丸川哲史@『読書』

 村井さんのご指摘*1に従った改訂版です。Sorry & Thanks.

 『読書』2006年1月号に、

 
 丸川哲史(胡冬竹訳)「日本人的独立與靖国神社」、pp.50-59


という文章が載っている。これは三聯書店から近々出るという高橋哲哉靖国問題*2との関連で掲載されているものである。しかし、これは本の紹介というよりも、寧ろ戦後日本の政治・文化史を概観した本格的なエッセイになっている。乏しい語学力を顧みずに、目を引いた部分をピック・アップしてみよう。
丸川氏は、2005年8月15日に靖国神社参拝に結集した人々の振る舞いを「無意識的行動」と呼ぶ(p.52)。直接的には、右翼の言説に言及してだが、「他者とのコミュニケーションが欠如しているという意味で」、それは(「政治的」であるにもかかわらず)「自説自話的非政治性言語」に近いのだという(p.51)。靖国神社に聚った大衆についても、「自らの行動が東亜細亜の人々にどのような意味をもたらすのかについては無意識状態である」という(ibid.)。こうした「無意識」に対して、当日靖国神社付近にて抗議行動を行った50数名の「無党派市民」が対置される(p.52)。この人たちは、「明確な政治的主張をもって登場した人々」であり、その行動は「疑いなく、靖国神社という日本人の無意識の場に一条の裂け目を走らせ、ある種の覚醒(或いは治癒)作用をもたらした」。そして、それを弾圧した警察は「無意識の「ゲート・キーパー(看門人)」」として振る舞ったことになる(ibid.)。
丸川氏は、上記の行動を戦後日本の「批判運動圏」(p.54)の伝統の中に位置づけようとする。言及されるのは、1952年の内灘闘争であり(pp.54-55)であり、「東アジア反日武装戦線」の挫折である(pp.56-57)。複雑なのは、これは勿論日本人自身による「反日」の伝統であるとともに、それが(竹内好のいう意味での)日本の「文化的独立」に関わっていることである。竹内によれば、「文化的独立」を達成するためには、「日本人は自らの文化的体質の徹底的批判を通過しなければならない」(p.59)。その意味からすると、靖国神社というのは、「日本人の「文化的独立」の不充分性の指標」(ibid.)となるのである。また、丸川氏によれば、そのような「文化的独立」の追求なくして「日本人が亜細亜の人々と出会う術はない」ということになる。

広告によれば、丸川氏の文章は、広州で発行されている『開放時代』という雑誌の2006年第1期にも掲載されているようです;


  「日中戦争的文化空間――周作人與竹内好