということです。
現場では放射線レベルが跳ね上がり、同時に放射性微粒子の濃度が一気に高まります。事実上建屋内部での作業は不可能になり、近傍での作業もきわめて困難か不可能になります。
この結果、第二ステージとして他のプールおよび原子炉に対する復旧作業が不可能になります。
そして、次のステージとして手当をうしなった原子炉とプールの温度が上昇します。プール内の燃料は元々発熱が小さいため、大規模溶融は起こさないと思われますが、小規模溶融でも直ちに大気に放射性微粒子が散逸します。原子炉内部ではまだ発熱が高いため、複数の炉で相当量が溶融します。
停止直後にほとんど手を打てなかったスリーマイル原発よりも、溶融総量は少ないと思われますが、複合的な事故であるため、手当等は困難です。最悪の場合、1基の炉心の底が融け落ちると考えています*1。核燃料の発熱量が減っていることから、格納容器の底(鋼鉄の容器を強化コンクリートがくるんでいる)が融け落ちる事はないでしょう。
最悪なのは炉心ではなく、プールのほうです。本当にこの事故が起きたら、プールだけはコンクリートを撒いて、早く埋める必要があります。
放散される放射性物質の量は、コンクリートを撒く時期によります。
チェルノブイリ原発の場合、発電停止直後の蒸気爆発により、1500トンあった圧力容器のふたが吹き飛んでいます。その後、練炭状の中性子減速用黒鉛ブロックがまさに練炭のように燃え続け、ただでさえ高温の核燃料をさらにあぶりたてました。このときの黒鉛の火災はきわめて大規模で長時間にわたって続き、大量の放射性物質を飛散させる主原因になりました。
日本型軽水炉では、炉心にもプールにも炭素のような可燃性物質はありません。プールに水が残っていれば、高温の破損した燃料が落ちてくることで激しく沸騰し、それが放射能の拡散を早めると思われますが、黒鉛ほどの効率はありません。ジルコニウムが水を分解して作る水素は直ちに上に立ち昇るため、爆発があってもチェルノブイリ黒鉛のような働きはしません。
そのほか、いくつかの予測を列挙しておきます。

  • プールのコンクリートは非常に分厚いので核燃料の熱で数十年のスパンで崩落することはありえない。
  • プールおよび炉心で燃料溶融が起きても、再臨界には至る確率は非常に低い。ホウ素の注入を行ったかどうかが不明だが、していなくても確率は低いし、万が一そうなっても、冷却水の喪失とともに停止する。
  • まして核反応の暴走による蒸気爆発など起きない。
  • 核爆発など論外中の論外。

書いているだけでも嫌になるような事態ではありますが、以上の事態が私が想定する「起きる確率は非常に低いが、起きるとしたら最悪の事態」です。
ものすごくおおざっぱな素人考えで、この場合、チェルノブイリの時に拡散した核物質の1/100程度が拡散すると思っています。量が2桁少ないのは、黒鉛火災が発生しないからです。
そしてこの事態が発生した場合でも、私は首都圏から緊急避難しなければならないとは考えていません。原発から200km以上離れているため、避難勧告もでないかもしれません。避難するとしても落ち着いて行動する時間余裕は十分すぎるほどあるでしょう。

再び疎開の妥当性について

さて、私が疎開についてどう思っているかは冒頭に書きました。これは純粋に原子力の事を考えた場合ですが、長期的に考えるなら、家族の疎開を真剣に考えるべきだと思っています。
今回の災害とそれに続く事故で、首都圏の電力不足は深刻なものになりました。この先初夏に向けては幾分大丈夫かもしれませんが、梅雨からさきは読めません。また、電力不足に加えて、関東以北に工場を持つ製造業は大打撃を食らっています。まだ、報道がそちらを向いていませんが、明らかになったときには皆さん口もきけなくなるでしょう。
首都圏は向こう一年で急速に力を失います。電力不足は恒常的になり、失業者があふれ、治安も悪化するかもしれません。
そうなることが確からしいと思うなら、家族の疎開を考えるべきです。子供の教育が心配な人は、高い教育を受けた人々が今回の災害や事故の前に無力であることを考えるべきです。高い教育レベルの学校が無くても、親がきちんとしつけをすれば子供は立派な人間になります。
もう一度書きますが、私は放射線あるいは放射能を原因として、緊急に逃げる必要が生じるとは思っていません。しかし、すでに我々が見たとおり、日本人の相当数は簡単にヒステリーを起こし、他人への影響を顧みずに軽率な振る舞いをします。彼らはもう少し事態が緊迫すると我慢できなくなって、予想のつかない動きをするかもしれません。私にとって、疎開を考える最大のファクターはこれです。
首都圏が落ち着いているうちに、ちょっとした旅行のつもりで1週間ほど、働いていない家族を親戚の家に預けるというのは、私はまじめに考える価値のあることだと思っています。

*1:ただし、最悪の事態の中でもこの可能性はきわめて、きわめて、小さいと思っている

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