「いただきます」問題

 なんばさん*1が紹介していた記事。


 遠藤和行「考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争」
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html


 給食費は払っているのだから、給食の時間に子どもには「いただきます」と言わせないでほしいという母親の話。「大論争」の中身はともかくとして、この母親のロジックというのは、永六輔さんが言っているように、

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 「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。
ということなんだろうな。この母親の家庭での態度を想像してみると、興味深い。きっと、家では、子どもには「いただきます」を強制しているのだと思う。だって、親が金を出しているのだから、子どもが感謝するのは理の当然だということになる。それから、給食費を公的に補助してもらっているような子ども*2は、この母親のロジックだと、ちゃんと「いただきます」を言わなければならないということになる。
問題なのは〈お客様根性〉。額の大小は問わず、金を払ったということで、自分が偉くなっちゃったように錯覚すること。〈お客様は神様です〉(三波春夫)を一人称で言ってしまうこと。社会は〈顧客満足度〉によって基礎づけられているかのようだ。勿論、たんなるビジネス関係でしかないのに、変な〈萌え〉を起こして、ストーカーになってしまうのも困ったものだが。かつてだったら、どちらも粋じゃない野暮土包子とレイベリングされることによって、抑制されたのかも知れない。しかし、〈顧客満足度〉社会ではそのような抑制が機能することは期待できない。何しろ、〈顧客〉の資格というのは代金の支払い可能性以外にないからである*3。自分が〈お客様〉に値するのかを問わない顧客が〈満足〉すれば収益が増大するわけだから、ますます〈お客様〉のナルシシズムは煽られるというわけだ。
「いただきます」に話を戻すと、英語その他の言語に「いただきます」をどう訳せばいいのか知らない。
それから、


  いただきます



 ご馳走様


は非対称的であることに気づいた*4

*1:http://d.hatena.ne.jp/rna/20060129/p1

*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060103

*3:政治の場合は選挙権ということになるか。

*4:ところで、美味しさではなく、苦労(語源的には走り回ったこと)を称えるとはどういうことなんだという突っ込みをする人はいないの?