初音ミクに(ソーシャルに)人格はあるのだろうか

サークルOBのMLで議論白熱中。今をときめくネットワーク/AI?/ロボット/VR研究者が本気でニコ動引いて議論していて面白い。さすがDTM時代の人達、食いつきが違う。


そろそろ新しい人工人格の概念が必要だと思う。
現代の人格は限りなく拡散している。あらゆるアスペクトで拡散している。貴方や私の人格は、PageRankやレコメンデーションにも潜んでいるし、アテンションにも潜んでいるし、TrackBackにも潜んでいるし、Web拍手にも潜んでいる。私にとって大切な人間の8割はネットワークの向こうにいる。私はずっとインターフェースとしての人型ロボットにこだわってきたけど、あるいはそのインタラクティビティにこだわってきたけど、そういう風にクラシックな人格像に固執してはいけないのかもしれない(要素としては押さえなければいけないが)。システムとシステムの境界、プレゼンテーションと情報スキームの設計にだけ着目して、そこから実装を選択するのが王道になりつつある。
先輩達の議論では、やっと不気味の壁を越えたね、チューリングテストを通過してるね、で、やっぱり後はAIだよAIこそロボットなんだよ、みたいな話に落ちちゃってるところがあって、そこが不満。ロボットにこだわっているから。でも、人工人格が優先される自分としては、とても悲しいことだけど、もう、人格を持ったロボットを作る、っていう幻想は捨てた方が、きっと早い。これからの人間にとって物理世界の(文字通りリアリティとしての)重要性は落ちる一方だ。
同時に、AIの独立性に関する幻想も捨て去った方が良さそうだ。人格はインターフェースでしかない。たぶん、半歩先の人工人格は、アップル商法にgoogle的テクノロジーを組み合わせたものになる。そこには、人間が介在していても全然構わない(人工人格という言葉とは矛盾するが、半人工人格、ということになる)。man-man-machineインターフェースで、全然構わない。間に入っているmanが十分拡散していれば問題ない。正確に言えばman-network-people-network-machineインターフェースになる。勿論、前面に機械が出てくるアプローチもあるだろう。でもそれは、実装上のチョイスでしかないはずだ。セクサロイドは機械を使わないことには実現不可能だから。でも、セクサロイドに、マルチやアトムのように、あらゆる局面に通用するAIなんて必要か? つーか、ガンダムとしたいか?www


人格に問われる特性として、直感的に挙げられるものとして

  • それを見て、内部モデルを推測したくなる(≒親近感を覚える)

ということの他に、普通は

  • 対話性

を求めたくなる。でもそれは、宏方さんの言う対話と記録の逆転により、幸運にも不要になった。記録さえ出来ればよい。ユーザのニーズに応える形でニコ動にうpできれば、それで充分。「良く調教されたミクですね」「このミクは可愛い」「このミクはロボっぽい」と素直に言える。適切なアテンションさえあれば、人格性の半分は満たされる。当然ながらこれには、小寺さんがすげーてきとーに言ってみてるITのもたらす非同期性がベースにある。ただそれは、P2Pでも文通できれば良いよという意味ではない。あくまで、拡散されたWeb空間で、いかにも寂しくぽんと放り出されたコンテンツが、幾つかのアテンションでコンテキストを見いだし、我々に繋がっていく過程でなければならない。


実に同様の議論により、デスクトップエージェントも否定されてしまう。いや勿論、手段としては残っている。が、無理に一つの人格のルックス、性格、背景知識、言語、会話を統一する必要はなくなった。だから、私が妄想していた、全てのOSイベントを駆使してユーザの行動の意味を推測したり、あるいは勝手に記号化して解釈したり、そうしてエージェントとユーザの世界観のせめぎ合いを楽しんだりするようなシチュエーションは来ない。残念だ。何だかすごく残念だ。自分の思考を否定するためだけに反抗してみたい気分だ。


途中の議論をすっ飛ばして、直感で現在の結論。イマドキの人工人格に必要なこと。言い換えると、あるコンテンツをあるユーザが人格的と見なす為に必要な過程。

  • 発見できること、発見の過程 : はてブのhotentryとか、ニコ動/youtubeで見つけられること、他のコンテンツと一緒に。特定URLとかではない方が良い。背景知識はない方が良い。
  • 消費過程を他ユーザと共有できること、消費を模倣できること : コメントとか、あるいは既に付いているブクマとか。最初の一人、発見者になってしまわない方が良い
  • コンテンツ表現(メディア)が人間に近いこと、あるいは適度に遠いこと : 不気味の谷の左か右にいること

人間という個体をどこまでも真似する必要はない。ある限定されたメディア上で構築され、それが非同期に発見され、ソーシャルに消費されればよい。ロボットもデスクトップエージェントも、人格を構成する一部ではなく、人格性を再現するメディアでしかない。


徹夜明けの頭でここまで考えた。寝る。


あと、「ヤマハの技術は世界一よ~♪」: 人生は是勉学の事の奥様のコメントに萌えました。