〈政党〉制度/デリダ/マグダラのマリア/レーニン

 8月15日は〈終戦記念日〉。小泉首相は結局、靖国神社参拝はしなかった。衆議院を解散し、総選挙も間近という時点において、友党である公明党の顔を立てたということだろうか。或いは、〈郵政民営化〉問題に争点を集中させるということか。とはいっても、〈郵政民営化のみを争点に国会議員の入れ替えを行おうというのは納得はいかない。勿論、〈郵政民営化〉が小泉首相の以前からの執念だったということくらいは承知しているが、そんなものは差し迫った問題でもなんでもないと思うからだ。他の諸々のイッシューについては〈白紙委任〉かよ。郵便局を民営化するかしないかよりもそちらの方が問題であろう。
 それはともかく、小泉首相の候補者選定のやり方が話題になっている。民営化法案に反対した〈造反議員〉は公認しない。棄権或いは採決欠席した者は〈郵政民営化〉に賛成する旨の誓約書を提出させる。〈造反議員〉を潰すために悉く対立候補を立てる*1。こうした方法は非情であるとか人情に反するとかとも言われている。何とも情緒的な反応。しかし、考えてみると、〈政党(political party)〉という組織体のロジックからすれば、こうした手口というのは或る意味で当然なのだともいえる。つまり、ある重大な規律違反(と党中央が考えること)を犯した党員がいれば、粛清されるというのは理に適ったことである。それに不服であれば離党するしかない*2。多分、共産党とか公明党からすれば、このような措置というのは自明すぎて、何故今更という感じなのではないだろうか。
 戦後の所謂55年体制を担った自民党社会党というのは(理念型的なレヴェルにおいては)〈政党〉ではなかったのである*3。どちらも派閥や後援会の集合体に過ぎなかった。元何とか党の寄り合い所帯である民主党もこうした〈政党〉ならざる政党という性格を受け継いでいるといえるだろう。小泉首相自民党を〈政党〉へと変容させようとしている。ビジネスの比喩を使えば、これまではフランチャイズにすぎなかったのを、完全な直営店にするということである。ここでは、県連というのは地方支店に過ぎないのであって、政治家が党中央の命令で選挙区を替えるというのは、サラリーマンの転勤と同じである。今回の選挙で問われているのは、このような変容に対する是非でもあるといえる。
 私はといえば、そもそも〈政党〉という制度それ自体に懐疑的だ。ハンナおばさんに私淑する者としては当然だろう。ハンナおばさんによれば、〈政党〉の存立は〈階級制度〉の確固たる存在を基礎としており、大衆社会化によって〈階級制度〉が崩れた結果、〈政党〉の存立基盤も失われることになる。そこで猛威を振るったのが全体主義的〈政党〉である。社会を〈階級〉の分割的統合として想像するというのは、考えてみれば、かなり思い切った純化ではある。近代社会というのは、そのような単純化を前提として生きられてきたとも大雑把にはいえる。しかし、私見によれば、特に1960年代以降、社会の利害=関心の布置というのがそれほど単純じゃないということが露呈されてきたといえる。勿論、〈階級〉の分割よりも単純な〈大衆〉とか〈国民〉といった一元的なものに私たちを還元してしまおうというプレッシャーは常に存在している。しかし、〈新しい社会運動〉の争点となっている様々なイッシュー(利害=関心)に〈政党〉は対応できない。日本的な〈政党〉ならざる政党はそれを何とか包摂しようと努めてきたといえるが。だからといって、〈フェミニスト党〉とか〈トランスジェンダー党〉とか〈反ジェンダー・フリー党〉とかいった〈政党〉ができるのも現実的ではない*4。だとしたら、〈政党〉を経由しない民主制というのが要請されるだろう。話を戻せば、今の時代になって、〈政党〉を確立しようというのには、社会を〈階級〉の分割的統合として想像或いは構築しようという意思を感じずにはいられない。かつて猛威を振るった(或いは活躍した)マルクス主義〈政党〉は確かにそのような意思を有していた。自民党を〈政党〉へと変容させることには、かつてのマルクス主義〈政党〉と形式的には類似した意思が伴っている筈なのだ。「このような変容に対する是非」が問われると言ったのはこの意味においてである。


 8月15日、ジャック・デリダ『生きることを学ぶ、終に』(鵜飼哲訳、みすず書房)を読了する。
 このジャン・ビルンバウムによるインタヴューは2004年春にデリダの自宅で行われ、その幾分短縮されたヴァージョンが同年8月19日付のLe Mondeに掲載された*5。10月には「神にはデリダは難解すぎた」(鵜飼哲「リス=オランジス、二〇〇四年八月八日」、p.77)ために、デリダは逝去しているので、公になったデリダの言葉としては最も最後のものに属すると言ってよい。
 この本には節による区切りなどないが、大雑把にいって全体を3つに分けることができるのではないかと思う。最初の区切りはp.44にある。そして、次の区切りはp.62。
 最初の部分で語られるトピックを挙げれば、タイトルにもあるように、生であり、また死であり、生死からは区別された「生き残り」であり、「学ぶ=教えること(apprendre)」すなわち「教育」である。2番目の部分では、主に「ヨーロッパ」について語られるといってよい。最後の部分では最初の部分のトピックがまた回帰してくる。勿論、これは大雑把な区分に過ぎない。
 ちょっとまた抜き書きをしてみたい。


〈生きることを学ぶ〉apprendre a vivreとは、成熟することであり、〔apprendreには「教える」の意味もあるので〕教育することでもあります。つまり、他者に、そしてとりわけ自分自身に、教えることでも(p.22)。

私は、〈生きることを学んだ〉ことはけっしてありません。実に、まったくないのです! 生きることを学ぶとは、死ぬことを学ぶことを意味するはずでしょう。絶対的な死滅可能性、(救済もなく、復活もなく、贖罪もない−−自己に対しても、他者に対しても)死滅可能性を、それを受け入れるべく、考慮に入れることを。それは、プラトン以来の古い哲学的命令です。哲学すること、それは死ぬことを学ぶことであると。私はこの真理を信じていますが、従ってはいません。従うことがいよいよ少なくなっています。私はそれを受け入れること、死を受け入れることを学びませんでした。私たちはみな猶予中の生き残りです(p.23)

生き残りの意味は、生きることおよび死ぬことに、付け加わるのではありません。生き残りは根源的です。すなわち、生とは生き残りです。普通の意味で生き残ると言えば、生き続けるという意味ですが、それはまた、死の後に生きることでもあります。翻訳についてベンヤミンは、一方における、書物が作者の死後に生き残りえたり、あるいは子供が親の死後に生き残りうるというような、死後に生き残るという意味のuberlebenと、他方における、living on、生き続けるという意味のfortlebenの区別を強調しています。私の仕事を助けてくれたあらゆる概念、特に痕跡とか幽霊的なものの概念は、構造的で厳密に根源的な次元としての「生き残ること」とつながっていました。この次元は、生きることからも死ぬことからも、派生するものではありません。私が「根源的な喪」と呼ぶのも同様です。これは、いわゆる「現実の」死を待ちません(pp.24-25)。
 「生き残りは根源的」であることの意味は、次のパッセージで、より明らかになるのではないか;

一冊一冊の本が、その読者を形成するための教育なのです。報道界や出版界に溢れている大量生産物が読者を形成することはありません。それらはすでにプログラム化された読者を、幻想的で幼稚な仕方で想定しています。その挙げ句に、あらかじめ前提したこの凡庸な受信者をフォーマット化するのです。ところで(略)忠実さへの顧慮から、痕跡を残す際に、私はそれが誰の手にも入るようにしかすることができません。ということは、それを、独異的に、誰かに差し向けることもできないということです。毎回、どれほど忠実であろうとしても、差し向けている先の他者の独異性を裏切りつつあるのです。一般性の高い本を書くときはなおさらです。誰に話しているのか知らぬまま、シルエットを発明し創造するのですが、結局のところ、そうしたものは私たちにはもはや属していません。話すにせよ書くにせよ、これらの挙措はみな、私たちを離れ、私たちとは独立して作用し始めます。機械のように、せいぜいマリオネットのように(略)。私が「私の」本を残す(公になるにまかせる)とき(誰にも強制されるわけではありません)、私は、出現しつつ消滅していく、けっして生きることを学ばないであろう、教育不能のあの幽霊のようなものになるのです。私が残す痕跡は、私に、来るべき、あるいはすでに到来した私の死と、そしてその痕跡が、私より生き延びるという希望とを、同時に意味します。それは不滅を求める野心ではなく、構造的なものです。私がここに紙切れを残し、立ち去り、死ぬ。この構造の外に出ることは不可能であり、この構造が私の生の恒常的な形式です。毎回私が再自己固有化不可能な仕方で、何ものかを去るにまかせるたびに、しかじかの痕跡が私から去るたびに、私から「発する」たびに、私はエクリチュールにおいて、私の死を生きるのです。極限的な試練です。残されたものが誰に固有に委ねられるのか知らぬまま、脱自己固有化するのですから(pp.33-35)。
次のパッセージも;

一方には、笑みを浮かべつつ、そして慎みを欠いた仕方で言うならば、私はいまだ読まれ始めていないという感情、確かに、多くの、とてもよい読者(おそらくは世界で数十人の、やはり作家にして思想家であり、詩人である読者)がいるとしても、本当には、あれらすべてが現れるチャンスはもっと後のことなのだという感情があります。しかし、同様に、他方には、同時にこんな感情もあるのです。私の死の二週間か一月後には、もはや何も残らないだろうという感情も。図書館に法定納本され保管されるものをのぞいて。誓って言いますが、私は本気で、そして同時に、この二つの仮設を信じています(p.36)。
 最後のパッセージも引用してしまおう;

いいえ、いつでも脱構築は、〈然り〉の側、生の肯定の側にあります。私が(略)生/死の対立の複雑化としての生き残りについて述べてきたことは、私にあっては、生の無条件的肯定に発しています。生き残りとは生の彼方の生、生以上の生のことであり、私が展開する言説は死と狎れあうようなものではありません。反対にそれは、死よりも生きることの、すなわち生き残ることのほうを好む生者の肯定なのです。というのも、生き残りとは、単に残るもののことではなく、可能なかぎり強烈な生のことなのですから。幸福と快楽の瞬間ほど、私が死ぬことの必然性に取り憑かれることはけっしてありません。享楽することと、迫る死を思い悲嘆に暮れて泣くこと、私にとってそれは同じことです。自分の生を思い返すとき、私には、自分の生の不幸な瞬間まで愛するというチャンス、それらを祝福するというチャンスがあったと考える傾向があります。一つの例外をのぞき、ほとんどすべての不幸な瞬間を。幸福な瞬間を思い返すときには、それらもまた、私はもちろん祝福します。同時にそれらの瞬間は、死の想念に向けて、死に向けて私を急き立てます、なぜならそれは過ぎ去ってしまった、終わってしまったのですから……(pp.63-64)。
 ここでは、「生き残り」を巡って、抜き書きをすることに終始したが、(Le monolinguisme de l'autreの主題でもあった)デリダ自身と仏蘭西語との関係についての発言(pp.40-43)、「婚姻」を巡っての発言(pp.49-51)も興味深かったことを申し添えておく。
 ところで、哲学者最後のインタヴューといえば、かつてサルトルのインタヴューがその死の直前にNouvel Observateurに掲載されたが*6、(現在はそんな暇は勿論ないものの)両者を比較したくなってしまう。


 8月15日、岡田温司マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』(中公新書)を読了する。
 この本は、「聖母マリアエヴァと並んで」「西洋におけるもっともポピュラーな女性のひとり」(p.v)である「「マグダラのマリア」というキャラクターの誕生と変貌を、原始キリスト教の時代からバロックに至るまで、(略)イタリアを中心に、芸術、文学、宗教書などのなかに辿ってみ」る(p.vi)ことを目的としている。また、この本で、最重要の鍵概念となるのはジェンダーであるといってよい。

この聖女が、これほどまで両極端ともいえる解釈や表象を許してきたのは、どんな事情によるものだろうか。この聖女は、いかなる想像力の産物なのだろうか。西洋のキリスト教は、この聖女にいかなる願望や欲望を投影してきたのだろうか。宗教はもちろんのこと、社会や文化、芸術の歴史と、この聖女の運命とのあいだには、どのような関係があったのだろうか(pp.v-vi)。
 第1章で扱われているのが新約聖書から中世初期に至るまで。第2章では中世中期、第3章では中世後期からルネッサンス、第4章ではバロックが扱われている。
 第1章では、先ず四福音書の間におけるマグダラのマリアの記述の差異が検討されている。彼女は「原始キリスト教において、女性の地位と役割をめぐる葛藤を体現する存在」だったのである(p.16)。四福音書を比較すると、特にルカ書ではマグダラのマリアに対してネガティヴな態度を取っている。それは、「まるで、マグダラのマリアをおとしめることで、使徒ペテロの威信をあえて持ち上げようとしているかのようである」(p.12)。また、「ルカにとっては、主の復活の証言者という、キリスト教の信仰の根本にかかわる特権が、一女性に帰せられうるものであってはならなかったのであろう」(p.13)。さらに、グノーシス主義の影響が濃厚な外典ではこの対立は一層あからさまなものとなる。「グノーシス主義福音書から浮かび上がってくるマグダラ像」の特徴は以下のようなものである;

まず、幻視者あるいは預言者としての比類のない能力がマグダラに認められているという点。さらに、使徒たちと同等か、あるいはそれ以上にすぐれた伝道者としての資格も与えられているという点。そして最後に、この女性の力や権威に対して、とりわけペテロがあからさまに挑戦し、彼女を排除しようとすらしているという点である(p.21)。
「四福音書では、多かれ少なかれマグダラのマリアを牽制することによって、使徒的で家父長的な教会の権威が際立たされている」(pp.21-22)ことになる。尚、新約聖書或いは外典の段階では、「回心した娼婦という、[後の時代では]彼女のアイデンティティにかかわるはずの出来事」は登場していない(p.9)。590年から604年まで在位した教皇大グレゴリウスによって、ルカ書に登場する「罪深い女」とヨハネ書に登場する「ラザロとマルタの姉妹であるベタニアのマリア*7マグダラのマリアが同一視されてから、マグダラのマリアに「悔い改め」という要素が加わる(p.25ff.)。これはまた、「彼女の名前とともに女性に与えられていた使徒としての権利を、罪人としての地位に置き換え、主の復活の第一証人にして伝道者であったという重要な役割を、むしろ決定的に葬り去ってしまおうとする、教会側の戦略でもあった」(p.30)。さらに、9世紀(カロリング朝)において、「罪深い女」=マグダラのマリアには「娼婦としての前歴」が刻み込まれ、「悔い改めた娼婦」というマグダラのマリア像がここで確立することになる(p.32)。

 マグダラはかくも美しい。しかし、そのその美しさゆえに罪を犯したのである。マグダラの美しさは、その罪と表裏一体のものである。美しければ美しいほど、罪は重くなり、悔い改めも深くなる。マグダラは、みずからの重大な罪を悔い改めるために、人里離れた荒野でわが身を痛めつけようとするだろう。この変貌は、九世紀に、南イタリアの修道士たちの環境において起こったとされるもので、悔い改めた「罪深い女」というイメージに、隠修士ないしは苦行者としてのイメージが合体してくる。そのモデルとなったのが、五世紀に生きたエジプトのマリアで、この聖女は、一二歳のときに娼婦となり、一七年間この生活を続けていたが、エルサレムへの巡礼をきっかけに、自分の罪の深さに心から打ちのめされ、発心して世を捨て、苦行のなか、以後四七年の長きにわたって、ひとり砂漠で純潔を守って生きたのであった(pp.31-32)。
 第2章で焦点となっているのは、フランチェスコ会ドミニコ会の対立。フランチェスコ会の系譜においては、マグダラのマリアは何よりも心理的同一化或いは「まねび」の対象となる;

 マグダラは、その愛ゆえに、身も心も十字架のキリストと一体となるのであり、フランチェスコ会の修道士たちも、その模範に倣おうとする。こうして、この「まねび(イミタティオ)」の連鎖は次々と広がっていくことになるだろう。聖フランチェスコに従って出家した聖女キアラもまた、ジョットの影響下で描かれた板絵に見られるように、先人たちの例に倣って、十字架の足元にひざまずく(pp.47-48)。
また、この「まねび」或いはマグダラのマリアとの「コンパッシオ」においては、「ジェンダーの違いはほとんど問題になっているようには思われない」(p.49)*8
 他方、ドミニコ会において重視されたのは、マグダラのマリアの「説教における教化的、教訓的な役割」(p.57)である。勿論、フランチェスコ会でも、マグダラのマリアを女性向けの説教のネタとして利用している。著者が取り上げているのは、フランチェスコ会の説教師であるベルナルディーノ・ダ・シエナである(p.63ff.)*9ベルナルディーノは、「衣服や化粧、不品行や売春やソドミーを断罪する」ためにマグダラを利用している。「マッダレーナ」(マグダラ)は「明るい=啓発された(イッルミナータ)」を意味しているという、

ベルナルディーノは、いったんは[マグダラのマリアを]持ち上げておいて、しかし、結局のところは、彼女には、アウグスティヌスによって同定された「女性らしい徳の四つの見張り」が欠けている、と述べる。それは、「神への畏敬」、「男性の監視」、「公衆の前での控え目と当惑」、「法による処罰への恐れ」である。ベルナルディーノの説教は、マグダラを持ち出すことで、それを聴く女性たちを諭し、統制し、場合によっては抑圧するという性格を、いっそう強く帯びていると言えるだろう(pp.63-64)。
しかし、女性信者に対する〈虚飾に溺れるな〉という「警告」の意味を持っていたマグダラのマリアのゴージャスなイメージは逆に、「裕福な女性たちにとっては、贅沢や奢侈の口実となっていた可能性が高い」のである(p.65)。
 第3章は、「娼婦たちのアイドル」と題されているが、これは「回心して足を洗った娼婦たちを収容するための修道院や施設」(p.146)を中心に話が進められているからである。ここでは美術史的考察もさることながら、「娼婦」と「修道女」を巡っての社会史的考察(eg.pp.99-101)も興味深い。
 さて、著者は「ルネサンスがヴィーナスによって象徴されるとするならば、バロックマグダラのマリアによって象徴される、と言うことができるかもしれない」(p.146)という;

マグダラは、この時代、マルタの家の会食、キリスト磔刑や復活などといった物語の設定から独立して、ますます単独で登場するようになる。その姿も、全身像、半身像、胸像などさまざまである。また、説教や宗教書ばかりでなく、それらを離れても、詩や戯曲のテーマとして頻繁に取り上げられるようになる。さらにおもしろいのは、この聖女に内在している両義性−−聖と俗、敬虔と官能、精神性と肉体性、神秘的禁欲と感覚の悦び−−が、この時代ほど多彩なかたちで表面化したことは、いまだかつて、そしてそれ以後もなかったという点である。
 バロックという文化はしばしば、矛盾する原理や対立する感情、両義性や多義性への嗜好によって特徴づけられるが、それをもっともよく具現化しているのが、わたしたちの聖女なのである。この聖女のもつ両義的な潜在性が、どこよりも、そしてどの時代よりも雄弁かつ華麗に開花したのは、まさにバロックのイタリアという土壌においてであった(pp.146-147)。
 最後に、メル・ギブソンの『パッション』に至るまでのマグダラのマリア表象の系譜が超駆け足で辿られているが(p.219ff.)、その中では、19世紀において、マグダラのイメージに、「ファム・ファタール」や「オリエンタリズム」が付け加えられたという指摘(pp.223-224)が興味深い。
 最後の引用;

 マグダラのマリアは、これまでいちども死を経験したことがない。そして、これからもそうだろう。悪魔の化身でもあるエヴァが忌避の対象であり、逆に、あくまでも天上人である聖母マリアが気高い理想であったとすれば、マグダラは、現世を生きる人々にとってはるかに親しみ深い存在であった。愛と性、ジェンダー、信仰といった根源的なテーマにおいて、これからも彼女は、現実の社会と想像力の世界とを自在に往復しつつ、末永く生き続けることだろう(pp.225-226)。


 8月15日、

 
 『別冊情況』
 特集「レーニン〈再見〉 あるいは反時代的レーニン


を買う。
 内容の中心は2001年に独逸のエッセンで開催されたレーニンについてのコンファレンスに提出されたペーパーであるが、オリジナルのテクストも掲載されている。目玉は、中沢新一に対するインタヴューということになるのか。
 目次を眺めていると、懐かしい名前を発見;


 小山花子
 「アーレントレーニン


昔、PolylogosというMLがあって、そこで何度か議論を交わした。それ以来である。斜め読みしかしていないが、小山さんのテクストは興味深い。ここでは言及されてはいないけれども、レーニンに対してアレントを考えるということは、レーニンに対してローザ・ルクセンブルクを考えるということと表裏一体なんじゃないかということを感じた。
 このエントリーの冒頭で書き散らした〈政党〉制度のこととも重なるのだが、私の把握している〈レーニン〉というのは、あくまでも〈レーニン主義〉として制度化された〈レーニン〉にすぎない。残念ながら、そうではないレーニンの可能性は掴んではいないということは申し上げておかなければならない。

 ところで、「レーニン〈再見〉」だが、英語では"Lenin Revisited"。しかしながら、東アジア人としては、"Good-bye Lenin!"を読み込んでしまう。
 

*1:メディアはそれを〈刺客〉と呼んでいる。刺客とはかなり時代な言葉であるが、モダンな言い方をすれば〈テロリスト〉でしょう。また、1980年代に関西を中心に暴力団の抗争が盛り上がっていた時は、〈ヒットマン〉という言葉が一般的に使われていた筈。小泉首相などの自民党筋がこうしたネーミングをしたのか、それともメディア関係者がこう名付けたのかわからないけれど、〈刺客〉というと、〈子連れ狼〉というか拝一刀が先ず思い出される。或いは、『タイガー・マスク』か。ともかく、1970年代前半あたりに、子ども時代若しくは思春期を生きた世代の発想なのではないかと推測してしまう。

*2:以前、消費税導入の是非が争点になったとき、〈自民党だけれど消費税は反対です〉とか堂々と主張しちゃう輩がけっこういたのだ。

*3:アメリカの二大政党である民主党共和党も〈政党〉とはいえない。

*4:実際、一時、シングル・イッシュー・パーティというのが流行ったけれども、それは〈新しい社会運動〉と〈政党〉制度との妥協の産物であったといえるだろう。

*5:Le Mondeに掲載されたかたちでの仏文テクスト及び英訳はhttp://www.studiovisit.net/SV.Derrida.pdf で読むことができる。

*6:海老坂武氏の翻訳で、『朝日ジャーナル』に掲載された。

*7:マルタはvita activaを、ベタニアのマリアマグダラのマリアはvita contemplativaを象徴するとされる。

*8:こうしたジェンダークロッシングは、その後の「鞭打ち苦行会」においても見られる[p.71]。

*9:フランチェスコ会vs.ドミニコ会というよりも、同一化の対象としてのマグダラvs.説教のネタとしてのマグダラとした方が正確ですね。