書くこと、そして〈脳内会話〉

 書くこと、或いは書けないことが話題になっている*1。或いは書くことと読むことの関係。後者は興味深く且つ重要なのだけれど、今は触れない。ゆみぞうさん曰く、


たぶん、私が考えている「書けない」のレベルは誰よりも低いんじゃないかな。
私は小論文の講師をしていて、対象となる学生は短大生・大学生・社会人なんだけど(高校生ではない)、基礎レベルのクラスだから「書くのは苦手です!」という人たちがくる。どれくらい書けないかというと…

例題)携帯電話の功罪についてあなたの意見を自由に書きなさい
この問題に対するリアクションは大体こんな感じ↓になります。
1.「功罪」ということばがわからない
2.「いいところ」「わるいところ」とわかっても思いつかない
3.使っているから「いいところ」は思いつくけれど機能の説明になってしまう
 例)音楽が聴けてテレビも見れる
4.「わるいところ」はよく言われがちなことしか思いつかない
 例)マナーが悪い

正直、4まで行く人はかなりいい方です。100字くらいは書けるし、言われがちなこと=一般論をとりあえずおさえているから。でも、1とか2で止まっちゃう人もいる。1行も書けない。1文字も書けない。思考停止。
私が考える「書けない人」というのはこのレベルです。入学試験という、書く必要に迫られているのに、書けない。
いろいろ資料(ありきたりな一般論が簡単に書いてあるもの)を渡すのですが、まず読めない。本1冊なんてとてもムリ。A4のプリント1枚でも厳しい。「天声人語」が長文、という世界。
http://yumizou.blog1.fc2.com/blog-entry-829.html

引用されたような意味に於ける〈書くこと〉だと、どうしても〈考えること(thinking)〉というのと関わってこざるをえない。タイトルに使った陳腐な表現で言えば〈脳内対話〉である。〈書けない〉という人でも、会話において、質問とかに導かれて(誘導されて)「携帯電話の功罪について」の一応の結論みたいなものにそうとは知らずに辿り着いてしまうということもあるかも知れない。〈考えること〉ということは、この対話を自己内で行うことである。〈書くこと〉というのはその対話を眺めながら、それを文字化するということだろうか。やっかいなのは、〈書くこと〉はその対話をただたんにトランスクリプトするということではなく、会話する脳内人物が文字を読んで、つまり文字が会話にフィードバックされることなのであるが。〈書くこと〉=〈脳内対話〉というのは、日本のエクリチュールの歴史において、弘法大師の『三教指帰』に始まり、伊藤仁斎の『童子問』、現代の丸山真男吉本隆明廣松渉に至る〈対話体〉が重要な伝統を為していることからもわかるだろう。それだけでなく、FAQというのはネットの世界では定番である。私も小論文を教えたことはあるが、その場合でも、いきなり書かせるのではなく、まずは周りの人とディスカッションしてもらって、それから書いてもらうということになる。その場合、〈書くこと〉は会話を想い出しながら、それを自分で再構成することということになる。だから、〈書くこと〉というのはこうした対話を自分自身で行うことからなっている。書けないというのは、こうした〈脳内対話〉をする根気がない、だるいということなのだろう。だけれど、〈書くこと〉にとって全面的に〈脳内対話〉である必要はないのであり、というか、とどのつまりは自己のヴァリエーションでしかない〈脳内他者〉と対話するよりも実際の他者と対話した方が面白いものが文字になって出力される可能性は高い*2。実はこの水準においてこそ〈読むこと〉というのが問題になってくるのだと思う。公約に違反して、〈読むこと〉の領域に足を跨いでしまうのだが、重要なのは結論(或いは決算、bottom line)を出すために考え・書くというよりも、〈二の句を接ぐ〉ことなのかも知れない。〈二の句を接ぐ〉ことにおいて、結論(或いは決算、bottom line)を出さなければいけないというオブセッションは抑圧的且つ反動的な機能しか果たさないだろう。また、(管見の限りでは)小論文とか作文の教育で〈二の句の接ぎ方〉は殆ど教えられていないんじゃないかな。或いは、そういうことは現在では、ネットにおいてリンクを張ることを通して、習得されていくものなのか*3
ところで、(少なくとも私にとっては)難しいのは〈〜について論ぜよ〉などではない。難しいのは、勝義における現象学的記述。経験、私と世界とのインターセクションをそのまま文字に移し=写し替えること。これこそが悩ましい。

*1:http://yumizou.blog1.fc2.com/blog-entry-829.html http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060225/p1

*2:勿論、〈脳内対話〉は世界から引き籠もることなく社会から引き籠もる技法として重要である。

*3:ところで、勝又正直氏がネットと俳諧について書いている。http://shakaigaku.exblog.jp/m2006-01-01/#3370028