上野千鶴子(続きの続き)

 承前*1

 上野問題を巡る東京都への「抗議文」提出とThe Foreign Correspondents' Club of Japanにおける会見についての報道。『朝日』と『世界日報』(!)


 「上野千鶴子氏、都に抗議文 「用語統制に介入した」」
 http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200601300325.html
 「性差否定より過激な上野教授−国分寺市「人権講座」問題」
 http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/060131/01.html


 『朝日』の記事はとにかく〈報道しました〉という感じで、特に情報的な価値はないか。それに対して、『世界日報』の方は、メディアのスタンスが出ていて、その意味では情報的な価値は高いといえるか。
 『世界日報』の記事で、目に止まったのは、「今回の出来事は、上野氏をはじめ、今の女性学者の多くが一般国民が到底理解できないジェンダー論に染まっていることを露呈した」という表現。「一般国民」という表現が出ましたか。ただ、〈ジェンダーがセックスに先行する〉というのは、人文学・社会科学の基礎的な教養を身につけた人にとっては、既に〈自明の理〉に属するのではないか。『世界日報』がどのような根拠で「一般国民」を代表しているのかはわからないが(というより、「一般国民」ってどこにいるの?)、『世界日報』いうところの「一般国民」には、人文学・社会科学の基礎的な教養を身につけた人は入っていないらしい。どうでもいいことかも知れないが。それよりも、5氏呼びかけの「抗議文」について、「今回の抗議文が示すジェンダーは、「それ自体に差別や支配被支配の関係を含む概念」という意味合いがある。到底中立的概念とは言えないものだ」といちゃもんをつけているわけだが、これは〈不平等〉の存在自体を否認(deny)するということなのか。また、この記事は長谷川真理子氏のテクストを援用しているのだが、このテクストが未見なので、なんともいえない。ただ、〈自然科学者〉の言説については、常にその自然主義的態度への査問を怠ってはいけないとはいえるだろう。
 ところで、The Foreign Correspondents' Club of Japanにおける会見ですけど、英語のテクストはwhere?
 

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 承前*1

 なんばさんからレスポンスをいただいたのですけど*2、たしかにそういう解釈にplausibilityは感じます。私が書いた「ネガティヴ・フィードバックのない」状況というのは、端的に言って、誰も止める奴がいなかったということなのですけど*3。興味深いのですが、ただ、こちらの方で色々と勝手に言うというのは、それ自体で被害者の方を何重にもいたぶるということになりかねないので、ここでストップ。
 また、


彼らは合意があれば合法ってとこはわかってる。何を合意ととるか(何が世間では合意と見なされるか)が非常識(彼らの中では常識)なだけでは?
というご指摘はその通りだと思います。「もっともこのへんは裁判所の判断もかなり非常識、というか被害者に不利な判断になりがちだけど」という註記も。内田さんは、「彼らは学生たちの狭い社会の外側に「刑法」という上位規定によって規制されている社会が拡がっていることを(知識としては知っていても)、実感したことがなかったのである」とおっしゃっていますけど、誰だってそんなの「実感」していないですよ。運がいいのかどうかは知らないけれど、〈不審者〉として職務質問されたことはあっても、ぱくられたことはないですから。法学部の学生さんだって、「実感」しているかどうかあやしいと思う。「実感」しているのは、ビジネスとして「刑法」を飯の種にしている法曹・警察関係者か、目的意識的に法を越境しようとする(した)人々くらいでしょう*4
 最後に、とても真っ当な意見として、kmizusawaさんの「事件も腹立たしいがコメントも腹立たしい」*5を挙げておきます。冒頭の私の逡巡も、これを読んで、反省した結果ではあります。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060129/1138537015

*2:http://d.hatena.ne.jp/rna/20060131/p2

*3:大岡昇平の小説に、私の右手を左手が押さえるというのがありましたけれど。

*4:ホリエモンはどうよ。

*5:http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060127/p2