酔狂人の異説 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-01-25

[][]企業の社会的責任

ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」を取り上げてCSR(Corporate Social Responsibility)を批判しているエントリがあった。

最近、CSR(企業の社会的責任)の本をよく見かけますが、このミルトン・フリードマンの法人企業の役員が株主のためにできるかぎりの利益をあげるということ以外の社会的責任を引き受ける事への批判にきちんと答えているものを見かけた事がありません。

「企業の社会的責任」より

時代遅れ過ぎて、わざわざ取り上げる必要を感じなかったからでは。

CSRを支持している人達には、是非、きちんと「資本主義と自由」を読んで頂きたいものです。

「企業の社会的責任」より

引用されている部分を読むかぎりでは、わざわざ読むほどの内容とは思えない。社会的責任と言うよりも誰も責任をとらない「社会的無責任」を主張しているように思える。

社会に対して誠実でない経営者は株主に対しても誠実でない

企業の社会的責任は唯一無二である。それはすなわち、ゲームのルールの範囲内でとどまるかぎりにおいて、いいかえると、詐欺や不正手段を用いず、開かれた自由な競争に従うかぎりにおいて、企業の利潤を増大させることをめざして資源を使用し、事業活動に従事することである。

現実社会において、ゲームのルールは、明確でも完全でもない。かなり広いグレーゾーンが存在し、どこからが詐欺や不正手段かは明確でない。

法人企業の役員が株主のためにできるかぎりの利益をあげるということ以外の社会的責任を引き受けることほど、われわれの自由社会の基盤そのものを徹底的に掘り崩すおそれのある風潮はほとんどない。これは根本的な破壊活動の教義である。

ゲームのルールが、明確で完全でなものであれば、経営者が自分の利益を最大にするよう行動すれば、株主も最大の利益を上げられるはずである。株主が最大の利益を上げられれば経営者の利益が最大になるようなルールであればいい。もちろん現実にはルールは完全とはほど遠いので、経営者が自分の利益を最大にするよう行動すれば、株主の利益は最大にはならない。

社会に対して良心的でない経営者が株主に対してだけは良心的に行動すると考えることに無理がある。社会に対して良心的でない経営者ならば、株主に対しても、株主の利益を無視して経営者自身の利益を最大にするよう行動するだろう。

企業は株主の純粋な道具になりえない

法人企業はそれを所有している株主の道具である。

それを徹底することはできない。道具ならば、それによって生じた損害はその使い手の責任となる。クルマで人を死傷させたら、運転者の責任になるように、企業が人を死傷させたら株主の責任にするのだろうか。株主を刑務所に入れたりするのだろうか。どう考えても無理がある。企業が株主の純粋な道具になりえない以上、企業そのものが社会に対して責任を負わざるをえない。

利益の分配しか考慮していないように思える。利益の分配だけなら、「資本主義と自由」の主張でいいかもしれない。だが、現実に企業の責任が問われるケースの多くは、企業が社会に損害を与えた場合である。その場合に株主に責任を負わせるのでもないかぎり、「資本主義と自由」の主張は一貫性を欠くことになる。株主に責任を負わせようとすれば、株主の有限責任の原則を否定することになる。株式会社の制度を抜本的に変更しなければならないことになる。

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