経済学(者)の想定する経済と現実の経済

私には、多くの経済学者の信奉する均衡モデルこそ「トンデモ」に思える。完全競争市場なんて完全妄想市場と呼びたくなる。

例えば企業の利益追求を端的に表現したのが、供給行動であり、それに対して消費者の満足追求を表現したのが需要行動である。企業は価格が高ければ高いほど自らの利益が大きくなるのでより多くモノやサービスを市場に提供しようとする。他方で消費者は、価格が低ければ低いほど、安く自分の要するモノやサービスを得ることができるのでより多く求めて行動する。そのため企業者の供給行動は、右上がりの供給曲線(価格が高いほど供給量は大)として表され、他方で消費者の需要行動は、右下がりの需要曲線(価格が低いほど需要量は大)で表される。

現実の経済では、企業は価格が高いだけではより多くモノやサービスを市場に提供しようとはしない。現実の経済では、各企業にとって需要は有限であり、より多く市場に提供しても売れず利益がむしろ減少するため、各企業は価格が高いだけではより多くモノやサービスを市場に提供しようとはしない。そのため供給曲線は一般に成り立たない。

市場で取引されるモノやサービスの取引は、需要曲線と供給曲線の交点で決まる価格と取引量で行われる。このときの価格と取引量をそれぞれ、均衡価格と均衡取引量という。もしこの需要と供給がアンバランスになっても、「市場の法則」が働き、均衡価格と均衡取引量がつねに成立すると考えられる。

現実の経済では、一般に供給曲線が成り立たないから、需要曲線と供給曲線の交点も存在しない。需要と供給がアンバランスになっても、物理的な制約によって量的にはつりあう
以前にも書いたように、現実の経済は均衡モデルが想定している限界費用逓増ではなく、損益分岐点分析などでも想定しているように限界費用一定である。

経営分析の基礎である損益分岐点分析では、生産量に無関係に一定の固定費と生産量に比例する変動費に分けて考える。すなわち、限界費用一定と考える。限界費用一定と見なしているから、損益分岐点分析の際、最小自乗法を使って線形近似する、というようなやり方が可能となる。