酔狂人の異説 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-06-07

[][]お金が天から降ってくるマクロ経済学

以前、「お金が天から降ってくると思っている人々」というエントリを書きました。

このような「お金が天から降ってくる」的な考えに陥る最大の要因は、マクロ経済学の間違いにあるようです。

マクロ経済においては、支出が原因で所得が結果であるのに、全く逆の所得が原因で支出が結果であるかのようなモデルにマクロ経済学はなっています。このため、所得の源が不明な「お金が天から降ってくる」ようなモデルになっています。

マクロ経済学は、全体を考える必要があるので、所得の源が不明であってはなりません。輸出や輸入のように外部を考える場合も外部として明示しています。ところが所得に関しては、源が不明の「お金が天から降ってくる」ようなものになっています。

2016-04-19

[][]経済学者は投資を理解していない1

投資の結果が貯蓄である

マクロ経済における投資に対しての最大の誤解は、投資と貯蓄に関する因果関係を逆に捉えていることでしょう(このエントリで言う投資や貯蓄は、特に断らないかぎり、マクロ経済におけるものを指します)。投資が原因で貯蓄が結果なのですが、多くの経済学者が逆であると考えています。これらの経済学者が間違っていることは、国内総所得における貯蓄の実体は実物資産(の増加)であることからわかります。また、支出が原因で、所得が結果であることからもわかります。投資は支出で、貯蓄は所得ですから、お金が天から降ってこない以上、投資が原因で貯蓄が結果としか考えられません。

2016-04-18

[][]経済学者は消費を理解していない1

経済学者もマクロ経済を理解していない

ちょっと気になる社会保障と経済政策 - 経済を良くするって、どうすれば」というエントリで「経済学者は貯蓄を理解していない」というコメントを書きました。しかしながら、経済学者は貯蓄を理解していないだけではなく、消費や投資も理解していないように見えます。

経済学者はマクロ経済全般を理解していないというべきかもしれません。

そこで、まずマクロ経済における消費という行為について、述べたいと思います。これ以降、このエントリでは消費という言葉は、特に断らないかぎり、マクロ経済における消費という行為、またはそれらの行為による消費額を指します。貯蓄や投資という言葉も同様にマクロ経済におけるものを指します。

消費は直接的には貯蓄に影響を与えない

マクロ経済における消費に関して、最も理解しておくべきでありながら、最も理解されていないことが、消費は直接的には貯蓄に影響を与えないということです。

所得(分配)から見ると、「Y=消費(C)+貯蓄(S)+税(T)」ですから、消費(C)を減らせば貯蓄(S)が増えるかのように見えます。

しかしながら、支出から見ると、「Y=消費(C)+投資(I)+(輸出(Ex)-輸入(Im))」なので、貯蓄(C)を減らせばYが減るため、貯蓄(S)は変わりません。

お金は天から降ってこないことが理解されていない

お金は雨や雪が降るように天から降ってくるものではありません。もちろん、知識としては誰でも知っています。しかしながら、ともすれば、消費を減らしても所得は一定であると見なすといったお金の循環を無視した、お金が自然発生するかのような考え方に陥りがちです。

皮肉なことに、経済学者の方がこの陥穽にはまりやすいと考えられます。ミクロ経済学の均衡モデルが、完全競争市場では各経済主体が市場価格でいくらでも売買できるといった、各経済主体がその経済主体がおかれている環境条件に影響を与えないという仮定の下でのモデルであるためです。

2016-02-13

[][]供給曲線の矛盾

供給曲線を成立させる仮定は相容れない

供給曲線を成立させるために、一般に以下のような反現実的な仮定がなされている旨、先日のエントリに書きました。

これらの仮定は、反現実的なだけではなく、相互に矛盾する相容れないものです。

  • 個々の企業は、水平な需要曲線に直面しており、市場価格でいくらでも売ることができる(として行動する)。
  • 限界費用は逓増し、個々の企業は、限界費用と市場価格が一致する生産量で生産する。

水平な需要曲線は需要量が無限大であることを意味する

水平な需要曲線は、需要量が無限大であることを意味し、市場価格でいくらでも売ることができることを意味しています。個々の企業にとって、需要量が無限大であるかのように行動すると仮定されています。

限界費用逓増は需要量(の増加)が小さいことを仮定している

限界費用逓増は需要量(の増加)が小さいことを仮定した上での仮定です。

例えば、『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』(井堀利宏著)の50ページ目には以下のように書かれています。

たとえば、労働者の働く時間が長時間になると、生産の増加スピードは下がります。しかし、賃金は時間当たりで一定額を支払うことが普通ですから、仕事時間が増える分だけ賃金の総支払額が増加して、企業にとっては費用がより増大する結果となるからです。

ここでは、「労働者を増やして、労働者一人当たりの働く時間は増やさない」というケースが排除されています。これは、「需要量(の増加)が小さい」という仮定の下でしか合理的ではありません。

「需要量(の増加)が大きい」場合、限界費用を抑制するため、人を雇い、設備を増強することが、合理的になります。需要量に対応し生産量を増やせば総費用も増大しますが、限界費用を低く抑制することにより総費用の増大を抑制し、利潤を最大化できます。生産量が大きければ大きいほど、限界費用を低く抑制することは効果的です。

需要が十分に大きい場合、労働者を増やしたり、設備を追加したりすることで、限界費用を低く抑制できるのならば、企業はそれを行い、供給量を増やします。

労働者や設備が一定のままというのは、需要量や、需要量の増加が小さい場合、もしくは、需要量の増加がごく短期間といった場合でしょう。

供給曲線は、「需要量が無限大」かつ「需要量(の増加)が小さい」という矛盾する仮定の下にある

このように、一般に供給曲線は、個々の企業にとっての「需要量が無限大」かつ「需要量(の増加)が小さい」という矛盾する仮定の下にあります。したがって、これらの仮定の下では、論理的にも供給曲線は成立しません。

2016-02-07

[][]真夏にコートを着る合理的経済人

合理的経済人という錯覚

合理的経済人という言葉からすると、非人間的なほど合理的に行動する人間という印象を受けます。

経済学に対する批判でも、「人間はそれほど合理的ではない」といった種類の批判がよく見られます。しかし、本当の問題は、合理的経済人が真夏にコートを着てマフラーをまくような非合理的行動をとることにあります。

これは、「合理的」という言葉からくる錯覚です。合理的経済人の「合理的」とは、あくまでも、ミクロ経済学の理論やモデルにおける「合理的」であって、現実の経済における「合理的」ではありません。

合理的行動か否かは条件に依存する

合理的な行動か否かは、おかれている条件に依存します。コートを着てマフラーをまくという行動は、寒い真冬には合理的ですが、暑い真夏には非合理的です。

ミクロ経済学の仮定と現実の経済は大きく異なる、合理的な行動も大きく異なる

ミクロ経済学の仮定と現実の経済は大きく異なります。したがって、ミクロ経済学の仮定と現実の経済では、合理的な行動も大きく異なることがあります。

ところが、ミクロ経済学では、「寒い真冬にはコートを着てマフラーをまくのが合理的だから、暑い真夏にもコートを着てマフラーをまくのが合理的である」といったレベルの主張が珍しくありません。

一例を挙げます。ミクロ経済学では、多くの理論やモデルにおいて、取引に付随する、移動や輸送、通信等の様々な費用(時間等も含む)をゼロであると仮定しています。この仮定の下では、同じ商品について扱うのであれば、取引相手で区別したりしないのは合理的です。

しかしながら、現実の経済では、取引に付随する様々な費用が生じます。したがって、条件が最も良い取引相手の商品だけを扱おうとします。同じ商品でも異なる取引相手が扱うものは区別されます。北海道に住む人が、ありふれた商品を九州に買いに行ったりしません。