SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI

アーカイブされるまでのリンクはこちら) NECPC-8001 発表から 25 周年ということで、米マイクロソフト副社長の古川亨、コンピュータ・ジャーナリストの林信行Yahoo! JAPAN の小野澤忠仁のお三方の話に、いつものように聞き耳を立てている。

本編でもちらっと出ていたが、ほんの十数年前までは、我々日本人がパソコンや PC と言えば NEC の PC-9800 シリーズを指していた。個人的には Windows 3.x あたりからの Windows の急激な進化を目の当たりにして、“業界のネック”(業界を代表する…という意味と同時に、市場独占により進歩を妨げているという皮肉を込めて仲間内では NEC をこう呼んでいた)の牙城はいずれ崩壊し、今のようになる予感はあった。しかし、本当にそうなるかと問われると言葉に詰まるくらい NEC は実際、勢いを持ってもいた。

また、個人的にはまだ Smalltalk システムを、ちょっと変わった、しかし、単なる言語、開発環境としか知らなかったあの頃は、バカみたいに Mac 万歳!、Apple は先進的!で済まされていた時分でもあり、当時の言動を思い起こすたびに今では冷や汗をかく(^_^;)。(まあ、今にして思えば、つい昨日まで CUIApple II が主力製品だった会社が、どうして段階を踏まずに GUI な Lisa なんかをあの完成度で仕立て上げることができたのか?という大いなる疑問はもっていたので、もう少し突き詰めて「かならずネタ元があるはず!」と批判的な姿勢があれば…と残念ではある)

本編はありきたりの昔ばなしが、すこしリスナーを意識してかみ砕いて語られるだけだったが、そんな中でも、PC-8001 のプロトタイプは真っ赤だったという話はおもしろかった。結果的には、古川さんのサジェスチョンを受け入れるかたちで例の地味なツートーンに落ち着いたわけだが、予定通りなら我々はシャア専用仕様の PC-8001 を早々と拝めたということになる。残念(^_^;)。もっとも、「機動戦士ガンダム」の放映開始は同年の4月と若干先行していたとはいえ、PC-8001 の製品発表に至る開発期間を加味すれば、赤だったのは同作品とは無関係のはず。一応、為念。 あと、当時の自分たちの使い方(BASIC もやったが、多くはマシン語の打ち込みだった)からすると、16 進キーボードのほうが使い勝手はよかったかも…。古川さんは余計なことをしてくれたものである(笑)。

ちょっと残念だったのは今のパソコン像に至る過程に関する言及で、見方によっては現状をはるかに凌駕したものが、すでに 60 年代終わりから 70 年代はじめ頃には MEMEX や NLS、Sketchpad、暫定 Dynabook (SmalltalkGUI ベース OS として動作する ALTO)など によってかなり具体的に語られていたり現実に存在していたということに触れられていなかったこと。古川さんあたりからインターネットの黎明期の話の流れに前後して言及があったりすると Windows が単なる Mac の真似ではなく、しかし、もちろん Lisa/Mac をひっくるめて、こうした先達の夢や暫定解をちびちびと小出しにして(あるいはひどく矮小化したかたちで)後追いしているにすぎないということを臭わすことができておもしろかったんじゃないかなと思う。別のところでちょっと触れられていたけれど、コンピュータ革命なんて終わるどころか、まだ始まってすらいない…ってはなしと絡めてもグッドだったかも…。

もっともこういう話は、文章や音声で見聞きしてもピンと来るわけないので、もし触れられたとしても分かる人にしか分からない内輪受けネタにしかならない。そういう意味ではラジオや印刷物というメディアは実に無力で、実物、それがかなわなくても、せめて映像として残されたものを実際に見てみないことには、ね。

前者の Sketchpad なんか見ていると Lisa/MacDraw から(ベジェ曲線を扱うことができる機能追加を除けば)30 年来ほとんど“進化”のないドロー系ツールの現状が嘆かわしく思えてくる。同種のツールは今あるものよりもっと“賢く”進化、もとい、追従する余地があったはずだ。(これは SELF や Squeak の Morphic についても言えるけど…(^_^;))。

さらに後者の ALTO で動作する Smalltalk システムにおけるオペレーションの様子を撮った映像のほうは、私のように古からの“忠実”な Mac フリークにはもっと衝撃的で、まず初っ端の映像で「これが ALTO? Mac のプロトタイプじゃないの?」と我が目を疑い、続いて、「ALTO の GUI はもっとしょぼく Lisa/Mac はそれを凌駕すべく作られた…はずでは?」あるいは人によっては「FUJI XEROXショールームで触れた Star とぜんぜん違うじゃん!」「Smalltalk って言語じゃないの?」といったそれまで見聞きした“常識”が音を立てて崩れるのを感じ、ついにはそれまで信じてきた Apple の先進性(なんたらテノロジーのたぐい)の多くは実は幻影に過ぎず、うまく同社(あるいはジョブズ)のプロパガンダにのせられていただけ…と知って愕然とすること請け合いだったりする。

Win のこと、さんざん笑ってきたけど、なんだよ…、Mac だってただの Smalltalk システムのサル真似じゃん… _| ̄|○ と(笑)。

Lisa GUI Prototypes

AVANTI の参考リンク先にある Lisa 開発版のスナップショット集。上と絡めてちょっと気になるのは、NeXT のブラウザ風アプリの画面をして、Mac OS XGUI の片鱗が当時からあったかのような印象を与えてしまうコメント。もちろん言うまでもなく、これは Smalltalk システムに標準のツールの一つであるブラウザ(名前もそのまま)のパクリ(とういかおそらく作者本人が絡んでいるので応用?)であり、NeXT のそれも同じ。けっして、Lisa のプロトタイプ時代に何らかの理由でお蔵入りになったものが NeXT で復活し…云々というたぐいのものではない。単に両者が時と場所を違えても Smalltalk システムというアイデアの供給元は相変わらず共有していた、というだけの話である。これは Win の右クリックメニューの存在(Mac にないものをどうしてパクれたか…という“謎”)にも通じる。

Smalltalk をちょっとかじったことがあり、しかしそれを単にプログラミング言語、あるいはその処理系や開発環境としてだけとらえている人の中には、Smalltalk のシステムブラウザはクラスライブラリのビューワ兼エディタであり、NeXT のそれとは異質である…(よって NeXT のそれは新しい発想)という反論を呈する向きもあるやもしれない。が、「Smalltak イコール、プログラミング言語」という Smalltalk-80 以降、不幸にもひどく矮小化したかたちで世の中に定着してしまった“常識”をなんとか払拭したうえで、そもそもオブジェクトのみで構成される Smalltalk システムで Finder のようなアプリは必要とされなかった(逆に、ファイルシステムに強く依存した Mac において、Finder がたいへん重要な役割を演じ得た)ことに考えが至る程度に「Smalltalk が何者か?」ということを知っていれば、Smalltalk におけるブラウザの位置づけが、NeXT のブラウザのそれとさして変わりないものであることは容易に想像がつくはずで、この手の反論は当を得ていないという意見に賛同いただけるに違いない。もっと踏み込むことで、Smalltalk システムの Lisa/Mac のみならず NeXT/OS X への影響の大きさを改めて知ろうと思う心の余裕を持てるようになれば、それまで霞のように漠然としか知ることができなかった、かの「暫定 Dynabook 環境」を具体的に、かつ身近なものとして Mac の中に見いだせるようにもなるはず。で、先の OS 9 の死により“パロアルト系 OS”(?!)はついに終焉を迎えた…などというトンチンカンなことには少なくとも決してならずにすんだりもする。(実は、仕組みから言えば、Mac OS より OS X のほうがはるかに Smalltalk システムに近く、それゆえユーザーは Smalltalk システムで期待されるのと同種の恩恵に与ることができている…のである)。

他方で、Objective-C や Project Builder にまではこの手の影響が完全には及びきらなかったことから、Macintosh System や Mac OS 時代の「使うは天国、作るは地獄」の払拭に成功したと大々的に宣伝される NeXT/OS X においてすら、なお、ジョブズをして、エンドユーザーと開発者を差別し、あるいはエンドユーザーとしての開発者を軽視する傾向(もしくは開発作業に対する無知、無関心)が見て取れて、これもまた興味深いと言える。

ひるがえって、こうして MacGUI ベース OS としての Smalltalk システムから何をどのように流用したかという写像のようなものを考えるたびに、とことんまで開発者とエンドユーザーに区別を設けようとしない Smalltalk システムの性格を改めて実感させられる。開発者、そして近年 Squeak において奇しくも生じ得たエンドユーザー(非 Smalltalk プログラマ)のいずれからも、かたちは違えてもよく指摘される Smalltalk システムの初手のとっつきのにくさにおいて、MacHyperCard、Newton の醸し出す「初心者への優しさ」に欠けている事実が浮き彫りにされ、これもまた「では、Apple のオリジナリティとはなんだったのか?」というテーマにおいて、たいへん興味深い。