第47届国際速聯大会(インテルステノ北京大会) RSSフィード

2009-10-24

難得去了北京参加国際速聯大会

2009年9月1日付で、中国側のサイトにインテルステノ講演録がアップされた。

せっかくわざわざ北京までインテルステノに行ったので、私のできる範囲内で翻訳することにする。


(観光写真を見る場合には、「カテゴリー」の「北京観光」か、こちらをクリックしてください)

中耕式からわかること――クオリティー、付加価値

試しに、インテルステノで兼子さんが行った講演録を訳してみる――

(兼子さんの発表については「日本における速記教育」をごらんください。訳出したものはアップしません。)


例えば、兼子さんは日本の速記方式について紹介するわけだけど、翻訳するとこうなる。

「日本の速記方式9方式のうち、最も有名なのは早稲田式と中耕式です。」

我が目を疑うとは、こういうことか。


どういうからくりかと言えば、つまり、中根/zhong gen/で、中耕/zhong geng/ということだ。声調アクセントも一緒で、一声―一声だ。

中国人でも/gen/と/geng/の発音のし分けができない人はたくさんいる。

そして、この高級速録師は、聞いた音を当てた。


聞こえた音を当てた、――まあそれは現場ではいいかもしれないけれども、その後、8月16日の講演から9月1日までのアップまで、原稿を上げるのには時間があったわけだし、どうしてこの字を使ってきたんだろうと思う。

どうして調べないのか?、せめてググって(中国国内でググれなかったら、百度でも使って)そんな方式があるのかを見たのかどうか。その字でいいかどうかの検証をして当てたのかどうか。


日本に中耕式なんて方式がないことだって、わかることだ。

漢字がちょっと間違っちゃったけど、音としては「じょんげん」で一緒だよと言うかもしれない。結果としては同じようなものだよ、見る人が見ればわかるじゃんと言うかもしれない。

しかし、調べ切れなかったなら、なぜ「zhong-geng式」「中耕(音訳)式」とはできなかったのか。



こうやって書いていると、単に私が中根式を擁護しているみたいだけれども、

実際のところは、この「中耕式」はほんの一例にすぎない。目立ったものを言っただけだ。

ほかの文章を翻訳しているときでも、時たまどうしようもなくわからない文章に遭遇する。

そういう場所は、何てことはない、大抵が速録師の変換ミス、誤聴、句読点の打ち方のミスなどの箇所だったわけだ。


アップする前に疑問に思わなかったのか?

しかし、これが、プロの高級速録師がした仕事なのだ。

頂点のプロの仕事でこれが許容されているということと考えるしかないのか。



中国まで用字例を持っていき、固有名詞をどうするのか?、同音異義語は?、事実関係をどう調べるか?、自分のつくった原稿に矛盾があったらどうするのか?、反訳後、提出するまでのクオリティー、クオリティーはどう担保するのか?などなど、

そのことを私は中国人とやりとりするときのテーマにしたかったし、そこをいろいろ聞いたけれども、相手にはその答えがなかったのだ。

――だって、講演が終われば、仕事も終わりでしょ?という感覚だったから。


かといって、その原稿、じゃあ、間違いがないかといえば、そうでもない。

こうやって速録後の原稿を翻訳してみても、中国の速録、日本の速記、もう根本的に違うことを実感したことは、一つの収穫だ。

速録師国家標準というものを見るまでもなく、根本的な母語力というレベルから、もう少しお勉強が必要じゃないですかということは思ったし、

原稿でミスっていたらばつが悪いという感覚はないのか?、今度はそれを聞いてみたいぐらいだ。

中国では、明らかにその現場に記録者がいることが重視されているように見える、しかし、原稿の質は落ちるということだ。



私は、日中に違いがあること、それは当然で、それは構わないけれども、

中国はこんなに仕事が早く上がるのに、日本はとんでもなく遅いとか、

表面的な現象だけを見て、言い出す人が出現することを恐れるのだ。


現実に速記者が聞いたものを、ではどうやって原稿に反映して商品にしたのか、

その作業フロー全体のクオリティー、それを担う速記者という人間の持つ付加価値

そういうことを私は考えてみたい。

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